2024年05月30日

俳句日記 (912)


惰性は怖い

 あまり話題になっていないが、来年4月13日に開幕する大阪万博は、果たしてちゃんと開けるのだろうか。コロナ騒動で日本中がおかしくなった当時、大阪万博開催は返上した方がいいのではないかという意見が多方面から出たのだが、大阪府も市も関西経済連合会(関経連)も「絶対に開催する」と頑張った。
 私は大阪万博開催の話が起こった当初から「止した方がいい」と思い、ことあるごとに喋ってきた。日本はもう昔の日本ではない、それ行けどんどんの時代ではない、オリンピックや万博などに頼る時代ではないし、無理してそんなものを開催すれば諸所方々に悪影響をもたらすだけだと思ったからである。
 地元経済界は巨大イベントによって潤いがもたらされるから賛成するのは当たり前で、そうした勢力を選挙地盤とする自民党政府が推進しようとするのも分かる。しかし、常日頃地元の真の発展を考えると唱えている維新の会という政治団体とその頭目である吉村知事あたりは何か別の考えがありはしないだろうかと思っていた。しかし、むしろ逆で「何がなんでも開催」と猪突猛進派の先頭に立ち、万博に批判的言辞のテレビのコメンテーターを“出入り禁止”にすると発言し物議を醸したりする体たらくだ。大阪は東京以上に支離滅裂な街で、お金をかけるべきところはもっと別にいろいろあるだろうに、こうしたお祭り騒ぎに走る。こういう軽はずみな人間を頭にいただく政党がちょっと人気を集めたからと、全国区に名乗りを上げ、中央政界に乗り出そうとしているようだが、とんでもない話である。頼りなくて危なっかしい立憲民主党の方がまだマシである。
 話がそれたが、大阪万博。先行きは恐ろしい。もう開催まで10ヶ月という今となっては「返上」するのは不可能で、このまま開催するのだろうが、不具合だらけの目も当てられない万博になるだろう。
 大阪万博の象徴となるのが「リング」という会場をぐるりと取り巻く木造の巨大環状構造物だ。これの建設工事だけは予定通り進んでいるようだが、問題はその内側の各国パビリオンだ。半分以上が手付かずだという。人手不足、資材不足によっていつ着工できるかわからないパビリオンも多い。生じっか周囲の「リング」が組上がってしまったため、パビリオン建設用の重機が入らなくなってしまったという声も聞こえてくる。自前のパビリオンを作って参加する国は当初は60カ国だったのが今では40に減っており、未完成のまま開幕といったものも出かねない状況だ。
 会場整備費だけで当初予算1250億円が軽く倍増してしまいそうだという。そんな巨費を投じて拵えた施設は半年の開催期間を終えれば壊される運命にある。今はやりの言葉SDGsとは正反対の行き方ではないのか。
 誰が決めたのかわからない巨大プロジェクを止めることが出来ないのは、「決まったことを今更やめるわけにはいかない」という呪文に縛られているからだ。あの大失敗に終わった東京オリンピックもそうだったが、大阪万博も開催の「責任者」がわからないのだ。主催者である「2025年日本国際博覧会協会会長」は十倉雅和経団連会長(住友化学会長)であり、就任の弁に「いのち輝く未来社会のデザイン」を描くなどと述べたが、もし、万博で何か大問題が発生したらどうするか。“頼まれ会長”だからと責任をうやむやにするのがオチだろう。
 これまでもそうだったが、日本という国では、何事も「慣習」「前例」に基づいて決められ、それを誰の責任でもなくなんとなく「惰性」によって運んできた。だから、それが惨憺たる結果になっても、いつも「責任者」は不在だった。
 大阪万博もたぶんそういうことになるのだろう。

  夏の夜を七転八倒夢の島   酒呑堂
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2024年05月27日

俳句日記 (911)


索漠たる小相撲

 大味どころか味も素っ気も無い夏場所が終わった。明朝5月27日の朝刊は新小結大の里の優勝を「初土俵から7場所で優勝は新記録」とか「7月名古屋で好成績なら大関昇進か」などと、これでもかとばかりに盛り上げるだろう。しかし、本当の相撲好きからすれば、しらけるばかりである。要するに横綱大関がだらしがなかっただけなのである。
 何しろ蓋を開けた途端の5月12日、横綱照ノ富士はじめ4大関2関脇が全滅、二日目から照ノ富士と大関貴景勝が休場してしまった。小結朝乃山と先場所新入幕で優勝の尊富士が初日から休場しており、三日目には前頭三枚目の高安がギックリ腰で、七日目には大関霧島と関脇若元春が怪我で休場した。幕内42人のうち7人が休場で幕内の取組が減ってしまい、十両力士を中入後の取組に加えたりしたものの時間が余ってしまい、制限時間を微妙に引き延ばしたりしていた。
 優勝した新小結大の里は確かに強い。遠からず大関横綱になる逸材であることは確かだ。しかし今場所は勢いに任せて勝星を連ねただけで、来場所もこのまま行くとは思えない。二日目に高安に押し出され、九日目に平戸海に押し出された相撲を見ると、立合いすぐの猛烈な寄りを押っ付けられたり、横から攻められると意外にもろい。こうした点を研究される来場所は今場所のようにスムーズに行かないのではないか。
 それに、何しろ性格が良くないと見る。会ったわけでもない人間の性格など当てられるはずはないが、報道によれば歯向かいできない下っ端力士や後輩をいじめるという。こうした人間は大学の体育会系にはよくいる。傲岸不遜、弱い後輩連中を虫けら扱いにする。思い上がって我が儘な振舞いをして生活が乱れ、それが相撲にも影響するのではないか。親方の二所ノ関(元横綱稀勢の里)が現役時代から我が儘で、親方になってからも勝手な振舞いが目立つ。大の里を善導できるのかどうか危ぶまれる。
 こんな味気ない大相撲ならぬ小相撲に終わった夏場所だが、老雄宝富士と玉鷲の頑張りようが掛け替えのない清涼剤となった。宝富士は9勝6敗の好成績、玉鷲は惜しくも千秋楽に星を落とし7勝8敗に終わったがよく頑張った。それに何より、私の大好きな若隆景が十両で14勝1敗の堂々たる成績で優勝、来場所は晴れて幕内に復帰することが確実になったのが嬉しい。
   夏場所の打出し太鼓しめりがち   酒呑堂(24.05.26.)
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2024年05月18日

俳句日記 (910)


休場力士続々

 5月18日(土)、大相撲夏場所は七日目を迎えていよいよ佳境に入るはずだったのが、大関霧島と関脇若元春が休場し、水がさされてしまった。小結朝乃山が初日から休み、横綱照ノ富士と大関貴景勝が二日目から休場しているから、中日前に早くも三役以上の力士9人のうち過半数の5人が消えてしまったのだ。この他、先場所新入幕幕尻で劇的な優勝を飾った尊富士が無理をした右足の怪我の悪化で初日から休場、好調と思われた前頭三枚目の高安がぎっくり腰で休場。結局七日目で、幕内42人のうち7人が「休み」というひどいことになった。
 しかもこの7人は看板力士ともいうべき存在である。名代の力士が上から順に7人も姿を見せないというのは前代未聞だ。
 先場所の尊富士の頑張りで高まった相撲人気で、両国国技館で開催される夏場所は、入場券の前売り開始早々に完売という大盛況で、十五日間「満員御礼」の垂れ幕がかかることが決まっているという。
 しかし、看板力士が次々に休んでしまい、雑魚の競り合いのようになってしまっては「金返せ」という人が出てきても不思議ではない。だが相撲協会は「払戻に応じます」などとは決して言わない。八角理事長からして「フアンの皆様に申し訳ない」と陳謝するどころか、「怪我はいたしかたない」なんて言っている。
 とにかくまあひどい場所になってしまった。5月12日、初日の相撲を見て感じたことをこの欄に「夏場所大相撲は大混乱もいいところで、面白味のない大味な場所になりそうだ。・・・こうして私の好きではない大ノ里あたりが優勝してしまうかも知れない」と書いたが、それがその通りに進んでいる。
 「そんな文句ばかり言うのなら見なきゃいいでしょ」と、半ば恍惚境の山の神が、ハッとするような正論をぶつけて来る。なるほどその通りだ。しかし、ついついテレビにかじり付いてしまう。救いは宝富士と玉鷲の老雄二人が頑張っていることだ。

   薄くなりし髷振り立てて夏相撲    酒呑堂  (24.05.18.)
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2024年05月12日

俳句日記 (909)


大相撲夏場所は・・

 5月12日両国国技館で大相撲夏場所が始まったが、悪い予想が当たって全く呆れ果てる幕開けとなった。横綱照ノ富士はじめ4大関2関脇が全滅したのだ。初日の大波乱などと大見出しにはなろうが、相撲愛好家にとってはこんな白けてしまう為体は無い。大相撲始まって以来の情けない出来事ではないか。
 横綱照ノ富士は両膝と腰の万年不具合に加えて、場所直前の横綱審議会総見稽古で左脇腹を傷めたから、初日の相手の新小結大ノ里にはいっぺんに持っていかれるだろうと思っていたが、その通りになってしまった。先場所、奇跡的に角番を脱出することができたダメ大関貴景勝は平戸海になんら抵抗することもできずに押し出された。この力士はもう今場所で終わりだろう。横綱に真っ先に駆け上るかと思われた霧島は先先場所あたりから調子が狂い始め、今日もやる気があるのかというような安易な立合いで豪の山の押しに一たまりも無かった。おじいさんの琴櫻の名跡を継いだ琴乃若改琴櫻ものそっと立って大榮翔に押され、一旦は踏みとどまるもダメ。唯一、生きの良い大関豊昇龍も、熱海富士の絶妙な左上手を取る相撲に為す術なく敗れてしまった。一生懸命声援を送っている関脇若元春は高安にうまく取られて押し出されてしまった。もう一人の関脇阿炎は曲者翔猿にうまいこと取られてつんのめった。かくて上位陣総崩れである。
 これで二日目は横綱照ノ富士が大栄翔にいっぺんに押し出されるか、出投げなどで破れるかして連敗→休場となるのではないか。貴景勝も豪ノ山が相手だから押し出されるか引き落とされるかして連敗だろう。琴櫻も熱海富士が相手だけに危ない。平戸海相手の霧島と阿炎を相手の豊昇龍が白星を挙げて面目を保つかどうか。とにかくこんな具合で夏場所大相撲は大混乱もいいところで、面白味のない大味な場所になりそうだ。
 こうして、私の好きでは無い大ノ里あたりが優勝してしまうかもしれない。大ノ里は怪我でもしなければ遠からず横綱になるだろうが、どうしても好きにはなれない力士だ。品性下劣のように思えるのだ。学生相撲時代から当たるところ敵無しの勢いで進み、傲岸不遜になった。「強い者が偉い」世界だから、強者が威張るのは当たり前で、ある程度は傲岸不遜も通る。しかし、実生活では謙虚であらねばならない。それを「強ければいいんだろ」という姿勢を臆面もなくひけらかす。部屋内では後輩をいじめる。酒の弱い取的に無理やり飲ませて失神昏倒させて面白がったなどという話を聞くと、心底嫌になる。
 今場所はもう誰が優勝するかなんてどうでも良くて、老雄玉鷲と宝富士の頑張りに期待しよう。
   薫風や大川わたる触太鼓   酒呑堂   (24.05.12.)
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2024年05月05日

俳句日記 (908)


子供よこども

 5月5日は端午の節句、国民の祝日「こどもの日」。しかも令和6年の今年は立夏にも当たっていた。まさにゴールデンウイークを締めくくるにふさわしい朝から上々の天気で、狭い住宅街にも窮屈そうではあるが鯉幟が泳いでいた。
 しかし、なんとなく心許ない気分に捉われる。「子供の日」、とつぶやきながら散歩していても、戸外を飛び回る子供がとんと見当たらなくなってしまっているのだ。もうかなり以前から子供たちの進学競争・塾通いが盛んになり、学校から帰るなり塾へ行ったり、復習予習のために部屋に籠り、表で遊ぶ子が減ってはいた。世相如何とも為し難しなどと呑気なことを言っていたのだが、ここ5、6年、子供の数そのものが急減し始めた。それが統計数字にもはっきり現れている。
 総務省が毎年この時期に発表する「子どもの数」によると、今年4月1日時点の15歳未満の「子ども」は1401万人で昨年より33万人も減っている。43年連続の減少で「子ども比率」(総人口に占める子どもの割合)は11.3%と過去最低を記録した。1950年には子どもの数は人口の3分の1を超えていたのだが、1975年を境に50年連続で低下しているという。
 しかも、「子ども」を3歳ごとに区切ると、若年齢ほど少なくなっているのが解る。12歳から14歳が317万人いるのに、0歳から2歳は235万人しかいない。これはつまり出生率の低下傾向が年々ますます顕著になっているということを示しているのだ。ただ事ではない。人口が多すぎるのもいろいろな問題が生じるが、やはり老人と同じくらいの子どもがいない国は国として弱くなって行く。現在の日本は子ども比率11%に対して65歳以上の高齢者比率は29%。50年前の逆である。
 半世紀前の日本は現在と比べてインフラにも未整備のところがあり、「ハラスメント」などという言葉そのものが無い“それ行けどんどん”の野蛮さを残した時代ではあったが、活気に満ち溢れ、街ゆく人々の顔に生気があった。たまの休日には家族揃ってデパートに行くのが喜びだった。デパートの屋上には今思えばちゃんちゃらおかしい遊園地があり、木馬やゴーカート、小さな観覧車に子供たちは大喜びしていた。渋谷駅にあった東横デパートには東館と西館をつなぐ可愛らしいゴンドラがあって子どもたちは興奮したものだった。
 ディズニーランドをはじめとした大型レジャー施設に馴れた子どもたちからすれば、往時の都心デパート屋上遊園地などお粗末そのものといったところであろう。しかし、恵まれすぎたこの子等が親の世代になる20年後の日本はどんな姿になっているのだろう。
 人口は8千万人台で、江戸時代末から明治時代頃のサイズであろう。その程度の人口規模で、国民全体が今と同じくらいの生活水準を維持して行ける「日本国」を保っていられるかどうか。そのためには、全国民というのは無理としても、多くの国民が「国の仕組み」というものをもう一度根底から考え直そう、という機運を興す必要がある。そういう話を言い出す政治家がもうそろそろ出て来てもいいのではないかと思っている。
   鯉のぼり泳ぐ空なき都かな    酒呑堂 (24.05.05.)
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2024年04月19日

俳句日記 (907)


菜園活動開始

 昨年秋に蒔いた野菜類が全て収穫を終え、残ったものには花が咲いてしまってお仕舞いになった。大根、白菜、蕪、小松菜、春菊、芽キャベツ(子持キャベツ)のタネを昨年秋9月から11月にかけて蒔いたものが順次育って、年末から3月まで、とても重宝した。一度にたくさん取れてしまうと三人家族では消費しきれないので、近所に配って喜ばれた。水牛菜園は堆肥作りから始め、農薬を使わないので、時に虫に食われた穴のあいた葉もあるけれど、味はなかなかいいのだ。真冬は虫もいなくなり、小松菜や大根や蕪はすくすく育って、我ながら「美味いな」というものができる。
 それが三月に入ると途端に虫が出ると同時に、董立ちが始まる。中心から茎が立って、菜の花が咲き始めるのだ。すかさず蝶々が飛んできて、賑やかにはなるが、野菜としてはごわごわして食味が極端に悪くなる。4月の声を聞くころには春菊も花をつけ始め、リーフレタスなどのサラダ菜も、ラーメンや中華料理の薬味にいい香菜(パクチー、洋風名コリアンダー)もかすみ草のような花を咲かせ始めた。これで春野菜は終幕である。こうなるといわゆる「端境期」で、
   菜の花の咲いて菜園一休み   酒呑堂
 ということになる。しかし、実際は休む暇もない。ハコベやぺんぺん草をはじめ雑草が猛烈な勢いで伸び始め、それを取らずに放っておけば大変なことになる。雑草を取りながら耕し、酸性化した土壌を中和するため石灰を撒く。
 近所のスーパーにお使いに出たら、なんと胡瓜やミニトマト、バジルの苗を売っていた。以前は5月の連休明けに苗を植えつけていた。歳時記でも「苗植える」「茄子植える」は夏の季語になっている。しかし年々、種まきや苗の植え付けが早まっている。品種改良のおかげもあるが、なんと言っても温暖化のせいだ。生協に注文しておいた珍しい緑色のナスの苗も届いた。立夏までにまだ半月もあるが、歳時記には御免蒙って「植えた事実」を詠むよりしょうがない。
 午後2時半から畝を掘り、堆肥を鋤き込み、植え付けた。ナス3本、胡瓜2本、バジル3本。日が長くなったおかげでこの作業に3時間かかったが、まだ明るかった。おそらくこれ等は5月末から成り出すだろう。
 追いかけて成り出すように、別途、胡瓜のタネをジフィーセブンというピートモス(苔類の腐植土)を用いた播種用のポットに蒔いて、豆腐の空き箱に並べて水を注ぎ、書斎の窓辺に置いた。これは5月末頃に菜園に本植えできるようになるだろう。
 さてお次は夏大根や小松菜など、夏の葉物野菜作りだ。しかし、これは虫との戦いで、農薬を散布しないで収穫するのは至難の技。ことに朝寝坊の水牛は、結局は蝶々の子供たちに餌を与えるために耕したということになってしまうのだが・・・。それでもまあ、摘み菜くらいは食べられるだろう。
   茄子胡瓜植えてぷしゅりと缶ビール   酒呑堂
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2024年04月18日

俳句日記 (906)


寄る年波

 4月17日夕方、内神田のビルの会議室での句会に出かけた。この句会は日本経済新聞の俳句好きの先輩たちに言われて世話人を引き受け、平成7、8年ごろに立ち上げたもので、もう30年近くも前のことになる。いくつか生まれた句会を「日経俳句会」という名のもとにまとめてからでも四半世紀たつ。草創期の先輩たちはあらかた川の向こうに渡ってしまい、まだこちら側で息をしているのも俳句を詠むことなど忘れてしまっているから、いつの間にか最長老の座を占めるようになってしまった。
 単なる俳句好きというだけで、さしたる素養も無く、素質に恵まれているわけでもない。それが寄る年波で脳味噌が縮んでしまえば、もはや言わずもがな、毎回、腰折れを三句出してはお茶を濁している。それで大人しくしていれがいいのだが、よろしくないことに、年を取れば取るほど俳句にまつわる細々とした決め事、約束事などについての知識が瘡蓋のように積み重なる。人様の句を見るにつけ、そうした六でもない知識が頭の中に蘇り、言わずもがなの「句評」となって口をついて出る。言ってしまってから「ああしまった」と思ってももう遅い。句会の座がさーっと白けてしまうことも再三である。
 これが“嫌がらせの年齢”というものなのだろうなあ、謹まなければいかんなあ、と反省しながら、翌月の句会にはまた同じことを繰り返す。しかし後輩諸賢はまことに心優しく、老いぼれの憎まれ口など聞かなかったことにしてくれる。今夜も句会後の懇親会まで付き合ってくれて神田駅まで送ってくれた愉里さんは「どうかいつまでも元気で句会にお出になってくださいね」と、とても不可能なことを言いながら元気付けてくれるのだった。
 その第228回日経俳句会例会(なんともう228回もやっているのか)は、出席者12名と寂しかった。投句してメール選句で済ます会員がその3、4倍もあるのだ。若いが地方在勤のために出席できないという人もあるが、多くは夜間の外出を控えるようになった“年波会員”が多くなったせいでの出席者減少である。
 投句会員が多いに越したことはないのだが、句会出席者が細ってしまうと、その句会の勢いが削がれてしまう。「このままでは先細りだなあ」と寂しくなった。
 気のせいか、今晩の句会に寄せられた句にもこれはという作品がほとんど見当たらなかった。
  向き合ひて言葉少なに春惜しむ     中野 枕流 
  オルガンの音に身を沈め春惜しむ    水口 弥生
  病む身には痛き色なり紅つつじ     藤野十三妹
  ベース弾かば蝶迷ひ出る山躑躅     岡松 卓也
  花柄の杖の見上げる夕桜        星川 水兎
  眠る子のズシリと腕に花疲れ      嵐田 双歩
あたりが辛うじて掬えるかなあと思った。
 かく申す水牛の句は、
  惜春や明治男の消えたりと
  筒井筒春惜しみつつもんじゃ焼
  大盃といふ躑躅見て飲んでいる
 という、それこそどうでもいいようなシロモノであった。(24.04.18.)
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2024年04月14日

俳句日記 (905)

初夏の陽を浴びて千駄木谷中を吟行

 4月13日(土)は朝からよく晴れて、日中は気温がぐんぐん上がり、東京都心部では25℃くらいになり、コールテンの上着を着て歩いていると汗ばんでくるのだった。そんな中を句友7人と千駄木・団子坂上をスタートして谷へ下り、そこから谷中の坂を登って寺巡り、朝倉彫塑館を見学、諏訪神社で散る桜を眺めて、ビルが建て込んで富士山が見えなくなった富士見坂を下り谷中商店街に舞い戻り、早い夕飯を取りながらの句会を行った。スマホの歩数計を見ると15196歩となっていた。横浜の自宅を出てから帰宅までの最寄りの歩行分を差し引いても1万歩以上歩いた。
 心地よい疲れの中で、一行の静舟さんが「お疲れさまでした。地元の酒です」と言ってくれた「文楽」という生酛純米酒を飲みながら、この吟行記を書いている。日頃はぶっきらぼうだが、根は気が優しくてよく気のつく男だ。横浜くんだりから手弁当で足を運び、俳句作りの手伝いをしてくれる酔狂な米寿ジイさんを慰めてくれようというのだ。美しい色ガラスの四角な瓶に入った「文楽」という酒は初めて飲む。上尾の酒とはさてどんなものかと、一口飲んだらびっくりした。実にいい酒だ。口に含んで転がして飲むと、ずしっと来る。さりとて重たくはない。飲み応えがあって、しかもふくよかで美味い。300mlの瓶はたちまち空になったが、これで頭の回転が良くなり、文章の運びも滑らかになった。
 吟行の皮切りは団子坂を入ったところにある旧安田楠雄邸庭園。何者かと思ったら安田銀行(現みずほ銀行)や東京建物、明治安田生命などを興した安田善次郎の女婿安田善四郎の息子楠雄の邸宅だったという。大正時代に作られた近代日本住宅建築の典型的な建物で、庭はさほど大きくはないが感じの良い山水を形造っている。洋間の応接間があり、当時の流行だった屋根部分を一部ガラス張りにしたサンルームがしつらえてある。屋内を見学していると実に懐かしい気分になってきた。私の祖父も「成金」の一人で、築地に本宅を構えながら横浜にも屋敷を構え、私はそこで生まれ満4歳まで育った。頭の片隅に眠っていたその当時のおぼろげな映像が浮かび上がってくるのだった。
  安田邸硝子にゆらぐ春惜しむ     春陽子
  風光り大正ピアノ胸を打つ      実千代
 旧安田邸を出て不忍通りへの坂を下ると「須藤公園」がある。ここは江戸時代加賀藩の支藩の大聖寺藩の下屋敷だった。こうした大名や旗本の屋敷は明治維新で実権を握った薩長政府が分捕り、仲間で分け取りした。自民党のパーティ券収入不正還付事件などとはスケールの違う維新政府大立者たちの分捕り合戦である。ここは維新後、長州下級藩士で松蔭門下の品川弥二郎に下賜され、明治半ばに実業家須藤吉左衛門が買い取ったが昭和初年に東京市に公園用地として寄付し、今では近隣住民の得難い親水緑地公園になっている。千駄木の山の上から谷中の谷へ下る傾斜地をうまく利用した庭園で、楠の大木が繁り、滝が落ち、根方には山吹、躑躅、シャガをはじめ花々が咲き競っている。
  木々に風若葉の会話聞こえくる    二堂
 庭園を抜けて路地をたどると、また元の団子坂の下に出た。そこに以前から目にして気になっていたお好み焼き屋がある。たまたま店の前に立っていた小太りのママさんに操幹事が声をかけた。操さんはこういう時の間合いがとてもいい。いつもは夕方に店開きだけど、8人さんどうぞと、早めの昼食。お好み焼きと焼きそばを鱈腹食べてビールを飲んで一人1200円。
 これで新たな力が湧いて、谷中の三崎坂を上り全生庵へ行く。ここは幕臣山岡鉄舟が維新で倒れた旧友浪士組隊士などを弔うために、維新の騒動が治った明治13年に開山した寺だ。身の処し方や立ち回りのうまかった勝海舟が今ではぐんと有名になっているが、浪士組を編成して瓦解寸前の幕府を支え、勝が西郷との「江戸城無血開城」を約す根回しをすっかり果たしたのが鉄舟である。傑物であると同時に酸いも甘いも噛み分けた文化人で、今日隆盛の落語の礎を築いた三遊亭圓朝を可愛がり、座禅の師ともなっている。そのため、この寺の墓地には鉄舟一族の墓はもちろんだが、圓朝の墓とその流れを汲む三遊亭円生歴代の墓もある。
  陽炎のゆらゆらのぼる圓朝墓     水牛
  敷石を踏みそこねたり寺長閑     瓜坊
  一族の集ひてうらら墓所の前     弥生
 谷中は今や外国人観光客にも有名になっているらしく、外国語が飛び交っている。道々買い求めた煎餅を齧ったり、餅菓子を頬張っているのもいる。横文字の「谷根千案内」を見ながらきょろきょろしている。近くには観音寺という真言宗の寺があり、ここの横手の40メートルほどの築地塀が国の登録有形文化財になっている。築地塀とは粘土を突き固め間に瓦を敷き込んで築き、上部に瓦屋根を乗せた練塀だ。ここのは文政年間(1800年代初頭)に作られたもので、保存状態もなかなか良い。
  路地二つ曲ればうらら築地塀     水牛
  長閑なり道にダラリと黒き猫     静舟
  長閑さやしわも気にせず大あくび   実千代
 そこから少し歩くと「東洋のロダン」と言われた彫刻家朝倉文夫の屋敷を残した朝倉彫塑館。ここは何回目かの訪問だが、いつ見てもいい。名作「墓守」をはじめとしたブロンズの数々、庭全体を占める池、屋上庭園と興味が尽きない。
そこから少し北へ歩くと諏訪神社。ここは鎌倉時代から室町時代の武将豊島一族の本拠だったところで、この社も豊島泰経が長野の諏訪大社から勧請した。その後、太田道灌に攻め滅ぼされ、さらに後北条氏、徳川家康へと取って変わられたが、神社境内は狭まったとは言え、いまだに残っている。境内には散り急ぐ桜花びらがしきりに舞っていた。
  昼下り緋鯉のどかに彫塑館      水牛
  諏訪神社一瞬の風花散らす      操
 神社を出てまた谷中商店街のある谷へと下る。その坂道は昔は真っ正面に富士山が見えたのだが、今はビルが建て込んで何も見えない。黙念ともとの道に下りて地下鉄千駄木駅近くの割烹吉里へ一同よれよれになってたどり着き、大きくため息。一杯飲んで息をついて句会を行った。
  谷中路地錻力屋健在夏隣       春陽子
  陽に淡く花の名残の富士見坂     操
  春暑しすがる地蔵や一万歩      静舟
                           (2024.4.14.)
  
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2024年03月28日

俳句日記 (904)


板橋の桜見物

 3月24日の日曜日、俳句仲間14人でぞろぞろと板橋へ、石神井川沿いの染井吉野の満開を当て込んで出かけた。ところが今年2月3月の東京はここ数年では珍しく寒かったから、蕾が縮こまってしまったらしい。頑張っている老樹にわずか二、三輪という、とてもお花見気分にはなれない花見吟行となった。
 梅も桜も前年夏には枝先に花芽を造り、その後、秋に休眠に入る。大寒から節分あたり、寒さが極限の頃に休眠が解け、その後の気温の上昇とともに花芽が成長し開花促進ホルモンの作用で蕾が開くという仕組みだ。この蕾が大きくなるべき時に低温だと咲くのが遅れてしまう。とにかく今年の2月は寒の戻りのような低温があったから、こうなるのも仕方がない。もっとも、桜は入学式と相場が決まっていたのに、暖冬でこの数年やけに開花が早まっていた。むしろこれが正常なのかも知れない。
 そんなことをつぶやきながら石神井川沿いの道を歩いた。花見時の日曜日の昼下がりというのに人通りはまばら。昼飯を食べていないので、沿道のバザーで海苔巻弁当とお茶を買った。オバサン、とても愛想がいい。無理もない。ようやくやって来たお客さんなのだ。「他の皆さん、どうかしら」「あ、彼らはね、ちゃんとお昼済ませて集まったからダメだよ」。
 歩いても歩いても花は咲かず。板橋宿を端から端へと歩く。縁切榎のところまで行ったところで、最後尾を歩いていた白山さんが転んで怪我したという急報があり、激震が走った。
 交番の脇の小公園に一行の最長老白山さんが後頭部から血を流して倒れ、愉里さんが介抱していた。「くたびれたので小休止する」と言って、ベンチに腰を下ろし、背もたれがあると思って凭れたところが、斜め座りをしていたためだろう、支えるものが無いまま仰向けにどたんと引っくり返り、縁石にぶつかった後頭部が切れて出血したのだ。三薬幹事がすぐに救急車を呼び、付き添って外科病院に入院、すぐに処置して事なきを得た。
 本日28日、ご本人から「いやあ、迷惑かけました。昨日退院できました」と元気な声で電話があった。まずはめでたし。平均年齢八十歳になんなんとする吟行集団だ、こうしたハプニングも覚悟の上である。
   なぐさめの桜三輪拝みけり
   春寒し縁切榎に転倒す      酒呑堂  (24.03.28.)
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2024年03月25日

俳句日記 (903)


天晴れ尊富士

 何が驚いたかと言って、今日3月24日、春場所千秋楽の幕尻尊富士の優勝相撲ほど興奮したものはない。
 前日、朝乃山との対戦で右足首を痛め、車椅子で運ばれた様子を見て、これはもうだめだと思った。千秋楽は休場・不戦敗で、星一つで追う大の里が棚からぼた餅の優勝を掴むものと思っていた。ところがなんと、尊富士は傷めた右足首にテープを巻いて出場した。そして若手の有力力士豪の山を堂々と押し出して、「110年ぶりの新入幕力士優勝」を果たした。
 大相撲に入って9場所か10場所、まだ大銀杏も結えない新米である。こういうのに優勝させてしまうのは周りの力士がだらしないのだが、やはり本人の実力と稽古を積み上げた賜である。ただ、角界に入って日が浅いから、まだ「力士としての身体」が出来ていない。下半身が異常にほっそりとしている。今場所は無我夢中で前に突進する相撲で幸運を掴んだが、14日目の朝乃山戦のように組んで寄られた時の踏ん張りで、堪える力がまだ出来ていない。これは力士としての「体」造りがもう一つということだ。この辺をしっかり鍛えることができれば、昔の強かった横綱千代の富士のような存在になるのではないか。
 尊富士の劇的優勝の陰に隠れてしまった感じがあるが、大の里も実に立派な相撲を取った。これも怪我さえしなければ横綱になるだろう。
 これと対照的なのが大関陣だ。古手の貴景勝はなんとかかんとか勝越すと途端に「休み」で、もう大関の資格は無い。横綱をねらうと豪語した霧島は10敗、豊昇龍は大関らしからぬ小細工を弄してばかりで情けない。御大の横綱照ノ富士は、腰や膝ががたがたで「土俵入横綱」と言った方がいい存在である。
 日本相撲協会は、「でかいツラ」をしてきた元横綱白鵬を排斥しようとする動きが急だが、そうした後ろ向きの問題処理はさておき、尊富士、大の里という水平線に現れた明星をさらに輝かせるような動きを加速させるべきであろう。
  春場所に宵の明星輝けり   酒呑堂  (2024.03.24.)
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