名水銘酒の里
房総半島のほぼ真ん中に位置する久留里周辺を回る吟行をして来た。
4月13日(日)午前9時、横浜駅東口バスターミナルを発し、ベイブリッジを渡って東京湾アクアラインを進んで1時間で木更津へ。そこから久留里線というJR東日本が廃線にしたくてしょうがないディーゼル線に乗って50分ほど行くと、室町・戦国時代に里見氏が築いた久留里城跡のある小さな町に着く。
久留里は房総半島の分水嶺を成す数百メートルから千メートル程度の山嶺の麓にうずくまったような土地で、小櫃川(流路延長77km、千葉県最長の川)と笹川という二級河川とその支流が山谷を削って流れ、その狭い岸辺に集落のあるといった地域である。水を通しにくい地層と通しやすい砂礫層が交互に重なった地形なので、集落のあちこちこち、至るところに伏流水の自噴する井戸がある。この城下町一帯には180本以上の井戸があり、据付けられた蛇口からコンコンと名水が流れ出している。それぞれの井戸の水はそれぞれに味わいが異なるとも言われるが、三箇所で飲んだ自噴水はどれも同じように美味しかった。
日本酒の旨味の素は言うまでもなく米の生み出す旨さと、「水」の良し悪しで決まる。そして、米の旨味の元は稲を育む水に左右される。
ということからすれば、久留里の酒のまずかろうはずが無い。室町時代から戦国時代の武田、里見、江戸時代に入って大須賀(松平)、土屋、黒田と代替わりしつつ、酒造りは連綿として続いた。現在、君津市の大字である久留里地区は三百軒程度の小さな町なのに、天の原、飛鶴、吉寿、福祝、峯の精と五つもの酒蔵がある。
久留里駅前広場の一角には名物の自噴井戸があって名水がこんこんと湧き出している。それで口漱ぎ、ごくりと飲んでから、目の前の「生きた水久留里酒ミュージアム」に入る。上総の蔵元の酒がずらりと並び、600円出すと好みの銘柄3品種各30mlが試飲できる。早速、「福祝」「吉寿」「峯の精」を試した。どれも美味い。「峯の精」の蔵元はちょっと離れた所だが、福祝と吉寿は目の前だというので、土地っ子の愉里さんに案内してもらった。愉里さんは両方の店の顔馴染みだ。ことに吉寿の主人の妹さんとは女学校の級友だという。それなさておき、両方で純米吟醸の一升瓶を酒好きの友人と自宅に送ってくれるよう手配した。
久留里へ来てお酒を買っただけというのではバチが当たる。雨しょぼ降る中をタクシーで久留里城に登る。二の丸跡に作られた「資料館」が充実していて実に見応えがあった。里見・後北条の戦いの云々は当然として、縄文・弥生から近世に至る上総の変遷がよく解る展示である。今、アフリカや中近東地域で活躍している井戸掘り技術「上総掘り」の実物模型や仕組み解説展示など圧巻であった。
山を降りて久留里駅からまたディーゼルカーに乗り、終点の亀山駅へ。迎えのマイクロバスで亀山温泉ホテルへ行く。昭和五十年、周辺の治水と農地の灌漑、下流の木更津・君津の工業用水確保のために作られた亀山ダムの湖畔にある温泉宿だ。30℃になるかならずの褐色の湧水を温めての、正確に言えば「鉱泉宿」と言うべきなのだろうが、山奥には珍しい三階建ての“豪華ホテル”である。源泉掛け流しの大浴場を持つなかなかの温泉ホテルだ。ちょっとぬるりとした、いかにも「効き目がありそう」といった感じの温泉である。
この宿の晩餐会で出たのが「上総八銘酒飲み比べ」であった。先ほど久留里駅前で試飲した「福祝」「吉寿」「峯の精」に加え、「天の原」「飛鶴」「東魁」「鹿野山」「聖泉」が、それぞれ100mlずつグラスに入って黒塗盆に鎮座している。いずれも純米吟醸でレベルを揃えてある。一行五人、それぞれの盃に少しずつ汲んでは味わう。総じての評価は「福祝」「峯の精」「天の原」が高かった。
古今東西、酒の評価は百人百選、個々人の好みによる。その中から、あれこれあって、収斂されて順位付けされる。だから、酒の良し悪し、美味い不味いは人によって違う。それらしき酒好みの誰かがはった「評」などは、参考にはなるかも知れないが、到底金科玉条には成り得ない。飲む人が「これが美味い」という酒が一番なのである。
そんな中で酒呑洞水牛のこの夜の飲み比べで下した八つの酒の印象は次の通り。
『鹿野山』ちょっと辛口、まあまあか。
『聖泉』すっきり、あっさりした爽やかさがあるが、ちょっと頼りない感じ。
『飛鶴』すっきりしていて、しかも、しっかりした味わいがある。なかなか。
『東魁』何か自己主張がちょっと強すぎるようだ。一寸くせがある。
『福祝』すっきりしていて日本酒の味わいがあり、個性もある。
『吉寿』大人しく、上品な酒で、味わいもある。
『峯の精』すっきり、キレがある。
『天の原』辛口のすっきりと、味わいもなかなか。
いつもそばに置いておきたいなと思うのは、『福祝』『吉寿』『天の原』となった。
飲み歩く三葉躑躅に誘はれて 酒呑洞 (25.04.14.)