2017年12月30日

俳句日記 (379)


歳末雑感

 山の神のお供をして横浜駅西口の高島屋地下に正月のお節用の材料を買いに出かける。蒲鉾、伊達巻、海老の鬼殻焼、稚鮎の甘露煮、蛸、小鯛の笹漬、小鰭の粟漬などなど。塩数の子や日持ちのするものは先に買ってあるし、煮染めや田作りなど家で拵えるものもあるから、今日は大して買う物は無い。
 正月が来るからといって、最早わくわくした気分にはならないし、お節料理など作らなくてもいいようなものだが、やはり長年の習慣で、作らないと夫婦とも気が済まない。というわけで今年もデパートに出かけたわけだ。
 来てみて、意外に空いているので拍子抜けした。そういえば、二年前も昨年も大して混ではいなかった。ここ数年の年末のデパートは、あのバブル時代前後の混雑ぶりが懐かしくなるような静けさである。それでも五、六年前までは地下二階の生鮮食品売場は10ばかりあるレジがごった返し、「最後尾」と書いたプラカードを掲げた店員が行列を整理していた。今年もプラカード店員は立ってはいたが、肝心の行列が10数人であった。
 「私が行列に並んでいるから、あなた蛸やなんか、買う物を籠に入れて持って来てちょうだい」と山の神の命令である。そんなこと言われたって、咄嗟には蛸がどこにあって小鰭がどこにあるのか分からない。うろうろして、ようやく言われたものを籠に入れてレジの方に向かったら、「早く、早く、順番が来ちゃったわよ」。これほどスムーズに暮れの買い物が出来たのは初めてのことであった。
 お節料理を整えようという家庭が少なくなっているのだ。それが証拠に、高島屋に店を出していた貝新、玉木屋、鮒佐など、お節用の小鮒や小海老の串刺しやキントンや昆布巻やらを山と積んで商売していた老舗の佃煮屋が姿を消してしまった。高い場所代に引き合う売上げが無くなってしまったからに違いない。普通の家庭は出来合いの「お節料理詰め合わせ」を買ってしまうか、それすらもしなくなっているようだ。
 もう一つは消費者の財布の紐がきつくなっていることがある。五年も居座っているアベ政権は「日本経済は順調」などとノーテンキなことを言って自画自賛している。黒田日銀は緩めっぱなしの金融緩和策の結末をどうつけていいか分からずに、相変わらずノーズロ状態である。溢れかえった円は行き所が無くて、株式市場に向かい、株価だけは何十年振りとかいう高値水準である。それを背景に大企業は軒並み好業績。それでまた株価が上がる。それによって生じるあぶく銭のほとんどは外資系ファンドという国際金融マフィアに吸い上げられ、ごく一部が日本の「富裕層」という者の懐に入る。マクロの日本経済の指標数字はアベさんが言うようにいい線行っているのだが、大多数の国民には一向に豊かになったとは感じられないのだ。
 一方では、年金や医療費を絞り、増税路線が打ち出される。「格差社会」になっていることが歴然としているから、苦しくても子供をなんとか優秀な大学へ進ませようと、幼稚園時代からの教育投資に乏しい家計を遣り繰りする。とても「お節料理」なんて言ってはいられないのである。
 27日の朝日新聞朝刊の「朝日川柳」に「安倍さんは今年は何をしたのだろ」という句が載っていて、「上手いこと詠むなあ」と感心した。ちょっとでも物思う人なら、この句の通りだと感じる一年だったのではないか。それなのに、新聞各紙の世論調査では、安倍首相とその政権に対する信認度が相変わらず過半数を占めている。これは一体どういうことなのか。
 野党が頼りないということが最大の原因であろう。しかし、もっと恐ろしいのは、私たち日本国民全体が無力化、脱力化していることではないか。権力を持った者は必ずふんぞり返る。それをチェックするのが野党であり、そういう野党は国民が「物思う」ことによって生まれ育つ。しかし、国民大多数が日本の政治と行政に全く期待しなくなってしまうと、そういう健全野党は生まれて来ない。
 そうなってしまうと「どうとでもなれ」という無気力な事勿れ主義がはびこる。そして、現状打破を急いで苛立った分子によるテロリズムが発生する。時の権力はそれを取り締まるために警察・検察能力を強化し、それが一般国民の自由を束縛する結果をもたらす。
 老人の悲観主義と笑われるかも知れないが、平成の次の年号が始まる頃から、そうした良くない世の中が始まりそうだ。
  蛸の足切りつつ思ふ年の暮れ
posted by 水牛 at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

俳句日記 (378)


柚子味噌

 我が家には柚子の木が一本ある。1984年にシドニーから5年振りに戻った翌年、生まれ在所の横浜の土地に家を建てた。その後あれこれ木を植えたのだが、この柚子はそれまで生えていた一才柚子が枯れたので植えたから、多分、90年頃だったろう。「桃栗三年柿八年バカの大柚子十八年」などというが、本当に我が家の柚子は大馬鹿で、大きく茂るばかりでさっぱり生らない。二十年ばかりたった頃にようやく生ったが、なんとピンポン球くらいの大きさである。
 正月の鏡餅の天辺にはダイダイを飾るのが本来だが、我が家の鏡餅は小さいから、庭に生ったピンポン球の柚子がちょうどいいと山の神は喜んでいる。ところが今年は、それすら生らない。やたらに太くて大きなトゲばかり生やしている柚子の木を切り詰めながら、「来年生らなかったら根元からぶった切るぞ」と脅かしてやった。一方、ほったらかしのレモンは律儀に良く生る。だから今年の我が家の冬至は「レモン湯」になった。
 それやこれやをこぼしていたら、俳句仲間の百子さんが赤城山の麓の実家の大柚子が沢山出来たからと送って下さった。段ボール箱には女性の握り拳ほどもある、とても立派な本柚子が十数個入っていた。
 折角だから柚子味噌を作ろう。大ぶりのを六個選び、洗って卸し金で皮を摺る。皮と身の間の白い綿のところは苦みが強いので、そこはあまり摺らない。一個は包丁で皮を剥ぎ、それをみじんに刻んで摺り下ろした皮に混ぜる。全部摺り下ろしてもいいのだが、少し舌触りに柚子の皮の感触があった方がいいのでこうするわけだ。残った六個の雪の玉のような実は二つに切り、ぎゅっと果汁を絞り出し、網杓子でタネを除けて、摺り下ろした柚子皮に足しておく。
 一方、鍋に日本酒150ccくらいを入れて沸騰させ、そこに味噌を一パック(700cくらいか)入れ、砂糖50cほど適当に、味醂も適当に入れてふつふつとなって来たら、ボールの柚子皮ジュースを入れて、さらに火にかけてふつふつと煮詰め、適当な固さになったら出来上がり。
 大根と里芋を茹で、コンニャクを湯がいて、それに出来たての柚子味噌を塗って食べる。フウフウ、ハフハフ、旨いのなんのって・・・。今夜の酒は新倉酒店の内儀お勧めの上越市の妙高酒造「妙高・濃醇旨口」。またまた「七勺ぐい呑み三杯」の掟が破られてしまった。
 陶然となった耳元につんざくような叫び声。「柚子味噌、こんなに沢山作っちゃって、一体どうするつもりィーっ」。
  風呂吹の柚子の香りや南無阿弥陀
posted by 水牛 at 21:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

俳句日記 (377)


飲酒の誘惑を薬で断つ?
 「最近ちょっと飲み過ぎじゃないの」と山の神が新聞の切り抜きを持って来た。12月14日付け日本経済新聞夕刊の記事である。「アルコール依存症今こそ治療 飲酒の誘惑薬で断つ 開発進みぐっと身近に」と見出しが躍っている。記事脇のコラムには図解入りで厚生労働省調査によるアルコール依存症患者の統計と解説が書かれている。
 「新聞はいい加減なことばかり書くから」
 「まあそんなこと言っていいの、四十年も新聞で御飯を食べて来た身なのに」
 「最近の新聞はという意味だ」
 「とにかくね、目を通しておいて損はないはずよ」
 全く面白くないことが書いてある。日本国内のアルコール依存症患者は年々増えていて、2003年には全国で80万人だったのが、2013年には100万人の大台に乗ったという。その前段階の「一日にビール中瓶3本以上相当のアルコールを摂取し、飲酒のために精神的、身体的、社会的な障害がある状態」を示す「多量飲酒者」となると、なんと約1000万人も居るのだという。
 記事には、依存症とは「お酒への耐性が強まって酒量が増え、家庭や職場で飲酒問題が顕在化する状態を指す」と書いてある。「飲酒問題が顕在化する」とはどういう事か、まことにはっきりしない書き方である。やはりこの記者は文章作法を一からやり直すべきだとつぶやきながら、「飲酒問題の顕在化」について考える。
 つまりは飲酒が原因で傍にえらい迷惑をかける状態になるといったことなのだろう。私の場合、そういう状態になるのは、むしろもっと若い現役時代によくあったのだが、近ごろはそこに至る前に眠くなってしまうから、そうはならない。となると、その前段階の「多量飲酒者」に分類されるのだろう。
 ビール中瓶3本相当のアルコール摂取というと、私が毎晩飲んでいる日本酒で言えば三合くらいだろうか。まさに当てはまる。毎晩三合は吞んでいる。昼間何か愉快な事があって、気分爽快なる夜は四合くらいいってしまう。
 80歳6ヵ月ともなると、さすがにアルコール分解吸収能力が衰えてくるのだろう、近ごろは四合も吞むと翌朝起きるのがちょっと億劫になり、午前10時くらいまで寝坊してしまう。そういうことがこのところ重なって、多少反省気分もあるから、この嫌らしい新聞記事にも目を通したわけである。
 「飲酒の誘惑を断つ薬」には二種類あって、一つは「抗酒薬」と言って、この薬を飲んで酒を飲むと滅茶苦茶に気持が悪くなって「心臓の激しい動悸や吐き気をもよおし」酒を飲むのが嫌になるのだという。もう一つは「飲酒抑制薬」というもので、脳の中枢神経に働きかけ飲酒欲求を抑えたり、ほろ酔いの心地良さを感じにくくするものだという。ただ、こうした効き目をもたらす反作用として、心臓や肝臓への負担が大きいという。
 「なんだバカバカしい、飲酒の弊害を抑えたはいいが、心臓や肝臓を悪くしたんでは元も子も無いではないか」「酒飲んで誰に迷惑掛けているわけでもない」とうそぶきつつ、「くだらん記事だ」と放り投げて、また七勺入りの手製のぐい呑みに注ぐ。普通のぐい呑みでは小さくて引っ切りなしに注ぐことになって、どれだけ飲んだか分からなくなる。というので、七勺入りの特製ぐい呑みを自分でロクロで引いて焼成して拵えた。これで三杯なら「二合」だから、内科医院の赤尾先生にも褒められる。ところが、最近はこれが4杯から5杯になってしまっている。
 嫌な記事にはこんなことも書いてある。「(依存症になると)重症になるほど、自身の依存症を認めない傾向が強い」と。
  年の瀬も止まぬ深酒寝坊癖
posted by 水牛 at 23:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

俳句日記 (376)


12月8日
 76年前の今日を、私は両親と叔父、姉兄妹と一緒に伊東の温泉宿で迎えた。我が家に一緒に住んで慶応に通っていた叔父(母の弟)が、突然兵隊さんになることになったため、一家で伊東温泉で送別会をやっていたのである。この年10月、軍部の軍備増強策により、大学・専門学校学生の修業年限短縮措置が取られ、翌年3月卒業予定者は12月に卒業、翌昭和17年2月に応召という有無を言わさぬ命令が下ったのだ。
 しかし昭和16年12月当時の一般国民にしてみれば、大日本帝国は中国全土を膝下に組み敷き、南洋諸島にも勢力を拡大、東南アジアにも進出して、「大東亜共栄圏」を打ち立てるのだと信じ込まされていた。食料も衣料品の供給もまだまださほどの窮屈は感じなかった。つまり、何も知らされない普通の日本人はまだかなりのんびりしていたのだった。
 7日の晩は温泉宿で叔父の武運長久を家族一同で祈って、温泉にゆったりとつかり、私たち子供連中ははしゃぎまわった。ところが一夜明けて目が覚めると、あたりの空気がぴーんと張り詰めていることが子供心にも分かった。ラジオが朝から「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」と甲高い声でまくし立てる。それを繰り返し繰り返し放送するのだった。
 こうなるともう物見遊山気分は完全に吹っ飛んでしまう。辺りを周遊してもう一泊ゆっくり静養しようという計画を切り上げて、両親は横浜へ帰る汽車の手配をして、その待ち時間に一碧湖をそそくさと見物して帰途に就いた。
 その後はもう日本人なら誰もが知っている悲惨な空襲被害、日本の有数の都市が焦土と化しての無惨な敗戦、饑餓地獄と奈落の底へ転げ落ちて行った。出征した叔父は沖縄守備隊の最前線と目された宮古島に配属された。軍部はこの島を捨て石にして時間稼ぎを図ろうとしたようだが、米軍はそんなものに目もくれず、一気に沖縄本島を攻撃した。おかげで叔父は敗戦まで宮古島で薩摩芋を作りながら馬の世話をして、元気で復員できた。
 その後70数年、紆余曲折を経て、日本国も我々国民一人一人もそれなりに恰好をつけている。まあ不平不満はあれこれあるだろうが、日本はまずまずの国になっているのではなかろうか。
 しかし、今やそれがかなり危うくなりそうな懸念が生じている。すぐ隣に狂気の塊の北朝鮮という国があり、これが何をしでかすか分からないという不安。そして、その不安を材料に日本の軍備を増強し、再び戦争が出来る国にしようという動きが芽生えていることである。
 安倍晋三首相、昭和29年(1954)生まれ、その後を狙っていると言われる岸田文雄自民党政調会長、石破茂元幹事長は共に昭和32年生まれ。口を揃えて「絶対に戦争を起こさない」とは言っているものの、どうも戦争というものをゲーム感覚でしか捉えていないのではないかという気がしてならない。
  十二月八日の空の垂れ込めて
posted by 水牛 at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする