2020年01月26日

俳句日記 (577)


初場所はシラケ場所

 令和二年の大相撲初場所は幕尻の徳勝龍が優勝という思わざる結果になった。万年十両といった印象の33歳の力士が懸命に頑張って優勝したのは大いに褒められるべきで、それはそれなりになかなか面白かったのだが、こういう珍事が起こったのは上位力士があまりにもだらしなかったからに他ならない。
 何しろ優勝の目が無くなると延命のためにさっさと休場してしまう白鵬、鶴竜という両横綱はじめ、カド番を9回も重ねた大関豪栄道と大関からずり落ちて10番勝って復帰すべく力闘せねばならない高安が5勝とか6勝とかいう体たらく。今年中に横綱になるなどとチヤホヤされている大関貴景勝は、なんと千秋楽結びの一番で幕尻力士に捻られてしまうというお粗末さである。上が誰もいなくなった今場所は、何としてでも大関貴景勝には優勝する「責任」があった。それでこそ土俵が締まり、自身の横綱昇進の道を開くものだったのだが、その期待に応えられなかった。これはもう「だらしがない」としか言いようが無い。
 白鵬、鶴竜の両横綱は今年中に引退するのではないか。両人とも土俵人生に美意識の欠けたところがうかがわれるから、もしかしたら、「出たり休んだり」を繰り返して、横綱の地位から得られる甘い汁を吸い続けようとするかも知れない。しかし、いくら寛容な世間もいつまでもそういう“恥ずかしい横綱”を許すことは無かろう。
 こうして横綱のどちらかが引退して、大関が貴景勝一人ということになると、相撲協会は困るだろう。近ごろ取組に熱気が失せて来たとは言え、相撲人気は衰えず、連日「満員御礼」の垂れ幕を掛け続けている。これを何とか維持しようとすれば、横綱、大関の看板を揃えたい。というわけで、今場所ようやく10勝を挙げた関脇朝ノ山が三月の大阪場所で11勝以上すると、大関にしてしまうだろう。朝ノ山は将来横綱になる大器だと思うが、まだまだなまくら相撲である。せっかちに大関に引き揚げてしまうと、ボロボロ負けて、自滅させてしまいかねない。また、相撲協会としては大関貴景勝が今年中に横綱になって欲しいと願っているのだろうが、貴景勝は今日の徳勝龍との一番を見ても、まだまだ横綱になる器ではない。
 というわけで、これから数場所は水っぽい取組の多い、ふやけたものになりそうだ。今場所優勝した徳勝龍は大阪場所では小結になるかも知れない。しかし、恐らく散々な星取表になるのではないか。何しろ十四日目まで「突き落とし」で5連勝という離れ業があっての優勝である。「突き落とし」とは、相手に押し込まれたり、土俵際まで攻め込まれたりして、窮余の一策で相手の脇を突いてはぐらかし倒す手である。そうそう決まるものではないのだが、それを終盤になって五日連続で決めたというのはまさに相撲の神様が上位陣の不甲斐なさに怒って、この幕尻力士を嘉し給うたとしか思えない。「運を味方につける」のが勝負師の根性だから、これは立派としか言いようが無い。しかし、来場所、この「運」が附いて回るとはとても思えない。次は実力で当たるしかない。となると、周りから標的にされる徳勝龍は大変な苦労をする。勝ち越せたら立派である。
 幕内の相撲に見るべきモノが無かったのに引き替え、十場所ぶりに関取に戻って来た十両照ノ富士は期待通りの活躍を見せてくれた。水牛が予想した通り、十両優勝を果たした。優勝を決めてからの十四日目と千秋楽を二番続けて落としたのはいただけないが、恐らくこれは疲れが極限に達していたのが優勝確定でホッとしたことと、待ちかねていたタニマチとの祝宴をはしごしての疲れによるものではなかろうか。ここしばらくは幕下以下で一日置きの一場所七番勝負だったのが、十両に上がって久しぶりに十五日間出ずっぱりの相撲になったのだから疲れもするだろう。
 しかし、今回13勝2敗で終えたのは照ノ富士にとって良かった。これで来場所、いきなり幕内に上がることが消え、十両の上位でもう一場所ということになった。糖尿病や肝臓病はほぼ癒えたといい、両膝の怪我の後遺症もほぼ無くなったというが、まだ万全ではない。大阪場所は十両上位でゆっくりとした相撲を取りながら10勝くらいして、五月夏場所で晴れて幕内復帰というペースで行くのが、それこそ劇的な「大関復活への長い長い道のり」を確かなものとするのに理想的である。
 幕尻の優勝さらひ寒ぬるし    酒呑洞
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2020年01月22日

俳句日記 (576)


難解季語 (58)

霜焼(しもやけ)

 近ごろ、シモヤケの子をさっぱり見なくなった。強い寒気に当たって、手や足の指、耳朶や頰が赤く腫れ上がり、痛痒くなる症状である。これがもっとひどくなると「凍傷」ということになって、これは放っておくと指が壊死したりするから、医師に掛かって治療することになる。
 しかし、シモヤケは丹念に擦ったり、風呂でゆっくり揉んだりして、蛤の貝殻に入った「シモヤケ軟膏」などを摺り込むと治る。というわけで、あまり問題視されず、「真冬につき物の現象」と片付けられていた。大人も掛かったがそれほど重傷になることは無くて、冬でも手袋や足袋、靴下などはかずに外を走り回る子供がよく掛かった。シモヤケになると、膨らんだ手足の指が夜、蒲団に入って温まるにつれ猛烈に痒くなる。掻きむしるとそこからバイ菌が入って化膿したり、皮膚病になってしまう。そうなると厄介で、冬中悩むことになる。
 霜焼は寒くなって手足の指先、耳朶、頰の出っ張りなど、低温に曝されやすい末梢血管に血液が十分に循環されなくなると起こる症状である。栄養状態が悪い場合に特にひどくなるとも言われる。
 この霜焼と似たのが胼・皹(ひび)で、これは大人でもよくかかる人がいる。どちらかというとやせっぽちで、皮膚のかさついた感じの人が掛かりやすいようだ。手や足が寒気にさらされて、乾燥すると、皮膚が切れて赤く血が滲む。ひりひりしてとても痛い。これが重傷になったのがアカギレ(漢字ではヒビと同じ「皹」と書く)で、皮膚がぱっくりと裂けて非常に痛い。何かの拍子で紙切れの端や袖口や布巾のほつれ糸、あるいは縫物の糸がアカギレに触ると、跳び上がるほどの痛さだ。
 どういうわけか。霜焼になる人は皹が出来ず、皹やアカギレの人は霜焼に掛からないようである。とにかく、どちらにせよ嫌なモノで、冬場、洗濯や炊事でしょっちゅう冷水に手を浸さざるを得なかった昔の主婦にとって、霜焼と皹が冬場の悩みの種であった。
 ところが、暖房設備が行き渡り、栄養万全の昨今、「霜焼」にかかる人がほとんど居なくなった。子供は裸同然で寒風の中を遊び廻ったりすることが無くなり、主婦は捻れば温湯が出るような環境に恵まれて、冷たい水仕事を長時間強いられることが無くなったことが大きい。それよりも霜焼と皹・アカギレが無くなった最大の原因は「暖冬」かも知れない。良い事があまり無い地球温暖化だが、シモヤケ・アカギレ防止だけには役立っている。

  汽車へ乗る頰しもやけの佐久乙女    岡田 日郎
  福耳と言はれ霜焼にも好かる      相澤 礼子
  皸といふいたさうな言葉かな      富安 風生
  皹薬つけてより紅絹縫ひ始む      敦賀 皓子
  新聞少年霜焼の頰光らせて       酒 呑 洞
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2020年01月19日

俳句日記 (575)


「番町連句」令和2年の詠み初め

 番町連句はもうずいぶん長い事続いている。かれこれ15,6年になる。しかし、途中で寄る年浪で引退したり、亡くなる人も出て、しばらく休会した。ところが、連句というものは取っつきにくいが、慣れるというか、その付け合いの面白さを知ってツボを心得ると実に面白いもので、くせになる。誰からともなく「再開しましょう」と声が上がって、四年前の平成28年(2016)2月20日(土)、千代田区二番町の双牛舎事務所に今泉而云、大澤水牛、須藤光迷、田中白山、玉田春陽子、野田冷峰、廣田可升の7人が集まって「番町連句会再開第一回」を開いた。
 爾来、毎月第三土曜日の昼下がりに双牛舎に集まって、おいしいお酒を酌み交わしながらの楽しい句会が続いている。昨1月18日(土)は回を重ねて第45回となった。暖冬異変の令和元年から今年2年の冬は、東京では氷が張らないどころか、寒の最中と言うのに日中は12,3度の春の気温。それがこの日は夜来の雨が昼頃にはみぞれになり、初めて冬らしい冬になった。これで、本来はこの日の句会の捌き手(司会・先導役)となるべき而云さんが熱を出して急遽欠席、常連の谷川水馬さんも欠席で、一座は5人のこぢんまりしたものとなった。
 発句には、つい先日、1月4日に行った東海七福神吟行で評判を取った光迷の「富士塚や四日の海も橋も暮れ」という品川神社の富士塚の天辺で詠んだ句を据えて午後1時に開始した。気心の知れた5人で、お互いの詠みっぷりも分かっているせいか、付け合いはすいすいと進み、午後5時7分に歌仙36句を巻き終えてしまった。四時間弱で歌仙を巻き終えるのは、かなりのスピードである。その中身は、時には脱線したものもあるけれど、概ね式目(俳諧連句の定め)を踏み違えずに、しかも千変万化の彩り豊かな一巻となった。

番町連句歌仙「富士塚や」の巻
富士塚や四日の海も橋も暮れ   須藤光迷
 年始の酔の残る下町      大澤水牛
越後屋に初荷幟のひしめきて   廣田可升
 木の芽でたかと亭主そはそは  玉田春陽子
娘待つ大川端に春の月      田中白山
 初蝶ひらり猪牙舟の先       光迷
(ウ)
寅さんが帰って来たとはしゃぐ婆   水牛
 電子タバコの喉にからんで     可升
鳩居堂出て京都の薄暑かな      春陽子
 片肌脱いでたこ焼姐ちゃん     白山
肩並べ波を見ている紅葉宿      光迷
 猪出るとたぶらかしたり      水牛
寝乱れて生きるの死ぬの鹿や啼く   可升
 今宵新月鍵をたしかめ       春陽子
正式に認められたるチバニアン    白山
 南へ北へ走る枯葉よ        光迷
赤貝も蛤もあり花筵         水牛
 瀬戸の船旅東風に吹かれて     可升
(ナオ)
淡黄のオリーヴの花指呼の間     春陽子
 母なつかしき天瓜粉の香      白山
敗戦日どこまで歴史さかのぼる    光迷
 古墳の丘にぶらりひょうたん    水牛
焼入れし包丁鍛冶や虫の声      可升
 客間の母娘あやとり遊び      春陽子
一族郎党気勢を挙げて狸汁      白山
 入試の門になだれ込んだり     光迷
名残り雪すべってころび泣き笑ひ   水牛
 春月さびしトレモロかなし     可升
山笑ふあずさ二号に乗り遅れ     春陽子
 好いて好かれて涎たらたら     白山
(ナウ)
真っ青な舌を見せ合うソーダ水    光迷
 ブイを目がけてざぶん飛び込む   水牛
売れすぎて足りぬ原酒や泡立草    可升
 もってのほかと旅の呑助      春陽子
おひねりの乱れ飛ぶなり花相撲    白山
 星降る中をしずしずと行く     光迷   (満尾)
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2020年01月16日

俳句日記 (574)


日経俳句会初春句会
「淑気」と「冴ゆ」を詠む

 1月15日(水)午後6時半から内神田・鎌倉橋交差点そばの日経広告研究所会議室で、令和2年の第一回日経俳句会例会(通算185回)が開かれた。寒の真っ最中というのに生暖かく、今日も東京横浜は日中12度。南向きの丘の中腹で背中に石崖を背負っている横浜の我が家の庭の寒暖計は午後2時半に15度もあった。しかし、深夜から明け方にはぐんと下がって3、4度になる。こうした気温の急変化によって体調を崩す人も多く、投句した人は37人もいたのに、出席は15人に止まった。
 句会の兼題は2ヵ月前に発表している。この日は新春の句会だからと、「淑気」と「冴ゆ」としておいた。「冴ゆ」は寒の最中だから丁度良いだろうと思っていた。ところが連日の春の陽気である。皆さん冴ゆる感じをあれこれ思い浮かべながら、苦心の句づくりとなったようだ。
 句会はいつも通り投句3句、選句6句で進められ、その結果は次のようになった。
『天』 冴ゆる夜や難病の友よく語り     博 明
『地』 踏跡のなき雪道の淑気かな      悌志郎
『人』 冴ゆる夜はみしりみしりと家も泣く  双 歩
    スイーツも酒も持ち寄り女正月    木 葉
 水牛が良いと思って選んだのは以下の通り。
    淑気満つ嶺の尖りや独鈷山      百 子
 「独鈷山」を知らない人にはちょっと分かり難いという難点のある句だが、あの独特の形をした峰が続く山容と、それに初日が当たって青紫に輝く景色はいかにも「淑気」であろう。
    富士塚の頂きに満つ淑気かな     双 歩
 これは1月4日に行った東海七福神で品川神社の富士塚に上った時の詠だろう。すぐ真下は車の騒音の第一京浜で、いささか埃っぽい感じだが、それでも新年早々だから、何となく清清しい。
    踏跡のなき雪道の淑気かな      悌志郎
 北国の朝の景色だろうか。耳朶凍るような寒気と淑気である。
    夕映えの荒川越しに冴ゆる富士    ゆ り
 これは見たままの感動。さぞかし美しいだろう。
    デパートにトイレを探す寒の入    双 歩
 身につまされる。
    鳥来るを待つ千両のつぶらかな    弥 生
 「小鳥来る」という秋の季語があって、それに邪魔されてしまうので損をしているが、正月が近づいて来た頃、真っ赤に色づいて静かに庭の隅で小鳥を呼び寄せる千両の美しさを「つぶらかな」と詠んだのがいい。
 さて、水牛の句は、
    ちんまりと猫も正座の淑気かな   (5点)
    冴ゆるかな品川宿の六地蔵
    暖冬の池にぬくぬく太り鯉     (1点)
 という、まずはお情けの「入選」ということになった。
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2020年01月13日

俳句日記 (573)


大相撲初場所が始まった

 今日1月13日成人の日は大相撲初場所の二日目。関脇に上がった朝の山以外には若手に面白くて有望な力士が居らず、沈滞気味の相撲には盛り上がりが欠けるのだが、前頭筆頭の遠藤が横綱白鵬を切り返しで裏返しにしたのを見せてくれて、実にすかっとした。
 白鵬は優勝回数43回、1140勝という前人未踏の大記録を立て、それを更新中の大横綱である。こうした度肝を抜く大記録はもう誰も破ることが出来ないのではないかと思う。しかし、それほどの大横綱が、その取口を見るとがっかりしてしまう。加齢と共に力士人生の延命策を講じるようになって、張り手とカチ上げを多用するようになった。両方とも相撲の手として認められているのだから、やって悪いことは無いのだが、一番強い力士がやるのは何としても格好が良くない。しかも、白鵬のカチ上げは特殊で、帯芯のような固いサポーターをはめた腕を曲げて、それを相手の喉頸や頤にぶち当てるのだ。帯芯で固くなった肘は凶器に等しい。これでがつんとやられた相手は脳震盪を起こしてしまう。
 先場所(2019年九州場所)の遠藤がそうだった。白鵬のカチ上げを喰らって鼻血を噴き出し、脳震盪でふらふらになって負けてしまった。これが脳裡にあったはずだから、普通なら今場所の取組では意識して、おっかなびっくりの立合になるのも当然というところであった。しかし、遠藤は偉かった。ひるむことなく突っ込んだ。張って出た白鵬の体を上手に躱して回り込み、下手を取って押し込む。慌てた白鵬が上手投げを打った。かなり強力な投げで、普通の力士ならこれで倒されていたいただろうが、足腰の柔軟な遠藤は投げを残して逆に切り返しの逆襲。これで白鵬ぐらっと来たが、さすがの大横綱で立て直す。しかし、遠藤はさらに深く下手を掴み、潜り込んだ。慌てた白鵬はさらに強烈な上手投げ。しかし、遠藤はまたも堪えて、切り返し。これで無理を重ねていた白鵬はずでんどうと裏返しにされてしまった。
 久しぶりに座布団が舞い、観客総立ちで「エンドー、エンドー」の連呼。これは、先場所の白鵬の大横綱らしからぬ乱暴なカチ上げの場面を覚えていた観客の喜びの声だったのだ。
 ただ、遠藤という力士は技は抜群なのだが、体力にもう一つ問題がある。途中でくたびれてしまうようなのだ。それで星が上がらず、三役に上がったと思うと直ぐに落ちてしまう。色白の美男子でモテるところも厄介なのだろう。お座敷を務めるので疲れてしまうことがあるのではないか。こんなところが、大関になれる逸材なのに、前頭上位と小結を行ったり来たりしている原因なのではなかろうか。
 もう一つ今場所の楽しみは、10場所ぶりに十両に戻って来て二連勝した荒法師の元大関照ノ富士である。両膝の怪我と糖尿病で休場を続け、序二段にまで下がったにもめげずに新規巻直しを誓った力士である。「次は横綱」と言われていた時から応援してきたし、序二段に下がってからもネットで取組録画などを探しては注目してきた。あの日の出の勢いの大関時代の我武者羅相撲と違って、ずいぶん考えて取るようになっている。恐らく今場所は十両優勝にからむ活躍をして、次の大阪場所にも好成績を収め、夏場所の隅田の川風に晴れて幕内復帰の浴衣姿を見せてくれるのではないかと期待している。
  川風に一月場所の太鼓かな      島田 五空
  初場所やモンゴル力士の不敵な顔   須藤はま子
  都鳥あそぶ川面に触れ太鼓      酒 呑 洞
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2020年01月11日

俳句日記 (572)


酔吟会第144回例会が開かれた

 1月11日(土)午後1時から、千代田区内神田の鎌倉橋で酔吟会の今年最初の句会が開かれた。
 「酔って吟ずる」という、真面目な俳人が怒り出すに違いないふざけた名前の句会で、確かに1996年(平成8年)春に発足した時にはそんな感じの句会だった。「スイギュウ、細かいことはお前に任せた」と、乱暴極まりない社会部記者OBの先輩連中に言われて、あれこれお世話していたのだが、しばしば呆然とする場面もあった。何しろ自分の句が一番と頑なに思っている人たちばかりの句会だから、自句に点が入らないと、みるみる不機嫌になる。誰かの高点句を「なんでこんな句がいいんだ」と口を極めて言い募る。もちろん罵られた方は黙ってはいない。「何だお前の句は手垢のついたありきたりだ」「なにおっ、もう一度言ってもろ」「おう、何度でも言ってやらあ」。
 全部任された当方は本当に困った。しかし、そう言った先輩たちは殆ど三途の川を渡ってしまった。それなのに、未だに私が司会役を務めている。もうそろそろ誰かに変わってもらわなければならないと思っているのだが、なかなか手を上げてくれない。今や酔吟会の中身は大変わりで、極めて真面目で、かつ素晴らしい句を輩出する句会になっている。
 酔吟会の人気がここへ来て急速に盛り上がっているのは、昔ながらのやり方、つまり、参会者が短冊に自句をしたためて投句し、それを出席者がC記用紙に書いたものを順送りに回して選句し、披講し、合評会で意見を述べ合うという、今どき珍しくなった伝統的な句会方式を守っていることと、土曜日の午後にゆっくり繰り広げる句会という点にあるようだ。こういう句会は大切にして行かねばならない。とにかくこの日も19人が出席し、投句参加2名の投句も含め、賑やかな句会になった。
 この日の兼題はお正月句会らしく、「初日」と「屠蘇」。投句5句、選句6句で句会を行った。その結果選ばれた高点句は以下の通り。
 ごまめ煎る気長な妻のありがたさ    工藤 静舟 (6点)
 汚れちまったこの星に射す初日     片野 涸魚 (5点)
 帰郷して綽名呼び合ふ新年会      今泉 而云 (4点)
 風を呼び風に煽られどんと焼き     玉田春陽子 (4点)
 生きてをるだけがめでたき初日かな   片野 涸魚 (4点)
 雑煮餅卒寿の父母に薄く切る      谷川 水馬 (4点)
 枯むぐら除けるや蕗の薹二つ      大澤 水牛 (4点)
 初夢は背を向け合ひて同じ夢      今泉 而云 (3点)
 仏壇の奥まで入りし初日かな      須藤 光迷 (3点)
 初日影松の葉先の細みまで       玉田春陽子 (3点)
 抜き文字の法被眩しき出初式      廣田 可升 (3点)
 武骨なる父のあいさつ屠蘇の朝     廣田 可升 (3点)
この他に水牛が可とした句は以下の4句。
 歩こうか日射しは温し寒の入り     大平 睦子
 真っ先に初日を浴びし鳥たちよ     嵐田 双歩
 ごまめ噛む五輪の費えいかばかり    須藤 光迷
 初日の出なぜか自然に手を合わせ    久保 道子
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2020年01月09日

俳句日記 (571)


難解季語 (57)

寒四郎(かんしろう)

 一月五日、年によっては六日が「寒の入り」。二十四節気では小寒。この十五日後が大寒で、さらにその十五日後が立春ということになる。つまり、春になる前の、冬がもっとも深まる三十日間が「寒中」で、一年中で気温が最も下がる時期とされる。
 その寒の入りから四日目を「寒四郎」と呼んだ。松飾りが取れて、「さあ正月気分から抜け出せよ」という掛け声のような響きがあり、いよいよ農作業が始まる。
 昔はこの日を麦の豊凶を占う日とした。この日が晴れれば、その年の麦は豊作、雨や雪だと不作とされた。霜で浮いた麦の根を踏み固め、根張りを良くする「麦踏み」が行われる頃合いだから、「さて、始めようか」という時に雨が降って腰を折られたのでは何となく縁起が悪いと感じたことから来たものであろうか。
 他方、寒の入りから九日目を「寒九」と言い、この日は逆に雨や雪が降ると、その年は麦も米も豊作疑いなしと喜んだ。なぜ寒の入りから四日目が雨だと不作で、九日目が雨だと豊作になるのか。その理由も根拠もさっぱり明らかにされていない。しかし昔の人は、「なぜ、なぜ」などと根問いすることをせず、昔からの言い伝えと聞かされれば素直に従って、吉と出れば「有難うございます」、凶と出たら「どうぞそうなりませんように」と神仏に祈ったのである。
 それにしても昨今の暖冬現象は物凄い。寒の入りというのに令和二年一月六日の横浜は13℃もあった。「寒稽古」「寒中水泳」「寒晒し」「寒天製す」などという季語があるように、肌身が切られるような寒気の中で身体を動かしたり、真冬ならではの食品加工などを盛んに行う時季が「寒」なのだが、氷も張らない日が続いたりすると何となく気が抜けてしまう。
 例えば「寒九の水」というのがある。今のカレンダーで言えば一月十五日頃の水で、それこそ手が凍るような冷たさである。この日に汲み上げ上げた井戸水は薬になるとされ、造り酒屋はこれで酒を仕込んだ。いわゆる「寒づくり」である。この水に浸せば餅も黴びないと言われた。しかし、寒中の最低気温が関東地方で氷点下にならず、日中は10℃以上というのでは、「寒づくり」も「水餅」も不可能である。どの家にも冷凍冷蔵庫があるのだから「暖冬、大いに結構」と言われてしまえばそれまでだが、何となくぴりっとしたところが無くなってしまうなあと思う。
  から鮭も空也の痩も寒の内       松尾 芭蕉
  老いの眼のものよく見えて寒四郎    小松崎爽青
  松とれてポトフことこと寒の雨     酒 呑 洞
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2020年01月06日

俳句日記 (570)


難解季語 (56)

じんじつ(人日)
 古代中国では正月一日は「鶏の日」とされていた。夜明けを知らせるときの声を上げる鶏が年明けの役者とされるのは納得する。二日は「狗(犬)の日」。これも人間の忠実な守り役だから、何となく分かる。三日は「猪(豚)の日」とされた。当時の中国人にとって最も大切な食肉獣だったからなのであろうか。そして四日は「羊の日」、五日「牛の日」、六日「馬の日」と来て、七日にようやく「人の日」が来る。
 それぞれ割り当てた日にはその動物を慈しみ、間違っても殺したり食べたりはしなかった。七日は「人の日」というわけで、この日初めて人の吉凶を占った。同時に人を慈しむ日であるから、犯罪人の刑の執行は行わず、軽罪の者を許したりもした。また、この日には七種類の野草・野菜を刻み込んだ羹(あつもの、スープ)を食べ長寿を祈る習慣があった。これが日本に伝わり、江戸時代になると幕府の公式行事になり、諸大名が江戸城に上り七草粥を祝った。これがやがて庶民にも広まった。
 七草粥はさておき、元日が鶏の日で、七日が人の日といった、奇妙な組み合わせについて記した最も古い記録は前漢時代の『占書』という占術の本で、武帝に仕えた学者東方朔(とうぼう・さく)が書いた。東方朔は字を曼倩といい、山東省平原郡の人で西暦前154年から前92年頃まで生きたと言われている。
 やはり武帝に仕えた歴史家司馬遷が紀元前91年ころに書き上げた歴史書『史記』の中の「滑稽列伝」に、東方朔が取り上げられている。それによると朔は古文書読解や四書五経を深く研究する一方、雑書にも広く目を通し、博学多才、しかも話術が巧みで、激しい気性の武帝が朔の話を聞くといつも上機嫌になったという。この話からすると、東方朔という人はどうも秀吉に仕えた曾呂利新左衛門のような御伽衆だったのではなかろうか。
 四書五経に通じ、占術にも長けていたというから頓知噺の新左衛門よりは上等のようだが、兎に角、この人物が著した書物に出て来る「正月七日は人日(じんじつ)」というのが後に「五節句」の筆頭として祝われるようになったのである。
 五節句は五節供とも書くが、一年に五度ある季節の節目の日で、正月七日(人日・じんじつ)、三月三日(上巳・じょうし)、五月五日(端午・たんご)、七月七日(七夕・しちせき)、九月九日(重陽・ちょうよう)の五度の式日の総称。いずれも古代中国宮廷の式日で、日本に伝えられ、宮中や幕府の公式行事になった。中でも人日に重きが置かれ、この日の天候で一年の豊凶を占うこともした。
 五節句を祝い、1月7日には七草粥を炊くといった伝統行事は今や本家の中国ではほとんど行われなくなってしまったという。朝鮮半島やベトナムなど、中国の膝下に置かれて儒教の教えを守ってきた所も、今やこうした伝統行事は忘れ去られたようである。日本はこうしたことを律儀に守っている、と言うより完全に日本の文化の一つとして消化し、行っている。こんなところが実に面白い。
 水牛も6日午後、庭を隅々まで探して、セリ、ナズナ、ゴギョウ(母子草)、ハコベ、ホトケノザ(タビラコ)、スズナ(蕪)、スズシロ(大根)を取りそろえ、さっと湯がいて、「七草なずな、唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先に、ナナクサナズナ」と歌いながらトントン、トントン叩いた。これを明日朝、炊いたお粥に入れて、粥柱(かゆばしら)の餅も入れて、七草粥にする。山の神が「物好きねえ」といった顔をして、「私は朝はパンと紅茶だから、明日もそうしていいかしら」なんて言う。
  占ひはさて七草を取り揃へ   酒呑洞
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2020年01月05日

俳句日記 (569)


東海七福神巡拝吟行

 日経俳句会と番町喜楽会が合同で毎年正月に行っている「七福神吟行」。2020年(令和2年)は旧東海道品川宿を中心とした東海七福神を巡った。19人も集まり、上々天気にも恵まれて和気藹々、賑やかに全行程4.5km を全員完歩した(水牛の万歩計では13666歩)。
 「東海」と言うと、いつ起こっても不思議は無いと言われている「東海大地震」が頭にこびりついているせいか静岡愛知両県が浮かぶが、元々は日本国を意味する言葉であり、京都から見た「東の海」であり、その海沿いの道・東海道の略称であった。その東海道の出入り口である品川の品川神社を振り出しに、大森・鈴ヶ森の磐井神社をゴールとする七福神巡りに「東海」を冠するのは至極もっともなのだと、歩きながら納得した。
 この七福神巡りは北品川の品川神社を出発して南へと辿るのが普通のようで、案内パンフレットなどは皆そのように書いている。しかし、昨年末、七福神吟行幹事の迷哲、双歩、二堂三氏と下見した結果、鈴ヶ森の磐井神社から北上する逆回りがいいという結論になった。
 これは、何も人とは逆のことがやりたいというへそ曲がりから出たわけではない。ちゃんとした理由があるのであった。普通順路で行くと、品川神社(大黒天)から二番目の養願寺(布袋尊)までは6,7分、次の一心寺(寿老人)へは3分、そこから6,7分で荏原神社(恵比須)と、すいすいと四つ回れる。しかし、荏原神社から品川寺(毘沙門天)まで20分近く、そこから天祖諏訪神社(福禄寿)まで20分強、最後の磐井神社まで約30分もかかる。つまり、草臥れてきた最後の方に長丁場がつながるのだ。「元気な内に難物の三つをこなしておいた方がいい」と、今回から七福神吟行幹事を引き受けてくれた迷哲双歩ご両人の判断であった。これが大正解で、杖をつきつきの冷峰さんも、膝痛を抱える斗詩子さんも無事に巡り終えた。
 午後1時に京急大森海岸駅に集合し、午後4時には予定通り品川神社境内で完歩記念集合写真を撮り終えた。その後は、北品川商店街の台湾ダイニング「游羅」で台湾式中華料理と紹興酒、ホッピー、ビール、日本酒の打ち上げ大宴会を繰り広げた。双歩幹事が「皆さーん、本日の吟行句を3句、7日火曜日までにメール送信して下さーい」と声を張り上げたが、さて、何人がしっかりと聞いていただろうか。六時半頃にお開きとなったが、帰りたがらない5人が品川宿のぬばたまの闇に消えた。
  子年初春東海七福巡りけり    酒呑洞  (この形で12年作れます)
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2020年01月03日

俳句日記 (568)

難解季語 (55)

御降(おさがり)

 正月三ヶ日に降る雨や雪をこう呼んだ。昔は元日に降るものだけを言ったようだが、江戸も中期になると三ヶ日に伸びた。
 元日早々、あるいは正月早々、雨なんぞ降りやがって景気が悪いとぼやいたり、毒づいたりしたくなる。それを抑えて、「いやいやこれは今年が豊作豊漁になるという天のお告げなんだよ」と思い直して、「神様が降らせて下さった瑞兆」と思い込むようにして、雨とか雪とか直接言わず、やんわり優雅に「おさがり」と言い換える「忌詞(いみことば)」である。
 新年三ヶ日は、それを当て込んだ商人芸人などは別として、全国くまなく、全社全組織こぞっての休暇で、これほどくつろげる数日はそうそう無い。初詣に始まって年始回りと称する飲み会、二日は初荷、デパートの福袋買いや親しい人たちとの新年会、三日はゴルフの初打ちとスケジュールびっしりである。
 何とか好天気でありますようにと祈っていたのに、なんとびしょ濡れ。これでは楽しさも半減である。しかし、「コンチクショー」などと毒づいてはいけない。これも「チチンプイプイ、神様の言う通り」と甘んじて受けねばならぬ。
 その点、昔の人はもう少し余裕があったようだ。今と違って衣料品が比べものにならぬほど高価だったから、濡れるのを殊の外嫌ったのだが、正月に降られても恨んだりはしない。御降があると、「富正月」と、さらに大げさに目出度さを言い募るのであった。

  御降の雪にならぬも面白き     正岡 子規
  お降りといへる言葉も美しく    高野 素十

  御降りを殊更に言い昼の酒     酒 呑 洞
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