2017年03月27日

俳句日記 (336)


 あっぱれ新横綱

 何が驚いたかと云って、千秋楽の新横綱稀勢の里の逆転優勝には本当にびっくりした。左肩を痛めてほとんど動かせない状態で取った十四日目の鶴竜戦を見て、ああ何たること、休めば良いものを、これで力士生命を縮めてしまうのではないかと思った。千秋楽は勢いに乗っている怪力照ノ富士である。壊されてしまう。休んだって誰も咎めはしない。休め、休めと呟いていたら、何と出て来た。これは救いようのないバカだと思った。
 照ノ富士は絶対に優勝するのだと真剣になっている。それが証拠に、10番勝って大関返り咲きをねらう琴奨菊との十四日目での一番で見せた勝負根性である。琴奨菊が一か八か、がむしゃらに突っ込んで来ることはシロウトにも分かっていた。琴奨菊のぶちかましとそれに続く突進力は並大抵ではない。これに勝とうと思えば変化するのは至極当然。照ノ富士としては、観客のブーイングはこたえただろうが、優秀するにはしょうがないと割り切っていた。それが勝負後の当たり前では無いかというコメントにも現れていた。
 そういう照ノ富士との対戦である。もう、左肩の使えない稀勢の里の負けは当然と思えた。
 千秋楽の土俵に上がった稀勢の里をテレビ画面で見て、おやと思った。実にすがすがしい表情なのだ。あの、神経病みの顔つきではない。「ああ、これは新横綱として15日間務められれば可としようと考えているんだな」と思った。ところがさに非ず、本人は勝つつもりだったのだ。この夜10時のNHK番組に出演して語った所では、「(左肩は全然使えないが)下半身は元気だから、動き回れば」勝機がつかめると考えていたのだという。その通り、普段の立合いでは滅多に変化しない男が左に動いた。照ノ富士もびっくりしただろう。上手を取って寄って出たが突き落とされた。勝った稀勢の里も「あら勝てちゃった」という風情で、片手をちょっと挙げた。
 これで十三勝二敗の相星となり、優勝決定戦。この時の土俵上の両者の感じは明らかに違った。稀勢の里は言ってみれば安心立命、照ノ富士には焦っている様子がありありと見て取れた。立ち上がるや照ノ富士がもろ差し、もうこれで決まったようなものである。本人もそう思ったのだろう、ぐいぐい寄った。ああこれはしょうがない、と思った途端の小手投げ。圧力を掛けていただけに照ノ富士の落ちるのが早かった。
 本割り、決定戦とも、照ノ富士の方が仕掛け、相撲としては照ノ富士のものだった。しかし、勝負は稀勢の里のものとなった。以前の稀勢の里では到底考えられないような勝ち方であった。こういう場面ではことごとく負けていたのが稀勢の里であったのだ。
 負けを覚悟していたから勝ちを拾えたのだろうか。それとも、横綱という地位を得たことで、これまでの自信の無さ、ふわふわしていた気持がどっしり落ち着いたからだろうか。
 私は1月26日付けの本欄で、「大甘の採点で横綱にしてもらった稀勢の里は、吉葉山の二の舞になるのではないか」と書いた。それが見事に覆された。稀勢の里には「失礼しました」と謝る。今場所痛めた左肩をしっかり治して、夏場所また優勝して欲しい。

 春場所を盛り上げにけり手負い獅子
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2017年03月09日

俳句にならない日記 (2)


捨てばち国家を目の前にして(下)

 北朝鮮は情報を外に漏らそうとしないから、どのような状況になっているのかほとんど分からない。しかし、断片的に伝わって来る情報をつなぎ合わせただけでも、既に国家としての体を為していないように思える。日本貿易振興機構(JETRO)の資料によれば、北朝鮮の国家予算(歳入ベース)は2015年で米ドル換算ざっと7千5百万ドルだという。同年度の日本の予算はざっと96兆円、ドル換算8050億ドル見当だから、なんと北朝鮮の国家予算は日本の一万分の一以下である。いくらなんでもこの数字は低すぎると思うのだが、とにかく国力が異常に疲弊していることは確かなようで、中国の援助が無ければ到底やっていけないだろう。
 そういう国が、一発3億円とも5億円とも言われる短距離弾道弾スカッドや、10億円以上もする中距離弾道弾ノドンやムスダンを次々に発射し、果ては一発で数百億円と言われる長距離弾道弾テポドンまで打ち上げようとしている。餓死者が続々と生まれている中で、こうしたことを強行しているのだ。
 しかし実は私たち日本人も昭和の初めまではそういう愚かなことをやっていたのである。米英はじめ世界の主立った国が日本の行き方を認めないことに苛立った当時の為政者は、無謀にもほとんど全世界を敵に回しての戦争を起こした。今の北朝鮮は、昭和16年(1941年)から昭和20年までの日本と同じような状態なのではなかろうか。国民には実情を一切知らせず、自国は躍進を続けているという宣伝のみである。
 国民学校一年生だった水牛少年は日の丸の鉢巻きを締め、脚にはゲートルを巻き、竹槍を握って「一億一心火の玉だ」と叫んで、藁人形を突き刺した。本気になってそういうことをやっていた。大人は勿論、総動員体制、もう兵役年齢からはずれた四〇代まで戦場に駆り出された。中学生になれば学徒動員で工場で働かされた。こうしたことに不満を洩らせば危険思想の持ち主としてすぐにしょっぴかれた。
 こういう時代に俳句を詠むのはとても難しい。ちょっとでも戦争の悲惨さや苦衷を詠むと、すぐに特高警察が調べる。昭和15年には俳句結社「京大俳句」で活躍していた平畑静塔、石橋辰之助、渡辺白泉、三谷昭、西東三鬼といった俳人たちが治安維持法違反で逮捕された。その後も弾圧は続き、ごく普通の俳人が次々に槍玉に上げられた。あとは体制に従って「戦意昂揚俳句」を作る人たちだけが生きて行ける状況になった。詩も短歌も小説も、文学は全て国威発揚、戦時意識の涵養に役立つ物でなければいけないということになった。
 北朝鮮の一般国民は今、そういう生活を強いられているのだろう。しかし、それが正しいと信じ込まされてしまうと、それを辛いとも思わず、むしろ率先してやろうとするのだ。こういう意識に凝り固まった集団は物凄いエネルギーを発揮する。傍から見ればこれはまさに狂信集団の自暴自棄行為である。ほんとに何をするか分からない。
 日本がもうほとんど戦闘能力をはがれてしまった昭和19年から20年、軍部は依然として「勝ち続けている」と言い張り、「最終兵器」の一つとして「風船爆弾」を考え出した。日本特産の和紙をコンニャク糊で貼り合わせ、巨大な紙風船をこしらえてそれに爆弾を仕掛け、茨城県、千葉県の海岸から打ち上げ、偏西風に乗せてアメリカに飛ばしたのである。両国国技館、浅草国際劇場など、都内の大きな建物に集められた女学生がせっせとこれを作った。ほとんどは途中でしぼんで太平洋に落ちたり海上で撃ち落とされたのだが、何発かは米大陸に到達、ピクニックの小学生の一団と引率女教師が木に引っ掛かった巨大風船に興味を抱いて近づいたところ爆弾が爆発し犠牲になった。また、原爆開発工場の近くの電線に引っ掛かって停電が発生、為に原爆完成を一週間遅らせたという「戦果」を挙げた。
 今回の北朝鮮ミサイルは風船爆弾とは比較にならない威力だ。「在日米軍をやっつける」のが目的ということだが、これに核弾頭を付けて横田基地や厚木基地目がけてぶっ放すことすらやりかねない。目標がちょっとずれたら都心直撃。被害はヒロシマ・ナガサキどころではない。実に恐ろしいことだが、さりとて、この恐怖を材料に日本を昔のような軍国国家にしようとするのは困る。
 この捨てばち国家を押さえ込むのは難事で、日本独力ではとても無理である。米国の後ろ盾があっても危うい。どうしても諸外国こぞっての「押さえ込み」が必要だ。直接的には中国の手を借りねばならない。さらにロシアも大きな力になる。そうするには日本の外交能力を高めなければならない。今の外務省はとても頼りなく見える。それをしゃんとさせるには、それこそ「国民の声」が物を言う。
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2017年03月08日

俳句にならない日記 (1)


捨てばち国家を目の前にして(上)

 北朝鮮が3月7日朝、秋田県男鹿半島西方三百数十kmの日本海に弾道弾ミサイル四発を打ち込んだ。日本の排他的経済水域内であるから、これは挑発行為と言ってもこれまでのよりぐんと踏み込んだ激烈なもので、宣戦布告一歩手前と言っても過言では無い危険な行為である。明治後半から昭和始めの軍国主義日本であれば、すぐさまこちらからもぶっ放すことになったであろう。
 まあ、今のところ日本国民には戦意は全く無いから、すぐにドンパチ始まる心配は無い。今日あたり、東京や横浜の盛り場を歩いている人たちの顔には緊張のかけらも無い、間延びしたものであった。まことに結構な事だが、一衣帯水の地にこうした狂犬のような集団が牛耳る国があるということを日本国民全体がもう少し気にした方がいいのではないかと思う。そういう難しいことは政治家や役人が考えてくれる、などと呑気に構えていると、日本という国がとんでもない方向に向かって行く恐れがある。
 いわゆる「右寄り」の人たちの中には、「なんで無法行為を好きなようにやらせておくのだ」という不満が湧き上がっている。北朝鮮とは関係が無いが、尖閣諸島付近への中国艦船や軍用機の不法侵入、韓国軍による竹島の不法占拠、ロシアによる北方四島の不法領有などについても国民は強い不満を抱いている。その上に北朝鮮による拉致日本人の帰還問題の店ざらしと、相次ぐミサイル打ち込みである。
 こういう面白くないことが度重なると、「こんなことが起こるのは日本が正式な軍隊を持たないからだ」「占領軍に押し付けられた憲法で交戦権を放棄させられているからだ」という考えが頭をもたげて来る。いや、既にかなりまとまった声になっている。
 それでは、憲法を改正し、堂々と「戦争が出来る国」にして、徴兵制度を整え、戦力を増強する──そうすると、どういうことになるのだろうか。
 まず中国が反応する。今でも中国は日本をアメリカの衛星国家、アメリカ防衛の盾と見なしているのだが、それをさらに進めて日本そのものを仮想敵国として“重視”するようになり、対日攻撃網を整備するだろう。そうなると、それに呼応して我が防衛省は対中攻撃・防御策を積み増す。そういう日本にはロシアも警戒心を高め、北方四島の返還などは初めから無かったような姿勢になることは間違いない。北朝鮮は勿論、臨戦態勢になる。そして韓国も対日警戒心をつのらせる。「日韓併合」の悪夢を思い出すのだ。
 こうなると国防予算(軍備拡張費)は雪だるまのようにふくれあがる。中国の軍事予算はこれだけ増大している、ロシアも韓国も増大しているということになればもう時の勢いで、わが国も負けてはいられないという国民感情が盛り上がる。その時にはもう引き返せない。行き着く果ては戦争である。この流れは歴史が証明している。
 そういう時代には到底俳句など詠んでいられない。たちまち「非国民」と呼ばれ、若ければ一兵卒として最前線に送られ、年寄りなら軍需工場の強制労働、あるいは死ねとばかりの強制収容所送りとなる。今の北朝鮮と同じ状況であり、70数年前の日本の状況が再現される。(続く)
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2017年03月01日

俳句日記  (335)


ギックリ腰

 久しく発生せず、半ば忘れかけていたのだが、今朝、ギックリ腰に襲われた。今日は頼まれていた本の編集・出版の打ち合わせのために、内幸町のプレスセンターに行く約束があった。それで、寝坊にしては少し早起きし、乾布摩擦、フクラハギのマッサージ、足裏揉みといつものメニューをこなした。身支度して、ベッドの掛布団を直そうと不安定な姿勢で手を伸ばし引っ張った途端に、ギクッとなった。激痛が走った。久しぶりに味わう、息の詰まる痛さであった。
 しばらくは床にうつ伏せになり、呻いた後、なんとか起き上がって、山の神を呼んで膏薬を貼ってもらい、そろそろと腰痛ベルトをした。痛みは相変わらずだが、なんとか壁を伝いながら歩ける。書斎の薬箱からロキソニンを出して吞む。じいっと腰掛けているうちに、少し楽になってきた。約束の時間は11時、もうそろそろ10時だ。今から「ゴメンナサイ」と電話しても、相手は四、五人いるし、大方は出かけてしまっているだろう。しょうがない。勇猛心を奮い起こして出かけた。
 世の中、どうしてこう階段だらけなのか。いつもはさして気に止めない階段が、これほど恐ろしいものとは。手摺に体重をかけながら、一段ずつ降りたり上ったり、市営地下鉄、京急、都営地下鉄と乗り継いで、大幅に遅刻してたどりついた。まあ皆さん良い人たちで怒りもせず、逆に大いに慰められ、よく来てくれましたと褒めてもらった。幸いにも今回の発作は軽い方で、鎮痛剤も効いてきて、用談は滞りなく済ませることができた。
 今は三回目の鎮痛剤が効き目を著しており、椅子に座っている分には、少々痛む程度で済んでいる(ので、こういう駄文が書ける)。
 原因は分かっている。正月以来、吞んでは食べてを繰り返し、腹が出っ張りすぎたことである。もともと大して丈夫ではない腰骨、背骨が悲鳴を上げているのだ。にも拘わらず、吟行だ梅見だと出かけては、終わる度に一杯。この連続だったのだ。

  重き腰梅に誘はれ八千歩
  春寒し大石段に大吐息
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2017年02月20日

俳句日記  (334)


早春の空豆

 「正チャンの店に空豆が出たんで買ってきた」と、山の神が昨日の夕餉の膳に乗せてくれた。すっきりとした飲み口の櫻正宗の純米酒「江戸一」とまことに良く合う。それにしても二月の空豆とは驚く。高級料亭ならまだしも、さびれた町の小さな八百屋の店頭に並ぶとは。日本農業の進歩発展驚くべきものである。
 もちろんソラマメは夏の季語である。秋にタネを蒔いて、仲春三月半ばから花を咲かせ、ゴールデンウイークの頃に採れ始める。関東地方の露地栽培ではおおむねこうした流れである。莢が空に向かって逆立ちしたように付くので「空豆」とか「天豆」と書く。また、丁度蚕を飼う時期に食べ頃になり、莢の形が蚕に似ているから「蚕豆」という字を当てた。昔はもっぱらこの「蚕豆」という字を用いたが、養蚕が廃れてしまった今では「空豆」と書くようになっている。
 とにかく初夏を告げる豆なのだ。四月半ば頃、まだ十分に大きくならないうちに収穫したものを「はしり空豆」と言う。さっと茹でた小さな豆を皮ごと口に含む。ぷちゅっとはじけて、ちょっと渋味を含んだ爽やかな風味が鼻腔に抜ける。食通、食いしん坊が大喜びした。
 ところが昨夜出て来たのはすっかり大きくふくらんだ立派な空豆であった。もちろん、温室やビニールハウスで作られたものである。しばらく前まではビニールハウス栽培の早出しソラマメなど高くて口に入らなかったのだが、ハウス建設や温度管理などが進化改良され、栽培コストが低下してきたのかも知れない。こうしてソラマメに限らずあらゆる蔬菜が時期はずれに出回るようになった。食いしん坊にとっては有難いのだが、俳句を詠む段になると困ってしまう。「二月下旬の空豆は詠むのが難しいなあ」と首を傾げる。
 「空豆、オバアチャンが好きだったわねえ」と山の神が言う。八年前の三月、まだ走り空豆にも早い時期に白寿で逝った私の母は、殊の外空豆を好んだ。見栄っ張りで気の強い母で、やはり気の強い山の神はかなり我慢して折り合いをつけてくれていた。亡くなる前の年の初夏にも、山の神が「おばあちゃん、初物の空豆ですよ」と出すと、とても喜んで「ああ嬉しいわ、寿命が伸びるわねえ」と言った。「それを聞いて、私の心境は複雑だったわ」と山の神は遠くを見つめる。
 八百屋の正チャンはそんな山の神のフアンで、「お宅の奥さん、オモシロいねえ」と言う。

 早出しの空豆運ぶ春二番
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2017年02月17日

俳句日記 (333)

春一番

 今日は朝から物凄い風だった。春一番である。書斎の窓から下の方に公園の大島桜の巨木が見えるのだが、その大枝がゆさゆさ揺れている。その辺りにいつも遊んでいる鴉や鵯も、恐れをなしたか姿を消している。
 「春一番」というのは日本海を北上する低気圧に吸い寄せられて南側から風速8メートル以上の強い風が吹き込む現象を言う。今日の横浜は20メートルくらいの強風だったのではないか。
 こうした春先の南風は、時に漁船を転覆させる恐ろしい風として、壱岐島(長崎県壱岐市)や能登の漁師などが「はるいちばん」「はるいち」と呼んでいた。それが1950年代に気象用語に取り上げられ、俳句の季語にもなった。
 漁業関係者にとっては仕事が出来ない厄介な風だが、一般庶民には「ああこれで本格的な春がやって来る」と知らせる風である。強い南風が暖かい空気を運んで来るから、気温がいっぺんに上がる。横浜の我が家の庭に吊した寒暖計は、午後二時で20度を指した。まさにバカ陽気である。近くの「せせらぎ緑道」という、小川を暗渠にしてしまった後に出来た遊歩道に植えられている彼岸桜が、慌てて咲き始めた。この桜は早咲きとは言え、例年は3月に入って咲き始めるのだ。二週間も早い。
 春一番のもう一つの困ったことは、杉花粉を運んで来ることである。横浜には房総半島の杉山の花粉が南東風に乗ってどっとやって来る。今年は花粉量が少ないと言われているが、我が鼻腔は敏感で素早くキャッチした。くしゃみ、鼻水、涙の三点セットが律儀におうかがいをたてに来た。これからしばらくはマスクと、ザイザルとかストナリニとかいう錠剤を飲み続けることになる。こうしたアレルギー薬は眠くなり、モーローとした気分になるのが難点だ。
 昼間は花粉症の薬でぼーっとして、夕方からはアルコール作用でぼーっとして来る。すなわちこれからの二ヵ月は昼夜の別無く夢遊状態となる。ひどい年には、この状態がゴールデンウイークまで続く。水牛は睡牛となり酔牛となり、衰牛となって行く。

 春一番花粉を乗せてコンニチハ
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2017年02月11日

俳句日記 (332)


トランプ流

 米国のトランプ新大統領の常識外れな言動が米国内はもとより、全世界に波紋を広げている。米国内でのテロ活動防止や米国民の雇用を確保するために「不法移民を排除」しようと入国拒否の強硬手段を取ったり、米国に有利な貿易の仕組みを作ろうとTPP(環太平洋経済連携協定)から離脱し、個別に二国間貿易協定を結び直す動きに出たり、気に入らない者に対してはツイッターなどネット上で攻撃を浴びせかけるという前代未聞の方式を採る。兎に角、世界第一の大国の元首にはあるまじきことを平気で言ったり、行動したりしている。
 そこへ日本から安倍首相が表敬訪問に出かけた。2月11日(日本時間)には「日米首脳会談」を行ったものの、発表を見る限り目新しいものは「尖閣諸島は日米安保の範囲内」であることを確認しただけ。「力強い同盟関係推進」などと例によって修飾語ばかりが豪勢で、要するに日本はアメリカの言い分を十分に理解しますから、これからもどうぞよろしくと握手しに行っただけである。
 トランプ大統領は就任後、米国内での人気が盛り上がらず、閣僚人事も議会の承認を取り付けるのに難航して一ヵ月たっても全ての顔ぶれが整わない。対外的には中国やヨーロッパ諸国が「お手並み拝見」といった形で、トランプ政権の動きを見守ったままで、自ら動こうとしない。
 そんな中で、自分が大統領選に勝った直後に駆けつけてきた上に、正式就任後、すぐさま表敬に来たアベという男は「ういヤツだ」ということなのだろう、なんといきなりハグ(抱きしめ)したものだ。日本は自動車をはじめ公正な対米貿易を行っていない、為替問題でも円安誘導をしているなどと、事実誤認のひどい攻撃を仕掛けていたことなどおくびにも出さない。それは、ゴルフをやって機嫌良く帰してから、改めて一発見舞おうと考えているのだろう。
 硬軟取り混ぜ、脅したり透かしたりおだてたり、さすがはの者である。ガンッと一発かませて、相手がひるめば付け込む。堂々と受けて反撃して来るような相手なら、一歩下がって有利な落としどころを見つける。
 そういう人間に、相手の好むようなことばかり言っていたのでは、たちまちペット扱いにされてしまう。
 アベちゃん、どうか“トランペット”だけにはならないよう、祈る。

  恋猫の迷ひ込んだる獅子の檻
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2017年02月07日

俳句日記 (331)

バーゲンセール

 二月はどこもかしこも「バーゲンセール」。私の住んでる所の最寄り駅の横浜駅周辺は、横浜が東京のベッドタウンと化した昭和三十年代初め、それまでは駅東側はすぐに海、西側は砂利置き場だったのが続々と商店街が出来、東京のデパートが三つも出店を開いた。今や一日230万人の乗降客や、私のようにふらふら出かけて来る周辺住民でこの駅の西口、東口は平日休日お構いなしの雑踏である。
 明治5年、「汽笛一声新橋を」出た汽車が辿り着いた横浜駅は現在の桜木町駅で、今の横浜駅は東海道線が大阪目がけて走るために1915年(大正4年)に桜木町から1キロほど東に作られた新・横浜駅である。出来た早々から乗降客の激増が続き、改造に次ぐ改造工事で、第二次大戦間のほんの数年を除いて、開業以来100年以上、一日たりとも工事の騒音が途絶えたことのない稀有な駅で、「日本版サグラダファミリア」とも呼ばれている。今日現在も西口の大改造でゴトゴトやっている。
 そんな中で、地下商店街も地上もバーゲンの真っ盛り。「50%オフ」という垂れ幕の隣には「Max70%オフ」のビラ、さらにその隣は「80%オフ」。さらには「またまた値下げしました」などというのもある。これなどは、さすがに「90%オフ」と書いては「ウソでしょ」と言われかねないので、半ばやけっぱちの苦肉のキャッチフレーズなのだろう。
 こういったバーゲンの張り札を賑やかに掲げているのは、婦人服や女性客目当ての化粧品、ファッション小物類の店である。どうも女性はこの「バーゲン」とか「ディスカウント」という言葉を聞くと、居ても立ってもいられなくなるらしい。我が家の山の神も「タカシマヤでバーゲン」などと叫んで押っ取り刀で出かける。こういう時に、もう何を着たって同じだろうが、などと言ったら大変なことになるから、「うむうむ」なんて言いながら送り出す。しばらくすると浮かぬ顔で戻って来る。買う物が無かったというのである。山の神は小さいからSサイズもかなり小ぶりでなくては着られない。しかし婦人服のバーゲンは大抵はMサイズらしい。結局はくやしい思いで、欲しくも無かった野菜の皮むきなんか買って帰って来る。
 面白いのは、ジイサン向けのバーゲンというのが全く無いことである。世の中ジイサンはぐんぐん増えている。バアサンほどではないが、ジイサンの購買意欲や購買力はかなりのものなのではないか。どうしてジイサンを引き付けるようなビラが貼られないのだろう。横浜駅西口の高島屋、ジョイナス、ダイヤモンド地下街を歩きながら考えた。時間は沢山あるし、一日七千歩は歩けなんて言われているから東口にも行って、そごうやポルタなどというのもほっつき歩く。しかし「ジイサン」に焦点を絞った店は皆無であった。
 歩きながら悟った。ジイサンほど扱いにくい生物は無いということを。バアサンは、なれの果てとは言ってもまだ昔日のミーハー気分を引きずっていて、バーゲンと聞けば駆けつける可愛らしさを残している。しかし、ジイサンは違う。百人いれば百種類である。それぞれが屈折した思いを抱えており、己の好みを頑なに守る。「世が世なら俺は」なぞと、あり得ない事をいつまでも夢想している。気に入らぬことがあれば闇雲に怒り出すし、それならばお望みのものは何ですかと聞かれても咄嗟には答えられないのだ。
 然るが故にジイサンは常に孤独である。孤独な人間を引き付けるマーケティングほど効率の悪いものはない。というわけで、ジイサン向けのバーゲンセールは皆無なのである。
  縮む背を叩き伸ばして梅日和
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2017年02月04日

俳句日記 (330)


 節分

 「節分」とは季節を分ける日のことで、立春、立夏、立秋、立冬の前日はみんな節分なのだが、今では立春の前の日だけのようになっている。この日までが冬、翌日から春という印象が強いので、二月三日の節分だけが言い囃されるようになったのだろう。
 しかし、それもだんだん人の口の端に上らなくなっているようだ。若い人たちに言うと、「セツブン?ああ成田山なんかでやってる豆撒きか」なんて言う。
 そう言えば近ごろは豆撒きをする家がほとんど無くなってしまった。昔は二月三日の夕方になると、向こう三軒両隣、お父さんが張り切って、「鬼は外ォ、福はァうちィー」と大声で囃しながら豆を撒いたものだった。それが聞こえなくなってしまったのはいつ頃からだろうか。バブル景気に浮かれ始めた1990年代あたりから、そんな古臭い風習を馬鹿にする気風が漂うようになった気がする。
 それを我が家はいまだにやっている。と言っても、私が一人で頑張っているだけなのだが。山の神は「ご近所が驚くから止めて頂戴。恥ずかしいったらありゃしない」と言う。「何が恥ずかしい。こういう良き伝統は絶やしてはいけないんだ」。息子は局外中立が賢明と、部屋から出て来ない。
 「それじゃね、庭の方でそっとやってね」
 仕方が無い。庭に向かって「鬼は外」と音量を抑えて豆を撒いたら、居付き猫のキタコが度肝を抜かれたような顔つきで小屋から飛び出し、夕闇の彼方に消えて行った。

  豆撒くもそっと声出し二三粒
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2017年01月30日

俳句日記 (329)


大寒というのに

 立春にはまだ五日ある大寒の最中の1月30日、朝方は西風が猛烈に吹き荒れてそこそこ寒かったが、昼頃風が治まると途端に気温が上がり始めた。綿ネルのシャツの上にフリースのプルオーバーを着ている。昨日まではこれでも寒い感じだったのだが、今日の午後は汗ばんできた。午後2時、庭の物置の外壁に吊り下げてある寒暖計を見たら24℃になっていた。これは横浜地方気象台の計測より常に2、3℃高いので、ヤフーの天気を見たら「横浜21℃」とあった。
 大寒の最中に21℃というのは、やはりおかしい。12月に蒔いた小松菜がすくすく伸びている。白菜は丸く締まった円筒形の先っぽが早くも笑み割れそうである。ブロッコリーがどんどん大きくなる。普通なら寒中にはなりを潜める害虫が生き残っていて、白菜や小松菜を食い荒らす。
 風邪が流行ったり、ノロウイルスによる食中毒騒ぎが頻発するのも、寒に気温が下がらないせいであろう。寒がりの私には暖冬は有難いのだが、世の中がおかしくなるような気候異変は困る。
 我が家は下町から階段を50段ほど上った丘の中腹にある。毎度階段を上り下りするのは厄介なのだが、南斜面の丘で背中の北側は崖を背負う地形だから、冬はまことに暖かく、夏は涼風を受けて実に快適である。というわけで、横浜の平均気温と較べても夏冬それぞれ1,2℃は違う。そのせいか花の咲くのも早い。梅は既に正月四日に咲き始めた。今や梅は散り始め、沈丁花が満開である。
 あんまりぽかぽかするので、今日は菜園の空いた所に小松菜の種を蒔いた。植物の種には一定の発芽温度というものが必要であり、大寒に種を蒔くなぞは非常識なのだが、このバカ陽気では芽生えるのではないかと思ったのである。

  早く来て初音聞かせよ梅の散る
posted by 水牛 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする