2017年08月28日

俳句日記 (360)

寝坊に朝顔
 朝顔の俳句を詠もうとして戸惑うのは、「朝顔」が秋の季語で、「朝顔市」が夏に分類されていることである。朝顔は本来旧暦七夕の頃、今の暦で言えば8月に咲くので「秋」ということになる。しかし明治5年に新暦(太陽暦)に移行した際、東京では七夕行事を新暦7月7日に行うようになり、朝顔市も入谷などでは新暦の七夕に合わせて開かれるようになったため、夏の季語になってしまったのだ。しかし、近ごろは品種改良の結果、露地栽培でも7月に盛んに咲くようになったので、「朝顔は夏の季語」と思い込んでいる人が多い。
 朝顔は熱帯アジア原産の一年草で、日本には奈良時代末期に唐から持込まれたようである。もともとの朝顔は青一色だったが、江戸時代の文化文政頃(1804-30)に朝顔栽培がブームになり、品種改良競争が起って、現在のような赤、ピンク、茶色、紫などいろいろな花色が生まれ、大輪朝顔をはじめ花弁や葉が細かく裂けたり縮れたりする「変化咲き」が現れた。img003.jpg
 二回目の朝顔ブームは幕末の嘉永年間(1848-54)で、江戸・入谷には成田屋留次郎という名人を筆頭に朝顔師という集団が生まれるほどになった。江戸っ子の朝顔熱は物凄かったらしい。何しろ東京湾に黒船が入って来て大騒ぎしているというのに、朝顔マニアの江戸町奉行が市中の治安活動そっちのけで品評会を開催し、物議をかもしたという話が残っている。
 三度目のブームは明治維新の混乱が収まった明治十年代後半から大正の震災までで、明治35年頃がピークだった。この時の一般愛好家の興味は大輪朝顔に移り、直径7寸(約21センチ)を越える巨大輪(いわゆる「尺咲き」)が続々出現した。
 こうして何回かのブームを繰り返しながら、千数百年前に大陸から伝わった朝顔は日本で改良に次ぐ改良を加えられ、「ニホンアサガオ」という園芸固定品種にまで成長した。まさに「朝顔王国ニッポン」である。
 日本の気候風土と景色によく合って、しかもとても丈夫な植物だから、どこでも、誰にでも咲かすことが出来る。小学校の夏休みの宿題「観察日記」もよく行われている。
 しかし、欠点は早朝に咲いて、お日様が照りつけるとしぼんでしまうことだ。夜更かし朝寝坊の水牛にとって朝顔作りほど苦手なものはない。
  朝顔や枕を五回叩き寝る
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2017年08月25日

俳句日記 (359)

662本のキュウリ
 家庭菜園に5月4日、胡瓜、茄子、トマトの苗を植えた。胡瓜はイボ無しの小型の実が沢山生る「フリーダム」2本、伝統的なイボありの「よしなり」と「病害虫に強い新品種」とサカタ種苗が大宣伝の「夏バテ知らず」を各1本の計4株。茄子はごく普通の「黒福」2本と長ナス「夏豊作」を1本。トマトは大玉の「つよまる」2本と中玉「シンディスイート」、小玉「アイコ」各1本の計4株。
 これらを数日前までに耕して堆肥をすき込んである畑に植え付けた。苗は四,五日で根付くとぐんぐん伸び始める。二週間もすると最初に立てた1m弱の支柱では頼りなくなり、トマトと茄子には長さ2mほどの竹竿を三本組み合わせた本格的支柱を立て、胡瓜4本にはそれぞれに2mの垂木で四本柱を立て、その縦横に垂木を渡して縛り付け、間に数本の竹竿を渡してその上から園芸ネットをかぶせた。胡瓜はそこを這い上り、6月も半ばになると間口2m、奥行2.5mの緑の小屋が出来上がる。
 さて、5月も末になると、胡瓜と茄子がぼつぼつ穫れるようになる。6月に入るとトマトも色づき始める。始めのうちは大感激、穫りたてに塩をつけたり、味噌をなすってはぽりぽり齧る。実に美味い。今日は胡瓜揉みに焼き茄子、トマトサラダの美味しいことと、山の神もネタロウも御機嫌である。
 しかし6月半ばになると最盛期を迎え、そこから約一ヶ月は毎朝の収穫が大変。胡瓜など一日に10数本から多い日には30本近く穫れる。もちろん野菜籠からあふれ、至る所に胡瓜やトマトの山が出来る。隣近所に貰ってもらうのも毎日毎日では気が引ける。終いに山の神は「いったいどうするつもりなの」と怒り出す。
 しょうがないから、胡瓜は三四日分溜めては塩漬けにする。今度は塩漬けが山となる。それを一旦塩抜きして味噌に漬ける。まるで漬物屋に奉公している気分だ。トマトも生りすぎて、熟れすぎたのがぼたぼた地面に落ちる、小鳥も飽きちゃったのか、あまり寄って来なくなる。これもしょうがないから取り入れたのをざくざく荒切りして大鍋にぶち込み、白ワインをぶっかけてぐつぐつ煮る。どろどろになったのを笊に入れて擂り粉木で下のホーロー鍋に受ける。それを煮詰めてトマトピューレを拵えては冷凍庫にぶち込む。スパゲティナポリタン数百人分のピューレが出来た。
 とやこうしているうちに峠が過ぎ、8月に入ると徐々に収穫量が減り始め、葉が茶色くなり出す。こうなると胡瓜は曲がったり、白いすの入った実が出来たりする。茄子は皮に茶色のあばたが出来、トマトにも白い斑点が出来たりと、明らかに疲れた症状が出始める。いよいよ撤収時期だ。しかし、今年はこの時期に雨ばかり続き、なかなか作業が出来ない。それをようやく終えた。17.08.25.胡瓜.jpg
 そして、これまでつけてきた『菜園日記』の記録集計。5月25日の初収穫から8月25日の最終日まで3ヵ月間の内訳は以下のようである。
【胡瓜】662本(内訳:フリーダム366,夏バテ知らず175,よしなり118)、【茄子】156個(内訳:黒福100,夏豊作56)、【トマト】795個(内訳:つよまる110,シンディスイート260,アイコ425)。
 この成績が良いのか悪いのか、比較判定の目安が無いから分からないが、まあまあの結果かなと思っている。茄子がダメだったのは、トマトに覆い被されたのと、南側の垣根の萩が猛烈に茂って攻められたせいである。胡瓜は裏の空地に5月末に植えた「地這い胡瓜」が6月半ばから採れ始め、これまでに80本ほど生り、これはまだ暫く採れそうだ。
  昼飯は冷や汁にせむ瓜畑
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2017年08月22日

俳句日記 (358)

チビは大年増

16.11.02.チビ1.JPG

 チビが我が家に迷い込んで来たのは平成17年2月だから、もう12才半になる。近ごろめっきり動作が鈍くなった、どうしたのかと思っていたのだが、人間で言えば70才見当のお婆チャンなのだから無理も無い。
 書斎の書き物机は高さ74センチ。チビは去年までは床から無造作に飛び乗った。それがさっき横目で見ていたら、一旦腰を落として、二三回伸びたり縮んだりして反動をつけて、エイヤッ、という感じで跳び上がった。なんだか情けない。机に上り、南側のガラス窓に貼り付くように寝そべって庭を眺める。それに飽きると、やおら起き上がって伸びをしてから、書き物机に並んでいるパソコン机、そこには取りも直さずご主人様である水牛旦那が座って画面を睨んでいるのだが、その前を悠悠と通り過ぎ、時にはキーボードを踏みつけて画面に大混乱を来し、水牛が悲鳴を上げる。平然とプリンターの載っているテーブルに移り、本棚に乗って、その奥に開けられたチビ用出入り口を抜けて西側の出窓に出る。
 この出窓からは外の大石段が見下ろせ、ご近所の人たちや散歩の犬、通りすがりの猫が見える。チビはそれを眺めるのが大好きで、じいっと眼をこらしている。そういう時はだいたい狛犬かスフインクスのような格好である。頭、背中から尻尾までが真っ黒、アゴから腹、脚、つまり腹側半分が純白できれいだし、スタイルもいい。通りすがりの子どもたちが「あ、窓猫」なんて言いながら、しきりに囃す。しかしチビはそれには全く無関心だ。やがて、四つ足を投げ出してこてんと横になり、ぐうぐう眠る。
 しかし、書斎の出窓はまともに西に向いている。午後になれば真夏の西日が降りそそぎ、温室になる。出窓の室内側には厚いカーテンが下がっており、エアコンの冷気は出窓にはそれほど吹き込まない。だから猛暑日の出窓内部はかなりの高温になっている。30分くらいすると、カーテンを押し退けて,チビがふらふらと出て来る。プリンターのテーブルにばたんと腹ばいになり、死んだように動かない。暑さにあたってしまったのだ。真っ黒な毛で覆われた背中が熱くなっている。撫でてやってもミャアとも言わない。
 「お前はバカだ。猫の熱中症なんて聞いた事がないぞ」
 15分もすると冷えて正気を取り戻したのだろう、むっくり起き上がり、背中を丸めてぶるぶる身震いして、何事も無かったように書斎を出て行った。
  エアコンの真下にのびる処暑の猫
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2017年08月18日

俳句日記 (357)


2020年真夏の悪夢
 丸3年後の2020年7月24日から8月9日まで、東京オリンピックが開催される。それについて、近ごろよく夢を見る。
【その1】北朝鮮から飛んで来たミサイルが国立競技場に落ちるのだ。逃げ惑う観客が出口付近で将棋倒しに折り重なり、圧死者続々、阿鼻叫喚の地獄に陥る。
【その2】開会式の真っ最中に東京直下型の巨大地震発生。マグニチュード8、震度7。国立競技場の観客席は崩壊し鉄傘が落下、千代田、中央、港、江東、墨田、台東、荒川区など都内中心部は津波に襲われ、国や都の防災・救急能力を遥かに超えて、死傷者数えきれず、阿鼻叫喚の地獄に陥る。
【その3】真夏日、猛暑日が連続し、欧米の選手たちが次々に競技を棄権し、アフリカ、アジア、中南米の選手がメダルを分け合う。日本もメダル獲得数新記録を達成。しかし、マラソンをはじめ各競技で選手が続々死亡、外国からの観客にも熱中症による死者、入院患者が続出。救出に手が回らず、対応のまずさが世界中から指弾され、内閣総辞職。
 さて、【その1】はアメリカを始めとした国際的な連携で、何とかかんとか北朝鮮を大人しくさせて回避する道が開けるかも知れない。【その2】は起こるかどうか誰にも分からない。防ぎようも無い。しかし、かなりの確率で首都直下型の巨大地震が起こると地震学者は言っている。官邸と都知事執務室に鯰絵を掲げて、「そのような事が起こりませんように」と毎日お祈りするより仕方が無い。
 【その3】は蓋然性が最も高い。多分、猛暑による混乱が発生するのは間違いないだろう。東京五輪招致委員会は招致活動で「この時期の東京は温暖でアスリートには理想的な気候」と宣伝しまくったのである。重大事故が発生した時に、この責任を誰が取るのか。恐らくその時にはアベ・シンゾーさんは居ないだろう。多分居るであろうユリコさんと、その時の五輪担当相が辞任ということで幕を引くのか。それで幕引きできるくらいの規模で済むのかどうか。

  なんでまた土用真中に走るのよ
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2017年08月15日

俳句日記 (356)


防空壕
 「ここに立派な防空壕がありましたよね、実は私も入らせてもらったんですよ」とニイクラ酒店のオヤジさんが我が家の裏手の崖を見上げながら言った。
 昭和20年(1945年)5月29日、朝から昼にかけて米軍のB29爆撃機517機とP51戦闘機101機の大編隊が押し寄せ、横浜市中心部を火の海にした。米軍は横浜大空襲を、通常兵器でいかに短時間に効率よく都市を消滅出来るかの実験と定めていたらしい。攻撃拠点を東神奈川駅から東横線反町駅周辺、西区平沼橋一帯、中区の横浜市役所から京急黄金町近辺と、いずれも商業、住宅地にした。つまり最初から日本軍とは関係無い一般市民の住む燃えやすい木造住宅密集地に焼夷弾をばらまく焦土作戦を計画実行した。結果はその通りとなり、死者1万人、臨海部の工場もついでのように爆撃し、潰滅した。
 当時、国民学校2年生の水牛少年は意気軒昂たるものだった。朝の空襲警報で、国民服を着込み脚にゲートルを巻き、救急品を入れたズックの肩掛けカバンと水筒を襷掛けにして、家から離れた庭の隅の防空壕に妹と弟を連れて両親と一緒に籠もった。やがて、我が家にも猛烈な落下音と共に爆弾、焼夷弾が降りそそぎ、母屋は見る間に黒煙と炎に包まれた。両親は壕を飛び出し懸命な消火作業。しかし業火の勢いは物凄い。母がやって来て、2歳の弟トシオを背負紐で私の背に括り付け、5歳の妹マリコに「ミキ兄ちゃんの手をしっかり握っているのよ」と言い聞かせ、私には「なんとかして上の家まで逃げてちょうだい。しっかりね」と言うなり、また燃えさかる家の水掛けに走った。
 上の家とは伯父一家の家である。当時、わが家は反町駅の西7百メートルほどにある丘陵に、伯父一家と共に横浜ガーデンという小動物園を併設した植物園、花卉販売所を経営していた。山の頂上に伯父一家、麓に我が家があり、万一空襲で伯父の家が焼かれたら我が家へ、我が家がやられたら上の家へ避難することになっていた。運悪く空爆は我が家の方に当たり、丸焼けにされたが、上の家は無傷で、しばらくそこに避難生活を送ることになる。
 しかし、いくら気張っていても未だ8歳である。それが2歳の弟を背負い、5歳の妹の手を引いての逃避行。ふらふらよろよろ、昼間なのに焼夷弾の燃える油煙であたりは真っ暗。無闇に熱くていがらっぽい。青々と茂っていた街路樹が大きなタイマツのようにぼうぼう燃えて、それが照明の役を果たしている。その下の道路端には御影石造りの幅、深さ60センチほどの側溝があり、山の上の方からいつも水がちょろちょろ流れていた。そこに入って、のろのろと這い上って行く。私たち三人の前後には、焦熱地獄となった下町から逃げて来た人たちが蟻のように繋がっている。芥川の『地獄変』さながらである。
 機銃掃射だろう、時折、シュッシュッ、ババババッという音がする。ドンッという音とともにまぶしい光が射した。直ぐ近くに爆弾が落ちて破裂したのだ。ひっきりなしにヒュルヒュルという不気味な音と一緒に火の玉を降らせる焼夷弾は、燃える筈の無い地面を火の海にする。
 側溝の蟻の列が動かなくなった。前の方で、機銃掃射にやられた人がいたのか、詰まってしまったのだ。ようやっと道の上に這い出して、遮蔽物の何も無い坂道をよたよた登る。動けなくなりそうになると、あちこちの崖に掘ってある防空壕に飛び込む。
 横浜ガーデンはいざという時のために山の途中5,6個所に防空壕を備えていた。下町空襲時の住民の退避先として軍部からの設置要請もあったに違いない。昭和19年に入ると、どこからか大勢の労働者がやって来て、要所要所に横穴を掘り屈強な防空壕を作った。もちろん私はその防空壕の場所を知っていたから、あそことあそこの壕に入ろうと心づもりしながら逃げて行った。しかし、どれも既に超満員で、入口に人が溢れている。こうなると「ボッチャン」もへったくれも無い。「うちの防空壕だよ」なんて言ったって誰も聞いちゃくれない。隙間を見つけて潜り込むと、簡単に押し出されてしまう。壕の外で、声も出さない弟を負ぶい、私の手を痛いほど握りしめる妹と三人、ぼんやり突っ立っていたら、顔や手を煤で真っ黒にした母が追いついて来て、抱きかかえてくれた。夫婦二人でのバケツ消火は全く役に立たなかったのだ。父は別の道を私たち三人を見つけようと走り、間近に50キロ爆弾と呼んでいた小型爆弾が炸裂して、半身火傷を負いながら後から伯父の家に着いた。
 今ではこの山の99.9%は人手に渡り、数え切れない住宅が建ち並び、防空壕はきれいさっぱり無くなっている。しかし、この山を散歩していると、場所場所に72年前の防空壕がはっきりと浮かんで来る。こういうものが役に立つ日が二度と来ないように祈るばかりだが、半島情勢はきな臭く、もっと大規模なシェルターの建設話などが始まらないとも限らない。
  むかしここに防空壕あり蟇蛙
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2017年08月14日

俳句日記 (355)


冷や汁
 ここしばらく雨催いの日が続き猛暑一服とは言え、やはり日中の最高気温は30度近辺。湿度が高いから蒸し暑い。実に気分が悪い。食欲も減退気味だ。
 こういう時は「冷や汁」に限る。冷凍庫から鰺の干物を二枚取り出し解凍してガスレンジの魚焼き器でこんがり焼く。頭、皮を除き、小骨に注意しながら身をはずして擂り鉢に入れる。それを辛抱強くごりごり擂る。そこへ炒った白胡麻を大さじ3杯ほど入れ、またごりごりと擂る。この工程が冷や汁作りの一番大変なところなのだが、これをいい加減にすると、舌触りが悪く旨味の無いシロモノになってしまうから、少なくも30分は辛抱して続ける。
 干物と胡麻がポロポロになるくらい擂ったら、そこへ味噌を入れる。味噌は九州地方に多い麦味噌に限るなどと言う人がいるが、日ごろその家で用いている味噌でいい。我が家は信州味噌と赤味の強い仙台味噌を半々にする。味噌を入れてまた5,6分ごりごり擂れば下地の出来上がりだ。これをクッキングホイルに薄く延ばし、魚焼器で3分ほど炙る。こうすると香ばしい香りが立つ。
 この作業をやりながら、昆布と鰹節の出汁をとって、冷ましておく。
 さて、中身だ。豆腐は木綿でも絹ごしでも好みでいい。野菜は胡瓜、紫蘇、そして茗荷。わが菜園のキュウリは主力のフリーダムなどがもうすっかり終わりになり、地這胡瓜がぽつぽつ採れている。裏庭には茗荷が生えている。青紫蘇は庭のあちこちにある。それらを採ってきて、胡瓜は小口から薄く切り、塩揉みしておく。茗荷は二つ割りにしたのを斜め切り。紫蘇は千切りにして冷水にさらし、ぎゅっと絞ってアクを去る。これで準備完了。
 下地のゴマ・干物・味噌の練り合わせを擂鉢に入れ、出汁を少しずつ入れては擂粉木でのばす。擂鉢の七分目くらいになったら、味見をする。普段の味噌汁よりはかなり塩辛いくらいが丁度いい。薄ければ味噌を足して調節する。水牛は此処で日高昆布出汁を入れて味を調える。これは北海道日高地方の根昆布からとった出汁で、北海道物産展で見つけたのだが、今ではあちこちで売るようになった。結構塩気がきついので注意が必要だが、煮物にも吸物にも使えて便利だ。
 さてさて、こうして出来上がった汁に豆腐を無造作にちぎって入れる。次ぎに塩揉みした胡瓜をさっと水洗いしてぎゅっと絞って入れ、紫蘇と茗荷を入れて掻き混ぜれば「冷や汁」の完成。これを擂鉢ごと冷蔵庫へ入れて一時間ほど冷やすのだが、普通の家では夏場のこととて冷蔵庫にそんなにスペースは無いだろう。その場合は、製氷皿から取り出した氷を入れて掻き回して冷やす。というわけで、普段の味噌汁よりはかなり辛いものにしておくのだ。
 これを炊きたての熱々御飯にぶっかけて食べる。ホントに旨い。
 一番手間と時間がかかる、鰺の干物の小骨を取って擂鉢でごりごり擂る工程を省くことだって出来る。缶詰のシーチキン(ツナフレーク)か鯖水煮缶を使えばいい。これなら擂り鉢で10回ほどごりごりやれば、味の深みはもう一つだが、十分行ける冷や汁が出来る。野菜類の下ごしらえも入れて30分で悠悠作れる。但し、この場合は削り節(花かつおパック)をフライパンで軽く炒ったものを仕上げに揉み込むといい。俄然本物らしくなる。
  冷や汁をつくる父さん汗みづく
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2017年08月12日

俳句日記 (354)


コーンスープ水牛流
 「ねえ、今晩のおかず何にする」と山の神が言う。重ねて「どうして人間は毎日三度も食事しなくちゃいけないのかしら」と返答しようのない問いかけをつぶやく。結婚50年、毎日の献立を考え続けて来たのは大変なことだっただろうと思う。考えるのが嫌になっちゃうという心境も理解出来る。というわけで、近ごろ毎日のようにこの質問を浴びるのだが、当方もすぐには良い考えが浮かばず、腕を組むこと再三である。
 元々我が山の神の献立レパートリーはさほど多くなかった。割に裕福な家庭に育ち、お手伝いさんが3人もいて食事の支度はすべてやってくれるのだから、娘時代にはご飯を炊いたこともなかったらしい。結婚間際に御飯の炊き方と味噌汁の作り方を女中頭に教わって来たというのだから、ビンボーな少年時代を過ごし、見よう見まねで一通りの惣菜が作れるようになっていた水牛とは勝負にならないのである。
 食い物にうるさい亭主が居て、隣には一言も二言も多い姑(我が母親)が居る。それにも食べさせなければならないから、否応なしに料理の腕前は上がった。料理本を読み、新聞や雑誌の料理記事を切り抜いてノートに張り付けて、それを試すことも続けた。そういう努力をしてきたのだが、姑が死に、亭主が職を引いて濡れ落葉になると、さすがに張りも失せてきたのだろう、どっと疲れが出て、献立をあれこれ考える気力が薄れてきたようなのである。
 「うーん、材料はどんなもんがあるんだい」
 「何でもあるのよ。牛も豚も鶏も、魚もタラ、秋刀魚、鯛の切り身の冷凍、干物の冷凍・・」
 「そうだ、昨日収穫したトウモロコシで中華風コーンスープ作ろう。鶏の胸肉があるんなら、茹鶏を作って、胡瓜の千切り胡麻だれ和えを添えたのが主菜、その茹で汁を使ったコーンスープと、後はアスパラマヨネーズ」
 山の神は一件落着で涼しい顔つき。後は言い出しっぺがやってくれるはずだとパソコン机に座ってニュースを見て、「北朝鮮はやっぱりグアムにミサイル打つかしら」なんて言っている。
 「おいおい、茹で鶏作らなきゃだめだろ」
 「あらそうね」
 「青葱と生姜を入れて茹でるんだよ。煮えたらそのまま煮汁が冷めるまで浸けておくんだよ。そうすれば肉がぱさぱさにならない」
 「分かってるわよ」。どうだか怪しい。
 その間、当方は茹でたトウモロコシの実をペティナイフでこそげ落とす作業に大わらわだ。それをフードプロセッサーにかけて少々粒が残るくらいまで砕く。一方、玉葱をみじん切りにして、ベーコンを細切れにしたのと一緒に炒める。じっくりと炒めるのがコツだ。炒まったらそこに茹で鶏の煮汁を入れる。これだけでは少し物足りないので、コンソメの素を少量入れ、どろどろのトウモロコシを入れて煮る。沸騰したら塩、胡椒して味を調え、コーンスターチを適量入れてとろみを付け、卵二個を溶いて注ぎ込み、水牛流コーンスープの出来上がり。
 「トウモロコシ、もう少しフードプロセッサー回した方が良かったわね」と山の神はのたまう。確かに、粒々が多すぎて少々気になる。もうちょっと細かく砕いた方が良かった。しかし、そう言いながらもお代わりし、三年寝太郎は「うまいうまい」と三杯食べて、中鍋一杯が空になった。
  献立を残暑の午後の台所
posted by 水牛 at 15:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

俳句日記 (353)


暑いあつい
 立秋頃が暑さの頂点とは言うけれど、今日の暑さは並大抵ではなかった。お昼頃、庭の寒暖計を見るともう36℃を越えている。外気が自分の体温以上というんじゃあ堪らない。突っ立っているだけで汗が噴き出し、目まいがしそうだ。
 「そうだ、血圧の薬が切れちゃったんだ」。クリニックが昼休みになっちゃう。慌てて家を飛び出した。下の商店街には人っ子一人いない。八百屋のショーチャンが通りの真ん中に出て、あたりの様子を眺め回している。
 「おやどこ行くの、まともな人はこんな日盛りに出て来やしないよ」
 「アカオ先生のとこに薬もらいに行くんだよぉ」
 「おや、どっか悪いの」
 「どこも悪かないよぉ」
 ショーチャンはこのジジイ何を寝ぼけているのかと首をふりふり引っ込んだ。赤尾クリニックは四〇になったかならないくらいの若い先生で、夫婦で医院を開業している。元々は奥さん先生(副院長)のオジイサンが同じ場所で内科医院をやっていて、その頃からのお馴染みだ。かかりつけ医は出来るだけ若い方がいい。自分が死ぬまで診てもらえるからだ。それにこの若い医師夫妻はとても熱心で、患者の身になってあれこれ相談に乗ってくれるから、ジイサンバアサンのフアンが多く、大繁盛。今日も12時直前に飛び込んだら、受付の看護師が「あれあれまた一人来た」という顔をした。狭い待合室には16人も居て満杯。11日が祭日、その後は代診の土曜日を挟んで1週間の夏休みに入ってしまう。というわけで、本日込むのは当たり前なのだ。
 処方箋貰って、近くの薬局で薬を買い、また炎熱のアスファルト通りを帰った。路地を曲がって両側雑草の茂る階段を上ると我が家である。
 蕪村の『草いきれ人死に居ると札のの立つ』という句が浮かんだ。炎熱の中、雑草がぼうぼうと生い茂る町外れの路傍に、立て札が行き倒れのあったことを知らせ、心当たりを探すお触れが書かれていたのであろう。昔も今も熱中症患者は多かったのだ。江戸時代からずうっと、つい5,60年前まではこうした身元不明の行路病者が珍しくなかった。ことに、歩いて歩いて歩き疲れて、日暮れとともに野宿してそのまま息を引き取るという放浪者が多かった。
 平成の終わろうとするいま、平和な日本には階層化、所得格差が広がり始めた。戦争という国同士の殺し合いが無くなって平和が続くと、今度はそれぞれの国内で競争が始まる。要領が良くて運に恵まれたヤツがのし上がり、人はいいがノソノソしているヤツが自然に踏みつけにされる。そして時がたつと、政治家も上級役人も企業経営者も、あらゆる職種で世襲が始まり、二代目三代目が労せずして甘い汁を吸い、下層に組み敷かれた者は代を追うごとにさらに下に沈んで行くようになる。今の日本はちょうどその時期に差し掛かっているようだ。
 これから、この状態がますます進み、食えなくなった最下層は巷をさすらい、「草いきれ」の中に倒れ伏す。
 こうした状態が続いて世間の不満鬱屈が堪えられないレベルになると、爆発する。ある人間はテロに走り、ある人間は徒党を組んで革命運動を起こす。もう少し頭の良い人間は政党や政府の中を泳ぎ回って実権を握るや、大バクチの戦争を起こす。奈落の口が大きく開いている。
 と、暑さにやられた脳味噌はどんどん良くない方向に妄想を脹らませて行く。
  同じとこくるくる鼠花火かな
posted by 水牛 at 22:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

俳句日記 (352)

トマトピューレ
 昨日は立秋だったが、台風5号が迷走してNHKラジオは一日中、いま四国を窺っているだの紀伊半島へ上陸かとか、ひっきりなしにわめき続けてまったく落ち着かなかった。この先台風は何時間くらい居座りそうなのか、雨量はどのくらいかといった必要情報だけさっと述べればいいものを、やれ大変な土砂災害が心配されるだの、避難情報が出たら早めに避難するようにとか、二階に上がって様子を見る垂直避難を心掛けて下さいなどと、ろくでもないことをいつまでもいつまでも繰り返し言う。
 普通の人は、そんなことは言われなくても分かっている。一方、人の言うことを聞かない人間や、注意力散漫な人間は、何を言われたって聞く耳持たず、理解力も不足しているのだから、いくら言い聞かせても無駄である。つまりはそうした「忠告」は全く意味が無いということにNHKは気が付かない。いや気がついてはいるのだが、お役所から言われてそうした放送をしなければいけない仕組みになっているのかも知れない。「皆様のNHK」なんて言っているが、視聴料という税金でやっている「お役所のNHK」であることは自明である。
 それはともかく、我が家のある横浜は夕方少し風が出て、ざっと降っただけで、何の事も無く済んだ。今日は台風一過上々のお天気で、お日様ぎらぎら。またまた藤棚から蔓が伸び出し青空にゆらゆら泳ぎ出し、何か掴む物無いかしらとしきりに揺れている。家側の方には雨戸の上の鴨居や樋、外を照らすランプの取り付け金具に巻き付き出した。
 暑くて億劫だから知らんぷりしていたら、居間に座って猫のチビを撫でていた山の神が、ふわふわ揺れる藤ヅルを見つめている。首をすうっと伸ばして、あたかも積乱雲が頭をもたげたようである。ほどなく雷が鳴ることは間違いない。いいよ、いいよ分かりましたよ。外用の踏台持って来て、チョキチョキ切り始めた。「あら、よく気がついたわねえ、ご苦労様ですねえ」と機嫌がいい。
 取りかかれば簡単ですぐに済んだ。そこまでは良かったのだが、茶色くなった庭のトマトが眼に入った。数日前から撤収しなければと思いながら手つかずでいたのだ。昨日の雨風で弱っていた枝葉がさらに枯れて、しどけなくなっている。取り残した赤い実がいくつもぼろぼろ地面に落ちている。木にもたくさんついている。人の背ほどになったのが四本もある。
 ええい、思い切って全て引っこ抜こうと決心した。まず蚊除けスプレーを周囲一帯に撒布して取りかかる。枝を切りながら着いている実をバケツに放り込み、支柱を取り払い、幹だけになったのをヨイコラショと引っこ抜く。これを四本やったら、汗だく、頭はクラクラ。失神寸前。リポビタンDとOS1をがぶ飲みしてシャワーを浴びてクーラーの効いた部屋にどたんとのけぞった。
 しかし、これだけでは済まない。採ったトマトの始末がある。バケツ一杯のトマトを洗って適当に切って大鍋にぶち込み、ぐつぐつ煮る。どろどろに煮崩れたら少し冷まして、お玉でしゃくって漉し網に入れ、擂り粉木でごりごりやって下の鍋にトマトピューレを漉し落とす。これがまあ一仕事なのだが、夕方には大鍋一杯のトマトピューレが出来た。今年はこれが四回目。その都度小分けして冷凍庫に保存してある。
 これを煮溶かして白ワイン、胡椒、パプリカ、イタリアンハーブミックス、その他の香辛料と塩、酢、ウスターソースを入れて少々煮詰めると美味しいトマトケチャップが出来上がる。スパゲティナポリタンやピザマルゲリータなどが百人前以上作れそうなほど原料が貯まった。
  台風一過菜園のぞくまだら蝶
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2017年08月02日

俳句日記 (351)


つるつる

 作文添削指導の仕事を20年來やってきたのだが、寄る年波に根気が続かなくなり、引退した。この間ずっとお世話になり続けた事務局の代々の女史三人に感謝の意を伝えようと、神田のフレンチレストランでささやかな午餐会を開いた。仕事中だからワインもビールもダメと言われたのが少々残念だったが、とても楽しい一時が持てた。
 美女三人に囲まれてのランチだからか、お冷やで乾杯というのにすっかり気分がよくなり、地下のレストランから階段を上って地上に出たら、風がとても心地良い。ぶらぶら歩き始めた途端、風に帽子を攫われた。それほど大した風ではなかったのだが、ご婦人との会食ということで、今朝、念入りに髭を剃り、ついでにむさ苦しく生えていた頭もきれいに剃ったものだから、つるつるで引っ掛かりが無い。軽いパナマだから、ほんの少しの風でふわーっと飛ばされてしまったのだ。
 慌てて振り返り、帽子を掴もうとしたが、ふわっと飛んで、生き物のように転がる。禿頭を振り立てて追う。4,5メートル後ろを歩いていた連れの一人の足元にぶつかって、拾い上げてもらった。
 出がけに、山の神が「若い女性に囲まれて、粋がったりするんじゃありませんよ」と嫌味を言っていたのを思い出した。

  南風や止まっておくれパナマ帽
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