2019年05月16日

俳句日記 (488)


薫風の五月句会

 5月15日(水)午後6時半から神田鎌倉橋のビル8階で日経俳句会第179回例会が開かれた。兼題は「五月」と「風薫る」という、この日のお天気にぴったりの季語。22人が出席、15人が欠席投句、合わせて37人から合計111句が寄せられるという、相変わらずの大賑わいだった。
 ところが出句の出来栄えがもう一つで、季節感の薄い句や、極めて常識的な素材と表現の句が多く、またどういうわけかそういう句が高点を集める。まことに実りの貧弱な句会だった。
 かく云う水牛の句も今回はさしたるものが無く、
  思ひきり胸をそらせて五月なり
  風薫る荒川中川橋づくし
  吟行の老を招くや茅花の穂
という、これまた常識的でインパクトに欠けるものだった。やはり「五月」「風薫る」という兼題が、自分で出題しておいて言うのもおかしいが、あまりにも常識的でありきたりの句を誘発する結果を招いたのかも知れない。
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2019年05月13日

俳句日記 (487)


祭囃子流れる土曜昼下がりの句会

 5月11日(土)午後一時から神田鎌倉橋のビル8階で酔吟会の例会が開かれた。ちょうど神田明神のお祭りで、句会会場の真下が「鎌倉橋町内会」のお神酒所。祭り囃子が流れ、神輿が近づくとワッショイワッショイの掛け声が賑やかに伝わって来る。お祭り好きの何人かが窓を開けて下をのぞく、初夏らしい晴れ上がった気温23℃の気持の良い日和であった。
 酔吟会も回を重ねて第140回。第一回例会が開かれたのが平成8年(1996年)5月だから、令和元年の初回である今回はちょうど満23年になる。記録を眺めてみたら、第一回例会(四谷3丁目「互会」)に出席したのは、「原文鶴、立川芳石、大留留圓(黃鶴)、大石柏人、片野涸魚、廣田耕蕨(耕書)、大澤水牛、大沢反平、金指正風、今泉而云、山口詩朗の十一名」とある。今やこのうち六人が異界の住人となり、一人は引退。「23年というのはやはり隔世の感ありだなあ」と思う。
 それでも残った長老片野涸魚さんをはじめ、而云、反平と水牛の四人はまずまず元気に轡を並べ、その後続々と入会してくれた人たち合わせて、この日の出席者は17人、投句参加が3人と旧に倍する盛況ぶりである。
 この日の兼題は「麦秋」と「雹」。投句5句選句7句で句会を行った。酔吟会は昔ながらの「短冊に記入して投句、皆でC記、選句・披講して合評会」という方式だから、流れものんびりしている。午後1時に始めて、合評会が終了したら4時半近くになっていた。
 この日の水牛は何と言う風の吹き回しか、最高点4点が2句、次席3点1句、1点2句という満艦飾であった。
  麦秋の野に大の字のずる休み     (4)
  むざんやな雹の叩きし瓜畑      (1)
  メーデーを茄子苗植うる日と決める  (4)
  春菊のみな花となり夏は来ぬ     (1)
  薫風のひと日江東橋めぐり      (3)
 「麦秋のずる休み」は高校時代の思い出に重ねて、今回令和の10連休という「バカ休み」を詠んだもの。「メーデーの茄子苗」は茄子苗を植えていて、下の国道一号を通るわずか数十人のか細いシュプレヒコールのメーデー行進を聞いていて出来た句。「薫風の江東橋めぐり」は先日の番喜会吟行の時に作った句のお余り。いつもと同じような「身の回り俳句」なのだが、こういうこともあるのだなと思う。
 他の4点句には以下のような句があった。
  麦秋や白黒がよし小津映画        涸 魚
  母の日の電話に妻の晴れやかさ      反 平
  句会果てて野の花残る夏座敷       可 升
  木々の葉を雹打ち鳴らしパーカッション  十三妹
 水牛が良いと思った句は、
  百万株咲き誇る里著莪明かり       操
  雹過ぎて行くや酒場の安普請       而 云
  麦の秋産み月の吾子腹なでて       木 葉
  草刈機高鳴りわたる田植前        てる夫
  えごの花陽の暮れのこる跨線橋      水 兎
  作り物のやうに冷たき雹の粒       ゆ り
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2019年05月10日

俳句日記 (486)


立夏の川風

 2019年のゴールデンウイークは平成から令和へと変わる橋渡しの時期になったために、例年とは全く様相を異にした。なにしろ天皇の生前退位というものを特別立法で認め、退位の式典、新天皇即位式と続いたから、当然のことながら世間の耳目はそこに集中した。こうした行事をこなすために、黄金週間中にとびとびにある平日を祝日にしてしまったから、何と破天荒の10連休ということになった。この間も世界は目まぐるしく動いている。ぶっ続けに10日も休んでしまっては、国際政治やビジネスの世界でいろいろな支障が起こったに違いないのだが、そういった咎めは直ぐには現れないし、政府は自分たちの決めたことに誤りのあろうはずは無いとふんぞり返っているから、マスコミも何も言わないし、ぬるま湯に浸かっているT億2千万国民はぼんやりしたままである。
 偉そうなことを言っている酒呑洞老人だが、もとより何もすることの無い毎日だから、10連休だろうが、とびとび休みだろうが関係無く、「やはり純米吟醸より純米酒の方が酒らしくていいな」なんてつぶやきながら、新しい一升瓶を空けているだけである。
 そんな10連休の最後の日、5月6日は月曜日。本来なら第一月曜日は番町喜楽会という面白い句会の日なのだが、振替休日になってしまったために定例会場が休館で、句会が開けないという。がっかりしていたら会員の可升さんが、「良かったら私が東京の足場にしているマンションを使って下さい」と言ってくれた。都営新宿線東大島駅のそばで、旧中川、荒川、小名木川が流れ、江戸時代の船番所跡には資料館があり、そこを見学してから川沿いの遊歩道を吟行しましょう。というわけで、素晴らしい吟行句会が実現した。
 6日午前十時、川の上にある東大島駅大島口に15名が集合、まずは江戸の水運の玄関口に置かれた関所、中川船番所跡に出来た資料館を訪問、キュレーターから当時の江戸湾、荒川、中川、そして隅田川に繋がる小名木川の様子などを聞いた。その後は川の駅で水陸両用バス「スカイダック」が水しぶきを上げて川に飛び込む情景を見物、小松川公園を経由して旧中川沿いを群れ咲く晩春初夏の野の草花を愛でつつ吟行した。凡そ1万歩強の散策後、廣田可升亭で昼食、句会を始めた。席題「立夏」と「橋」および雑詠の3句を投句、選句5句で句会を行った結果、双歩さんの「大橋を三つ並べて夏の川」、木葉さんの「水陸車上がるしぶきも夏の入り」、水兎さんの「野の花を摘んで立夏の川の道」の3句が5点でトップに輝いた。この他にも「逆上る立夏の潮や小名木川 而云」「初夏のふれあい橋でおり返す 百子」「川またぐ駅は五月の川の駅 白山」など、面白い句がずぶんあった。水牛句は、
葉ざくらのさくら大橋渡りけり
薫風や江東江戸川くまたがり
大盃といふつつじ咲く船番所
 と、我ながらおざなりな三句を並べたものである。一行のてる夫さんが滋賀の銘酒「松の司」と美味い米焼酎「鳥飼」を持って来てくれたのを一人占めするように吞み、さらには可升邸にあった「久保田」その他を平らげて、席題の「立夏」を忘れて「薫風」の句を出してしまうといった塩梅。さはさりながら、すこぶる楽しい吟行句会だった。
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2019年05月02日

俳句日記 (485)


難解季語 (18)

かわずのめかりどき(蛙の目借時)

 晩春の眠気を催す頃を言う俳句独特の言葉だが、一般には理解されにくい。滝沢(曲亭)馬琴が編んだ『俳諧歳時記栞草』には、「夫木和歌抄」(鎌倉後期の類題和歌集、一三一〇年頃成立)巻五の藤原光俊朝臣の歌「つとめすとねもせで夜をあかす身にめかる蛙の心なきこそ」を載せて解説替わりにしている。鎌倉時代に既に歌に詠まれていたことからすると、「蛙の目借時」という言葉はずいぶん古くからあったようである。
 さらに馬琴は「此のめかる蛙とは、目を借ると云心也。夜短く、眠を催すを、蛙の人の目を借よしにいへる俗の諺也」とある。しかし、その「俗の諺」つまり民間伝承なるものも、何故この時期に蛙が人間の目を必要とするのかはっきり説明していないから、意味がよく判らない。蛙がしきりに鳴き交わす晩春は昼も夜も何となく物憂い気分になり、眠気を感じる。「目がいくつあっても足りないくらい眠い」という気分を、蛙を引き合いにして云ったものなのであろう。
 「醒睡笑」(せいすいしょう)という小話を沢山載せた本がある。江戸初期の京都・誓願寺竹林院の住持で茶人でもあった安楽庵策伝が子供時代から聞き集めた面白い話を書き綴って、京都所司代板倉重宗に献呈した本で、寛永年間(千六百年代前半)に刊行され、それ以後の落語、講談などの種本になった本である。その「巻之四」に「蛙の目借時」が出て来る。
 【大名の前にて座頭のひたものねぶるを見給ひ、「何の子細にそれほどねむるぞ」とあれば、「昔より『春は蛙が目をかりる』と申し伝へて候、それはよき目のことに候はんや、われ等のやうなるあしき目をも借り候は、よくよく蛙のよりあひに目のはやる子細御座候や」と申しける】
 「私らのような不自由な目まで借りに来るのですから、今日あたり蛙の寄り合いではさぞかし沢山の目玉が入り用なんでしょうな」と笑いを取ったという頓知話である。この話からも、晩春の眠たさは蛙の目借りが原因だという俗説が行き渡っていたことが分かる。
 一説には「めかる」は「妻狩る」で、蛙が牝を求めて鳴く様なのだという。これに対して季語研究の先達山本健吉は「もとは『媾離り(めかり)=交合を避ける意』で、早春蛙が出現して交尾をすませ産卵してから、もう一度土中にもぐったり、木陰や草陰にかくれて、静止状態をつづけ、初夏になるまで出て来ないことである」という説を立てている。なるほど蟇もアカガエルも産卵後一時姿を消し、春眠をむさぼっている。「妻狩り」にせよ、あるいは「媾離り」にしても、そう言われれば確かにその方が理屈が通っているように思えるが、そんなのは理に落ちるというもので、ひとつも面白くない。やはり、蛙が人間の目を借りに来るという、突拍子もなく民話的な話の方が俳句にはふさわしい。
 とにかく春風駘蕩たる気分の季語であり、このぎすぎすした現代の事物とうまく取り合わせることで、思ってもみなかった効果をもたらす句が生れるかも知れない。今や俳句人口一千万人などと言われて、ブームになっている。ブームはある種のマンネリ化をもたらす。そうしたマンネリ化を打ち破るために、こういう半ば死語と化した奇妙な季語を再発掘することが、新機軸を打ち出すきっかけにならないとも限らない。しかし、「カワズノメカリドキ」では、これだけで九音とってしまうので、句作の上で不便であることから、実作では単に「目借時」と五音で用いることが多い。
  怠け教師汽車を目送目借時       中村草田男
  顔拭いて顔細りけり目借どき      岸田 稚魚
  煮ものして窓のくもりし目借どき    檜  紀代

  目借時と言ひて自分を甘やかす     酒呑洞水牛
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2019年04月29日

俳句日記 (484)


蕪村生誕地と興福寺吟行 (3)

気さくな貫首さん

 翌4月22日朝も良い天気。5時頃になると起き出す人が次々で、春日大社の方まで早朝散歩に出かけたりしている。こちらは知らん顔して寝坊を決め込むが、周囲のざわめきにいつまでも寝ては居られない。7時に起きて朝風呂を浴び、朝食会場に出かけた。もう全員そろってぱくついている。どこの宿屋にもあるような朝食献立だが、茶粥が添えられているところが奈良らしい。
 今日は今回吟行のもう一つの目玉、昨年10月に完成した興福寺中金堂を見学する。それにオマケがついて、興福寺の多川俊映貫首が本坊で茶を振る舞って下さるという。日経俳句会会長の中沢義則文化部編集委員が、多川貫首の「私の履歴書」の担当記者になった縁で、「薄茶を差し上げながらちょっと興福寺縁起でもお話ししましょう」ということになったのだ。それは有難いことではあるが、堅苦しいのは御免被りたい。みんな吟行スタイルでジャンパー姿などが多いし、第一、膝や腰を痛めているのが多くて、まともに正座出来る人がほとんど居ないのだ。「そのあたりの事をよく言っておいておくれよね」と頼んだら、中沢君「はいはい分かりました。でもね、多川さんはざっくばらんな人柄で、そんなこと気にしませんよ」と言う。
 まさにその通りだった。享保2年(1717年)に消失した伽藍を三百年ぶりに、天平時代の姿そのままに再建するという、「平成の大事業」を成し遂げた貫首である。さぞや威厳あるお坊さんだろうと思っていたら、モンペのような装束に輪袈裟を掛けて飄々と現れ、興福寺についての話をしてくれた。
 さてその中金堂、案内の若いお坊さんがあれこれ説明してくれた。実に壮大華麗な金堂である。白壁と朱の柱、黒灰色の瓦屋根の天辺に金色の鴟尾が勢い良く尾を跳ね上げ青空に映えている。金堂中央に安置されている釈迦如来座像も金色燦然。右手の円柱は法相柱と呼ばれる堂を支える数十本の巨大円柱の中心だが、ここには法相宗を伝えたインド、中国、日本の高僧が極彩色で描かれている。当然と言えば当然なのだが、すべてがまばゆい。くすんだ古色蒼然たる寺院や仏像に慣れた眼からすると、けばけばしくて有難味が薄いようにも思える。しかし、これこそ天平時代の出来たばかりが生まれ変わって出現したのだ。
 国宝館へ行く。ここはもうお馴染みだ。あまりにも有名な「興福寺の阿修羅像」。じっと見入ると心が落ち着く。奈良へ行けば必ず興福寺の国宝館で阿修羅を拝むのだが、ここで私が一番好きなのは実は板彫りの十二神将である。それぞれ個性豊かな表情と姿で、何度も何度も見直す。いくら見ていても見飽きない。
 昼食はまた元来た道を辿って、飛鳥荘の近くの蕎麦屋「季のせ」。まずは蕎麦掻きと蛸の天麩羅などで、奈良の銘酒「春鹿」超辛口、もう一つの老舗豊澤酒造の「豊祝」を飲む。十割蕎麦は少々洗練され過ぎている感じがしたが、美味いことはうまい。別に取った海老天蕎麦がとても旨かった。「関西で蕎麦か」などという雑音があったが、今日ある麵状の蕎麦は元々は奈良で生まれたものである。大昔から日本人は蕎麦も饂飩も食べていたが、蕎麦粉は粘着力に乏しく、粉を練って伸ばして切るとばらばら、ぶつぶつ切れてしまう。しょうがないから粉を練って丸めたり平たくしたのを湯がいて「蕎麦掻き」にして食べていた。それを江戸時代の初め、東大寺の賄い方の坊さんが蕎麦粉にうどん粉を混ぜて捏ねて平に延ばして切れば、麵状のものが出来ることを発見した。これが「蕎麦切り」として全国に広まったのだ。というわけで、奈良で蕎麦を味わうのは至極真っ当なことなのである。
 一同昼の旨酒に大満足。お勘定も前日収めた「宿代含めて二万円」の中にぴったり納まって百子大幹事の腕前に驚嘆。ここで「蕪村生誕地と興福寺を訪ねる吟行会」はお開きとなった。行を共にしていた三四郎句会の面々とは既に興福寺で別れており、昼食懇親会の20人もここから三々五々散ることになった。
 水牛は涸魚長老と鷹洋、二堂と「久しぶりだ、東大寺の大仏さまを拝んで行こう」とタクシーで浮見堂を経由して山門前まで。修学旅行の中学生と外国人観光団体がひしめく中をかいくぐり、大仏殿を一周、さらに二月堂まで行く。しかし、二月堂の山の麓まで上って来て、さあこの急階段。皆々尻込みして、茶屋でソフトクリームをなめて仰ぎ見るに留めた。
  中金堂鴟尾のひかりや夏隣     酒呑洞水牛
  春愁と無縁もんぺの貫首さま
  包装紙令和と変へて春の餅
  煎餅くれと辞儀する鹿や暮の春
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2019年04月26日

俳句日記 (483)


蕪村生誕地と興福寺吟行 (2)

なんと歌仙一巻

 毛馬堤を散策し、淀川が旧と新との二つの流れに分かれるところにある大きな閘門を打ち眺め、堤下に出来た蕪村公園で一休み。日経俳句会元会長で今はテレビ大坂の重役を務める高橋ヺブラダさんが前以て念入りに調べて下さった蕪村関連施設を順序よく辿った。そのヲブラダさんがシャンパンやビールを担いで来てくれて、公園のベンチで一行に振る舞って下さる。汗ばみ、乾いた身体に冷えた飲み物が心地良い。
 元気回復し、皆々、淀川神社の蕪村像に対面、毛馬橋を渡り、メトロ天神橋筋六丁目駅まで二`ばかりを歩いた。途中、日本橋駅で近鉄に乗り換え、午後四時過ぎに奈良駅に到着、猿沢池畔の旅館「飛鳥荘」に着いた。
 猿沢池畔には修学旅行の中高生を泊める団体旅館がいくつかある。七〇年前に私が泊まった魚佐旅館もそうだ。飛鳥荘というのも一泊二食一万四千円とずいぶん安いから、恐らくその手のものだろうと思っていたら、どうして中々の造りで、おかみさんはじめ従業員もちゃんとしている。部屋も立派だし、風呂も、夜の料理も上等だった。不思議だなと思っていたら、幹事の一人徳永木葉さんの知り合いが支配人で、大サービスをしてくれたのだという。
 温泉に浸かって疲れを流し、懇親夕食会では美味しい料理と支配人が贈ってくれた「春鹿」大吟醸はじめ奈良の銘酒を心ゆくまで楽しんだ。
 宴の果てて、「お先に」と引き取ったのはわずか二人。残り十八人がどっと幹事部屋になだれ込み二次会。平均年齢七〇ウン歳の団体とは到底信じられない。誰が言い出したのか定かで無いが「連句をやりましょう」ということになった。半分は「連句なんて初めて」と尻込みする人たちだったのだが、有無を言わせず始まった。しかし、そういう人たちも結構楽しみながら何と二時間ばかりで歌仙を巻き上げてしまった。式目を無視したものもありはするものの、素晴らしい歌仙が生まれた。

歌仙「淀川簡易トイレの巻」
淀川の簡易トイレや春の風      高井 百子
 凧揚げる子の伸びる右の手     堤 てる夫
のどかなる長堤句友労り合ひ     岡田 鷹洋
 歩きに歩き一万歩超え       植村 博明
豹柄の浪速のオバチャン夏の月    岩田 三代
 席をゆづらぬ老若男女       嵐田 双歩
(ウ)
秋の空春日大社の鎮座して      向井 ゆり
 柵無し危険霧の猿沢        工藤 静舟
恋ひとつ拾った朝の鹿の声      須藤 光迷
 煎餅売る婆につと笑へり      大澤 水牛
吾が女房阪神好きが玉にきず     廣田 可升
 吹雪に想ふ秋田象潟        玉田春陽子
大仏の見下ろしている霜の庭     中村 迷哲
 蕪村震へる淀の川風        中沢 豆乳
閘門に詩朗の笑顔春の雲       山口斗詩子
 シャンパンの泡月朧なり      大下 綾子
花散らしAKBの空騒ぎ        徳永 木葉
 毛馬橋渡る女子高生よ       澤井 二堂
(ナオ)
しゃぼん玉はじけはじけてお父さん     百子
 夜間中学春の灯火            鷹洋
うららかや水面の鳥の呆け顔        博明
 先人の句碑麦秋の色           三代
ふすま開けしとねの色に目が覚めて     双歩
 思ひ焦がれた恋の年とる         ゆり
気もそぞろ女将の去りて宿ゆかた      静舟
 チュッチュチュッチュと鬼灯を吹く    光迷
どうするの伸びる朝顔つるの先       水牛
 紅葉の錦下衆のまにまに         可升
落柿舎の中天にあり居待月         春陽子
 露天風呂から望む寺町          迷哲
(ナウ)
冬銀河恋文を焼く貫首さま         豆乳
 新聞記事に書けぬことあり        木葉
トランプの痩せる思ひの春口舌       鷹洋
 ノートルダムのあっと燃え尽き      博明
花浮かぶ大河二つに別れたり        双歩
 中金堂に集ふ旅人            静舟
                      (満尾)
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2019年04月24日

俳句日記 (482)


蕪村生誕地と興福寺吟行 (1)

 4月21日(日)と22日「月)の一泊二日で、蕪村の生誕地とされる大坂市都島区毛馬町の淀川堤と、昨秋完成した興福寺の中金堂を訪ね、日経文化面の「私の履歴書」に登場した多川俊英貫首に茶を御馳走になって話を聞くという、ずいぶん盛りだくさんな吟行会を行った。日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の共催で、参加者26人の賑やかな催しになった。
 〈春風馬堤散策〉
 与謝蕪村(元は谷口氏を名乗る)は享保元年(1716)に摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)の富裕な農家に姉二人の末息子として生まれた(弟子の高井几董の『夜半翁終焉記』)という。しかし、少年時代に両親を亡くし、家運傾き没落、一家離散の憂き目に遭ったらしい。几董の書いたものには少年蕪村は狩野派の絵師について画業に勤しんだとあるから、農家といってもかなりの家だったのであろう。それが一気に没落しただけに、少年蕪村は非常なショックを受けたに違いない。そのせいか、蕪村は後年、有名人になってからも自らの幼少時代や青年期の過ごし方については一切書いたり話したりしていない。僅かに、名作『春風馬堤曲』を著した折に、後援者でもあった弟子に宛てた手紙に「馬堤は毛馬塘也即余が故園也」と書いていることと、愛弟子几董に断片的に述べたものを几董が書き遺したものから、淀川河口近くの毛馬村が生地であることが窺えるのみである。
 少年蕪村は生まれ在所でよほど辛酸を舐めたに違いない。二度と再びこんな処に帰って来るものかと飛び出したようだ。18歳くらいで江戸に出たらしく、毛馬と雰囲気の似た江戸の墨東地区で人足のようなことをしているうちに俳諧師匠の夜半亭早野巴人を知り、22歳の時、巴人の日本橋本石町の住込み門人になることが出来た。有力俳人の内弟子になれたことが蕪村(当時は宰鳥)出世の糸口だった。ここで俳諧の実力を蓄え、画業にも励んだ。巴人没後も北関東に散在する夜半亭一門の有力俳人の支援を受けて宇都宮で宗匠立几、36歳で京都に赴き、画業と俳諧宗匠として大立者になった。
 京都に住んでから死ぬまでの32年間、蕪村は関西各地、四国へ度々出かけているのに、生まれ故郷の淀川河口・毛馬村にはただの一度も足を踏み入れていない。余程の怨念があったに違いない。そのくせ、豊かな幼少時代を過ごした淀川河畔は懐かしい。「帰りたいのに帰れない」そんな心境が、名作『春風馬堤曲』となり、『澱河歌』(澱河とは淀川のこと)となってほとばしり出たのではなかったか。
 そんなことも考えながら、この蕪村生誕地をぜひ一度歩いてみたいという願いがようやく叶った。
 平成最後の4月の毛馬堤は太陽燦々、まことにあっけらかんとしていた。名所も無ければさしたる偉人もいない都島区としては、何がなんでも蕪村を地元出身の偉人にしたいのだろう。昭和40年代になってから、毛馬堤に蕪村碑を拵え、堤防外には「蕪村公園」を作り、淀川神社には蕪村の銅像を造った。3月に開通したJRおおさか東線の「城北公園駅」前のみすぼらしい商店街はなんと「蕪村通り」という看板を掲げていた。なんとしてでも蕪村さんに故郷へお帰り願いたいとの熱誠が込められているようである。
  春の夢蕪村と歩む毛馬堤   酒呑洞水牛
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2019年04月18日

俳句日記 (481)



日経俳句会第178回例会のこと
「春燈」「竹の秋」と雑詠に35人から104句

 4月17日(水)夜、日経俳句会の第178回が開かれた。今回の兼題「春燈」はまだしも「竹の秋」が少々難しかったようで、句会での票が割れた。
 句会は投句3句、選句6句(欠席者は5句選)で行った結果、最高点は8点で欠席投句参加の金田水さんの「春の灯やとなりに若き一家来る」の一句だった。「何しろ気分の良い句」というのが大方の褒め言葉であった。次席7点は「春燈やレッスン室の影ふたつ てる夫」「宿下駄で降りる石段春燈 水兎」「竹の秋片頬かげる磨崖仏 木葉」「春風を見てをり杖に手を重ね 而云」の4句、三席6点は「風やわらか慣らし保育の涙跡 ゆり」「田起こしや土黒々と命棲む 三代」の2句だった。
 5点句は「春の燈や回覧板の行くところ 博明」「山峡に春燈ぽつり無人駅 庄一郎」「まんぷくのこども食堂竹の秋 冷峰」「新しき朱の春帽子六地蔵 昌魚」の4句。4点句は「春燈や宿の図書室ひとり占め 綾子」「路地裏に三味の爪弾き春あかり 操」「大王の墳丘鎮め竹の秋 反平」「鎮魂の旅の終はりや竹の秋 阿猿」「廃線を抱くようにして竹の秋 十三妹」「眠る田の畦をふちどり蓮華草 木葉」「花散らし風は嘯くまた逢おう 十三妹」「うぐひすの呼ぶよ下総酒処 水牛」の8句だった。
 上記以外で水牛が採った句は以下の通り。
一言に優しさ宿る春灯し    実千代
 ちょっとした心遣いの一言が優しさと温みをもたらしてくれた。「春灯」とよく呼応している。
再会に心満ち足り春燈     反平
 お互いのちょっとした都合などから長年会えず仕舞になっていた人との、ようやっとの再会。「良かったなあ」という気分が「春燈」にぴったり。
終りなき住持の説教竹の秋   二堂
 坊主の説教はつまらないものと相場が決まっている。それを長々とやられる。仲春の「竹の秋」の季語がとても良く合っている。
にべもなく切れし電話や竹の秋 水兎
 別に竹の秋とは限らないのだが、こういうことはちょくちょくある。竹の秋は「木の芽時」にも相通じ、なんとなくこうした雰囲気が合うなあとも思う。
 水牛句は、
春燈のうしろ姿のやはらかし   (1点)
取れすぎし青菜頒けゆく竹の秋  (2点)
うぐひすの呼ぶよ下総酒処    (4点)
 という結果だった。9日の下総吟行の句が高点取ったのは嬉しかった。「春燈のうしろ姿」は自分ではなかなか良くできたと思っていたのだが、あまり評価されなかった。
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2019年04月16日

俳句日記 (480)


難解季語 (17)

かと(蝌蚪)

 おたまじゃくしのことを中国語で「蝌蚪(kedou)」と言い、昔の俳人はこの字を書いて和名の「かへるご」(蛙子)と読んでいた。「松」を「まつ」、「鹿」を「しか」と読むのと同じである。しかし、いつのまにか「かへるご」という呼び方が廃れてしまって、「おたまじゃくし」とか「おたま」と呼ばれるようになってしまったために、俳句の世界では問題が生じた。
 「おたまじゃくし」では、それだけで六音もある。また、その形が台所道具のお玉杓子ににているからと名づけた女房言葉のようでもあり、幼児語のような響きがあって、真面目に心境を吐露するような場合にはなんともそぐわない。それやこれや、「おたまじゃくし」ではどうも詠みにくい。というわけで、明治以降の俳人は蝌蚪を「かと」と音読みして使うことが多くなった。今日でもおたまじゃくしの句は「蝌蚪」を使用する例が圧倒的に多い。
 「音読み」というのは、漢字の言葉を発音通りに読んで、日本語に取り入れたものである。現代に当てはめれば、英語を和名に直さずに、例えば「猫餌」を「キャットフード」と現地音に似せた言い方で用いるやり方である。
 しかし俳句をやる人以外は「蝌蚪」という文字を見て即座にオタマジャクシと理解出来る人は少ないだろう。普通の人が理解出来ない言葉を俳句に用いるのは良くないと思う。季語研究の第一人者山本健吉は「(オタマジャクシの蝌蚪を)俳人は『かと』とも音読して用いている。あまり好ましいこととは思えないが、虚子が用い、俳人たちは滔々としてこれに従い、大勢如何とも抗しがたい」と『日本大歳時記』(講談社)の解説で嘆いている。
 ただ、春の使者として魅力的な句材のオタマジャクシを詠みたいと思う俳人はとても多い。その結果、「虚子大先生が詠んでいるのだから」と、「蝌蚪」の大合唱になるのだろう。こうした姿勢が俳句の通俗化、堕落化をもたらすのだが、通俗のぬるま湯に浸って句をものするのも又実に心地がいい。ここが俳句の万人の文芸となると同時に通俗のゴミ溜めともなる所以である。
 しかし、現代俳人たるもの、「蝌蚪」などという世間には通用しない無理な季語とは決別し、なんとかして「おたまじゃくし」で詠みたいものである。
 「蝌蚪」と詠んだ句はとても多い。

 天日のうつりて暗し蝌蚪の水       高浜 虚子
 降りそそぐ雨にかぐろし蝌蚪の陣     高橋淡路女
 川底に蝌蚪の大国ありにけり       村上 鬼城
 蝌蚪うごめくピカソの訃報伝へ来て    山口 青邨
 病みて長き指をぬらせり蝌蚪の水     石田 波郷
 飛び散って蝌蚪の墨痕淋漓たり      野見山朱鳥

 おたまじゃくし進まぬやうに泳ぎをり   酒呑洞水牛
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2019年04月13日

俳句日記 (479)


難解季語 (16)

ぬけまいり(抜参)

 歳時記には「伊勢参り」の傍題として載っている。親や主人(雇い主)に無断で伊勢参宮に赴くことを言う。江戸中期、「一生に一度は伊勢参りをするものだ」ということが盛んに言われ始め、伊勢参りがブームになった。松尾芭蕉もその例に洩れず、『笈の小文』の旅を終えて故郷の伊賀上野で正月を過ごした元禄元年(1688年)二月、念願の伊勢神宮に参拝した。しかし、当時は僧侶の風体では内宮には入れなかったようで、外宮のみの参拝に終わった。
 伊勢参りは時期を問わず一年中行われるのだが、やはり三月半ばから五月ころまでの気候の良い時期が最も盛んだった。それで「伊勢参」は春の季語となっている。江戸から伊勢神宮まで片道十五日間、大坂からは五日間の旅だった。とにかく大旅行である。贅沢をせずともやはりかなりの費用がかかる。そこで、伊勢参拝を志す人たちが集まって「伊勢講」「太太講(だいだいこう)」という一種の無尽組合を作り、毎月寄り合ってはなにがしかの積立金を出し合う。籤を引いて当たった数人がその積立金を旅行資金として参拝団を作り、伊勢神宮に参り太々神楽(だいだいかぐら)を奉納し、講中の人たちへの記念のお守りはじめ土産の品々を携えて戻る。籤に外れた連中は参拝団の土産話を聞きながら、すぐに来春の計画を練り始める。たとえば30人で講を作り、毎年四月に6人の参拝団を送り出すとしてその費用を割り、事務経費を足したものが掛け金となる。くじ運が悪くてハズレ続けたとしても、五年待てば必ず行ける。江戸時代から昭和後半まで、こうした掛け金を出し合う「無尽」が息長く続いた。こうした「講」とか「無尽組合」が発展したものが信用組合、信用金庫なのだ。
 それはさておき、無尽の掛金も出せない貧乏人や、まだ大人とは認められない丁稚や下女連中はもちろん伊勢講には入れない。しかし、何とかお伊勢参りに出かけたい。そういう連中の中で冒険心に富んだのが密かに誘い合わせ、職場放棄して伊勢に向かった。主人や親は心当たりを探すが、やがてどこからともなく「抜参り」だということが伝わると、「それじゃしょうがない」と放任した。飛び出した方は元より素寒貧、野宿覚悟の旅なのだが、良くしたもので、街道筋の商家や農家の人たちは「抜参り」と知ると飯を食べさせたり、中には土間に筵を敷いて泊まらせ、翌朝は握り飯と小銭を与えて送り出すといったことが普通になった。その内に、抜参りの連中は柄杓を持って歩き、それで沿道の家々から小銭を受け取るようになり、その柄杓が伊勢参りの目印になった。
 江戸時代を通じて「伊勢参り」は年中行事のようになった。慶安三年(1650年)三月中旬から五月にかけて、箱根関所を通過した伊勢参宮の人間が普段の十倍一日平均二千五百人に上ったという記録が残っている。その後も伊勢参りブームはほぼ60年周期で起こった。この現象を「お蔭参り」とも言う。宝永二年(1705年)がその最たるもので、四、五月の二ヵ月間の伊勢神宮参拝者が370万人に上ったという。当時の日本の推定人口は2770万人だから、二ヵ月で370万人の参詣者というのはけたたましい数字である。その後も断続的に伊勢参りブームが起こり、慶応三年(1867)夏には倒幕運動を煽る分子の策略もあったのか、三河の村々に伊勢神宮の御札が降ったのをきっかけに「ええじゃないか」踊りが大流行した。老若男女こぞって「ええじゃないか」と叫び囃しながら踊り狂い、そのまま伊勢へと旅する熱病現象で、この年の冬にかけて「ええじゃないか」が中国、四国、関東、甲信地方にまで広がった。
 明治維新以後も伊勢参りは人気を保ち続けたが、もう「ええじゃないか」の熱病のような参拝道中は見られなくなった。親や雇い主に内緒で抜け出す「抜参」もいつの間にか止んだ。夏休みや年末年始休暇、そして有給休暇制度のある今日では、人目を盗んでの「抜参」など、理解しがたい言葉になってしまった。
  煙草屋の看板娘抜参     酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 21:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする