2017年11月22日

俳句にならない日記 (8)


やれやれ(その3)
 横綱日馬富士による平幕貴ノ岩暴行事件は鳥取県警の取り調べと相撲協会の調査が行われ、先日この欄に書いたような線で進んでいるようだ。とにかく、大相撲という、祭祀とスポーツが渾然一体となった日本独自の行事が、ITだロボットだという新時代にもなんとか生き残れるようにと願っている人間にしてみれば、つまらぬ諍いが因で潰れるようなことがあってはならない、そんなことにならないようにと祈るばかりである。
 その為には、大相撲の場所そのものがしっかりと行われねばならない。年六場所がそれぞれ白熱した取組を繰り広げて大いに盛り上がれば、仲間内の喧嘩や協会幹部の勢力争いにまつわるもやもやなどは雲散霧消してしまうのだ。
 ところが現状はその反対。いま終盤戦の九州場所は、まさに目も当てられない状態に陥っている。久方ぶりの日本人横綱稀勢の里は危ぶまれた通りの窮地に立たされてしまった。初日、これまでカモにしていた玉鷲にもろくも敗れると後はぐずぐず、十日目にはこれまた負けたことがない宝富士にも投げられて、あえなく休場に追い込まれた。新横綱としての今年春場所こそ驚異的な逆転優勝を飾って驚かされたが、その後は何と四場所連続休場である。これで来年1月の初場所で思わしくない成績であれば早くも引退ということになろう。そして、同じように休場を繰り返している横綱鶴竜も初場所が正念場。暴行事件の日馬富士はこのままでは到底、正々堂々土俵入りが出来るとも思えない。
 そうなると残るは白鵬一人。この横綱は憎らしいほど強く、しかも鍛錬を欠かさないのだろう、身体も実にしっかりしている。「何だお前ら」というようなふてぶてしい面つきが面白くないが、やはり今日の大相撲を背負って立つのはこの男しかいないと思っていた。
 ところが、今日22日、十一日目の結びの嘉風との一番で心底ガッカリした。立合、嘉風が意図したのか偶然か半呼吸遅く立ったせいで、白鵬のふところにすぽっと潜り込め、もろ差しになれた。白鵬はその瞬間、何を考えたのか力を抜いた。嘉風はそのままぐいぐい寄り、白鵬の投げも遅くそのまま寄り倒して、白鵬の全勝にストップをかけた。その後がいけない。土俵下に落ちた白鵬は片手を上げ、「勝負不成立」のアピールをしたのだ。大相撲では行司が第一次の審判者であり、その正否を判断する土俵下の五人の審判(検査役)が最終決断をする。力士はそれに絶対服従しなければならない。この勝負では行司判定は嘉風、検査役もそれを可として動かなかった。白鵬は「待った、だと思った」としてアピールしたのだが、自身もちゃんと立ってしかも相手に得意技のカチ上げまで見舞っている。これでは戦いが始まったものと見做されて当然である。
 にも拘わらず、白鵬は勝負後いつまでも土俵下に留まり、検査役に促されて土俵に上がっても取組後の礼も交わさず,嘉風が勝名乗りを受けるのを睨めつけていた。実に見苦しい振る舞いだった。この一幕だけで、これまで「白鵬は日本の大相撲の人間になった」と思っていたのが間違いだったことが分かった。やはり白鵬は「日本的風土」とはほど遠いところにいるようだ。
 第一人者がそうなると、今後の大相撲はどうなるのか。またまた、フラフラ横綱稀勢の里よ、何とかならないのかよ、という処に舞い戻るのである。
posted by 水牛 at 21:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

俳句にならない日記 (7)


やれやれ(その2)

 日馬富士の貴ノ岩暴行事件は、17日、鳥取県警による横綱日馬富士への事情聴取で公権力の手に渡った。その結果、傷害事件として立件され裁判沙汰になり、日馬富士に対して何らかの刑罰が科されることになるのかどうかはさておき、とにかく相撲取同士の喧嘩が公の場で裁かれることになった。しかも主人公は横綱である。公益法人日本相撲協会はこうした事態にどう対処するのか。
 こういうぶざまなことになってしまったのは、相撲協会に当事者能力が欠けていることが第一の原因。第二には被害者貴ノ岩の親方である貴乃花親方の何とも不可解な行動である。
 殴打事件は大相撲鳥取巡業(10月26日)の前夜、鳥取市内の飲食店で貴ノ岩の態度に怒った日馬富士がビール瓶で殴ったというのが発端である。その場には横綱白鵬、関脇照ノ富士などモンゴル出身力士や贔屓筋がいたという。衆人環視の下での暴行だから、白鵬が「ビール瓶では撲っていない」と弁護しているとは言え、暴行の事実は動かしがたい。だから、日馬富士は翌日、貴ノ岩に会って謝罪し、貴ノ岩も許し、そのままその日の鳥取場所に出場、取組も果たした。その後、広島県福山市の巡業にも出場した。周囲も何事も無かったものと受け止めていた。ところが、その日、貴乃花親方は鳥取県警に「日馬富士による貴ノ岩殴打」の被害届を提出していたのだった。
 11月に入り、2日には貴乃花部屋の宿舎のある福岡県田川市の市長を貴乃花親方と貴ノ岩が表敬訪問、地元テレビでにこやかに挨拶しているところが放映された。しかしその日、「日馬富士による貴ノ岩殴打事件」が警察筋などから協会幹部に伝わり協会内部に激震が走った。翌3日にかけ、協会から貴乃花親方、日馬富士の親方である伊勢ヶ浜親方に問い合わせるも、双方とも「わからない」との回答。
 そして、5日から9日まで貴ノ岩が福岡市内の病院に入院。12日、九州場所開幕、貴ノ岩休場。13日、「右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い。全治二週間」などと書かれた診断書が出された。翌14日、報道で「日馬富士による貴ノ岩殴打」が明るみに出て大騒ぎになった。
 事件経過は上記の通りなのだが、相撲協会理事で巡業部長でもある貴乃花親方が弟子の被害届を警察に出しておきながら、何故、協会に報告しなかったのか。法人組織としてはこれが大きな問題となるはずだが、これについては貴乃花親方と協会双方からの説明が無い。
 早くも来年1月に行われる相撲協会の理事・理事長選にからめての思惑が云々されている。今回の騒ぎは現理事長の八角親方を追い落とすためのものだとか、次期理事長選でライバルとなる伊勢ヶ浜親方(日馬富士の親方)を蹴落とすための策なのだとか。内情はいろいろあるのだろうが、とにかく早く真相を明らかにして決着をつけて欲しい。
posted by 水牛 at 01:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

俳句にならない日記 (6)


やれやれ

 「えっ、あの日馬富士が」と心底びっくりした。日ごろのインタビューの受け答えや、大学に通ってまで勉強に精出しているという真面目な生活態度、それに何と言っても相撲に真摯に取り組んでいる姿勢から、日馬富士という力士は偉いなあと感心していた。それがなんと、ビール瓶でモンゴル出身の後輩貴ノ岩をぶん殴り、重傷を負わせてしまったというのだ。
 10月26日、鳥取巡業の折りに開かれたモンゴル出身力士の懇親会で酔った挙げ句の喧嘩らしい。日本酒なら1度に1升2升平気という力士たちの宴会では、乱酔の挙げ句に物凄い殴り合いになることも珍しく無いと聞いたことがあるが、ビール瓶で殴るというのは異常である。人は見かけに寄らないというから、日馬富士は酒癖が悪い男なのかも知れない。あるいは、貴ノ岩が先輩に失礼な言動をして怒らせた結果・・ということだったのか。真相はよく分からないが、兎に角、こういうのは怪我を負わせてしまった方が責められるのは当然だ。
 もう10年近く前になるか、絶対的強さを誇った横綱朝青龍が、やはり酔った挙げ句に一般人に怪我を負わせて引退に追い込まれた。日馬富士も引退せざるを得ないだろう。好漢惜しむべし。酒は怖い。酒呑洞という庵号を持つ当方もくれぐれも注意せねばと、改めて自らに言い聞かせた。
 それにしても折角盛り上がってきて、ふらふら横綱稀勢の里も何とかやっていけそうな気配を見せたところへ、冷水をぶっかける事件。こうなったら仕方が無い。相撲協会としては、可哀想だが日馬富士にはちゃんと責任を取らせ、「引退」させて素早くケリをつけた方がいい。最悪なのは「仲間内の喧嘩沙汰だから」として「謹慎休場」などいいかげんな処置でいつまでも煙をくすぶらせてしまうことだ。
posted by 水牛 at 20:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

俳句日記 (375)


しっかりせいよ稀勢の里
 大相撲九州場所が始まった。夏場所途中休場、秋場所全休の稀勢の里が久しぶりの登場で大いに盛り上がるはずが、初日早々不様な負け方でがっかりした。これまでの対戦成績九戦全勝の玉鷲が相手で、ちょこまかと動いたりする力士では無いのだから、落ち着いて立って組止めればなんということは無いはずだった。それを、立合からして縮こまってしまって、満足に立てない。三回も仕切り直しで、ますます調子が狂ったのだろう、組止めることが出来ないままなすすべ無く押し出されてしまった。その後に出て来た、やはり休場明けの白鵬が憎らしいほどの強さで元大関の琴奨菊をぶん投げ、例の「どうだ」という顔をしたのと余りにも対象的だった。
 今年一月、久々の日本人横綱誕生と歓呼の声で迎えられた稀勢の里。その横綱昇進が決まった時、1月26日の当欄で「たった1度の優勝で横綱にしてもらった稀勢の里は、昭和29年、同じような感じで横綱になった吉葉山と同じコースを辿りはしまいか」と書いた。そうしたら、何と翌春場所、新横綱で優勝してしまった。それも場所中に左肩を痛め、右手一本で相撲を取り、リードしていた怪力大関照ノ富士を本割りで破り、優勝決定戦でもやっつけてしまったのだ。これには思わず涙が出た。そして、「1月には変なことを書いてしまって、稀勢の里よ許せ」と「水牛のつぶやき訂正版」(3月27日)を載せた。
 しかし、やはりこの春場所の無理が祟ったのだ。左肩の怪我はかなりひどかったに違いない。夏場所は出られる状態ではなかったのに、無理して出たのが大失敗で、さらに痛めて途中休場。秋場所にも間に合わず全休せざるを得なくなった。この九州場所も自分では「十分良くなった」と言っていたようだが、上位力士との稽古は直前になっての弟弟子の大関高安だけ、ちょっと急仕上げの感じだった。元々腰高な相撲だから、本番勝負から遠ざかっていると不安定さがより一層目立つ。今日の相撲はその典型だった。
 二日目の相手は初日に横綱日馬富士を破って意気軒昂たる小結阿武咲。これはもう気が気では無い。これで負けるようだと、やっぱり水牛の悪い予言通り、不運の吉葉山のコースになってしまいそうだ。そうならないように、なんとかノミの心臓に活を入れてほしい。
  ふくと汁食って頑張れ稀勢の里
posted by 水牛 at 22:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

俳句日記 (374)


「俳句史の真実」
 NPO法人双牛舎から今泉而云(恂之介)さんの素晴らしい本が出た。『俳句史の真実─芭蕉から第二芸術まで』というタイトルで、これまで数々出された俳句関連の書物には無い視点に立って、俳諧から俳句へと進んで来た流れを解き明かした力作である。
 而云さんとは同い年で、大学時代から一緒、新聞社に入ってからも一緒に働き、定年後は二人で仲間に呼びかけて「俳句振興NPO法人双牛舎」を立ち上げ、力を合わせて俳句の普及振興に勉めてきた。つまり、60年以上も一緒に仕事し、飲み、遊び、俳句を詠み合ってきた仲である。ずっとくっついているからと言って、間違っても虹色の旗を掲げる仲などとは見ないでもらいたい。互いに気が合って、趣味も似通っていたことからずっと付き合ってきただけである。
 二人ともかなりずぼらでいい加減なところがあるのだが、水牛が酔牛になり睡牛になって何一つまとまったことが出来ない(やらない)のに対して、而云はその辺は割にしっかりしていて、節目々々でしっかり著作をまとめ、人生の一里塚をちゃんちゃんと築いてきた。中国河南省の鄭州大学に客員教授として招かれ数年間、中国人の学究に日本文化と日本のマスコミ事情などを教えて帰国すると、すぐに句文集「大陸春秋」(2007年、NPO法人双牛舎刊)を出し、双牛舎で俳句活動を繰り広げながら俳句史を研究し、正岡子規によって「無価値」と切り捨てられた幕末から明治前半のいわゆる「月並俳句」の巨匠たちに光を当てた名著「子規は何を葬ったのか」(2011年、新潮選書)、次いで明治期の伊那を中心に活躍した放浪俳人井上井月の足跡を辿った「井月現る」(2014年、同人社)という具合である。
 今回の『俳句史の真実』はその系譜に連なる著作で、芭蕉が芸術の高みに押し上げた「俳諧」から始まって、現代俳句が興隆するまでの過程を追いながら、これまでの俳句俳論には無かった視点からの考察を行っている。「芭蕉と旅」の章に始まり、一番弟子其角のこと、天明期の与謝蕪村のことと、蕪村を明治時代に再発見した立役者が子規とその一門とされていることへの疑問提起、小林一茶の実像、幕末維新の五稜郭に立て籠もった面々の句会の様子、そして「子規の俳句革命」、さらには昭和初期の俳句界に大きな影響を与えたエイゼンシュテインのモンタージュ理論、第二次大戦直後、俳句界を見舞った「第二芸術論」の衝撃に至るまで、きめ細かな資料点検と鋭い考察を、実に分かり易い流れるような筆致で書き表している。
 私は初期の原稿の段階から読ませてもらっていたが、心から感服した。これはぜひとも俳句愛好家ばかりでなく一人でも多くの人たちに読んでもらいたい、有力な出版社から出してもらう値打ちのあるものだと思った。実際、いくつかの出版社に当たったのだが、やはり出版不況の現状では、こうした地味な書物の出版には二の足を踏むようで、はかばかしい反応が無い。しかし、このまま埋もれさせて仕舞うわけにはいかない。そこで、而云はNPO法人双牛舎から出すことに決めた。而云と水牛が共同代表を務めるNPOだが、もとより懐は厳しい。版元は「NPO法人双牛舎」だが、実のところは自費出版である。書籍取次店には伝手が無いから、このままでは一般書店の店頭に並ぶ可能性は無い。
 しかし、この本を少しでも普及させたいと、双牛舎として初めてISBNコードを取り、その第一番の出版物とした。これから仲間の力も借りて、何とかして売りまくっていこうと力み返っている。応援してやろう、買ってやろう(1500円)とお思いの方はこのページの下のコメント欄にご記入、あるいは水牛にご一報、ブラウザーで「NPO法人双牛舎」を当たり双牛舎宛てにメールして下されば幸甚至極。
  小春日に友の新著の光りをり
posted by 水牛 at 21:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

俳句日記 (373)


痴呆テレビ
 『11月5日(日)13:00からテレビTBSの「噂のチャンネル」で、私が地元でやっている「ラジオ体操」が紹介されます。団地の広場に「今日も元気だ」と大書した幟旗を押し立て、あらかじめ配ってある私の作った出席カードに「元気」と書いた丸印を押し、みんなの前に立って毎朝、号令をかけてやるラジオ体操で、もう7年になります。多い日は120人ぐらい集まります。(後略)』
 10月下旬、こんなメールが柏人さんから送られてきた。今年85歳の柏人さんはすこぶる元気な先輩。口も達者なことは昔と少しも変わらない。この団地ラジオ体操にかける意気込みは大変なもので、これを詠んだ俳句がごまんとある。折に触れてラジオ体操俳句がメールされて来る。「また来たか」などと軽く受け流し返事をしないでいると、たちまち御機嫌を損ねる。
 今回だって、もしテレビを見過ごして、返事もしなければ、「六十年になんなんとする貴君との友誼もこれで終わりか」なんて言われかねない。カレンダーにちゃんと放映時間を記し、5分前からテレビの前に座って、見た。その返信。
 「午後1時からTBSテレビを見つめ、柏人さんの勇姿がいつ出て来るか、今か今かと待ちました。結局はラジオ体操の場面はほんの数十秒。勇姿を見つけることも叶わず、真に残念でした。それにしても今どきのテレビ番組のなんとバカらしいものであるかを実感しました。私はテレビはニュース以外は見ないので、こういうことでも無いと白痴番組の実態が分かりません。お陰様でいい勉強になりました。水牛」
 TBSは善意の塊の八十五老人の期待を打ち砕いてしまった。恐らく撮影時には団地のジイサンバアサンを駆り出し、柏人さんに音頭を取らせてラジオ体操の会を盛大に繰り広げたに違いない。大々的に映し出されるような幻想を抱かせたのではないか。しかし、この番組の話の芯は老人による老人家庭のゴミ出しボランティア活動であり、ラジオ体操はその準備運動に過ぎなかったのだ。
 まあ、こうした番組作りの常として、協力者に愛想を振りまくついでにリップサービスが過ぎることはあろう。番組編集の都合で撮影したものの大半がカットということもあるだろう。ここは柏人さんに我慢してもらうより仕方が無い。
 それよりも呆れ果てたのが、“ついでに見させられた”この番組の他の部分である。論評するのもばからしいものであった。錦糸町を歩いている娘に「茶碗蒸し」を作らせ。それがいかに不様なものであるかを見せて笑いを取ろうという番組、競馬評論家に今週の週刊誌の目立った見出しと、それにまつわるエピソードを紹介させるという、いかにも制作費を安く上げることが第一目的のような番組、そんなものを次々に垂れ流して行くのだ。そして、その合間合間に数々のコマーシャルを流す。
 こういう痴呆番組を見ていると、民放テレビが「コマーシャルをいかに効率よく放映するか」だけを考えていることがよく判る。放送法など法律でコマーシャル放送と正規番組の放映時間が決められている。日本国に割り当てられた放送電波の帯というか周波数のワクがある。これを公共に役立てるため、政府はNHKはじめ民法各社に割り当てる。従って、この貴重な電波を金儲けのためのコマーシャル放映に無際限に使ってはならない、と決めているのだ。
 しかしテレビ会社はもとより金儲け主義である。金儲けを第一にすれば、法律で定められたコマーシャル放映時間枠を目一杯使い、その他の番組ワクの部分は出来るだけ安く作りたい。誰だってそう考える。それを自制するのが良識、常識というものなのだが、もはやテレビ界にそれを求めるのは無理なようである。
 とどのつまりが、タレントと称する有象無象を集め、出来上がった映像を見ながらの愚にもつかないコメントとともに流す、いわゆる「バラエティ番組」に落ち着く。これが一番安上がりな番組製作法であることはすぐに分かる。
 三連休の最終日は晴れ上がり、菜園の山芋掘りの合間の一時間を痴呆番組に付き合うことになって舌打ちしたのだが、思わぬ勉強が出来た。
  秋の日をやくたいもなきテレビかな
posted by 水牛 at 22:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする