2025年05月19日

俳句日記 (966)


瑞穂の国の成れの果て

 江藤農林水産相が佐賀市で行われた自民党の政治資金パーティ(金集め大会)で、今大問題になっている「米不足・異常高騰」の問題にからんだ発言の中で、「私は支援者がコメを下さるので食品庫には米が有り余っており、買ったことがない」と言った。演説の最中、どのような文脈で出た発言なのか分からないが、とにかく今日本国中で大問題になっている「米価高騰」の最中に、それを止めなければならない所管大臣がこのような発言をしたことに、全国民が呆れ果てている。
 こういうニュースを見聞きすると、実に悲しくなる。米価高騰云々はさておき、こういう低級な人間が日本の農政を司る最高権力者である現実に暗澹としてしまうのだ。これは農林水産行政の指揮をとる大臣が、米価高騰にあえぐ庶民をせせら笑って、「そんなに大変なことなんですか」と馬鹿にしていることに他ならない。それと同時に、もはやニッチもさっちも行かなくなった状態の日本の農業を立て直すどころか、問題意識皆無の「良きにはからえ」とうそぶいている姿勢をあからさまにしたものとも取れる。
 つまりは、日本の農政をどうすべきかについて真剣に考えたことの無い人間が農林水産大臣になっているという、背筋の寒くなる事態が今回あからさまになった、ということである。
 石破首相はもう少しマシな人間だと思っていたのだが、この低能大臣の首を切ることができない。支持率減少に危機感を抱く今、内閣改造に動くわけにはいかないのだろう。「厳重注意」で蓋をした。
 まあこの夏の参院選で自民公明政権は野垂れ死するのだろうが、さてその後を襲う政権はどうなるのか。立憲民主党はなんとも頼りない。国民民主党となっては選挙区の観光大使とかいうオネエちゃんを愛人にしていた口先男みたいな党首で、これが総理となってはもう世の末である。維新の会とか、その他もろもろの政党ではそれこそ混乱に輪をかける。
 本当に困った状況になっている。こうなったら幕末にはやった「ええじゃないか」踊りでもみんなで始めますか。
  えじゃないかええじゃないかと迎え梅雨  酒呑堂
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2025年05月17日

俳句日記 (965)


息子の入院 (その4)

 5月17日(土)午後3時半、寝太郎は退院した。朝9時過ぎから先週作ったシャントを使っての2回目の人工透析を行い、無事に行うことが出来、その後の各種検査、診察でも問題が無かったため、予定より二週間も早く退院できた。主治医のTY先生に親子揃って最敬礼してタクシーでものの10分で帰宅した。
 入院当時は顔色蒼ざめ、ぶくぶく水膨れして、フランケンシュタインの蝋人形のようだったのが、今や締まった身体つきで、顔には血の気が差している。入院当時80kgあった体重が66kgになった。身長165cmくらいだから、このくらいの体重がちょうどいいのだ。タクシーを下りた市道から我が家の門まで石段を33段上ったのだが、すいすい昇れた。入院前は、はあはあ言って、途中で一休みせねばならなかったのだと白状した。TY先生が言っていたのは大袈裟ではなく、本当に危なかったのだ。
 問題はむしろこれからだ。週に3回、人工透析を受けにクリニックに通わねばならない。透析は4時間かかる。送迎車で行き帰りできるようにしてもらえることになったので一安心だが、とにかく、透析日は半日潰れてしまう。慣れるまでは一日仕事になってしまうだろう。これが死ぬまで続くというのだから、大変だ。もともと気性が弱い方だから、この重圧に圧しひしがれてしまうのではないか。それが心配だ。
 もう一つの問題は日々の食事だ。病院の栄養士のレクチャーを受け、昨日は来週から通う透析クリニックの先生にも言われたのだが、「三度三度の食事が最も大事」なのだという。週3回の人工透析はもちろん必須だが、腎臓病の人間が食べても大丈夫でかつ栄養十分な食事を三度三度食べられるかどうかに、透析人生を送る人の快適度が左右されるのだという。
 近頃は医学研究が進んで、腎臓病患者の食事制限はだいぶゆるくなっている。「塩分摂取量一日6グラム以下、カリウムの摂取を控える、タンパク質を過剰摂取しないこと」を守れば、常人が食べている料理はほぼ食べられる。肉も魚もOK、揚げ物も大丈夫、香辛料はほぼ問題ないと言われた。
 賄い方としては一まずほっとしたが、さて、「一日の塩は6グラムまで」と言われても、それは一体どのくらいになるのか、また、醤油や味噌の塩分はどう計ればいいのか、そうした調味料を実際の献立にどのように配分し、用いれば良いのか、といったことが分からない。横浜駅西口の有隣堂に行って、親切そうな女店員に「腎臓病のための料理本なんてありますかね」と聞いたら、「たくさんありますよ。こちらです」と案内してくれた。なるほど10数冊並んでいた。
 どれにしたらいいか迷ってしまう。「どれも似たような内容ですから、お客様の読みやすいものをお選びになれば・・」と言われた。確かにそうだろう。そこで、『筑波大学附属病院が教える腎臓病レシピ290』(Gakken 1760円)というのを買って来た。
 本日の晩飯、これを紐解いての第一作。「鶏団子の中華煮込み」を作った。鶏ひき肉にみじん切りの長ネギと胡椒と片栗粉を混ぜてこね、ピンポン球より少し小さな鶏団子を作る。水に鶏ガラスープの素を入れて沸騰させた中に、鶏団子と削ぎ切りにした白菜を入れて5,6分煮て、水溶き片栗粉でとろみをつけた。塩分は鶏ガラスープの素に入っている塩だけである。ガラスープもそうだが、だしの素でもコンソメの素も概ね塩味が濃すぎるので、腎臓病食にはこの程度の塩味がいい。しかし、これだけではいくらなんでも寂しい。そこで生協で買っておいた冷凍の牡蠣フライを揚げて、千切りキャベツを添えたのを主菜とした。しかし、いつもは六個食べるのを三個に抑えた。
 ほぼ一ヶ月ぶりの我が家の晩食に寝太郎は感激して「美味しいおいしい」と言った。かげろう母さんは「なんだかこの鶏団子スープ、味がしないわねえ」と言った。
  卯の花の雨呼ぶ中を退院す   酒呑堂
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2025年05月15日

俳句日記 (964)


息子の入院 (その3)

 今日は古巣の新聞社がパレスホテルで年に一度の社友会を開く日で、旧友に会うのを楽しみにしていた。息子の入院先に行くのは2時だから、無理すれば行けないことはなかったのだが、やはり億劫になって、あきらめてしまった。「お姿が見えないので寂しかったです」と旧友の一人からメールがあった。
 しかし、病院には朗報が待っていた。今日午前中、右腕のシャントを使って人工透析をしたところ、なんの問題も無く出来たので、股の付け根に差し込んでいた緊急透析用のカテーテルを取り去ったというのだ。
 明後17日(土)朝にまたシャントで人工透析を行い、間違いなく行えることが確かめられたら夕刻「退院です」という。4月22、3日あたりに言われていた「5月末か6月初めまで入院」という見通しが大幅に早まった。大もまるで死人みたいな顔つきだったのが生色を蘇らせている。有難いありがたい。
 ただ問題は退院後の人工透析に通う手段である。週3回、腎クリニックに通い一回4時間の透析治療を受ける。それさえちゃんと受けていれば、重労働はだめだが、普通の人間とほぼ変わらずに生活して行けるという。電車にもバスにも乗れて、歩行も真人間とほぼ変わらずにできるという。ただし、「透析生活」を始めた当初一ヶ月ほどは、用心しなければいけないようだ。急に体を動かしたり、シャントの行われた右腕で重いものを持ったり、無理な歩行はしてはいけないと言われた。
 「無理な歩行」とはどの程度を言うのか判然としないが、きつい上り下りや長い階段などが問題になりそうだ。この「階段」が問題である。
 横浜は山と谷の連続で、至る所坂と階段である。我が家もその例に洩れない。我が家から病院まで行くルートの階段がどれほどあるか、数えてみた。まず我が家の門から下の市道に出るまでに33段降りる。市道を渡り、地下鉄駅に行く道に降りるのに23段、三ツ沢下町駅改札口へ降りるのに48段、地下鉄高島町駅改札から地上までの上り階段が58段ある。つまり104段降りて58段上るわけだ。帰路はこの逆で58段下りて、104段上ることになる。
 人工透析に慣れてしまえば、この階段の上り下りもなんとか克服できるだろうが、透析開始当初は気分が悪くなったりすることがあるという。これは大丈夫だろうか。心配になって病院専属のソーシャルワーカーに聞いた。
 「そうですねえ、確かに104段の上りはきついですねえ、送迎車を用意しているクリニックがありますから、当たってみましょう」と探してくれた。運良くそれが見つかった。
 今朝方早く、我が家の階段下の公園の茂みから聞き慣れない鳥の甲高い声が聞こえた。「トッキョキョカキョク・・・」なんと時鳥だ。何十年ぶりか。このガーデン山が鬱蒼たる森林だった80数年前、初夏になるとこの声を聞いた。空襲、敗戦、その後のすったもんだで楽園は荒廃し、時鳥はおろか近頃は鶯も間遠になってしまっていた。それが聞こえたのだ。空耳かと思ったら、また鳴いた。
 これはいいことがあるなと思ったら、「お父さん心配かけましたが明後日退院できそうです」と息子からメールが来た。
  ホトギス息子の退院告げに来る   酒呑堂 (25.05.15.)
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2025年05月13日

俳句日記 (963)


息子の入院 (その2)

 5月10日付けで「息子の入院」について書いたのを読んだ仲良しのKちゃんがメールをくれて、「読んだよ。だけど入院先の病院から家族の様子まで、個人情報をあけすけに書くのは危険です。これじゃ空巣など悪い奴に襲ってくれと言うようなもんです。もう少し、オブラートに包んで書いた方がいい」と言われた。それに対して「平気だよ。老水牛の家に押し入っても金目のものはなんにもないからね」と打ったら、「そこが危ないんだよ。今時の空巣や強盗は、何も無いとなると凶暴性を発揮して平気で人を殺したりするんだから」と叱られた。恐ろしい世の中になったものである。確かにそういったニュースを見聞きする。
 これはKちゃんの言う通り、「水牛のつぶやき」を書くのにも気をつけなければいけないと反省した。「誰でもいいから殺したかった」と、通りすがりの84歳のおばあさんを滅多突きにして殺した15歳少年のニュースを7時のニュースでやっていた。刺されたり、殴られたり、痛いのは御免蒙りたいから、このブログも気をつけなければならない。実にまあ嫌な世の中になったものだ。
 本題に入って、腎臓で入院の息子。経過は順調。人工透析を行うための血管を作るシャント手術というのを行った。腕の表面を走る静脈では人工透析を行うには細すぎるので、腕の中にある動脈と表面の静脈を合体して新たな「人工透析用血管」を作るというのがシャントというものらしい。医師の説明を聞いていて、現代医学というのは物凄いことやるんだなあと感心した。それを数日前にやったのが、ちゃんとうまく行ったようで、「明後日、これを使って人工透析を行います。それがうまく行けば、緊急透析用に太腿に入れたカテーテルを抜きます。予後良となれば退院です」ということになった。さあ、もう一息だ。
 看護師さんたちに頭を下げて退出する。「毎日ご苦労様ですねえ」なんて言ってくれる。58歳の入院患者を88歳の父親が毎日見に来るというのは、この病院にとって初めての珍風景なのかも知れない。傍目には滑稽と映るかも知れない。
 まあそう取られてもいい。とにかくこれは、幼児期に父親の目まぐるしい海外駐在による環境激変に襲われ心身の成長にひどい打撃を受けた人間が、この年になって又しても受けた被害である。自らは何の落度も無いのに、身体各所に不具合が生じる。それと付き合いながらこれまで生きて来た。その遠因を作った私としては、ずっと付き添ってやらねばならないのである。しかしまあ、とにもかくにも、今回も難関は切り抜けたようだ。
  予後良と言はれ若葉の輝かし   酒呑堂
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2025年05月12日

俳句日記 (962)


夏場所始まる

 夏場所が始まった。今場所は大関大の里が優勝か優勝に準ずる星で横綱になる場所とあって、NHKも各新聞社もそればかりを言う。相撲協会も無理やり作ってしまった横綱豊昇龍一人では不安だから、何がなんでも大の里を横綱にしたい。その思惑が見え見えの場所である。
 大の里は体格も角界随一だし、確かに強い。遅かれ早かれ横綱になる力士なのだから、周りがあまり囃し立てない方がいいのだが、マスコミはそうはいかない。競争で持ち上げる。もともと総身に知恵が回りかねるとて、すぐに図に乗ってしまう。そして墓穴を掘る。初日、曲者の若元春を造作なくやっつけたから、明日の新聞はやんやと持ち上げる(しかし5月12日は休刊日)だろう。それで浮かれて取りこぼし、むきになって転げてしまう恐れがある。
 大甘採点で横綱にしてもらった豊昇龍は、先場所、いいところなく黒星を重ね、「新横綱の途中休場」という不名誉な記録を残した。本人もそれを意識しているのだろう、初日はいつも以上に気合を込めて、小結若隆景を押して土俵外に吹っ飛ばした。この、必要以上の力を込めてしまうところがこの力士の欠点で、力余って自ら転げてしまうところがある。この癖を抑えて、冷静に相撲を取れば、今場所は豊昇龍が優勝ということになるのではないか。
 次いでは関脇に戻った霧島が良さそうだ。そして注目は前頭筆頭の王鵬だ。先場所は初めての関脇で空回りしてしまったが、それでも力は出していた。場所ごとに強くなっている。今日も大関琴桜を相手に、十中八九負けていた相撲を逆転勝利に結びつける勝負強さを見せた。
 昭和元禄と言われた1960年代後半から70年代にかけて、みんなが好きなものとして「巨人大鵬卵焼」という言葉が流行った。巨人は好きではなかったが、大鵬は大好きだった。これほどお相撲さんらしい力士はいないと思った。その孫が王鵬である。王鵬が横綱になるのを夢見ている。
  初夏の風相撲甚句を乗せてくる   酒呑堂 (25.05.11.)
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2025年05月10日

俳句日記 (961)


息子の入院

 四月下旬からゴールデンウイークを過ぎ、昨日5月9日までのざっと20日間はまさに驚天動地だった。4月21日月曜日、朝9時半、さてと起き上がり、毎朝習慣の足上げ体操や乾布摩擦をやっていたら、「お父さん、病院から電話」と、妻が受話器を持ってきた。耳にするや「なんで来ないんだっ」と野太い男の声。訳がわからず、「なんですか」と言う。
 受話器からは怒鳴り声で、
「今朝9時に入院と金曜日に決めたじゃないですか。一刻を争う事態になっているんだと説明したでしょ」
「何のことでしょうか、あなたはどなたですか」
「え、O.M.さんじゃないんですか」
「O.M.は息子で、私は父親のミキオです」。
 相手も驚いたようで、
「ああ、失礼しました。実は金曜日に息子さんがかかりつけ医院の紹介状を持って来られたのですが、腎臓の状態が緊急処置をしなければならない状態になっているので、今日、9時に入院と決めたのです。ところが、今朝方早く本人が電話を掛けてきて当直看護師に『どうしてもやらねばならぬ仕事があるので、入院はそれを済ませてゴールデンウイーク明けにする』なんて言ってきたそうです。そんな悠長なことは言っていられない状態なんですよ」。
 驚いた。大を叩き起こして支度させ、タクシーで高島町の横浜D病院に行った。主治医のTY先生は四十代後半か、てきぱきとした口調で説明してくれる。諸検査の結果からすると、息子の腎臓は九割五分ダメになっている。そのため、血液中の老廃物や水分が濾過できず、栄養分を体内臓器に送ることができない。そこで脳みそが血液をもっと送れとの指示を出すから血圧が異常に高まる。今や220以上になっている。このまま放置すれば間違いなく死ぬ。
「太腿の付け根にカテーテルを入れて、緊急の人工透析をします」
 ということであった。
 少し落着いてから本人に訊したり、先生に聞いたところでは、息子の腎臓はかなり前から悪くなっていて、特にこの三ヶ月は急速に機能が衰え、入院加療が必要になっていたようであった。それを私には黙っていた。家内には「赤尾先生に腎臓の具合が良くないから大きな病院に行って精密検査と診察を受けなさいと言われた」と言ったようなのだが、何しろ家内は陽炎の中を歩んでいる状態で、物事は聞いた端から忘れてしまうから、私には伝わらない。
「なんでこんな大事なことをオレに言わなかったんだ」
「お母さんに言ったから、伝わってると思った。それに、俳句会報の編集制作をゴールデンウイーク中に仕上げて、印刷会社に送ってから入院すればいいかなと思って・・」
「お前な、死んじゃったらおしまいだよ、医者があれほど強く言うのを、どうして感じ取らなかったんだ・・。まあ今更そんなこと言ってもしょうがない。しばらくすべては忘れて、医者の言う通りにするんだ。いいな」
「うん」
 子供、確かに私の子供だが、既に58歳の子供である。私の度重なる海外勤務などで幼児期から生活環境の激変などいろいろなことがあり、息子の脳味噌の成長には片ちんばなところがある。バカではない。私が放り出したかなり難解な哲学書も読む。感性は私より鋭敏だ。しかし、社会生活を営む知恵ということになると子供同然のところがある。「頼りにされている」と感じた句会報の編集制作を済まさなければという思いに一旦捉われてしまうと、たとえ医師に「生き死にに拘る」と言われようとも入院を先延ばしにして平然としている、というのもその現れだ。
 まあ、兎にも角にも半ボケ母さんが間違えて私に渡した病院からの電話によって救われた。入院後すぐに股の付け根にカテーテルが突っ込まれ緊急人工透析が行われて危機を脱した。その後、血圧の乱高下や体調不安定の波はあったが、徐々に解消、本格的な人工透析を受けるに必要な血管を作るシャント手術も滞りなく行われた。今日十日は、「19日あたりにシャント手術跡が落ち着くのを待って抜糸、その後、太腿のカテーテルを抜いて、事後処置を行い、月末には退院できるでしょう」という御託宣があった。
 ほっとして酔吟会句会に出向いた。なんともはや、死水を取ってもらう年頃になって、危うく息子の死水を取りそうになる場面に遭遇した。
   はつなつをいかなることぞ入院す   酒呑堂 (25.05.10.)
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2025年04月20日

俳句日記 (960)


苗植える

 我が家の20坪ほどの菜園は、昨年晩秋に冬菜を蒔いて正月から春先の楽しみにしてきたのだが、今年は伸びる端から椋鳥と鵯についばまれ、こちらが収穫する間も無く、辛うじて残ったものは菜の花が咲いてお仕舞いになってしまった。
 そこには2月初めからぺんぺん草、ハコベ、母子草、踊子草などが伸び始め、たちまち育って花咲かせ、あっというまに実をつけた。いわゆる「一番草」というやつだ。そのまま放っておけば、それらは枯れてしまい、後からオヒシバ、メヒシバ、ネコジャラシなど、獰猛な雑草が生えて来る。わずか一週間で、これらの草は5、6センチも伸びてしまう。
 先週から二週間がかりで、実をつけた草々を抜き、生え出した猫じゃらしの幼苗などを悉皆除いた。猫額の菜園が広々と見えるようになった。
 そこにナスとトマトの苗を三本ずつと、万願寺唐辛子を二本植えた。
 梅雨期から7、8月の猛暑になると枝葉が混み合って蒸れてしまう。すると一気に病害虫がはびこり、いっぺんにダメになってしまう。そこで今年は思い切って苗の間隔を1メートルとった。わずか5、6センチの幼苗はいかにもひ弱で頼りなげである。それが離れ離れに植っているのを遠くから見ると、何が植っているのかもよく分からない感じだ。しかし、一月もすると旺盛に茂り、伸びた枝葉が隣と触れ合うほどになる。
 胡瓜は殊の外連作障害を受け易い。胡瓜は瓜科植物、茄子、トマト、唐辛子などはナス科植物。これらは毎年同じところに植えると、病虫害を受けてしまい、うまく実らなくなってしまう。しかし、限られたスペースの家庭菜園では、どうしても連作しがちになってしまう。水牛菜園は20坪をほぼ三分の一に分けて、丸二年、同じものを植えないようにしているのだが、それでも尚、影響を被る。そこで今年は胡瓜は土が20リットル強入る大鉢で栽培することにした。それはもう三日前に植え付けを終えている。
 さあ、これで果たしてうまくいくかどうか。無農薬と化学肥料の使用を避ける自然農法を心がけているので、どうしても虫に食われ、病気にやられてしまうのだが、何とかうまく育ってくれよと、シャワーを浴びてビールをごくごく飲みながら祈っている。
  幼げな茄子苗励ましつつ植える   酒呑堂 (25.04.20.)
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2025年04月14日

俳句日記 (959)


名水銘酒の里

 房総半島のほぼ真ん中に位置する久留里周辺を回る吟行をして来た。
 4月13日(日)午前9時、横浜駅東口バスターミナルを発し、ベイブリッジを渡って東京湾アクアラインを進んで1時間で木更津へ。そこから久留里線というJR東日本が廃線にしたくてしょうがないディーゼル線に乗って50分ほど行くと、室町・戦国時代に里見氏が築いた久留里城跡のある小さな町に着く。
 久留里は房総半島の分水嶺を成す数百メートルから千メートル程度の山嶺の麓にうずくまったような土地で、小櫃川(流路延長77km、千葉県最長の川)と笹川という二級河川とその支流が山谷を削って流れ、その狭い岸辺に集落のあるといった地域である。水を通しにくい地層と通しやすい砂礫層が交互に重なった地形なので、集落のあちこちこち、至るところに伏流水の自噴する井戸がある。この城下町一帯には180本以上の井戸があり、据付けられた蛇口からコンコンと名水が流れ出している。それぞれの井戸の水はそれぞれに味わいが異なるとも言われるが、三箇所で飲んだ自噴水はどれも同じように美味しかった。
 日本酒の旨味の素は言うまでもなく米の生み出す旨さと、「水」の良し悪しで決まる。そして、米の旨味の元は稲を育む水に左右される。
 ということからすれば、久留里の酒のまずかろうはずが無い。室町時代から戦国時代の武田、里見、江戸時代に入って大須賀(松平)、土屋、黒田と代替わりしつつ、酒造りは連綿として続いた。現在、君津市の大字である久留里地区は三百軒程度の小さな町なのに、天の原、飛鶴、吉寿、福祝、峯の精と五つもの酒蔵がある。
 久留里駅前広場の一角には名物の自噴井戸があって名水がこんこんと湧き出している。それで口漱ぎ、ごくりと飲んでから、目の前の「生きた水久留里酒ミュージアム」に入る。上総の蔵元の酒がずらりと並び、600円出すと好みの銘柄3品種各30mlが試飲できる。早速、「福祝」「吉寿」「峯の精」を試した。どれも美味い。「峯の精」の蔵元はちょっと離れた所だが、福祝と吉寿は目の前だというので、土地っ子の愉里さんに案内してもらった。愉里さんは両方の店の顔馴染みだ。ことに吉寿の主人の妹さんとは女学校の級友だという。それなさておき、両方で純米吟醸の一升瓶を酒好きの友人と自宅に送ってくれるよう手配した。
 久留里へ来てお酒を買っただけというのではバチが当たる。雨しょぼ降る中をタクシーで久留里城に登る。二の丸跡に作られた「資料館」が充実していて実に見応えがあった。里見・後北条の戦いの云々は当然として、縄文・弥生から近世に至る上総の変遷がよく解る展示である。今、アフリカや中近東地域で活躍している井戸掘り技術「上総掘り」の実物模型や仕組み解説展示など圧巻であった。
 山を降りて久留里駅からまたディーゼルカーに乗り、終点の亀山駅へ。迎えのマイクロバスで亀山温泉ホテルへ行く。昭和五十年、周辺の治水と農地の灌漑、下流の木更津・君津の工業用水確保のために作られた亀山ダムの湖畔にある温泉宿だ。30℃になるかならずの褐色の湧水を温めての、正確に言えば「鉱泉宿」と言うべきなのだろうが、山奥には珍しい三階建ての“豪華ホテル”である。源泉掛け流しの大浴場を持つなかなかの温泉ホテルだ。ちょっとぬるりとした、いかにも「効き目がありそう」といった感じの温泉である。
 この宿の晩餐会で出たのが「上総八銘酒飲み比べ」であった。先ほど久留里駅前で試飲した「福祝」「吉寿」「峯の精」に加え、「天の原」「飛鶴」「東魁」「鹿野山」「聖泉」が、それぞれ100mlずつグラスに入って黒塗盆に鎮座している。いずれも純米吟醸でレベルを揃えてある。一行五人、それぞれの盃に少しずつ汲んでは味わう。総じての評価は「福祝」「峯の精」「天の原」が高かった。
 古今東西、酒の評価は百人百選、個々人の好みによる。その中から、あれこれあって、収斂されて順位付けされる。だから、酒の良し悪し、美味い不味いは人によって違う。それらしき酒好みの誰かがはった「評」などは、参考にはなるかも知れないが、到底金科玉条には成り得ない。飲む人が「これが美味い」という酒が一番なのである。
 そんな中で酒呑洞水牛のこの夜の飲み比べで下した八つの酒の印象は次の通り。
『鹿野山』ちょっと辛口、まあまあか。
『聖泉』すっきり、あっさりした爽やかさがあるが、ちょっと頼りない感じ。
『飛鶴』すっきりしていて、しかも、しっかりした味わいがある。なかなか。
『東魁』何か自己主張がちょっと強すぎるようだ。一寸くせがある。
『福祝』すっきりしていて日本酒の味わいがあり、個性もある。
『吉寿』大人しく、上品な酒で、味わいもある。
『峯の精』すっきり、キレがある。
『天の原』辛口のすっきりと、味わいもなかなか。
 いつもそばに置いておきたいなと思うのは、『福祝』『吉寿』『天の原』となった。
  飲み歩く三葉躑躅に誘はれて  酒呑洞  (25.04.14.)
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2025年04月09日

俳句日記 (958)


若草の

 元気だ元気だと威張ってはいても、やはり老化は容赦無く迫って来る。昨日、今年初めての草むしりをして、そのことをいやと言うほど知らされた。今朝起きたら両足が突っ張ってしまって、ズボンが立ったままでははけなくなったのだ。ベッドに腰掛けてようやくはいて立ち上がった。
 草むしりは立ったりしゃがんだりの繰り返しである。雑草が生え出して、それが日毎に伸びる。何とかしないと手がつけられなくなってしまう。えいやっと一番草取りに乗り出したのだが、菜園の三分の一ほど、八坪ほどで息が上がってしまった。冷やしたお茶を飲んで、もう一踏ん張りと意気込んだが、もう足腰が言うことを聞かない。
 風呂に入ってよく揉んだのだが、今朝になってみると、下半身が人工骨材で組み立てられたような感じでギクシャクしている。30分ほどかけて揉み解し、ようやく人並みに歩けるようになった。
 はこべ、ぺんぺん草、ホトケノザ、踊子草、たんぽぽ、その他もろもろ、やたらに蔓延る。一日でぐんと伸びているのが分かるほどの成長スピードである。この活力はものすごい。「お前さんたちの生気をもらって行くよ」と言いながら引っこ抜いていく。
  若草の一雨ごとの伸びる丈   酒呑堂 (25.04.08.)
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2025年03月25日

俳句日記 (957)


 NPO双牛舎解散

 畏友今泉而云(恂之介)と2007年に立ち上げたNPO法人双牛舎を3月一杯で解散することにし、昨24日に解散決議臨時総会を開き、今日、議事録など一件書類を司法書士に持ち込んで法的解散手続きをするよう依頼した。
 「双牛舎」というのは2001年春、大学も勤め先も一緒という水牛・而云が仕事の引退時期を迎え、これからはお互い共通の趣味である俳句を少し本格的にやろうではないかと、而云所有の番町のマンション一室を拠点に、旗揚げした句会である。二人とも丑年なので二頭の牛ということで、こういう名前をつけた。しかし二人だけで句会と連句会をやっても、もう一つ盛り上がらない。そこで同窓生などを呼び集めて「番町句会」を立ち上げた。そのうちに徐々に仲間が増え、「これを土台に『俳句振興』を事業の柱とするNPO法人にしよう」ということになり、水牛、而云が肝煎となって立ち上げて活動していた日経俳句会、番町句会、喜楽会、三四郎句会の面々に呼びかけて、2007年に「NPO法人双牛舎」を設立した。設立申請に関する一件書類を受理した都庁の役人が、「事業の柱を俳句振興とするNPO法人は恐らく全国初めてだと思います」と言った。
 爾来18年間、「双牛舎ブログ」を開設し、ホームページでは傘下4俳句会の句会活動報告をはじめ、『水牛歳時記』『双牛舎類題句集』等を発信し続けてきた。
 さらに、俳句振興活動の一環として、会員作品の中から佳句を選び編集委員がコメントを付して発信する『みんなの俳句』をはじめ、個々人の代表作を収蔵し公開する『わたしの俳句館』といったブログを開設した。ブログ『みんなの俳句』は発足当初は1日の来訪者が7、8人程度だったのが、今では200人近くに増える、かなりの人気ブログに育った。また『水牛歳時記』は方々で引用されるようになり、注目を集めるようになった。
 また、会員をはじめ、希望者からの要望を受けて、句集や随筆集等の単行本を編集、制作、出版する出版活動も行い、30冊近い書籍を発行した。
 こうして地味ではあるが着々と成果を上げてきたNPO双牛舎だが、昨年後半、暗礁に乗り上げた。共同代表の而云が熱中症にかかり、それ以後、体調が思わしくなくなったのである。昨年暮、而云から「米寿を迎え身辺整理にかかるべき年でもあり、来年3月をめどに番町ハイムの部屋を手放すことにした。ついてはNPO双牛舎も区切りをつけてはどうか」と相談を持ちかけられた。
 確かにそうである。二人とももう組織の代表など務めるべきではない年である。それに、双牛舎も設立当初の旗印であった「俳句振興」にいささかなりとも寄与し、当初目的の幾分かは果たした。本拠の番町ハイムを出ることになると、事務所移転の登記手続きなど、また煩雑な事務が発生する。ということで、仲間である理事全員に諮ったところ、「NPO」の旗を下ろし任意団体の「双牛舎」として各種事業を引き継いでいけばいいのではないかという結論にいたった。
 句友で、双牛舎の会計を見てくれていた水兎さんが「春の雪鍵だけ残る双牛舎」と葬送行進曲を詠んでくれた。
 やれやれ、と、大きな溜息をついている。肩の荷をおろしてほっとした気持でもある。相棒の物忘れの度合いが急速に進んでいることに、同い年の自分も近いうちに・・とどっと落ち込んでしまう。花粉症の目薬を差し、涙を拭いては、くしゅんくしゅんやっている。
  事務所閉ず桜開花を知らす日に   酒呑堂 (25.03.25.)
  
   
posted by 水牛 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする