2020年04月06日

俳句日記 (596)


コロナ騒ぎ、ついに「緊急事態宣言」

 横浜で生まれ育ったハマッコは必ず「横浜市歌」が歌える。東京都歌や千葉市歌となると、そんなものがあるのかどうかさえ分からない人の方が多いのではなかろうか。その点がヨコハマの余所と違うところである。83歳の私も歌詞をそらで言えるし、公園ではしゃぐ小学生も知っている。そして余程の偏屈でも無い限り、大概のハマッコがこの歌を好いている。森林太郎(鴎外)作詩の横浜市歌は明治42年(1909年)7月1日に行われた横浜開港50周年記念大祝賀会式典で発表された。もう110年も前だから、かなり古風な詩だが、中々の味わいである。

  わが日の本は島国よ
  朝日かがよう海に
  連なりそばだつ島々なれば
  あらゆる国より舟こそ通へ

 これが一番で、次はフシががらりと変わる二番、

  されば港の数多かれど
  この横浜にまさるあらめや
  むかし思へば苫屋の煙
  ちらりほらりと立てりしところ

 歌っている大人も子供も「この横浜にまさるあらめや」のところでぐっと来る。そしてまた元のフシに戻って三番。

  今は百舟百千舟
  泊るところぞ見よや
  果なく栄えて行くらん御代を
  飾る宝も入り来る港

 と歌い終わって、皆々胸を張り、すっとするのだ。
 それなのに何たること。今日、横浜市内の小学校で一斉に行われた入学式で、この横浜市歌が歌われなかった。新入生も父母も教師も皆マスク。来賓祝辞は無し、唾の飛ぶ合唱は中止というわけだ。ローカル放送のテレビ神奈川のニュースでも若い女性アナウンサーが寂しそうに報じていた。
 そうだよなあ、御代を飾る宝どころか、ウイルス満載のクルーズ船が入り来たったんだもんなあ。そこから日本全国コロナ騒ぎが始まったんだからなあ。
 さあいよいよ明日7日、安倍首相がコロナ蔓延防止のための「緊急事態宣言」を発令する。アベさんも、小池都知事も尻馬の黒岩知事も、我がちに“ウイルス撲滅十字軍”の聖なる騎士の如き顔つきで、拳を振り上げる。「自分の責任ではない」ことが一〇〇%断言できる唯一のものがこのコロナ騒動だから、政治家は皆威勢がいい。「頑張ってます」「やっています」をアピールする絶好のチャンスだ。どっちみち自分の懐が痛むわけじゃないし、ツケは後の世代が払うのだから、「一家に30万円」「困っている中小事業主には無担保返済期限無しの融資」等々、なんと気前のいいこと。
  ウイルスに果なく沈み行く御代や   酒呑洞
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2020年04月03日

俳句日記 (595)


難解季語 (66)

踏青(とうせい)

 日常会話に出てくることはなく、「詩語」として辛うじて生き残っている言葉である。詩の言葉とは言っても、現代詩に用いられることは皆無であろう。俳句の世界にひっそりと息づいているだけだと言っていい。しかし、その故事来歴を知れば、なかなか捨て難い味がある。
 踏というのは古代中国の行事に由来する言葉である。旧暦三月初めの巳の日、今で言えば四月上旬の山野に出て、萌え出づる草の上で宴を張る春恒例の行事であった。
 この旧暦三月最初の巳の日は「上巳(じょうし)」と言い、五節句の一つである。宮中の上流貴族階級、文人たちが庭園に引き込まれた流れに盃を浮かべ歌を詠む「曲水の宴」を張った。万物春の気配に包まれ、桜、桃をはじめ草花が咲き、何も無かった地面に緑の草が盛んに生える時候である。またこの日は女児の御祝いで雛祭をした。雛祭の行事はその後、上巳の日ではなく三月三日に固定され、今日に至っている。
 昔の人ならずとも、青空の下、むき出しの茶色の地面に草が萌え出し、木々の新芽が動き出すのを見ると、思わず背筋を伸ばし溌剌とした気分になり、自然界の玄妙不可思議を感じる。「踏青(青き踏む)」は、そうした万物甦る精気を身のうちに取り込む意味合いを持つ行事であった。それが奈良時代に唐から日本に伝わり、春の野に出でて楽しむ行事となった。
 そうした故事を知らなくても、春が来て木々の芽が動き、野原にハコベ、ヨモギ、ヨメナなどが生え初めると、心が浮き立ち、つい散歩などしたくなる。そういう気分で春の光を浴びながらピクニックする。これが「踏青」という季語の持ち味である。
 ただし「野遊び」「山遊び」「ピクニック」「草摘む」などは、それぞれ季語として独立しており、「踏青」とは微妙なニュアンスの相違がある。「ピクニック」や「草摘む」といった具体的な行動を表す言葉に比べると、「踏青」は古式を踏まえた優雅な趣を備えており、詠嘆の情をも含んでいる。言い換えれば、実際にやることは「野遊び」「ピクニック」と同じでも、単に身体的な喜びにとどまらず、精神的側面が強調されている。
 厳しい冬の間、寒さに縮こまっていたが、青々としてきた自然界の動きに誘われて外に出て来た。萌え出る草を踏んで駆け出したり、胸一杯に新鮮な空気を吸うと、身も心も解き放たれたような気分になる。今年も緑生え初める季節が巡って来たのだなあ、という回春、蘇生の思いを高らかにうたうための季語と言えようか。
 しかし、「踏」は響きからして何とも古風で堅苦しいと言う人も多い。そこで訓読して「青き踏む」とか「青踏むや」というかたちで詠むやり方が生まれ、近ごろはどちらかと言えばその用例の方が目につく。「踏」というやや固い響きの古式豊かな感じでも良いし、「青き踏む」という優しい調べも又良し。とにかく難解季語としてお蔵入りしてしまうには惜しい言葉である。

  踏青や裏戸出づれば桂川        内藤 鳴雪
  青き踏む左右の手左右の子にあたへ   加藤 楸邨
  青き踏む丘のつづきや法隆寺      岩木 躑躅
  青き踏むどこにも地雷なき青さ     蛯子 雷児

  青き踏むコロナウイルスちちんぷい   酒呑洞
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2020年03月30日

俳句日記 (594)


難解季語 (65)

遅日(ちじつ)

 冬至を経て立春も過ぎ、春たけなわになって来ると、ふと何かの拍子に「日が永くなってきたな」と気づく。日中時間が一番長くなるのは夏至の頃ということは小学生でも知っているが、この「日が永くなってきた」気分を最も強く感じるのが三月から四月にかけてなので、俳人たちは「日永」を春の季語と定めた。その言い換え季語が「遅日」である。「遅き日」「暮遅し」「暮れかぬ」という言い方で詠むこともある。
 与謝蕪村に「遅き日のつもりて遠きむかしかな」という句がある。この句は安永四年、蕪村六十歳の時の作で、「懐旧」という前書がついている。大坂・淀川河口付近の名主階級の家に生まれた蕪村は幼少時代に家が没落、一家離散の憂き目に遭って江戸東北への修業、流浪の旅を続けるなど苦労を重ねた。三十六歳になって京都に落ち着くも無名時代の貧乏暮らしが続き、画俳両道で大立者と称されるようになったのはようやく五十歳を迎えた頃であった。この句は、苦労した昔の思い出が次々に甦って来る「遅日」であることよという気分が伝わってくる名句だ。「遅日だからこそ昔のことが次々に蘇る」というのである。
 しかし、私自身もそうなのだが、現代人には「日永」は分かるのだが、「遅日」とか「遅き日」という言葉の蔵する雰囲気がもう一つよく分からないようである。どうしてそうなるのかあれこれ考えた末に、これは江戸時代の「日の出」から「日の入り」までを「日中」とする「不定時法」という時刻の割方が作用しているのではないかと思い至った。
 明治五年までの旧暦時代、一日の時間割は日の出・日の入によって決めていた。一日を十二分割(二十四分割)するのは現代の時刻と同じだが、「日の出」の卯の正刻から「日の入り」の酉の正刻までを「昼」とし、もう片方を「夜」としたから、季節によって昼夜の時間が伸び縮みすることになった。これが「不定時法」といわれるもので、昼間と夜の長さが四季によって異なる。冬至の十二月二十一日頃の日の出は東京では六時五十分ごろで、日の入は午後四時半ごろになる。夏至の六月二十一日頃の日の出は四時半頃、日の入は午後七時頃である。そうすると、夏は昼間が十四時間半あるのに、冬になると十時間を切ってしまう。旧暦時代は季節によって長さの異なる昼と夜をそれぞれ強引に六分割していたから、夏場の「昼間」は今の時計で計ると一時間二十分が一時間と勘定され、冬場は逆に五十分が一時間ということになった。
 このように、江戸時代の春から夏にかけての「日永」は、気分的なものだけではなく、実際に永かったのだ。だから、今日のように一日を正確に二十四時間に割る「定時法」では、夏場は「もう七時なのに明るいね」とか、冬場「まだ四時なのにもう暗くなってきた」と言われるが、旧暦時代はそんなことは無かった。日が昇れば明け六ツ(午前六時)、日が沈めば暮れ六ツ(午後六時)、つまり「お日様お月様に従って暮らす」自然体だった。従って、ひねもすのたりのたりの春たけなわともなると昼がやたらに永くなり、三食の御飯の間隔が延びて職人などは「なんだかやけに腹が減るなあ」と言い出す。そして蕪村のような俳人、文人は遅い日にそぞろ懐旧の情をつのらせるわけであった。
  軽雷のあとの遅日をもてあます     水原秋櫻子
  立仕事坐仕事や浜遅日         松本たかし
  縄とびの端もたさるる遅日かな     橋  關ホ

  遅き日やぐい呑み選び余念なく     酒呑洞
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2020年03月23日

俳句日記 (593)


間抜け詐欺師

 なんと我が陋屋に詐欺師がやって来た。
 いつものように寝坊してもう間もなく昼御飯という時分に階下の居間に降りて行くと、山の神が受話器を握って困った顔で応答している。
 「横浜銀行の本店に行けばいいんですか。カードと通帳ですね。本店はどこですか。私はいつも反町なんですが、え、横浜駅前ですか」
 何か様子がおかしい。浜銀本店は桜木町駅前のみなとみらいのはずである。「ちょっと、電話器貸してごらん」と言った途端、切れた。
「何か分からないけど、女の人の声で、こちら横浜銀行ですが国民年金の還付金が来週貴方の口座に振り込まれますというの、それについて、私のカードのICチップに問題があるので調べますので、担当者を伺わせます。あるいはカードを持って本店に来て下さいって・・。それから、振り込み手続きするに当たって、取り急ぎあなたの暗証番号は何ですかって・・」
「それで、まさか教えたりしなかっただろうね」
「教えた」
「そりゃまずいなあ。銀行が電話で暗証番号を聞いて来たりするはずはないんだよ。そりゃ詐欺だよ。さて、どうしたものかなあ」
 と考え込んでいたら、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けたら膝下まである長い洒落たコートをやや着崩した若い兄さんだった。
「私、横浜銀行から参りましたが、奥様いらっしゃいますか」
「いるけど、何の用ですか」
「カードのICチップに問題があって、カードを拝見しながらご説明したいので、奥様にカードを見せていただきたいんです」
「どうして家内のカードだけに問題があるの。私も横浜銀行のカードを持ってるよ」
「それじゃ、ついでに旦那様のも」
「ところで、貴方が果たして横浜銀行の人なのかどうなのか、どうして私に分かるの。それを証明する浜銀の身分証明書と名刺をくれないか。はっきりと浜銀の人と分からない限り、カードなんか見せられないよ。そうだろ」
「はい。身分証明書は近くに止めてある車に置いてきてしまいましたので、今取って来ます」と言って、お兄さんはそそくさと去った。その時、また電話が鳴った。家内を制して私が受話器を取った。割に落ち着いた少し年の行った男の声である。
「えー、横浜銀行ですが、奥様いらっしゃいませんか」
「いるけど、今手が離せない。私は亭主だが、貴方は横浜銀行のどこのどなたですか。どんなご用件ですか」
「えー、本店のマルヤマと申します」
「何課何係ですか。ご用件は何ですか」
「えー、奥様のカードのICチップについてご説明したいので、今から担当の者をそちらに伺わせますので、その者に奥様のカードを見せて下さるようお願いしたいのです」
「あなたは本店のどういう部署の丸山さんですか」
「本店カード紛失係です」
「カード紛失係? ふーん。だけどね、私も家内もカードを紛失してはいませんよ。どうして紛失係が顧客のカードのICチップを調べて回るの。それからね、あんたの言う担当の者というのはね、もうさっき来ましたよ。あんたの電話と受取手が来る順序が逆になっちゃったんじゃないの。その人にね身分証明書の呈示を求めたら車に置いてあるので取って来ると言って帰ったよ。それにね、最初の電話で浜銀本店が横浜駅の前にあるなんて言ってたようだけど、桜木町じゃないの」
「えーと、いや、本社の一部が横浜駅前で」などともごもご言って、ぷつりと切れた。無論、身分証明書を取りに行ったはずのお兄さんも戻って来ない。
 家内の電話の応対を聞いていた時からこれは怪しいと思っていたから、それなりにあしらって、三人組の間抜け詐欺グループには「ご苦労さん」という感じだったのだが、一つ困ったことは、山の神が暗証番号を相手に教えてしまっていることだ。カードも通帳も手元にあるから、暗証番号を知っただけではどうにもなるまい。放って置いても差し支えはないかなと思ったが、家内同道で横浜銀行反町支店に出かけて相談した。女支店長が親切であれこれ受け答えしてくれ、結局は今回はカードも通帳も相手に渡っていないので大丈夫ですが、念のために暗証番号をお換えになった方が良いでしょう、ということで、変えた。
 コロナウイルス騒ぎで句会はお休み、外出は控えろと言われて無聊をかこっていたところだから、いい刺激にはなった。しかし、これで半日潰れてしまい、百子さんから「酔吟会のコメント送れと言ったはずでしょ」と怒りのメールをもらうはめになった。
  つちふるやカード詐欺師の迷ひ込む   酒呑洞
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2020年03月22日

俳句日記 (592)


大相撲コロナ場所千秋楽

 「無観客」という異常な形の春場所が終了した。途中でコロナウイルス感染者が出たらその日で場所は打ち切りという、退路を断つ気迫の伝わる決行だった。総身に知恵が回りかねるような大男たちにもそれが伝わったのだろう、いつになく真剣な勝負が見られて、なかなかの場所になった。
 何はともあれ、ここ数場所、ただただ横綱の地位を守りたいだけという感じだった白鵬、鶴竜がやる気を見せて、千秋楽に「横綱相星決戦」という舞台を拵えたのが、形通りとは言え、まずまず上々の出来だった。春場所が蓋を開けた三月八日の当欄に、「斜陽の両横綱がいつまで初日のような万全の相撲が取れるかどうか分からないが、力の配分をうまく運べば、上手さと実力は一枚も二枚も上だから、二人のどちらかが優勝するだろう」と書いたのが、その通りになったので気を良くしている。
 ただ、つくづく思うのは、やはり見物人の熱気あってこその大相撲だなあ、ということである。テレビ観戦なら観客があろうが無かろうが関係無いように思ったのだがさに非ず。どうも盛り上がらないのだ。取っている力士たちもそう感じたらしい。三日目くらいまでは「無観客・決死の場所」という感じで、みんな一生懸命に取っていたのだが、それに慣れて来た中盤以降は星の上がらない力士の戦意が明らかに萎えてくるのが分かり、全体的になんとなくたるんだ空気が漂うようになった。言ってみれば力士みんなが「8勝7敗」で可とする雰囲気である。そうなればもう実力一、二番の白鵬、鶴竜の舞台になるのは必然である。というわけで、本来は手に汗握る頂上決戦がさしたる感慨も無しに執り行われることになった。
 場所の盛り上がりを欠いた元凶は、大関貴景勝と大関取りに挑む関脇朝乃山であった。貴景勝は元々大関の器では無いのだが、我武者羅の勢いでのし上がった。しかし、怪我や病気などでちょっと体調を崩すともういけない。今場所がまさにそんな感じだった。「一人大関」の体面を保てずに負け越してしまった。それを千秋楽になんとかやっつけて面目を保った関脇朝乃山だが、六日目の御嶽海、八日目の豊山とのいずれも完敗がいかにも情け無い。ここぞと気を入れた時の横綱白鵬はやはり無類の強さを発揮するから、13日目に白鵬との一番を失ったことについてはとやかく言うまい。しかし、14日目の鶴竜には勝って貰いたかった。と言うより、勝たねば道は拓けなかった。
 それなのに、相撲協会は11勝で終わった朝乃山を大関にしてしまうらしい。「直近三場所で33勝」が大関昇進の不文律であったはずなのに、またぞろ「興行優先」であっさり曲げてしまう。朝乃山は実力はあり、貴景勝や栃ノ心といった我武者羅相撲ではない、正攻法の力士。立合をしっかりするなど、もう少し鍛錬してから大関にした方が末が楽しみである。それを一人大関を解消しようなどと焦って昇進させてしまう。やはり、相撲協会という組織は総身に知恵が回りかねる連中の団体である。あの情け無い横綱稀勢の里の二の舞にならなければいいがと思う。
  ウイルスもどすこい春場所終ひけり   酒呑洞
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2020年03月20日

俳句日記 (591)


難解季語 (64)

雁風呂(がんぶろ)

 北海道新幹線が津軽海峡の海底に入り込む青森県今別町、外ヶ浜町一帯の海辺には、その昔、雁供養(かりくよう)・雁風呂(がんぶろ)という習俗があったとの言い伝えがある。
 毎年秋、北の大陸から海を渡ってやって来る雁は、途中、海上で一呼吸入れるためのよすがに、柴(小枝)を口にくわえて飛ぶ。それを海上に放っては一時羽をを休め、再びくわえて飛び立つ。こうしてようやく外ヶ浜に辿り着くと、不要になった小枝を海辺に置いて本州を南下する。春になると再び大陸に戻るため、外ヶ浜にやって来て浜辺の柴を口々にくわえて飛び立って行く。しかし、すべてが飛び去った後の浜には沢山の柴が残っている。それは、日本国内での越冬期間中に捕らえられたり病気になったりして命を落とした雁のもの。浜辺の村々の人たちはそう考えて、残された柴を集めて風呂を沸かし、廻国の修行者、旅人、寄る辺の無い人たちを入浴させ、食事を振る舞い、それを以て雁の供養ともした。自らも厳しくひもじい冬を過ごす津軽の人たちならではの、心温まる民俗である。江戸末期、これが春の季語になった。
 落語にもなっている。やはり幕末か明治初期に出来た噺だろうが、元は上方落語である。諸国漫遊の水戸黄門が上方へ向かう途中、遠州掛川宿の飯屋で土佐光信の真筆と思われる松に雁を描いた屏風を見つける。「どうしてこんな所に光信が。しかし、松に鶴、雁に月なら分かるが、雁金に松とはのォ、光信ともあろう者が、どうにも理解し難い」と首を捻っているところに来合わせた大坂の町人主従が、「雁風呂」の故事を語る。すっかり感じ入った黄門、「実に良い話を聞かせてくれた。それにしても、並みの町人ではあるまい」と氏素性を糾すと、実は奢侈を咎められて闕所(けっしょ=家財没収)に処せられた淀屋辰五郎の二代目。これから江戸へ出て柳沢吉保に貸した三千両を返してもらいに行くところだが、どうも門前払いを食いそうな気もして悩んでいるところだという。淀屋橋を自力で架けたり、貧民に施しを惜しまなかった淀屋の善行を聞き知っていた黄門、早速、吉保宛に一筆したため「これを持って行き、万が一吉保が返さなければ水戸屋敷へこの書状を持ち込めば何とかするはずだ」という、目出度しめでたしの噺。桂米朝がやっていたのがさすがのものだったが、私には「関西弁の黄門」が何とも聞き苦しかった。やはり、六代目三遊亭圓生(昭和54年に79歳で逝った)の「雁風呂」が良かった。
 とにかく落語にまでなった「雁風呂」だが、いつの間にかそういう風習は廃れ、地元でさえ伝承民話そのものが伝えられなくなってしまったようだ。青森出身の句友工藤静舟さんに確かめたのだが、「今ではほとんど知られていない」とのことだった。恐らく若い人たちにはさっぱり通じない季語であろう。ましてや雁が自分が浮かんで居られるほどの枝をくわえて何千里も飛べるはずはないのだから、この話そのものが理屈に合わない。古典落語の「雁風呂」にしても、水戸光圀は江戸と水戸近辺以外あまり出歩かなかったというし、淀屋が闕所処分になった頃には、黄門さんはとっくに死んでいる。
 このように雁風呂は何からなにまでが荒唐無稽なのだが、またそこにこそ面白さがあり、しみじみとした感じもある。そういう所を好むのが俳人というもので、細々とではあるが今日でも雁風呂を詠んだ句が続いている。

  雁風呂にぬくもりゐるや念仏者    松瀬 青々
  雁風呂に雨や降る山近く見ゆ     佐藤 紅緑
  雁風呂の薪はきえてしまひけり    中  勘助
  雁風呂や雨こぼれ来て潮平ら     吉武月二郎
  海女老いて乳房かくさず雁供養    井沢 正江

  義経主従鎧はずして雁供養      酒呑洞
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2020年03月17日

俳句日記 (590)


難解季語 (63)

雀隠れ(すずめがくれ)

 『広辞苑』によれば「草木の葉が、ようやく雀が身を隠す程に伸びたこと」として、『蜻蛉日記』の「木の芽雀隠れになりて」という文章を例に引いている。俳句の世界で「雀隠れ」と言うと、「若草」の傍題とされ、芽を出して程無い柔らかな早緑の草を思い描くことが多い。ようやく雀が隠れるくらいの丈になった若草と、その頃の暖かな雰囲気を表す、仲春から晩春にかけての季語である。
 昔の人たちは若草だけでなく、蜻蛉日記のように木の芽の伸び始めも「雀隠れ」と言い、俳諧でも「木の芽だつ雀がくれやぬけ参 均水」(『続猿蓑』)などと詠んでいる。広辞苑はこうした点を押さえ「草木の葉がようやく伸びた」という解釈を記載しているわけだが、現代俳句では「木の芽」にはほとんど用いられず、もっぱら若草の伸び始めをうたっている。
 草と木の区別はとにかく、ようやく伸び始めた草葉を「小さな雀がかくれるほど」と形容した、昔の人の言葉に対する感覚の鋭さには感心してしまう。早緑の草葉の下からちょこちょこと現れてはまた隠れてしまう小雀の動きが、うららかな春風駘蕩の気分を一層かきたてゝくれる。
 言語表現能力を高める努力を全くしなくなった現代人にはとてもこうした言葉は造れないだろう。スマホだAIだと、無神経なカタカナ語やローマ字語が氾濫している。「スマホ」など形あるものを示す場合は、相手に具体的な形体がほぼ正確に伝わるからまだ許せるが、抽象的な事柄を示す場合にこうしたカタカナ語やローマ字語を使うとしばしば問題を生じる。その妙な言葉の包含する意味合いが、話し手と聞き手で必ずしも一致しないことがままあるために、誤解を招くのだ。
 JR山手線の新駅「高輪ゲートウエイ」などもそうだ。ゲートウエイとは日本語に直せば「入口」「玄関口」といったところだろう。高輪がいつから東京や日本の玄関になったのか。テレビで見る分には綺麗な駅舎だが、山手線の中のターミナルでもない小駅が東京の玄関とは、ガイジン客は首をひねるだろう。
 二〇二〇年三月十四日、東海道線から伊豆急行へ入り下田まで突っ走る豪華列車が走り出した。たまたま横浜駅で見かけた。実にきれいな乗り心地の良さそうな観光列車だが、その名前に首を捻った。「サフィール踊り子号」という。サフィールとは何か。横文字でsaphirとあり青が基調の車体なので、どうやら宝石のサファイアだろうと見当を付けて帰ってネット検索したら、やはりサファイアのフランス語読みだった。なぜフランス語を引っ張り出さねばならぬのか。もう日本語として定着している「サファイア」を使えば混乱せずに済むだろう。何か人と違ったことをして人目を引き、ちょっとでも良く見せようというのは、全く下卑た根性である。こうした風潮がはびこると、言語感覚が鈍くなり、みんなが自分勝手な解釈と思い込みで、てんでに勝手な言葉遣いをするようになる。そして、正確な情報が正確に伝わらなくなってしまう。
 朝日新聞の小滝ちひろという編集委員が三月十三日、自身のツイッターに「・・戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」と書いて物議を醸し、朝日新聞社は「痛快という表現は著しく不適切で、感染した方をはじめ多くの皆様に不快な思いをさせた」と謝罪した。常に尊大で時に傲慢野卑とも思われる言辞を弄する超大国リーダーがコロナウイルスに怯えるような姿勢を見るのは“痛快”かも知れない。しかし、実名を出して、社名、役職名まで明らかにして書く文章としては余りにも配慮に欠けた、稚拙な言葉遣いである。今や、日本を代表する新聞社の編集委員というベテラン記者がこの程度の言語感覚しか持ち合わせていないのである。
 しかし今からでも遅くはない。一人でも多くの人が、ほんの少しでもいいから、「雀隠れ」というような含蓄のある言葉を沢山生み出した古人の軌跡を辿って、きれいで正しい言葉遣いを心掛けてくれれば、一〇年もたたぬ内にかなり元に戻るはずだと思っている。
  春ふかし雀がくれを沓にふみ     富安 風生
  餅草も雀がくれとなりしはや     森  澄雄
  音もなし雀がくれに雨そそぎ     長谷川浪々子

  猛然と伸びる雀がくれと云ふうちに  酒呑洞
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2020年03月14日

俳句日記 (589)


コロナショック

 世界中が新型コロナウイルスで大騒ぎしている。トランプ米大統領が「東京オリンピックの開催延期」を言い出したり、各国間の航空網が休止状態になったり、世界中の株式市場が連鎖安を起こしたりしている。騒動はそれ自体が増幅効果を持っているから、いわゆる「騒動が騒動を招く」ことになり、パニックを引き起こす。
 何しろ相手は得体の知れないウイルス。これを殺す薬も無ければ治療法も無い。人ごみの中を出歩かず、やむを得ず外出した場合は手洗いとうがいをする。運が悪く感染してしまったら、じっと寝て、肺炎などを引き起こさぬよう安静にしているよりしょうがない。幸い子供や五十歳台までの働き手は軽症で済むようである。死亡者は六十歳台以降の高齢者に多いようだから、日本全体からみればむしろ破綻寸前の国家財政の負担軽減になるかも知れない。かく言う水牛も間もなく83歳。コロナウイルスに罹らなくても早晩逝く身ではあるが、やはりまだまだ未練があって、ここ数日珍しくどこにも行かずにじっとしている。
 じっとしながらいろいろ思い巡らしていると、どうも、今回のコロナウイルス騒動は「騒ぎすぎ」のように思う。国連の世界保健機構(WHO)というのは実に情け無いもので、ウイルスが武漢で猛威を振るい始めた今年初めから2月までは「さしたることはない。中国政府は適切に対処している」の一点張りであった。韓国や日本で感染者が続出するようになっても変わらなかった。それが、イタリーで爆発的に広がり、フランス、ドイツに広がり、アメリカにも発生し始めたら掌返しで「パンデミック(世界的蔓延)」と言い出した。
 世界百数十カ国に感染者が広がっているのだから、「世界的流行」ではあろう。しかし「パンデミック」という、地球滅亡のような響きを持つ言葉で決めつけるのはどうかと思う。わずか二週間前は平気平気と言っていたのに、急に言い方を変えたテドロス某という事務局長のしたり顔に首を傾げざるを得ない。
 新型コロナウイルスの感染者は3月13日現在で世界113カ国に13万1千人、死者5千人。日本ではクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で集団発生した704人を加えて感染者1400人、死者28人。これは大変な人数である。しかし世界人口(確たる人数は把握できず推計)は74億人、日本の人口は1億2千6百万人。これと比べたら、13万人、1千4百人は九牛の一毛である。
 今から百年前、スペイン風邪が蔓延し、全世界を震撼させた。大正7年(1918年)から翌8年にかけて大流行、1920年に入ってようやく終息した。その当時はウイルスというものが全く分かっておらず、人々はこの流行性感冒に震えおののくばかりだった。全世界的な統計は残されておらず、はっきりした数字は無いが、全世界の感染者は5億人以上、死亡者は1億人に上ったと推計されている。当時の世界人口は20億人弱だから、地球上の人間の4人に1人がスペイン風邪に感染し、20人に1人が死んだのだ。日本でもこの風邪にかかる人が数知れずで、当時の日本人口5500万人のうちの39万人が死んでしまった。その頃はヨーロッパ戦線を中心に第一次世界大戦が戦われていたのだが、連合国側もドイツ側もスペイン風邪の蔓延で新兵を募集することが不可能になり、これが大戦を収束させる一因となったとも言われている。これこそ「パンデミック」である。それに比べたら今回の新型コロナウイルスなど何ほどのことやあらんである。
 それはさておき、AIだロボットだ宇宙探査だと、科学技術の発展を謳歌し図に乗っているが、こうした身近の病気一つも適切に対処出来ないのが人間なのである。コロナウイルスは思い上がった人間にお灸を据える天帝の思し召しであろう。
 もちろん、東京オリンピックなどはさっさと「中止宣言」して、しばらくは蟄居謹慎。しかし、そうしながらも「スペイン風邪に比べればなんということはないさ」と安気に構えて俳句でもひねっていることが最も大人らしい。
  ウイルスを薫き込めむとや沈丁花   酒呑洞
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2020年03月11日

俳句日記 (588)


難解季語 (62)

出代(でがわり)

 明治後半から昭和初めにかけて活躍した俳人大谷句仏(真宗大谷派二十三世門主)は、正岡子規に傾倒し新派の俳句に勤しみ、雲の上の存在でありながら下世話にも通じ人情の機微に触れる佳句を多く残している。その御上人に「出代の箸紙に名を名残かな」という句がある。しんみりとした気分の伝わる句だが、今日この頃、この句を正しく解釈出来る人が果たしてどのくらいいるだろう。「出代」を「でがわり」と読める人すら少ないのではないか。
 出代とは江戸時代から昭和戦前までごく普通にあった、一季奉公、半季奉公の女中、下男などの交代期およびその当人のことである。一季奉公は一年契約で旧暦3月(新暦4月)が交代期、半期奉公は3月と9月が交代期だった。いずれも勤め初めの一ヵ月は「新参」と呼ばれる見習い(試用期間)で食べさせて貰えるだけの無給、合格すると有給となり、その後の働きぶりが上々と認められると次の年も雇われ、「居重ね」「居なり」と呼ばれる。その中からやがて番頭(執事)や女中頭となるのが現れる。昭和二十年の敗戦までは日本の上流家庭の雇人の様子はこんな具合だった。
 明治五年に新暦(太陽暦)になり、官公庁の年度始めが新暦4月となったため、年季奉公の切り替え時期も新暦3月半ばから月末とすることが多くなり、江戸の昔以来の春の季語「出代」がそのまま受け継がれた。句仏の句はその出代わりの暇乞いの場面を詠んでいる。
 下男下女の普段の食事に箸紙に納められた箸など使われるわけはないから、これは番頭か手代に蕎麦屋にでも連れて行かれ、「ご苦労さん」とねぎらわれた時の情景かも知れない。あるいは開明的で温情溢れる主人のはからいで開かれた、御屋敷の大きな台所に、出前の折詰や蕎麦でも取って貰っての新旧奉公人歓送迎会かも知れない。去って行く奉公人が「有難うございます。また折があればお世話になりたいと存じます」と言いながら、箸紙に住所氏名を書いて差し上げている。あるいは一年間同じ飯を食った仲間が連れ立って入った飯屋で「縁があればまた会おう」と連絡先など書いて交換しあっているところとも取れる。
 とにもかくにも人余り時代の労働者は哀れなものだった。住み込みで食わせてもらうだけで有難いと思えとばかりの扱いで、現金給与はほんの僅か。江戸時代から昭和の初めまで、貨幣価値の変動で時代々々によって額面は大きく変わっているが、現在のお金に換算すれば住み込みの下男下女の月給はせいぜい2万円から3万円がいいところであった。
 第二次大戦の敗戦後、日本国内には出征していた兵隊が一斉に帰国して一時的に人余り状態になったが、程なく、日本経済の上向き傾向に伴って人手不足状態になり、戦前中流家庭までがごく普通に雇っていた下男や女中のなり手が無くなった。昭和四十年代に入ると、巷に溢れていた日傭労務者も姿を消していった。かくて「出代」という言葉も死語になった。
 ところが、それから40年近くたった1990年代初頭、新たな「出代」がどっと現れた。「派遣社員」の登場である。「それ行けどんどん」でやって来た日本経済が息切れして、投機的的な経済活動が破綻し「バブル崩壊」となり、企業は一斉に雇用調整に走った。一方、高度成長で潤った国民の間には一億総中流意識が行き渡り、丁度その頃生産年齢に差し掛かった若者には甘えムードがはびこり、好まぬ働き場所を忌避するフリーターという遊民が輩出するようになっていた。働く意欲を持ちながら、企業の倒産、事業縮小などによって離職せざるを得なくなった中高年と遊民フリーターが派遣社員という新たな「出代」となったのである。
 昔の下男下女と比べたら、現今の派遣社員はぐんと恵まれている。最低賃金が保証されている。休日や社会保険制度もあってずいぶん保護されるようになっている。しかし、あくまでも「派遣社員」は正規雇用社員の穴埋的存在であることに変わりはない。雇用者の都合によって、半期、一期の期限ごとに「はいさようなら」となる。季語としての「出代」は死滅したが、実態は未来永劫続くようである。
  田楽に派遣社員の別れかな   酒呑洞
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2020年03月08日

俳句日記 (587)


無観客大相撲始まる

 3月8日(日)、大坂の春場所大相撲が始まった。安倍政権による「コロナウイルス感染拡大阻止のための大規模集会禁止」要請に従って、観客を一切入れないという異例の大相撲本場所。果たしてどんなことになるのかと思ったが、テレビ観戦の結果を一言で括れば、「いつものだれた大阪場所と違って凄い迫力を感じた」である。
 横綱土俵入りの白鵬、鶴竜の所作にも力が籠もっていた。東西幕内力士による土俵入りも真面目さがうかがわれた。取組が始まると、力士の四股を踏む音や行事の掛け声、立ち上がった力士の裂帛の気合いが聞こえてきて、大変な迫真力である。取組そのものも実に力が籠もっていて、「これほど真剣に力を込めて15日間取ったらおかしくなってしまうのではないか」と思うほど、初日の取組全てが面白かった。力士たちが、「これは大ゴトだ」と自覚した結果に違いない。
 一年に一度くらい、こういう場所があってもいいくらいに思った。先場所など思い出してもふやけた場所だった。横綱白鵬、鶴竜はしまらない相撲を取って、四日目、五日目あたりでさっさと休場してしまった。今場所は、まずこの両横綱が真面目な相撲を取ったことが何よりだった。初場所はなんともだらけきった場所で、その挙げ句が幕尻の徳勝龍が優勝というハプニングになったのである。今場所とて初日を見ただけだから断言は出来ないのだが、少なくともこの数場所と比べて締まった場所になりそうだ。
 斜陽の両横綱がいつまで初日のような万全の相撲が取れるかどうか分からないが、力の配分をうまく運べば、上手さと実力は一枚も二枚も上手だから、二人のどちらかが優勝するだろう。しかし体力の限界から、ここ数場所のように途中でこければ、朝乃山、正代、御嶽海、竜電、豊山、輝、玉鷲あたりが面白そうだ。コロナウイルス蔓延で「不要不急の外出」を止められている身にとって、無観客大相撲は大いなる楽しみ番組である。

  四股響く客無き春場所大相撲   酒呑洞
posted by 水牛 at 20:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする