2017年08月18日

俳句日記 (357)


2020年真夏の悪夢
 丸3年後の2020年7月24日から8月9日まで、東京オリンピックが開催される。それについて、近ごろよく夢を見る。
【その1】北朝鮮から飛んで来たミサイルが国立競技場に落ちるのだ。逃げ惑う観客が出口付近で将棋倒しに折り重なり、圧死者続々、阿鼻叫喚の地獄に陥る。
【その2】開会式の真っ最中に東京直下型の巨大地震発生。マグニチュード8、震度7。国立競技場の観客席は崩壊し鉄傘が落下、千代田、中央、港、江東、墨田、台東、荒川区など都内中心部は津波に襲われ、国や都の防災・救急能力を遥かに超えて、死傷者数えきれず、阿鼻叫喚の地獄に陥る。
【その3】真夏日、猛暑日が連続し、欧米の選手たちが次々に競技を棄権し、アフリカ、アジア、中南米の選手がメダルを分け合う。日本もメダル獲得数新記録を達成。しかし、マラソンをはじめ各競技で選手が続々死亡、外国からの観客にも熱中症による死者、入院患者が続出。救出に手が回らず、対応のまずさが世界中から指弾され、内閣総辞職。
 さて、【その1】はアメリカを始めとした国際的な連携で、何とかかんとか北朝鮮を大人しくさせて回避する道が開けるかも知れない。【その2】は起こるかどうか誰にも分からない。防ぎようも無い。しかし、かなりの確率で首都直下型の巨大地震が起こると地震学者は言っている。官邸と都知事執務室に鯰絵を掲げて、「そのような事が起こりませんように」と毎日お祈りするより仕方が無い。
 【その3】は蓋然性が最も高い。多分、猛暑による混乱が発生するのは間違いないだろう。東京五輪招致委員会は招致活動で「この時期の東京は温暖でアスリートには理想的な気候」と宣伝しまくったのである。重大事故が発生した時に、この責任を誰が取るのか。恐らくその時にはアベ・シンゾーさんは居ないだろう。多分居るであろうユリコさんと、その時の五輪担当相が辞任ということで幕を引くのか。それで幕引きできるくらいの規模で済むのかどうか。

  なんでまた土用真中に走るのよ
posted by 水牛 at 01:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

俳句日記 (356)


防空壕
 「ここに立派な防空壕がありましたよね、実は私も入らせてもらったんですよ」とニイクラ酒店のオヤジさんが我が家の裏手の崖を見上げながら言った。
 昭和20年(1945年)5月29日、朝から昼にかけて米軍のB29爆撃機517機とP51戦闘機101機の大編隊が押し寄せ、横浜市中心部を火の海にした。米軍は横浜大空襲を、通常兵器でいかに短時間に効率よく都市を消滅出来るかの実験と定めていたらしい。攻撃拠点を東神奈川駅から東横線反町駅周辺、西区平沼橋一帯、中区の横浜市役所から京急黄金町近辺と、いずれも商業、住宅地にした。つまり最初から日本軍とは関係無い一般市民の住む燃えやすい木造住宅密集地に焼夷弾をばらまく焦土作戦を計画実行した。結果はその通りとなり、死者1万人、臨海部の工場もついでのように爆撃し、潰滅した。
 当時、国民学校2年生の水牛少年は意気軒昂たるものだった。朝の空襲警報で、国民服を着込み脚にゲートルを巻き、救急品を入れたズックの肩掛けカバンと水筒を襷掛けにして、家から離れた庭の隅の防空壕に妹と弟を連れて両親と一緒に籠もった。やがて、我が家にも猛烈な落下音と共に爆弾、焼夷弾が降りそそぎ、母屋は見る間に黒煙と炎に包まれた。両親は壕を飛び出し懸命な消火作業。しかし業火の勢いは物凄い。母がやって来て、2歳の弟トシオを背負紐で私の背に括り付け、5歳の妹マリコに「ミキ兄ちゃんの手をしっかり握っているのよ」と言い聞かせ、私には「なんとかして上の家まで逃げてちょうだい。しっかりね」と言うなり、また燃えさかる家の水掛けに走った。
 上の家とは伯父一家の家である。当時、わが家は反町駅の西7百メートルほどにある丘陵に、伯父一家と共に横浜ガーデンという小動物園を併設した植物園、花卉販売所を経営していた。山の頂上に伯父一家、麓に我が家があり、万一空襲で伯父の家が焼かれたら我が家へ、我が家がやられたら上の家へ避難することになっていた。運悪く空爆は我が家の方に当たり、丸焼けにされたが、上の家は無傷で、しばらくそこに避難生活を送ることになる。
 しかし、いくら気張っていても未だ8歳である。それが2歳の弟を背負い、5歳の妹の手を引いての逃避行。ふらふらよろよろ、昼間なのに焼夷弾の燃える油煙であたりは真っ暗。無闇に熱くていがらっぽい。青々と茂っていた街路樹が大きなタイマツのようにぼうぼう燃えて、それが照明の役を果たしている。その下の道路端には御影石造りの幅、深さ60センチほどの側溝があり、山の上の方からいつも水がちょろちょろ流れていた。そこに入って、のろのろと這い上って行く。私たち三人の前後には、焦熱地獄となった下町から逃げて来た人たちが蟻のように繋がっている。芥川の『地獄変』さながらである。
 機銃掃射だろう、時折、シュッシュッ、ババババッという音がする。ドンッという音とともにまぶしい光が射した。直ぐ近くに爆弾が落ちて破裂したのだ。ひっきりなしにヒュルヒュルという不気味な音と一緒に火の玉を降らせる焼夷弾は、燃える筈の無い地面を火の海にする。
 側溝の蟻の列が動かなくなった。前の方で、機銃掃射にやられた人がいたのか、詰まってしまったのだ。ようやっと道の上に這い出して、遮蔽物の何も無い坂道をよたよた登る。動けなくなりそうになると、あちこちの崖に掘ってある防空壕に飛び込む。
 横浜ガーデンはいざという時のために山の途中5,6個所に防空壕を備えていた。下町空襲時の住民の退避先として軍部からの設置要請もあったに違いない。昭和19年に入ると、どこからか大勢の労働者がやって来て、要所要所に横穴を掘り屈強な防空壕を作った。もちろん私はその防空壕の場所を知っていたから、あそことあそこの壕に入ろうと心づもりしながら逃げて行った。しかし、どれも既に超満員で、入口に人が溢れている。こうなると「ボッチャン」もへったくれも無い。「うちの防空壕だよ」なんて言ったって誰も聞いちゃくれない。隙間を見つけて潜り込むと、簡単に押し出されてしまう。壕の外で、声も出さない弟を負ぶい、私の手を痛いほど握りしめる妹と三人、ぼんやり突っ立っていたら、顔や手を煤で真っ黒にした母が追いついて来て、抱きかかえてくれた。夫婦二人でのバケツ消火は全く役に立たなかったのだ。父は別の道を私たち三人を見つけようと走り、間近に50キロ爆弾と呼んでいた小型爆弾が炸裂して、半身火傷を負いながら後から伯父の家に着いた。
 今ではこの山の99.9%は人手に渡り、数え切れない住宅が建ち並び、防空壕はきれいさっぱり無くなっている。しかし、この山を散歩していると、場所場所に72年前の防空壕がはっきりと浮かんで来る。こういうものが役に立つ日が二度と来ないように祈るばかりだが、半島情勢はきな臭く、もっと大規模なシェルターの建設話などが始まらないとも限らない。
  むかしここに防空壕あり蟇蛙
posted by 水牛 at 15:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

俳句日記 (355)


冷や汁
 ここしばらく雨催いの日が続き猛暑一服とは言え、やはり日中の最高気温は30度近辺。湿度が高いから蒸し暑い。実に気分が悪い。食欲も減退気味だ。
 こういう時は「冷や汁」に限る。冷凍庫から鰺の干物を二枚取り出し解凍してガスレンジの魚焼き器でこんがり焼く。頭、皮を除き、小骨に注意しながら身をはずして擂り鉢に入れる。それを辛抱強くごりごり擂る。そこへ炒った白胡麻を大さじ3杯ほど入れ、またごりごりと擂る。この工程が冷や汁作りの一番大変なところなのだが、これをいい加減にすると、舌触りが悪く旨味の無いシロモノになってしまうから、少なくも30分は辛抱して続ける。
 干物と胡麻がポロポロになるくらい擂ったら、そこへ味噌を入れる。味噌は九州地方に多い麦味噌に限るなどと言う人がいるが、日ごろその家で用いている味噌でいい。我が家は信州味噌と赤味の強い仙台味噌を半々にする。味噌を入れてまた5,6分ごりごり擂れば下地の出来上がりだ。これをクッキングホイルに薄く延ばし、魚焼器で3分ほど炙る。こうすると香ばしい香りが立つ。
 この作業をやりながら、昆布と鰹節の出汁をとって、冷ましておく。
 さて、中身だ。豆腐は木綿でも絹ごしでも好みでいい。野菜は胡瓜、紫蘇、そして茗荷。わが菜園のキュウリは主力のフリーダムなどがもうすっかり終わりになり、地這胡瓜がぽつぽつ採れている。裏庭には茗荷が生えている。青紫蘇は庭のあちこちにある。それらを採ってきて、胡瓜は小口から薄く切り、塩揉みしておく。茗荷は二つ割りにしたのを斜め切り。紫蘇は千切りにして冷水にさらし、ぎゅっと絞ってアクを去る。これで準備完了。
 下地のゴマ・干物・味噌の練り合わせを擂鉢に入れ、出汁を少しずつ入れては擂粉木でのばす。擂鉢の七分目くらいになったら、味見をする。普段の味噌汁よりはかなり塩辛いくらいが丁度いい。薄ければ味噌を足して調節する。水牛は此処で日高昆布出汁を入れて味を調える。これは北海道日高地方の根昆布からとった出汁で、北海道物産展で見つけたのだが、今ではあちこちで売るようになった。結構塩気がきついので注意が必要だが、煮物にも吸物にも使えて便利だ。
 さてさて、こうして出来上がった汁に豆腐を無造作にちぎって入れる。次ぎに塩揉みした胡瓜をさっと水洗いしてぎゅっと絞って入れ、紫蘇と茗荷を入れて掻き混ぜれば「冷や汁」の完成。これを擂鉢ごと冷蔵庫へ入れて一時間ほど冷やすのだが、普通の家では夏場のこととて冷蔵庫にそんなにスペースは無いだろう。その場合は、製氷皿から取り出した氷を入れて掻き回して冷やす。というわけで、普段の味噌汁よりはかなり辛いものにしておくのだ。
 これを炊きたての熱々御飯にぶっかけて食べる。ホントに旨い。
 一番手間と時間がかかる、鰺の干物の小骨を取って擂鉢でごりごり擂る工程を省くことだって出来る。缶詰のシーチキン(ツナフレーク)か鯖水煮缶を使えばいい。これなら擂り鉢で10回ほどごりごりやれば、味の深みはもう一つだが、十分行ける冷や汁が出来る。野菜類の下ごしらえも入れて30分で悠悠作れる。但し、この場合は削り節(花かつおパック)をフライパンで軽く炒ったものを仕上げに揉み込むといい。俄然本物らしくなる。
  冷や汁をつくる父さん汗みづく
posted by 水牛 at 01:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

俳句日記 (354)


コーンスープ水牛流
 「ねえ、今晩のおかず何にする」と山の神が言う。重ねて「どうして人間は毎日三度も食事しなくちゃいけないのかしら」と返答しようのない問いかけをつぶやく。結婚50年、毎日の献立を考え続けて来たのは大変なことだっただろうと思う。考えるのが嫌になっちゃうという心境も理解出来る。というわけで、近ごろ毎日のようにこの質問を浴びるのだが、当方もすぐには良い考えが浮かばず、腕を組むこと再三である。
 元々我が山の神の献立レパートリーはさほど多くなかった。割に裕福な家庭に育ち、お手伝いさんが3人もいて食事の支度はすべてやってくれるのだから、娘時代にはご飯を炊いたこともなかったらしい。結婚間際に御飯の炊き方と味噌汁の作り方を女中頭に教わって来たというのだから、ビンボーな少年時代を過ごし、見よう見まねで一通りの惣菜が作れるようになっていた水牛とは勝負にならないのである。
 食い物にうるさい亭主が居て、隣には一言も二言も多い姑(我が母親)が居る。それにも食べさせなければならないから、否応なしに料理の腕前は上がった。料理本を読み、新聞や雑誌の料理記事を切り抜いてノートに張り付けて、それを試すことも続けた。そういう努力をしてきたのだが、姑が死に、亭主が職を引いて濡れ落葉になると、さすがに張りも失せてきたのだろう、どっと疲れが出て、献立をあれこれ考える気力が薄れてきたようなのである。
 「うーん、材料はどんなもんがあるんだい」
 「何でもあるのよ。牛も豚も鶏も、魚もタラ、秋刀魚、鯛の切り身の冷凍、干物の冷凍・・」
 「そうだ、昨日収穫したトウモロコシで中華風コーンスープ作ろう。鶏の胸肉があるんなら、茹鶏を作って、胡瓜の千切り胡麻だれ和えを添えたのが主菜、その茹で汁を使ったコーンスープと、後はアスパラマヨネーズ」
 山の神は一件落着で涼しい顔つき。後は言い出しっぺがやってくれるはずだとパソコン机に座ってニュースを見て、「北朝鮮はやっぱりグアムにミサイル打つかしら」なんて言っている。
 「おいおい、茹で鶏作らなきゃだめだろ」
 「あらそうね」
 「青葱と生姜を入れて茹でるんだよ。煮えたらそのまま煮汁が冷めるまで浸けておくんだよ。そうすれば肉がぱさぱさにならない」
 「分かってるわよ」。どうだか怪しい。
 その間、当方は茹でたトウモロコシの実をペティナイフでこそげ落とす作業に大わらわだ。それをフードプロセッサーにかけて少々粒が残るくらいまで砕く。一方、玉葱をみじん切りにして、ベーコンを細切れにしたのと一緒に炒める。じっくりと炒めるのがコツだ。炒まったらそこに茹で鶏の煮汁を入れる。これだけでは少し物足りないので、コンソメの素を少量入れ、どろどろのトウモロコシを入れて煮る。沸騰したら塩、胡椒して味を調え、コーンスターチを適量入れてとろみを付け、卵二個を溶いて注ぎ込み、水牛流コーンスープの出来上がり。
 「トウモロコシ、もう少しフードプロセッサー回した方が良かったわね」と山の神はのたまう。確かに、粒々が多すぎて少々気になる。もうちょっと細かく砕いた方が良かった。しかし、そう言いながらもお代わりし、三年寝太郎は「うまいうまい」と三杯食べて、中鍋一杯が空になった。
  献立を残暑の午後の台所
posted by 水牛 at 15:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

俳句日記 (353)


暑いあつい
 立秋頃が暑さの頂点とは言うけれど、今日の暑さは並大抵ではなかった。お昼頃、庭の寒暖計を見るともう36℃を越えている。外気が自分の体温以上というんじゃあ堪らない。突っ立っているだけで汗が噴き出し、目まいがしそうだ。
 「そうだ、血圧の薬が切れちゃったんだ」。クリニックが昼休みになっちゃう。慌てて家を飛び出した。下の商店街には人っ子一人いない。八百屋のショーチャンが通りの真ん中に出て、あたりの様子を眺め回している。
 「おやどこ行くの、まともな人はこんな日盛りに出て来やしないよ」
 「アカオ先生のとこに薬もらいに行くんだよぉ」
 「おや、どっか悪いの」
 「どこも悪かないよぉ」
 ショーチャンはこのジジイ何を寝ぼけているのかと首をふりふり引っ込んだ。赤尾クリニックは四〇になったかならないくらいの若い先生で、夫婦で医院を開業している。元々は奥さん先生(副院長)のオジイサンが同じ場所で内科医院をやっていて、その頃からのお馴染みだ。かかりつけ医は出来るだけ若い方がいい。自分が死ぬまで診てもらえるからだ。それにこの若い医師夫妻はとても熱心で、患者の身になってあれこれ相談に乗ってくれるから、ジイサンバアサンのフアンが多く、大繁盛。今日も12時直前に飛び込んだら、受付の看護師が「あれあれまた一人来た」という顔をした。狭い待合室には16人も居て満杯。11日が祭日、その後は代診の土曜日を挟んで1週間の夏休みに入ってしまう。というわけで、本日込むのは当たり前なのだ。
 処方箋貰って、近くの薬局で薬を買い、また炎熱のアスファルト通りを帰った。路地を曲がって両側雑草の茂る階段を上ると我が家である。
 蕪村の『草いきれ人死に居ると札のの立つ』という句が浮かんだ。炎熱の中、雑草がぼうぼうと生い茂る町外れの路傍に、立て札が行き倒れのあったことを知らせ、心当たりを探すお触れが書かれていたのであろう。昔も今も熱中症患者は多かったのだ。江戸時代からずうっと、つい5,60年前まではこうした身元不明の行路病者が珍しくなかった。ことに、歩いて歩いて歩き疲れて、日暮れとともに野宿してそのまま息を引き取るという放浪者が多かった。
 平成の終わろうとするいま、平和な日本には階層化、所得格差が広がり始めた。戦争という国同士の殺し合いが無くなって平和が続くと、今度はそれぞれの国内で競争が始まる。要領が良くて運に恵まれたヤツがのし上がり、人はいいがノソノソしているヤツが自然に踏みつけにされる。そして時がたつと、政治家も上級役人も企業経営者も、あらゆる職種で世襲が始まり、二代目三代目が労せずして甘い汁を吸い、下層に組み敷かれた者は代を追うごとにさらに下に沈んで行くようになる。今の日本はちょうどその時期に差し掛かっているようだ。
 これから、この状態がますます進み、食えなくなった最下層は巷をさすらい、「草いきれ」の中に倒れ伏す。
 こうした状態が続いて世間の不満鬱屈が堪えられないレベルになると、爆発する。ある人間はテロに走り、ある人間は徒党を組んで革命運動を起こす。もう少し頭の良い人間は政党や政府の中を泳ぎ回って実権を握るや、大バクチの戦争を起こす。奈落の口が大きく開いている。
 と、暑さにやられた脳味噌はどんどん良くない方向に妄想を脹らませて行く。
  同じとこくるくる鼠花火かな
posted by 水牛 at 22:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

俳句日記 (352)

トマトピューレ
 昨日は立秋だったが、台風5号が迷走してNHKラジオは一日中、いま四国を窺っているだの紀伊半島へ上陸かとか、ひっきりなしにわめき続けてまったく落ち着かなかった。この先台風は何時間くらい居座りそうなのか、雨量はどのくらいかといった必要情報だけさっと述べればいいものを、やれ大変な土砂災害が心配されるだの、避難情報が出たら早めに避難するようにとか、二階に上がって様子を見る垂直避難を心掛けて下さいなどと、ろくでもないことをいつまでもいつまでも繰り返し言う。
 普通の人は、そんなことは言われなくても分かっている。一方、人の言うことを聞かない人間や、注意力散漫な人間は、何を言われたって聞く耳持たず、理解力も不足しているのだから、いくら言い聞かせても無駄である。つまりはそうした「忠告」は全く意味が無いということにNHKは気が付かない。いや気がついてはいるのだが、お役所から言われてそうした放送をしなければいけない仕組みになっているのかも知れない。「皆様のNHK」なんて言っているが、視聴料という税金でやっている「お役所のNHK」であることは自明である。
 それはともかく、我が家のある横浜は夕方少し風が出て、ざっと降っただけで、何の事も無く済んだ。今日は台風一過上々のお天気で、お日様ぎらぎら。またまた藤棚から蔓が伸び出し青空にゆらゆら泳ぎ出し、何か掴む物無いかしらとしきりに揺れている。家側の方には雨戸の上の鴨居や樋、外を照らすランプの取り付け金具に巻き付き出した。
 暑くて億劫だから知らんぷりしていたら、居間に座って猫のチビを撫でていた山の神が、ふわふわ揺れる藤ヅルを見つめている。首をすうっと伸ばして、あたかも積乱雲が頭をもたげたようである。ほどなく雷が鳴ることは間違いない。いいよ、いいよ分かりましたよ。外用の踏台持って来て、チョキチョキ切り始めた。「あら、よく気がついたわねえ、ご苦労様ですねえ」と機嫌がいい。
 取りかかれば簡単ですぐに済んだ。そこまでは良かったのだが、茶色くなった庭のトマトが眼に入った。数日前から撤収しなければと思いながら手つかずでいたのだ。昨日の雨風で弱っていた枝葉がさらに枯れて、しどけなくなっている。取り残した赤い実がいくつもぼろぼろ地面に落ちている。木にもたくさんついている。人の背ほどになったのが四本もある。
 ええい、思い切って全て引っこ抜こうと決心した。まず蚊除けスプレーを周囲一帯に撒布して取りかかる。枝を切りながら着いている実をバケツに放り込み、支柱を取り払い、幹だけになったのをヨイコラショと引っこ抜く。これを四本やったら、汗だく、頭はクラクラ。失神寸前。リポビタンDとOS1をがぶ飲みしてシャワーを浴びてクーラーの効いた部屋にどたんとのけぞった。
 しかし、これだけでは済まない。採ったトマトの始末がある。バケツ一杯のトマトを洗って適当に切って大鍋にぶち込み、ぐつぐつ煮る。どろどろに煮崩れたら少し冷まして、お玉でしゃくって漉し網に入れ、擂り粉木でごりごりやって下の鍋にトマトピューレを漉し落とす。これがまあ一仕事なのだが、夕方には大鍋一杯のトマトピューレが出来た。今年はこれが四回目。その都度小分けして冷凍庫に保存してある。
 これを煮溶かして白ワイン、胡椒、パプリカ、イタリアンハーブミックス、その他の香辛料と塩、酢、ウスターソースを入れて少々煮詰めると美味しいトマトケチャップが出来上がる。スパゲティナポリタンやピザマルゲリータなどが百人前以上作れそうなほど原料が貯まった。
  台風一過菜園のぞくまだら蝶
posted by 水牛 at 20:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

俳句日記 (351)


つるつる

 作文添削指導の仕事を20年來やってきたのだが、寄る年波に根気が続かなくなり、引退した。この間ずっとお世話になり続けた事務局の代々の女史三人に感謝の意を伝えようと、神田のフレンチレストランでささやかな午餐会を開いた。仕事中だからワインもビールもダメと言われたのが少々残念だったが、とても楽しい一時が持てた。
 美女三人に囲まれてのランチだからか、お冷やで乾杯というのにすっかり気分がよくなり、地下のレストランから階段を上って地上に出たら、風がとても心地良い。ぶらぶら歩き始めた途端、風に帽子を攫われた。それほど大した風ではなかったのだが、ご婦人との会食ということで、今朝、念入りに髭を剃り、ついでにむさ苦しく生えていた頭もきれいに剃ったものだから、つるつるで引っ掛かりが無い。軽いパナマだから、ほんの少しの風でふわーっと飛ばされてしまったのだ。
 慌てて振り返り、帽子を掴もうとしたが、ふわっと飛んで、生き物のように転がる。禿頭を振り立てて追う。4,5メートル後ろを歩いていた連れの一人の足元にぶつかって、拾い上げてもらった。
 出がけに、山の神が「若い女性に囲まれて、粋がったりするんじゃありませんよ」と嫌味を言っていたのを思い出した。

  南風や止まっておくれパナマ帽
posted by 水牛 at 18:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

俳句日記 (350)


死人と2ヵ月同居?

 普段は眠ったようなわがガーデン下・松本通り商店街に衝撃が走った。マンションの一室で60代の男性が一部白骨化腐乱死体で発見され、一緒に住んでいた妻と娘二人が死体遺棄容疑で逮捕されるという忌まわしい事件が起こったからである。
 東急東横線反町駅から西へ三ツ沢下町まで通じる長さ1kmほどの、神奈川宿から保土ケ谷宿に至る旧東海道の脇往還だった狭い商店街。歩いても20分ばかり、東横線や市営地下鉄に乗れば2分で横浜駅周辺繁華街に行けるので、近ごろは買い物客をそちらに奪われ、頑張っていた商店が次々に店仕舞い、スーパーも潰れてしまい、後はシャッターが下りての仕舞屋か、それを壊して作った4,5階建ての小型マンション。開いているのは、デイケアセンター、マッサージ屋、保育園、美容室という異様な姿の町になってしまった。
 お盆の15日夜、商店街のほぼ中間にあるマンションで、住民から「異臭がする」との通報を受けた神奈川警察署員が問題の一室を家宅捜索して死体を発見、そこに住んでいた死体の妻とみられる山内真理子(60)、長女桂(34)、次女優香(29)を「死体遺棄容疑」で逮捕した。パトカーが来て非常線を張る、現場検証の警察鑑識係、近所を聞き込みに当たる刑事、新聞、TVの取材班を乗せた車が押し寄せ、さびれた商店街が翌日は日曜日にもかかわらず一日中大騒ぎになった。
 そんなこととはつゆ知らず、散歩がてらぼやーっと歩いていたら、いつも酒を買うニイクラ酒店のお上さんに「大変々々」と呼び止められ、事件のいきさつを聞かされた。幼馴染みの主人も出て来て、「お向かいで殺人事件があるなんて、魂消ましたよ」と言う。事件の起こったマンションは確かに目の前である。昔クリーニング屋をやっていた中学時代の同期生ムロモト君が身体を弱くして店を畳んで建てたマンションだ。
 「刑事さんがね、男の人や女の人の写真を見せながら、どんな人だった、とか聞くんですよ。でもねえ、ああいうマンションの人たちはウチのお客さんじゃないし、見たこともないんで答えようがありませんよね」。カミサンはよく冷えたトマトジュースの缶を開けてくれながら、まあ聞いてちょうだいという素振りで店の奥の上がり框に座布団を敷いた。
 その後、新聞の社会面やTVニュースを見たが、どうも要領を得ない。細君の真理子容疑者が昨年10月に神奈川警察に「退職した亭主が退職金を隠してしまい、家庭内トラブルになっている」と訴え、署員が事情を聞きに訪問したところ、亭主が「娘二人に羽交い締めにされ、妻が殴る」と訴えた。しかし11月には亭主の方が、金を渡したら妻や娘が暴力を振るうこともなくなり、もう大丈夫ですと言うので、一件落着とみなしたようだ。しかし問題は万事解決というわけではなかったらしく、ついに「異臭通報・死体発見」ということになった。
 不思議なのは3DKのマンションの一室に死体がありながら、妻と娘二人が住み続けていたことだ。警察の調べに対して妻は「亭主は一ヵ月ほど前に出て行ったきり。そんな死体は知らない」と言い張っているという。
 こんな事件は世の中にごまんとあるから、早くも忘れ去られている。昨日、横浜版に出たベタ記事によると、夫とみられる男性の遺棄死体を解剖した結果、「5月から6月にかけて死亡したと見られるが、目立った外傷はなく、死因は現在のところ判明せず」ということである。
 となると、この男性は妻と二人の娘の目の前で何らかの原因で自然死し、妻子三人は死亡届も出さず弔いもせず、遺骸と共に2ヵ月、3DKの狭い空間で暮らしてきたことになる。身の毛がよだつような話ではないか。
  下町は怪談噺に梅雨明くる
posted by 水牛 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

俳句日記 (349)


熱中症ネコ
 「窓ネコ」のTVコマーシャルがあるように、猫は窓から外を眺めるのが好きなようだ。私の書斎を自分のものだと決めているチビ(牝12歳)も、姿が見えないなと思うと、必ずカーテンの蔭の出窓に座って、外を眺めている。
 書斎は家の南西角にある。南には庭に面した一間の窓があり、西には出窓がある。ここからは外の5,6m離れた所の公道(大きな石段の踊場)が見下ろせる。チビはそこを通る人たちをじっと見つめている。公道と言っても住宅街の脇道だから、付近の住民や郵便・新聞配達、宅配便の兄さんが通るだけだ。大概の通行人は出窓などに目もくれないが、小学生やお母さんに手を引かれた三,四歳の女の子などは猫が座っているのを目ざとく見つけ、通るたびに立ち止まっては声を掛ける。大きな声で呼びかけているようだが、ぱくぱく口を開けているのが見えるだけで、チビはほとんど関心を示さない。やがて狛犬のような正座を崩すと、べたっと横になったり、丸くなったりしてぐうぐう寝てしまう。前面は分厚いガラス、後ろはカーテンを隔てて、私がどっかと座ってパソコンを叩いている。チビにとっては絶対安全な場所なのだ。
 今年の関東地方は梅雨にほとんど雨が降らない。九州や東北、北海道、そして名古屋近辺では豪雨禍が盛んに言われているのに、横浜の我が家は雨不足で胡瓜、茄子、トマトが下葉を黄色くする始末なのだ。気温はぐんぐん上がり、南斜面に建つ我が家は本日七月十七日午後三時、ついに34℃になった。
 と、がさごその音と共にチビが出窓から這い出して来て、プリンターを載せてあるテーブルにどさっと腹ばいに倒れ込んだまま動かなくなった。
 「どうした」と言いながら背中を撫でてやると、薄目をあけてこちらをぼんやり眺める。腹が波打っている。暑さ当たりしてしまったらしい。
 出窓は今や西日を真っ正面から受けている。書斎の中はもちろんエアコンを付けっぱなしで25℃だが、出窓は分厚いカーテンに遮られているから冷風が行き届かない。恐らく温室効果で40℃近くなっているのだろう。そこに寝そべっていたから、このところよく新聞種になる密閉家屋の中で熱中症のために命を失う孤独老人と同じようになってしまったに違いない。
 「お前はバカだ。それでも猫か」と叱る。五分ほどさすってやったら、ミャアと啼いて立ち上がった。ぶるぶると武者震いして床にとんと降り立ち、水をぺちゃぺちゃと一分間も飲み続けた。そうしてから身体全体を入念に舐め回した。考えるに、身体全体に唾をつけて、その蒸散作用で体温を下げているのではないか。犬や猫には皮膚に汗腺が無くて、人間のように汗をかいて体温を下げることが出来ないということを聞いたことがある。しょうがないから犬は暑くなると大きな舌を出してハアハアやる。猫は舌を出したって大した面積ではないから、こうして水分を身体中になすり、その気化熱で体温低下を図るのではないかと、勝手な解釈を下した。とにかく、ひとしきりそうやっていたチビは、御礼のそぶりも見せずに居間の方に行った。
 それにしてもチビはもともとは野良猫の子で、我が家の庭に居付いたキタコというバアサン猫にくっついて紛れ込んで来たのである。飼犬の玄太になついて、その娘のような顔をして玄太の小屋でひっついて暮らしていた。玄太が5年前に老衰で死ぬと、どういうわけか我が書斎に入り込み、家猫になってしまった。キタコ同様、我が家に居付いた早々に捕獲して獣医に連れて行き、避妊手術を施し、毎日餌を与えて来た。だから家猫とは言っても、大人になるまでは外で暮らしていたわけで、冬の寒さ、夏の暑さは十分知っているはずなのだ。
 それなのに、今ではすっかりお上品に、毎朝餌を貰いに来る育ての母のキタコを窓越しに見下したように見つめ、エアコンの効いた室内に悠然と寝そべっている。そうして今日みたいに、酷暑の出窓で居眠りして熱中症にかかってしまう。過保護なれば猫も熱中症に陥るのだなあと思う。
  梅雨明けの遅きを猫に愚痴りをり
posted by 水牛 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

俳句日記 (348)


やっぱり
 悪い予感が当たった。はちゃめちゃの名古屋場所は、五日目に横綱鶴竜と前頭の人気力士遠藤が休場、六日目には横綱稀勢の里と大関照ノ富士が休場である。四横綱三大関という豪華絢爛な番付が、早くも前半で二横綱一大関が姿を消してしまった。
 鶴竜はもともと横綱になる器では無かったと思っている。名大関として名を残した方がよっぽど良かった。稀勢の里も横綱になりたくてついに成れなかった不運なヒーローという方が似合っていたように思う。この二人はなまじっか最高位になってしまったが故の哀しみを背負った。
 稀勢の里については1月26日付けの本欄で、「大甘の採点で横綱にしてもらって、吉葉山の二の舞にならなければいいが」と書いた。ところが三月場所で稀勢の里は左肩を痛めながら、大関照ノ富士を相手に本割り、優勝決定戦と二番続けて奇跡的な勝利を収め、あっぱれ新横綱優勝を果たした。私は呆気にとられて、自らの不明を羞じ、3月27日付けで「失礼しました」と書いた。痛めた傷をしっかり治せば横綱として堂々やれるだろうとも思った。
 それなのに、直らないまま名古屋場所に出場したのが大失敗だった。場所直前の稽古を見ても、ダメなことは素人目にも分かった。たとえ休場しても、3月場所のあの悲壮な優勝シーンは誰の目にも焼きついており、むしろ「ああ、十分に養生しなさい」という声の方が多かったに違いない。どんなしがらみがあったのか分からないが、出場した。結果は初日のあの不様な敗戦である。その後もよたよたばたばた、勝ちを拾った取り組みも実態はお粗末なものであった。その挙げ句が「とても相撲が取れる状態ではない」と泣き言を述べての休場である。
 気になるのは、今場所の稀勢の里が制限時間一杯になった時に泣き笑いのような表情を見せたことである。昔、ぼろぼろ負ける大関時代によく見せていた自信喪失の表情で、今年初場所、三月場所では一度も浮かべなかった。これが再三現れたのがとても気になる。
 大相撲フアン歓呼の声に担がれて横綱になりながら怪我や病気でついに一度も優勝出来ずに去った吉葉山。その二の舞にならないためには、「傷が治るまでは二場所連続休場も」という覚悟を決めるべきであろう。
 夕立のめちゃくちゃ荒れて名古屋場所
posted by 水牛 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする