2017年10月28日

俳句日記 (372)


折れた山芋
 わが家庭菜園の縁に山芋(ヤマノイモ)が植えてある。その葉が黄色に色づいて美しい。いよいよ掘り上げの時期が来た。しかし、今年の10月は雨ばかりで土が濡れ、掘れないのだ。日記を繰って10月の天気を調べたたら、晴が11日、曇が4日、雨が13日である。29日日曜と月、火は台風22号の本州接近で雨が確定的というから、なんと今年の10月は雨が16日もある。秋霖という言葉があり、「秋黴雨(あきついり)」とも言って、俳句に詠まれるのだが、こう雨ばかりでは俳句にするのもげんなりしてしまう。
 だが、そんなことを言って腕を組んでいても仕方が無い。ヤマノイモを一日も早く掘り上げ、付近を綺麗にして正月用の菜っ葉のタネや、あれこれ見つくろって冬野菜の苗を植えなければいけない。今日も霧雨が降っているが、勇を鼓して畑ズボンに着替えて降り立った。
 掘り始める。案の定、畑土は水分をたっぷり含んで重い。シャベルにすぐにくっつく。少し掘っては泥を落とし、また掘っては泥を落とす。そんなことを繰り返して、山芋の列に沿って深さ40センチばかりの細長い溝を塹壕のように掘り進める。こうして置いてから、スコップで慎重に山芋の蔓の根元の土を掻き取る。すると芋の首が現れ、細長い芋が下の方に伸びている。その周囲の土を注意深くこそげ落とし、溜まった土を掻い出しながら掘り進む。地面から10センチばかりまではまだ山芋の首部分で、そこから下が太くなって1メートルほど地中に伸びている。これを折らずに、無傷で掘り上げるのは非常に難しい。
 一口に深さ1メートルと言うが、それを掘るのは大変だ。まずシャベルは片足をかけてぐさりと土中に刺す。これがほぼ30センチだ。これを三回繰り返せばいい、なんていう簡単な物では無い。二回目を掘るには、シャベルを動かし、掘った土を外へ出すために、周囲を掘り広げる必要がある。深さ1メートルとなると、シャベルが届かないから、自分が入れるほどの大きさの穴を掘らねばならない。というわけで、穴掘りは大変な重労働になる。
 ちなみに、人殺しの犯人が被害者を山林に埋める話が事件記事によく出て来るが、そういう死体は大概深さ40センチ見当の所に埋まっている。長さ1.5メートル、幅70センチほどの長方形の穴を掘るとして、シャベルをぐさっと突き刺して土を掘り上げて一巡して深さ30センチ弱の穴が出来る。もう一回全体を掘って行く。そうすると何とか平均40センチほどの深さの長方形の穴が出来る。「ちょっと待った。シャベルぐさり一回で30センチなら、二回なら60センチになる筈だ」というのはシロウトの浅はかさ。土というのは不思議な物で、掘り上げた途端に体積が二倍ほどに膨らみ、それが穴の中に散らばって、二回目からは計算通りの深さにならないのだ。まあそれはとにかく、気が急いている中での仕事だから二回掘って40センチが精一杯なのだ。死体を投げ込み、土を被せ草木で覆って完成。というわけで、大抵の死体は深さ40センチに埋まっている。
 しかしヤマノイモは1メートルはある。さらにさらに掘り進めねばならない。こうして苦心惨憺やっても、まともに掘り上げられるのは数少ない。大概は途中でポキンと折ってしまう。その後は崩れた土が覆い隠してしまうからどこを掘り進めばいいか分からない。悪戦苦闘、山芋6本と拳骨のような形のツクネ芋2個を掘り上げたところで精も根も尽き果てた。まだ後これの倍ほどあるが、それはまたのお楽しみ。
 かなり太くて形のいい芋が途中で折れて、15センチほどの物が採れた。すぐに摺り下ろして卵を割り入れ、昼食は山かけ御飯にした。美味いのなんのって、折しも強くなって来た雨の庭を眺めつつ、満足している。
  雨の間合はかり掘り上ぐ山ノ芋
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2017年10月19日

俳句日記 (371)


ガイジンだらけ
 山の神の父親の23回忌と母親の3回忌法要があり、お供をして京都に出かけた。山の神のルーツは京都で、お墓が南禅寺にある。親類縁者も京都に沢山いる。旅嫌いの山の神は「面倒ねえ、行きたくないわね」なんて言うが、こちらは京都が大好きだから「そんなことは言わないで」となだめ、いそいそと出かけた。ところが、平日でしかも紅葉にはまだ間がある端境期というのに、ガイジン観光客で大賑わいだった。西洋人も多いが、圧倒的なのが中国人だ。ムクドリのように群れて、大声で喋くっているからすぐに分かる。
 近ごろは「外人」と言ってはダメで「外国人」と言わなくてはいけないのだそうである。何故、外人がダメなのか、はっきりした理由が分からないのだが、新聞は必ず「外国人」と書いているし、横浜市役所のバカな小役人は「外国人墓地」なんて言っている。これなんか昔から「山手のガイジンボチ」として通っており、半ば固有名詞である。何故わざわざ舌を噛みそうな言い方にしなければいけないのか。外人と言ったからとて蔑んでいるわけではなく、外国人と言ったからとて別に尊敬するわけではない。蔑んだり尊敬したり、嫌ったり好いたりは、その人の人柄や言動によって判別すべきものだと思う。
 とにかくアベ政権は狂ったように国際化、国際観光振興、訪日外国人客の増加を図ろうとしている。確かに外国人がやって来ればなにがしかの金を使ってくれるはずで、日本の国内消費が刺激される。現に売上げ低迷のデパートなどは外人観光客の買い物需要で大いに潤っている。さらに、訪日客が日本の風物と日本人の親切とお人好しに感激して帰国し、好印象を語り広めてくれれば日本の評判を高めることにつながるだろう。
 しかし、風俗習慣の異なる人間を受け入れるということは、受け入れ側の人間に大なり小なり犠牲を強いる。ガイジンさん達に物やサービスを買って貰う業種の人たちはこうした苦労をしても利益が得られるのだから報われる。だが一般の日本人にとっては、ガイジンを受け入れることによって生じる不利益に対する償いが何も無い。そのことを全く顧慮せずに、政府やマスコミが「昨年の訪日外国人客は前年比五割増」とか「三年後には訪日外客年三千万人が目標」などと、ガイジンが増えることがいいことだと手放しで囃しているのが理解出来ない。
 国際化して貿易をさらに活発化させることが日本の国是とは理解しているのだが、東京の繁華街や今度出かけた京都を見るにつけ、何も揉み手をしてまで騒がしい傍若無人な連中に来て貰わなくてもいいような気がする。
 祇園や清水寺への三年坂など狭い道をわいわい押し通って行く連中を見て、「なんだあのぺらぺらの品の無い浴衣なんか着て」と言ったら、案内をしてくれた山の神の従兄弟は、「まあ、ああして貸衣装の着物着て名所巡りして、写真ぎょうさん撮って、あれこれお土産買うてくれはる。まあ、ええやないですか」とニコニコしている。さすがは千年間、お上りさんを迎えて適当にあやしては食って来た古都の人は違うなあと感心した。
 でも。これから日本全土がこうなるのかと思うと、それも少々シンドイなあ。東京オリンピックの時まで丈夫で生きていたら、どこか田舎に逃げだそうかなんて考えている。
  椋鳥の柿の古木の撓ふほど
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2017年10月10日

俳句日記 (370)


鶏団子
 10月6日付けの当欄に書いた「足温器猫」のチビとは別に、我が家にはもう一匹キタコというネコがいる。キタコはチビのように馴れ馴れしく擦り寄るようなことはしない。ベランダに小屋があるのに、餌を食べる時しか入らない。我が家の周りのどこかに住み着いていて、朝晩、餌をもらいに来る外猫である。
 朝、ベランダの雨戸を開けるとちゃんとそこに居て、みゃあと鳴く。猫缶を開けて、乾いたキャットフードと共に猫皿に入れて小屋の中に置く。しかし私が見て居る間は決して食べず、居間に上がってガラス戸と網戸を締め、レースカーテンを引くと、初めて小屋に入って食べる。物凄い用心深さだ。実は12,3年前、私はこのキタコが物置の裏で産んだ子を袋に入れ獣医の元に運び処分し、あまつさえ、好物の鶏肉や魚を仕掛けた檻で捕らえて不妊手術を受けさせた。それを未だに覚えているのだろうか。餌を貰いに来るくせに1メートル以内には近づかない。手を伸ばすと「ぎゃお」と叫んで反撃の構えをとる気丈なバアサン猫だ。
 チビは10数年前、キタコがどこかから連れて来た連れ子である。キタコは明らかに洋ネコ系の肥り気味で、半長毛の黒・茶・黄の混じった汚れた毛布のような体色。それに対してチビははっきりした黒白まだらのやせ形の和ネコである。どう見ても母子ではない。それなのにある春先の朝、連れて来て、居付いてしまったのである。どうやら私が子を奪ってしまった直後だったので、どこかの迷い猫の子を自分の子と勘違いしたのかも知れない。
 キタコはチビを無闇に可愛がっていたくせに、一年たったかたたないか、或る日突然邪険にして噛みついたり蹴飛ばしたりした。途方にくれたチビは離れの陶芸小屋に住んでいた玄太の懐に逃げ込んだ。玄太という柴犬とシェパードの雑種の去勢犬は実にお人好しで、チビを抱え込んで暮らすようになった。その玄太が17歳で死ぬと、身より頼りが無くなったチビは5年前、水牛の書斎に潜り込んで来たのだ。
 今ではすっかり家猫になったチビは毛づやも良くなり、お姫様然(と言ってももう12歳だから御老女か)として居間の中からタタキのキタコを見下ろす風情である。
 そういうチビを見るにつけ、キタコも思うところがあるのだろう。近ごろ急に私と山の神におべっかを使うようになった。警戒ラインの1メートルの中に入って来て、みゃあみゃあと何かをねだるのだ。それを見て、山の神が晩のおかずの残りの鶏つくね団子を与えた。むしゃぶりついて、瞬く間に食べた。「もっとくれ」と言うが、もう無い。翌朝もまたねだる。いつもの猫缶とキャットフードを食べないで、みゃあみゃあ言っている。
 美味い物を味合わせてしまったこちらが悪い。しょうがないからスーパーに行って、一番安い鶏挽肉を買ってきて、澱粉を繋ぎに少し入れて練り丸めて湯がいて鶏団子を作った。焼き鳥団子や市販の鶏つくね団子と違って葱や香辛料が入っていないから、猫の健康維持にはこの方がずっといい。案の定、この鶏団子にはご満悦。以後、朝昼晩三回貰いに来るようになってしまった。
 「貴方が甘やかしたせいよ」と山の神は言う。確かに、葱や胡椒の入ったものよりはと鶏団子を作ってやったのは私だが、そもそも最初につくね団子をやったのは誰なのか。しかしそんなことを言うと、あの半島の国営放送の民族衣装のオバサンそこのけの反論が返って来るに違いないから、言わない。
 とにかくこうなってしまったからには、まあしょうがない。今日もダイエーで100グラム149円という一番安い鶏挽肉を買ってきて、丸めて湯がいて、せっせとキタコのおさんどんをつとめた。
  穴探す蛇追ひかくる猫強し
posted by 水牛 at 23:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

俳句日記 (369)


足温器
 チビが「にゃあ」と言いながらパソコン机の下に潜り込んできて、私の足に身体をこすりつけ、みゃあみゃあと何かを催促する。餌は入れてやったばかりだし、トイレ掃除も済ましてやった。二階のバルコニーに出してくれと言うから、それもしてやった。
 さて何だろうと考えて、はたと気が付いた。冬場になると足が冷たくなるので、床に座布団を敷き、その上に50センチ四方くらいのマット式の足温器を置いている。もちろん四月初めになると撤去して干して物置に仕舞う。それを出せと言ってるらしいのだ。
 確かに今日はまるで冬になったかのようである。一昨日の仲秋名月を眺めた時もずいぶん冷えて来たなあと思ったのだが、今日はさらに冷える。夕方から雨がしょぼしょぼ降り出し、その中を庭の寒暖計を見に行ったら15℃だった。書斎の寒暖計は20℃だ。
 こちらは人間だから「常識」というものに縛られている。まだ十一月にもならないのに足温器など思いも及ばない。しかし猫は暦なぞ関係無い。まさに寒いものは寒いのであろう。確かに15℃じゃ無理も無いなと足温器を引っ張り出した。電源を入れてやったらいそいそと乗っかり、ふんふん匂いを嗅いで真ん中に丸くなり、やがて満足そうに寝てしまった。
 それにしても、こんな小さな脳味噌で、こんなことまで覚えていられるものなのだろうかと感心した。チビの頭蓋骨は小学生の握り拳ほどである。その扁平な頭蓋骨の中の脳味噌は生雲丹の半分あるかないかくらいだろう。それが、寒くなったら「水牛の足元の足温器」を思い出すとは、全く魂消た。
 こりゃやっぱり猫はいじめない方がいいなと思った。化け猫伝説があながち嘘っぱちとも思えなくなって来たのである。
  そぞろ寒猫の擦り寄る雨の宵
posted by 水牛 at 21:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

俳句日記 (368)


十五夜お月さん
 今日十月四日は仲秋の名月。つまり本日が旧暦の八月十五日なのである。いつもの年より一ヵ月近くも遅い。
 どうしてそんなことになるのか。それは今年が旧暦(太陰太陽暦)では「閏年」に当たっていたせいである。今年は旧暦に従うと五月の後に「閏五月」という月が置かれ、一年十三ヵ月の特殊な年になっている。このため六月以降は旧暦による行事がいつもの年よりかなり遅くなってやって来ることになった。
 旧暦と言われる暦は、新月から満月を経て新月に至るまでを一ヵ月を定め、それを十二回繰り返したものを一年とする「太陰暦」に、太陽暦の要素(二十四節気)を取り込んで季節変化を調節したものである。この「調節」によって三年に一度程度、一年が十三ヵ月になる閏年が廻って来る。
 真っ暗闇の新月から満月を経て新月に至る月の運行は約二十九・五日。「半日」では暦が作れないから、三十日の月(大の月)七回に二十九日の月(小の月)を五回はさみ、一年三百五十五日としたのが「太陰暦」。しかし、これでは太陽の運行による一年約三百六十五日より十日、年によって十一日も短い。この暦をずっと使い続けると、ほぼ三年で一ヵ月のズレが生じ、十五、六年たつとお正月が真夏になり、夏休みが厳寒の候になってしまう。
 暦というものは元々、農業や日々の暮らしの指針を示すもので、為政者が民を統率する上での重要な道具であった。それが年によってばらばらになってしまうのでは示しがつかない。というわけで、古代中国殷時代(西暦前十六世紀から前十世紀頃)の帝王が太陰暦に太陽の運行による季節変化を教える「二十四節気」というサインを付加した「太陰太陽暦」というものを発布した。これが日本には飛鳥時代に伝わり、ヨーロッパにも伝わり、全世界のカレンダーの基になった。これによって、太陰暦と太陽の運行に基づく季節変化のズレを修正することができるようになった。例えば田植えの時期がいつかを知らせるにも、太陰暦では四月だったり五月だったり訳が分からなくなってしまうところを「芒種」という二十四節気のサインを暦上に示すことによってはっきりすることができる。
 こうして農耕や生活指針としては二十四節気でかなり分かり易くなったが、月の満ち欠けによる一ヵ月と太陽の運行による一ヵ月とのズレを埋める問題が残る。太陰暦は太陽暦より一年で十日以上短い。三年足らずで一ヵ月のずれが生じてしまう。これを解消するために「閏月」を設けた。三年に一度、十三ヵ月の年を作るのだ。これが平成二十九年に廻ってきたわけである。
 そんなわけで今年は十月になって仲秋の名月を拝む仕儀になったわけだが、今宵の横浜は月の出から八時ころまで少々雲があったものの十五夜が煌々と輝いた。九時頃からかなり厚い雲が出て来て中天にかかったお月様が隠れてしまうようになった。
 一昨日、今年は不漁と言われたスルメイカのいいのを見つけて作った塩辛がある。まだ熟れていないが秋上がりの冷やにはよく合う。

  出来たての塩辛で酌む今日の月
posted by 水牛 at 21:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする