2019年07月18日

俳句日記 (508)


日経俳句会第180回例会
36人参加「七月」「夏木立」を詠む

 7月17日夜、日経俳句会の7月例会が開かれた。出席18人、投句参加18人とちょうど半々。今回の兼題は「七月」と「夏木立」。参加36人からの投句総数は105句。6句選で句会を行った結果、いつもは世の中を斜交いに見た句や悪フザケの句ばかり出す杉山三薬が「右木曽路左伊那谷夏木立」という至極まともで味のある句を出して、12点という圧倒的人気を集め、血圧一気に上がるような喜びようだった。水牛も好調を持続、「七月やぐいと割ったる日記帳」で9点も貰った。この夜の兼題別高得点句(3点以上)は以下の通りだった。
「七月」
 七月やぐいと割ったる日記帳     大澤 水牛
 七月の川濁流を海に吐く       中村 迷哲
 七月や帽子揃へて母娘        石 昌魚
 七月の湿り旧家の養蚕場       廣上 正市
 七月の火口の池の碧さかな      大下 綾子
 七月やめだかの家族どっと増え    澤井 二堂
 七月や出国ロビーの華やぐ夜     向井 ゆり
「夏木立」
 右木曽路左伊那谷夏木立       杉山 三薬
 ページ繰る小さき風あり夏木立    水口 弥生
 オルガンにはじまる礼拝夏木立    大下 綾子
 夏木立斜光のなかにマリア像     野田 冷峰
 県道に大手広げて夏木立       今泉 而云
 夏木立抜けて寿福寺虚子の墓     堤 てる夫
「当季雑詠」
 採血に夏痩せの腕そっと出し     岡田 鷹洋
 青梅を煮詰めて母の整腸剤      井 百子
界隈という文字が好き梅雨晴間    杉山 三薬
 口ひらく食虫植物夏ふかし      星川 水兎
雨烟る墓石の脇の百日紅       加藤 明生
 甚平や鏡の中に父の顔        石 昌魚
 ブルースをただ聴き続け夏の夜    橋ヲブラダ
 百日紅散りて真昼のアスファルト   中嶋 阿猿
 はまなすや指呼の国後島(くなしり)茫とあり廣上 正市
 来客の使ふ絵扇京の風        水口 弥生
 手花火の燃え殻あつめ朝の庭     向井 ゆり
夏の宴分家の嫁の気働き       植村 博明
  末生りは泥にまみれて瓜畑      大倉悌志郎
  万緑やヨガの少女の四肢伸びる    徳永 木葉
  父さんにハモニカ習った夏の庭    中沢 豆乳
 水牛の選句6句は、上記の「七月の川濁流を」「青梅を煮詰めて」「界隈という文字が好き」「口ひらく食虫植物」の4句と、
  七月やめだかの家族どっと増え    澤井 二堂
  海渡り来し孫三人夏休み       堤 てる夫
の2句だった。雲霞のごとく湧き出るメダカの子はいかにも七月らしい。もう一つの句は、海外赴任の息子か娘の子供たち、普段なかなか会えない孫が夏休みで帰って来た。「海渡り来し」と上7の字余りにして、「三人の孫夏休み」とした方がいいかなとも思ったが、とにかく気も漫ろのジイチャンの感じがよく現れている。
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2019年07月14日

俳句日記 (507)


第141回酔吟会は「梅雨明」と「梅干」
なんと天地人取って有頂天

 7月13日(土)午後1時から神田鎌倉橋交差点そばのビルの8階で酔吟会例会が開かれた。他の句会は参加者多数のために「事前投句・選句」で句会当日は選句披講・合評会だけという簡略版になっている。しかし、酔吟会だけは「土曜昼間に開催、ゆっくり時間をかける」「会場に来て短冊5枚に句を書いて投句・参会者で手分けしてC記・選句・披講・合評会」という昔ながらの手順を踏んでいる。忙しい時代に敢えて逆らって、のんびりやろうではないかと粋がっているのである。
 句会開催回数は日経俳句会の通算180回、番町喜楽会の163回に追い越され、今回が141回目だが、他の二句会が毎月開催であるのに対して、こちらは二ヵ月に一度の開催だから、三つの中では一番の老舗だ。そんなことも「旧式墨守」の理由の一つである。
 しかし、句会の顔ぶれはかなり変わった。平成8年(1996年)春の発足時メンバーは11人だったのだが、その内6人が三途の川を渡ってしまい、1人はもう仙界に遊ぶ境地で俳句を作らない。今では涸魚さんというかなり以前から仙人的ではあるが若い連中と下界に遊ぶことを好む米寿翁を含め、発足メンバーは4人になってしまった。その代わり、この旧態依然たる句会が返って面白いじゃないかというのだろうか、続々と若い参加者が増えた。今やすっかり若返った21人の、むしろ発足時よりぐんと強固な骨格の句会になった。
 この日は水牛が自慢の梅干と梅酒と梅酢、かりん酒、それに手製の湯呑とぐい呑をカートに満載してガラガラ引いて行き、参会者の好みも聞かばこそ、押し付けた。比較的最近入った妙齢の会員数人が「水牛さんの梅酒美味しい」「娘が二歳のころから梅干好きなので、ぜひ下さい」などと嬉しいことを言ってくれるので、駅の階段を死に物狂いで担ぎ上げ、担ぎ下ろして運んだのである。
 このワイロが効いたに違いない、何と近ごろ鳴かず飛ばずの水牛が最高点(5点)、次席4点と三席3点を取ってしまったのである。「こうなったら、毎回運んで来るぞー」と、句会後の懇親会でぐいぐいやりながら気炎を上げた。このところすっかり上品になっていた句会に、久しぶりに発足時の「酔って吟ずる」乱暴な空気が流れた。この日の高点句は以下の通り。
 『梅雨明』梅雨明や五ミリの蜘蛛が背伸びする   水 牛
      梅雨明けや襁褓の一歳スクワット    光 迷
      滔々と坂東太郎梅雨明くる       水 牛
 『梅 干』梅干の漬かりゆくなり雨の音      水 牛
      梅干に浮かぶ戦後の日々のあり     涸 魚
      梅干の種もてあそぶ舌の上       而 云
 『雑 詠』夏燕奔放に切る蒼い空         静 舟
      玄関に居間に客間に花菖蒲       春陽子

 この他に水牛が良いと思って選んだのは以下の7句。
      殻を捨て蝶旅立つや梅雨あがる     静 舟
      煮魚は梅干し入れて父の味       十三妹
      干し終へし笊に名残の梅の赤      双 歩
      梅干しや夢の出どこを考へる      水 兎
      坂ながき町に住みたり時計草      水 兎
      にぎやかに足湯の家族夏木立      百 子
      雨乞の別所温泉幟立つ         てる夫
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2019年07月11日

俳句日記 (506)


番町喜楽会7月例会のこと

 何やかや仕事が立て込んで、7月1日に行われた番町喜楽会(通算163回)のことを書くのを忘れていた。奇数月の番喜会は月曜日の夕方と決まっている。いつものように九段下の千代田区立生涯学習館に14人が集まり、欠席投句7人の句も合わせて投句総数は102句。今回の兼題は「夏の山」と「心太」。投句5句・選句6句で句会を進めた結果、堤てる夫さんの「梅雨の雲すっぽりかぶる信濃かな」と、廣田可升さんの「すぐ詫びる男の狡さ桜桃忌」がともに6点でトップを分け合った。次席は4点句で、徳永木葉さんの「ところてん酢の香にむせる初デート」と、中村迷哲さんの「稜線に原色の列夏の山」の二つだった。
 この他、良いと思って採った句は、
   夏山に飼葉刈りをり明日は競り   谷川 水馬
   夕闇をゆるり取り込む夏の山    山口斗詩子
   忽然と岬あらはる夏の尾根     廣田 可升
   女五人男ひとりの心太       星川 水兎
   お富士さん六メートルの山開き   塩田 命水
 水牛句は今回も鳴かず飛ばずで、
   蒸しますねなどと言ひ合ひ心太
 が、3点もらってやれやれという所だった。このところどうも気持がふわふわしていて、じっくり句を作るような落ち着きに欠けている。
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2019年07月06日

俳句日記 (505)

蓮始華

 庭の東南隅に置いてある大甕の蓮が今年初めて花開いた。純白の清楚な蓮。とても嬉しい。
 この蓮は6年前、堤てる夫・百子夫妻の上田邸に初めてお邪魔した時に案内してもらった信濃国分寺の蓮池で拾ったハチス(蜂巣)から取った実を蒔いたものだ。二年目に小さく芽生え、年々大きい茎葉になっていた。今春は去年よりさらに大きな葉を出したので、もしかしたらと思っていたら、6月下旬にするすると花茎を伸ばし、先端に擬宝珠形の蕾をつけた。それが7月に入ると徐々に膨らみ始め、ついに6日朝開いた。DSCN1975.jpg
 普通、蓮の花と聞けば誰しも薄紅色、桃色の花を思い浮かべる。信濃国分寺の蓮池も桃色の華が圧倒的だったが、中にいくつか、白蓮が凛と咲いていた。「ああ、白もいいなあ」と思っていたのだが、いくつか拾った蜂巣の実は紅か白か、もとより分からない。大甕には20粒ほど蒔いたのだが、無事に生えたのはその内の何粒だったのか分からない。最初は細い茎が3本立ち、今年は6本になっているが、それが同じ蓮根から出た茎なのか、別の蓮根なのかも分からない。別の蓮根からの茎が同居しているとすれば、来年は桃色の蓮も咲くかもしれないなどと欲張ったことを考えている。
 実はこの傍にもう一つの大甕があって、それには澤井二堂さんが散歩の途中拾ったという上野不忍池の蓮の実が蒔いてある。しかしこれは去年の秋に蒔いたばかりで、今春はまだ芽生えず、空しくボーフラの住み処になっている。これが来年無事に芽生えて大きくなってくれると、数年後には信濃国分寺と上野不忍池の蓮が咲き競べすることになるのだが。
 明日7月7日は二十四節気の「小暑」。いよいよ梅雨が明け、本格的な夏の到来である。さらに二十四節気を五日ずつに区切って季節の推移をよりきめ細かく示す「七十二候」で言うと、小暑の次候(6日目)は「蓮始華(はすはじめてはなさく)」とある。カレンダーでは12日に当たるので、我が家の蓮は一週早く咲き始めたことになる。本家の信濃国分寺ではちょうど暦の「蓮始華」に開花ということになるのだろうか。
  六年経て華咲かせたり信濃蓮   酒呑洞水牛

DSCN1971.jpg
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2019年07月04日

俳句日記 (504)


双牛舎総会・俳句大会

 NPO法人双牛舎の年次総会と俳句大会が6月29日(土)、東京・二番町の東京グリーンパンレスのレストラン「ジャルダン」で行われた。「俳句の普及と振興・発展進化をはかる」というものものしい「事業目的」を掲げ、13年前に東京都に設立の届け出をした時、NPO担当課の担当者が「俳句振興を事業目的とするNPOは恐らく全国で初めてでしょう。大いに頑張って下さい」と励まされた。しかし、大言壮語したものの、メンバーになってもらった日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の会員を全部足しても延べ百人。二つ三つの会に入っている人もいるから、実数は70人程度と真にこじんまりした団体である。
 ただこれまでの活動実績はなかなかのものだと自負している。まず三つの句会の活動支援、それぞれの会報の編集発行、双牛舎ホームページを開設してそれらの活動内容を逐一報告している。さらにブログ「みんなの俳句」を開設、会員諸氏の名句にコメントを付けて、丸11年発信し続けており、累計来訪者は11万人を超えている。また、双牛舎ホームページには昨年から「わたしの俳句館」というコーナーを設け、会員を中心に七〇歳以上の俳句愛好者の名句を紹介し、ネット上に永遠に保存する『俳句の殿堂』とする事業も始めた。これに加え、会員及び外部の人たちからの要望に応え、句集、随筆集、各種記念文集などの出版事業も行っており、これまでに30点以上の単行本を発行した。
 もともとこの会は、大学時代から机を並べ、同じ新聞社に入社し記者生活を一緒に送った而云さんと私が、たまたま俳句好きだったこともあって、「同好の士を集めて句会や俳句談義をやる会を作ろう」と20年近く前に始めた。二人とも丑年生まれなので、二頭の牛が車を引くように、仲良くのんびりやって行きましょうと「双牛舎」という名前にした。数年たって追々仲間も増えてきたので、NPO法人にしようということになったわけである。
 同輩後輩、さらに最近はぐんと若い人たちも加わってくれるようになり、今年からは理事の顔ぶれもしっかりとして、これまでのいいかげんなグループに筋が通った。そのことを幹事長の堤てる夫さんが今総会で明言してくれた。これで安心。軛をはずれた老牛は自由に草が食める。というわけで、この日は昼食を取りながら進められた総会とそれに続く俳句大会を楽しみつつ、大いに吞みかつ食していい気持になった。
 俳句大会は双牛舎年一回の「お祭り」である。予め投句された句を谷川水馬さんというこういうことが上手な人が大きな選句表に作って会場に張り出してくれた。参加者はこの表の自分の好きな句の下にシールを貼り付けていく。つまりは公開人気投票だから、いつものちゃんとした句会に比べて多少脱線して、わざとふざけたような句に一票投じたり、選句表に貼られたシールの多さに幻惑されて自分もつられて貼ってしまう、というようなこともあるだろう、結局は「分かり易くて面白い句」に票が集まる傾向がある。
 しかし、この日、高点を獲得した句はなかなかの粒ぞろいだった。
 最高の「天」賞に輝いたのは、岩田三代さん(日経俳句会)の「亡き父母の声残りをり夏の家」。「地」賞は嵐田双歩さん(日・酔吟会・番町喜楽会)の「椰子蟹が路上をのそり島の夏」、印南進さん(三四郎句会)の「家じゅうの網戸を洗う夏来る」、大沢反平さん(日・酔)の「夏座敷寝っころがって志賀直哉」、深瀬久敬さん(三)の「緑蔭のひかり濃淡万華鏡」の4句。「人」賞は池村実千代さん(日)の「六月やお洒落談義は傘の色」と須藤光迷さん(酔・番)の「越えて来し槍よ穂高よ夏の暮れ」の2句だった。さらに「入選」が11句もひしめき合う賑やかさ。
 こうした中で双牛二頭の句は、
夏いまやフラワーガーデンレストラン     而云
あめんぼう三歩進んで二歩戻る
小児患者増えて整形外科の夏         水牛
真夏日や口半ばあけ大鴉
 という、褒むべきところの見当たらないもので、その他大勢の中に埋もれてしまった。この二人は年の功と作句経験の長さ故で月例などではそこそこの点数を獲得するのだが、不思議なことに、双牛舎俳句大会ばかりは好成績を収めたことがあまり無い。まあ、代表者がいつも高得点を取ったのではシラケてしまう。二点か三点もらってニコニコしているのが一番いいんだと負け惜しみを言って、もう一杯。
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2019年07月01日

俳句日記 (503)


難解季語 (27)

はんげしょう(半夏生)

 「半夏生」は七十二候の一つで、夏至から十一日目、今のカレンダーで言うと七月二日頃になる。半夏(カラスビシャク)というサトイモ科の薬草(毒草でもある)が生える頃なので、こうした名前がつけられた。
 二十四節気、七十二候に加え、日本人の生活体験に照らし合わせ自然発生的に生まれた暦の補註のような「雑節」というものがある。「半夏生」はこの雑節にもなっている。雑節は節分、彼岸(春秋の二回)、社日(春秋二回)、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日の九つとするのが一般的だが、これに初午、中元、盂蘭盆(うらぼん)、大祓(おおはらえ・六月、十二月末日)を入れることもある。
 大昔、人間は月の満ち欠けによって日時の推移を知った。月の出ない真っ暗闇の夜から細い弓のような月が生まれ、だんだん太って真ん丸になる。寝て起きてを十五回繰り返すと真っ暗闇が煌々たる満月になり、また十五回繰り返すと真っ暗闇になる。この三十回を一括りとして、それを三回繰り返すと寒かったのがぽかぽか温かくなり、さらに三回繰り返すと暑くてやりきれない気候になる。そして涼しくなり、寒くなる。こうして三十日あるいは二十九日を一ヵ月とし、十二回繰り返すと元の季節になる。それを「一年」として「暦」を作り出した。
 しかし、月と太陽の運行にはずれがある。太陽の一年は約三百六十五日だが、月の一年は約三百五十五日で、十日から十一日短い。月の満ち欠けに頼る暦(太陰暦)は単純で、誰にも分かり易いのだが、ほぼ三年で太陽暦と一ヵ月の狂いが出る。月日と季節の移り変わりが年々ずれてしまうのだ。そこで三年に一度くらいの割で閏月という一ヵ月を足して、十三ヵ月ある年を拵えて調節した。
 さらに、季節の推移をはっきり示すために、一太陽年約三百六十五日を十五日ずつに区切って、それぞれの季節の特徴を示す言葉を充てた。これが「二十四節気」である。これを暦に当てはめると、月の満ち欠けを基準とした旧暦で太陽の運行とずれが生じても、季節の推移が分かる。これをさらに細かくして、農作業や日常の暮らしに役立つようにと拵えたのが「七十二候」である。これが太陰太陽暦(旧暦)というものである。
 太陰太陽暦は黄河中流域の古代中国殷の時代(紀元前千五百年頃から同千年頃)にほぼ出来上がっていた。それが飛鳥時代(六世紀末から七世紀前半)に日本に漏刻(水時計)の技術などと共に伝えられた。
 「半夏生」は仲夏の第三候で、一年で最も重要な田植えという大仕事を終え、ほっと一息という時期に当たる。そこで、半夏生から五日間は休みを取るという習慣が日本各地に生まれた。「半夏生の雨には毒があるから表に出るな」とか、「井戸に蓋して、野菜は取るな」などという誡めが言われた。いずれも仕事をせず骨休みすることに負い目を感じないで済むようにとの考えから生まれた言い伝えであろう。近畿地方ではこの日に蛸を食べる習慣があり、讃岐ではうどん、若狭では焼き鯖を振る舞う。これなども稲が無事に育ちますように、天候異変がありませんようにと祈りつつ、農民がたまの休日を祝う際の景物である。
 逆に悪天候続きや人手不足などによって、この日までに田植えが済んでいないと、「半夏半作」と言われて大変なことになった。また、この日に降る雨を特に「半夏雨」と言い、大雨になるとの言い伝えがある。そこで人々は折角植えた稲が流されてしまわないよう、派手な振る舞いを慎む物忌みをした。
 話は飛ぶが、ハンゲショウという名の別の植物がある。これはドクダミの仲間の草で、この時期に青葉の付け根から半分が真っ白になる。葉の半分を化粧したようだというので「半化粧」という名前が付いた。とても印象的なので人気があり、茶花の材料になったりしている。しかし「ハンゲショウ」と音が同じだから、非常に紛らわしい。「半夏生白あざやかに出そめたる 福井圭児」と、本当の半夏生とごっちゃになった句もある。
 半夏生という季語が持っている「農家のひと休み」「物忌み」といった側面が今日ではすっかり忘れられ、現代俳句では、本来の意味合いから離れた使われ方をしている。特にこの季語の風変わりで特殊な響きが効果を発揮することがある。半夏生を一見関係無い言葉と取り合わせて意想外な世界が開かれることもある。というわけで、このような古臭い季語が令和の今日まで命脈を保っているのだが、難解季語であることに変わりはない。
 日々待たれゐて癒えざりき半夏生   村越 化石
 いつまでも明るき野山半夏生     草間 時彦
 いろいろの猫が顔出す半夏生     小倉千賀子
 失禁のははに泣かるる半夏生     後藤 先子

 菩提寺の半夏生ずと知らせあり    酒呑洞水牛
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2019年06月28日

俳句日記 (502)


難解季語 (26)

かくらん(霍乱)

 病気など寄りつかないような感じの元気旺盛な人が、めずらしく風邪を引いたりすると「鬼の霍乱だね」と言ってからかう。しかし、「霍乱(かくらん)」とは何か、即座に答えられる人はそうそう居ない。広辞苑を引くと、「暑気あたりの病。普通、日射病を指すが、古くは吐瀉病も含めて用いた」とある。
 『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』など壮大な小説で有名な曲亭(滝沢)馬琴(1767-1848)は俳諧にも造詣深く、享和三年(1803)に二千六百余の季語を集めた『俳諧歳時記』を編纂出版している。それをほぼ半世紀後の嘉永四年(1851)に藍亭青藍が語数や注を増やした増補版を編み、明治大正時代の俳句界で珍重され、その後の歳時記の手本になった。これは2000年8月に岩波文庫から『増補俳諧歳時記栞草』上下二冊となって出版されているから、俳句好きは是非手元に置かれるとよい。
 これに出ている「霍乱」の解説は漢方医の聖典とされている後漢(25-220)の医書『傷寒論』を引き、「それ霍乱の病は夏月暑時、飲食過度の致す所、胃中擾乱、上吐下瀉する者是也」としている。
 すなわち、飲みすぎ食べすぎがもとになって胃がおかしくなり、暑さ中りが加わって激しい嘔吐と下痢を起こす病気ということである。当時はこうした症状を示す急性胃炎、食中毒、腸炎をはじめ、腸チフス、コレラなどの伝染病、そして熱射病による身体機能の喪失なども引っくるめて「霍乱」と称した。
 ひどい熱射病になると人事不省に陥り、うわごと言ったりする。腸チフスやコレラも脳に変調を来し、あらぬことを口走り、時には暴れたりする。そして、いずれも症状が重いと死んでしまう。つまりこの二つは、病気の症状としては外見上よく似ているのだが、実際は原因が異なる。病原菌によるもの、炎熱による身体機能失陥など、原因を突き止めてこそ、その対処療法があるのだが、医学の発達していない当時としてはどれもこれも同じ病に見え、引っくるめて「霍乱」としてしまった。
 そもそも「霍乱」という文字からして、病名としては甚だ大雑把である。「霍」という字は雨冠に隹(ふるとり=尾の短い小さな鳥)で、「にわか雨に素早く飛び立つ鳥」の意から、「素早い、にわか」を言う言葉になった。「乱」は言うまでも無く「みだれる、惑う」意味。つまり「霍乱」とは「あっという間にわけの分からない混乱した状態になってしまう」という、病人の状態を表現したまでで、一体どんな病気なのかをうかがわせるような名称ではない。要するにあれよと云う間におかしくなってしまう病と言っているに過ぎない。
 当然、特効薬のあるはずも無く、熱冷まし、下痢止め、吐き気止めなどが処方され、鍼灸に頼り、安静に寝かせて置くより仕方がなかった。そこから先は神仏が頼りで、時には胡散臭い祈祷師やお札売り、呪い師などが入り込んだ。
 幕末・明治になり、西洋医学が入って来て、チフス、コレラ、急性胃腸炎、熱射病などと、「霍乱」がきめ細かく分類されるようになり、ようやくそれぞれに合った治療が施されるようになった。とは言っても、霍乱症状の全てが解明されたわけではなく、治療法もそれほど進んでいなかったから、明治は言わずもがな、昭和もかなり後半までは、猛暑の中で原因がはっきりしないまま死んで行く人がかなりあった。それらは昔ながらに「暑さ中り」が嵩じて・・ということで片付けられた。
 医学薬学が目覚ましく進歩発展した今現在ですら、「暑さ中り」の中身が完全に突き止められているわけではない。同じ物を食べ、同じ環境に暮らしているのに、下痢をする人しない人、夏風邪を引く人引かぬ人いろいろである。持って生まれた体力、遺伝的体質、その時の体調等々、人間は親兄弟でさえ同じではないから、そういうことになるのだろう。「運不運」「ついてる・ついてない」「日頃の行い」「バチが当たった」といった言い回しが今でも生きて居るのも、そうしたことの現れだろう。その意味では「霍乱」という病気は依然としてあるのだとも言える。
  霍乱にかゝらんかと思ひつつ歩く   高浜 虚子
  霍乱のさめし眼にある紅き花     篠原 温亭
  かくらんに町医ひた待つ草家かな   杉田 久女

  霍乱かと駅のベンチに倒れ伏す    酒呑洞水牛
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2019年06月24日

俳句日記 (501)


難解季語 (25)

とらがあめ(虎が雨)

 旧暦五月二十八日に降る雨のことを「虎が雨」というのだが、今では余程の歴史好きか歌舞伎フアンでもない限り通じなくなっている。
 建久四年(1193年)五月二十八日、源頼朝が催した富士の巻狩の最終日の夜、豪雨の中で曾我十郎祐成と弟の五郎時致が父親の仇工藤祐経を討った「曾我兄弟の仇討」事件。赤穂浪士の吉良邸討入り、荒木又右衛門の三十六人切りで有名な伊賀越の仇討とともに「日本三大仇討」の一つとして、江戸時代から明治、大正、昭和の敗戦まで「武士道の鑑」と持て囃されてきた。
 見事親の敵を討った十郎・五郎兄弟はあえなく殺されてしまうのだが、後世の人たちはこの日に降る雨を十郎の愛妾だった大磯の遊女虎御前が流す涙であると言い囃し、それが各種の物語を生み、歌舞伎狂言にもなって広まった。曾我の仇討や虎御前の話は、鎌倉時代後期に書かれた鎌倉幕府の事跡を記した史書『吾妻鏡』にも載っているから、満更ウソでは無いようである。
 相模の地侍工藤祐経は叔父の伊東祐親と所領争いのもつれから怨みを抱き、郎党に命じて狩りに出た祐親と息子の祐泰に矢を放つ。矢は息子祐泰に当たり絶命。その後、祐泰の妻滿江御前は遺された一萬丸(後の十郎)と箱王丸(五郎)を連れて曾我祐信と再婚、兄弟は曾我姓を名乗るようになった。
 時を経て、仇の工藤祐経は源氏方に付き、頼朝の御家人として頭角を現す。一方、十郎五郎の祖父伊東祐親は平家方に付いたため、源平の戦い後に捕らえられて自害してしまう。しかし、十郎、五郎は叔母が頼朝の妻政子の父親執権北条時政の前妻だったという縁故を頼って、時政に接近し、その庇護を受けるようになった。こうして曾我十郎・五郎兄弟は時政の縁もあって御家人として暮らしていたが、工藤祐経を終生の仇として付け狙う意志を持ち続けていると、頼朝が富士の裾野で巻狩を催すことになった。チャンス到来である。
 頼朝はその二年前、眼の上のたんこぶだった後白河法皇が没し、晴れて征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府の礎を固めたばかり。この巻狩は天下に威勢を示す一大パレードの意味もあったのだろう、富士の裾野に一族郎党、家人こぞって繰り出し、幕舎を連ねての大規模なものだった。寵臣工藤祐経も頼朝の近くに幕舎を設けていた。巻狩を打ち上げた五月二十八日の夜、折柄の梅雨の豪雨の中を十郎・五郎兄弟は祐経の幕舎に切り込んだ。酔って遊女と寝ていた祐経はあっけなく討たれてしまった。ところが、どうしたわけか、兄弟は続いて将軍頼朝の幕舎を襲った。たちまち郎党に取り囲まれ、十郎祐成は討ち死に、五郎時致は捕縛されてしまった。五郎は翌日、頼朝直々の取り調べの後に斬首された。
 『吾妻鏡』には曾我兄弟が何故そんな無謀な行動を起こしたのかについては何も書いていないが、頼朝の弟で義経と共に平家追討に大功のあった源範頼がその数ヶ月後に謀反の疑いで修善寺に監禁され不審死を遂げた事件が起こった。範頼の背後には北条時政があったとも云われ、時政は曾我兄弟の庇護者でもある。そんなことから後年、曾我兄弟の仇討事件は、仇討に名を借りた頼朝暗殺未遂事件だったのではないかというミステリー小説のような話が尾を引いた。
 それはさておき、富士の巻狩仇討事件は出来たばかりの鎌倉幕府をかなり揺るがせたことは確かなようだ。『吾妻鏡』には曾我十郎祐成の愛妾である虎という大磯の遊女を、事件三日後の六月一日に召喚し取り調べたことが記載されている。結果としては虎御前は仇討事件と何の関わりも無いことが明らかになって釈放されたとある。その後、お虎さんは六月十八日に十郎五郎が尊崇していた箱根権現に行き、十郎が遺した葦毛の馬を寄進して菩提を弔い、剃髪出家して信濃善光寺に行った。虎御前その時十九歳だったという。
 JR大磯駅から十分足らず、旧東海道へ出たところにある延台寺には「虎御石」(とらごいし)が安置されている。周囲九〇センチ、重さ一三〇キロくらいの大石で、虎御前が化したものと云われている。江戸時代から有名で、浮世絵にもずいぶん登場している。「美男だと容易く持ち上げられる」という言い伝えがあるのも面白い。
 令和元年の曾我兄弟仇討記念日は6月30日。果たして虎が雨は今年も降るだろうか。
  しんみりと虎が雨夜の咄かな    忌部 路通
  虎が雨晴れて小磯の夕日かな    内藤 鳴雪
  虎が雨化粧坂にて出逢ひける    矢田 挿雲

  二宮へかけてざんざと虎が雨    酒呑洞水牛
  遅れじと五郎踏ん込む青芒
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2019年06月20日

俳句日記 (500)


日経俳句会夏期合同句会が開かれた

 6月19日(水)、梅雨の晴れ間の夜、日経俳句会の上期合同句会(通算28回)が千代田区内神田の日経広告研究所会議室で開かれた。「合同句会」という名称は昔、銀鴎会、水木会、酔吟会という三つの姉妹句会がそれぞれ別個に活動していたのだが、半年に一度は寄り集まって句会を開こうということで始まったものである。今では日経俳句会に合併されており、あえて「合同」という意味は無くなったのだが、名前だけが残っている。
 まあそれはともかく、今回は「梅雨」と「螢」の兼題に37人から111句が寄せられた。にぎやかで真に結構なのだが、近ごろの日経俳句会はいわゆる「出来上がってしまった」感じで、型にはまった行儀のいい句が目立つようになってきた。今回も高点句には以下のようなものが並んだ。
  紫陽花をコップに生けて守衛室   植村 博明
  一歩ずつ杖と帽子の妻の夏     大沢 反平
  いろはにほ闇に描いて蛍舞う    徳永 木葉
 いずれも悪い句ではないが、何となくどこかで見たような、言ってみれば「あまい句」である。
 しかしまあ考えてみれば、この句会に集まって来る人たちは「俳句づくり」を楽しんでいるだけで、何も職業俳人の向こうを張るような「畢生の名吟」を捻り出そうと日夜頑張っているわけではない。たまたま頭に浮かんだ五七五が何となく良さそうに思えるので投句したら、同好の士の高評価を得て有頂天になるといった塩梅である。それもまた良き哉であるなと思う。
 俳句作りでは後輩にあたる人たちに、これまで事あるごとに「佳句の条件」「悪句を避けるには」といったことを説いて来たのだが、近ごろは、それは意味が無い事なのではないかと思うことがしばしばである。みんな、そんなにいい俳句を作ろうなどと思ってはいないのだ。楽しみに詠んで、たまに褒められるようなものが出れば万々歳というわけで、句作についてあれこれうるさく言われたくないというのが大方なのではないか。というわけで、近ごろは句会でも、出来るだけ発言を控えるようにしている。昨夜も入選句についての論評をほとんどしなかった。
 昨夜の句会で水牛が採った句は、上記の高点句ではなく、
  ブレーキの音も重たし梅雨のバス   岩田 三代
  螢来る大虫さんの破顔かな      堤 てる夫
  白きまま散る鴎外の沙羅の花     星川 水兎
  真っ直ぐな未来を信じ立葵      玉田春陽子
  澄み切って郭公の声朝まだき     堤 てる夫
の5句で、3点が2句、2点1句、1点2句であった。1点というのはつまり水牛しか採らなかったということである。「大虫さんの破顔」は故高瀬大虫を知らぬ人には何の感慨も催さぬ句だから是は別として、後は伝統形式にきちんと治まった何の変哲も無い句ではあるが、見たまま感じたままを素直に詠んだ句であり、それぞれ借り物ではない、確かな独自性を保っている。
 かく申す水牛の句は、
  大太鼓合羽かけられ走り梅雨
  湯冷めすと叱られながら螢狩
  放たれし螢とまどふビオトープ
の3句で、たまさか二週前の地元の祭礼の場面を詠んだ大太鼓が6点も獲得した。今流行のビオトープへの螢放ちの句は反響があるかなと思っていたのだが、音沙汰無しであった。
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2019年06月19日

俳句日記 (499)



難解季語 (24)

てんかふん(天瓜粉)

 乳幼児の湯上がりの肌にぱたぱたはたいたり、汗疹(あせも)に振りかけたりする白い粉である。カラスウリ(天瓜)の根っこから取った澱粉で作ったので、この名前がついた。また雪(天花)のように真っ白でサラサラしているから天花粉とも書かれた。江戸時代から昭和時代まで乳幼児を抱える家庭の夏の常備薬だった。
 ただし、昭和時代に入ってからは和光堂のシッカロールに代表されるベビーパウダー、タルカムパウダーが天瓜粉に取って代わった。これは今日も根強い人気を持ち続け、使用されている。しかしベビーパウダーの原料は最早カラスウリの塊根から取ったものではなく、滑石(タルク)やコーンスターチなどの澱粉にいろいろな薬品を混ぜたものである。
 この点から言えば、原料は変わったものの天瓜粉は依然として生き続けており、「天瓜粉」という言葉だけが死語と化したと言った方が良さそうだ。
 とにかく、天瓜粉は昔は乳幼児ばかりでなく大人の汗疹、湿疹、蚊等に刺されたあとの掻き壊し、果ては水虫でただれた部位にはたく粉としても重宝がられ、どこの家にも置いてあった。恐らく今でもベビーパウダーを使っている大人もいるに違いないのだが、天瓜粉という言葉は通じにくくなっており、歳時記の夏の季語として生き続けているだけである。

  睡たさにうなじおとなし天瓜粉     水原秋櫻子
  天瓜粉父似祖母似とたたきやる     松島 水城
  ちんぽこの不意の噴水天瓜粉      江尻 三社

  天瓜粉はたかるる子ら重ね餅      酒呑洞水牛
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