2018年01月31日

俳句日記  (385)


温暖化のひとやすみ

 今年の冬は久しぶりに冬らしい冬だ。先週月曜日1月22日に降り積もった雪がいつまでも残っていて、下町の商店街の歩道には雪掻きで積んだ雪が氷になってへばりついている。横浜でこういうことは近年珍しい。明け方の最低気温が零度以下になることが再三ある。
 「温暖化は終わったんですかね」と馴染みの酒屋のオヤジが言う。「いやそんなことはないと思うよ、地球の長い歴史の中じゃ温暖化の時期に寒い気候が挟まることがよくあったらしいから」と、どこかで聞きかぢったことを言うと、「スイギュウさんはほんとによく知っている」と心底感心したという口調で言う。「いやいや、さほどのことはないよ」なんて言いながら、今回は赤尾センセイの忠告を聞いて4升にしておこうかなと思っていたのをたちまち翻して6升買ってしまう。「ほうキンシ正宗とは珍しいな、うん、天狗舞も頼むよ。なんたって冷える晩は樽平の熱燗は効くよなあ」なんて言っている。
 とにかく今冬は寒いことは寒いが、昔、と言ってもついそこの昭和30年代頃までと比べると大した寒さではない。あの当時は横浜でも毎朝氷が張り、霜柱が立った。庇からはツララが垂れ下がった。水道管が凍ることはしょっちゅうだから、どこの家も冬を迎えるころには屋外にむき出しになった水道管に丁寧にボロ切れを巻き付けた。そんなことをすっかり忘れた人が、今、水道が出ないと大騒ぎしている。
 昔の木造家屋は隙間風が入り放題だった。バラック建てという、外壁と内張りの間に土壁の無い、板壁だけの家は冬になると大変だった。風の強い雪の夜など、朝起きると布団の裾に雪がへばりついていた。今どきの機密性が高くエアコン完備の住まいからは想像もつかない寒さだった。そういう厳しい冬を過ごした世代は今や70歳代末から80歳代。そんな昔話をすると、「またまたオジイチャンの昔話」と笑われるから黙りがちになってしまう。
 そして今を仕切る人たちは、寒さも暑さも自由にコントロール出来ると思い込み、それが出来ないとなるとパニック症状を引き起こす。寒いとなればエアコンもヒーターも付けっぱなし。電力会社が「節電を」なんて言っても耳を貸さない。そのくせ「原発止めろ」「地球温暖化防止」なんて言っている。ジイサマに言わせれば、「実に面白い」。
 とまあ、久しぶりに身の引き締まる寒さを覚える日々が続くが、ゆっくりと春は近づいている。去年より10日ほど遅いが門脇の野梅が盛んに咲き出したし、少し晩生の白加賀も三輪四輪咲き始めた。沈丁花も香り始めた。サラダ菜やサニーレタスも盛んに葉を伸ばし、椋鳥夫婦がそれをしきりについばんでいる。寒さをかこつのももうあまり長くはないだろう。
  サラダ菜が大好き椋鳥夫婦かな
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2018年01月29日

俳句日記 (384)


初場所が終わった

 初日の夜に書いたことがほぼ当たってしまって、本当にがっかりしている。千秋楽の「三役揃い踏み」を御覧になった方はどんな思いを抱かれただろうか。恐らく「シラケた」というのが八割方ではなかろうか。
 まず東方として登場した三人のうち、扇の要に当たる所で四股を踏むのが横綱鶴竜。今場所ダメなら引退という悲壮な覚悟で臨み、それを鮮やかにはね返す10連勝で場所の雰囲気を盛り上げたと思ったら、なんと4連敗。千秋楽に豪栄道を投げて何とか面目を保ったが、大方の期待を裏切った。
 扇の両翼を務めたのが片や前頭5枚目の隠岐の海で、この日まで5勝9敗の情けない成績。相手になった西方の関脇も相星の玉鷲で、どっちが勝とうが「役相撲に叶ぉー」という行司掛け声に恥じ入らざるを得ない体たらくだ。二組目は東が関脇御嶽海で、中日までは快進撃だったのが以後連敗で大向こうを落胆させた元凶。相手は大関高安。四日目に安易な詰めで栃ノ心に黒星を喫し、さらに中日までに3敗して場所の熱を冷ましてしまった。最後に御嶽海を豪快に屠って12勝3敗と準優勝の成績をおさめたが、なんとも物足りない。
 そして最後は只一人の横綱鶴竜と大関豪栄道による取組で平成三十年初場所は千秋楽にござりまするぅ・・となったのだが、この二人も横綱大関の職責を全うしたとはとても言えない成績だった。豪栄道は出だしこそ物凄い強さを見せていたのに、むらっ気というのか、釘が二三本足りないのか、途中からぐずぐずになって結局は8勝7敗である。
 横綱日馬富士が暴行事件を起こして引退し、横綱白鵬と稀勢の里が途中休場と、上位陣が空白になってしまった場所だけに、横綱鶴竜、大関高安、豪栄道にはいつにない頑張りを見せてもらわねばならなかったのに、この有様であった。
 結果としてジョージア出身の栃ノ心が14勝1敗という堂々たる成績で平幕優勝を飾った。栃ノ心が大けがを克服してここまで成し遂げたことは大いに称賛すべきことではあるが、冷静に考えれば、栃ノ心ごときが優勝するような本場所は面白いものではない。すなわち、横綱、大関はじめ上がちゃんとしていない、がたがたの場所であったということである。
 これから、「張り手・カチあげ自粛」の白鵬がどれだけ強さを発揮してくれるか。ノミの心臓の稀勢の里が心機一転、強さを取り戻してくれるかどうか──。しかし、両方ともまことに心もとなく、しばらくは草相撲のような、跳んだり跳ねたり、その場所限りのお調子相撲がヒーローになる、一見面白いが味の薄い場所が続きそうな予感がする。
  初場所のてんでんばらばらはね太鼓
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2018年01月14日

俳句日記 (383)


初場所が始まった

 昨年暮れから、横綱日馬富士によるモンゴル人後輩力士貴ノ岩への暴行事件、それに関連して被害者の親方である貴乃花理事の不可解な行動、それに伴う貴乃花理事解任措置、さらには年が明けて発覚した立行司式守伊之助の若手行司に対するセクハラ事件というように、相撲界には次から次へと悪い事が重なった。それらがもやもやとした黒雲のように両国の空を覆っている。そんな中で、1月14日、初場所が始まった。
 子供の頃から相撲が大好きで、父親に本場所や横浜巡業に必ず連れて行ってもらった。現役の記者時代には、仲の良かった同期の運動部相撲記者に頼んで、こっそり取材用枡席に入れてもらったりした。社会部記者が昼間、国技館の枡席に居ることなんぞ本来はあり得ない。今ならそれこそ大問題になるところだが、五十数年前は大らかなもので、それと知った先輩が「しょうがねえ相撲キチガイだなあ、あまり派手にやるなよ」と注意してくれて、適当にカバーしてくれたものだった。
 とにかくそんなわけだから、今でも本場所が始まると気に掛かる。ことに、今場所は不祥事続き後だから尚更だ。こういう時には、力士が真面目に相撲を取り、その熱意でもやもやを晴らしてくれなければ困る。
 だが、総身に知恵の回りかねる大男たちも、さすがに今度ばかりは神妙で、初日をテレビ観戦したところでは、なかなかいい場所になりそうな感じであった。
 初日の見どころは、四場所連続休場の二人の横綱、稀勢の里と鶴竜がどんな相撲を見せるかということと、横綱審議会からも厳しい意見の出た、横綱白鵬の「張り手」と「かちあげ」という、横綱らしくない乱暴な手口を白鵬自身がどうするかであった。
 まず、一番手に出て来た鶴竜は気力溢れる取り口で新鋭北勝富士を土俵に這わせた。そして、白鵬はボクサーまがいの張り手も見舞わず、突っ込んで来る相手のアゴの下を腕で跳ね上げるカチ上げもやらず、大人しく上手を取る立合をした。相手の阿武咲は得たりと突進し、あっという間に白鵬を土俵際まで追い詰めた。しかしさすがは白鵬、咄嗟に相手の手首を掴んで引いて転がした。普通の力士なら完全に負けていた相撲だった。
 これに対して情けないのは稀勢の里。一生懸命になっているのは伝わってきたが、いかにも自信の無さそうな、おっかなびっくりの取り口。気鋭の貴景勝になんとか突き勝ち押し込んでいったのに、腰高のままだから腕を引かれての「とったり」にもろくも倒れ込んでしまい万事休す。協会はじめ観客も久々の日本人横綱の再起に期待しており、それが行司にも伝わったのか、明らかに稀勢の里の腕が先に土についているのに、軍配を稀勢に上げる「差し違え」。こうした応援熱がノミの心臓をますます圧迫し、明日からの土俵に影響しなければ良いが。これで連敗→休場→引退なんてことになると、さすがに大人気の大相撲も陰りを見せるだろう。
 初場所の両国暗雲垂れ込めて
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2018年01月10日

俳句日記 (382)


年賀状

 年明けとともに年賀状がどさっと届いた。何百枚もある。嬉しいけれど困ってしまう。こちらからは一通も出していないのである。もう八十才になるのだからと昨年から賀状書きを止めてしまったのだ。
 しかし、ひと月ごとの句会で顔を合わせるような人ならば、会った時に「賀状有難う」で済むのだが、遠方に住む昔の友人や滅多に逢わないが懐かしい人には、こちらからも何か挨拶したい。沈黙したままでは死んだと思われかねないだろう。
 まあ生きていてもろくなことをしているわけではないのだから、死んだと思われても別に支障は無いのだが、息をしているのに死んだと思われるのも気持が悪い。そこで、賀状を呉れた人の中で当面会いそうも無い人に、賀状とも寒中見舞ともつかぬ葉書を書くことにした。年賀葉書は山の神が近所の顔見知りの煙草屋のお上さんや郵便配達のお兄さんに頼まれて何枚も買っているから沢山ある。
 数十枚書いて出そうとしたら、ポストの脇に「8日以降にお出しになる年賀葉書には10円切手を張って下さい」と貼り紙があった。年賀葉書をよく見たら「52円」とある。昨年、葉書は62円に値上げしたのに、年賀葉書が売れないと困るからこれだけは52円に据え置いた。しかし、松の内が過ぎれば年賀ではなく普通郵便だ。さすれば新しい正規料金の62円を払ってもらわねば、という理屈なのだろう。だが私は10円切手が無い。しょうがないから反町郵便局という三等郵便局に行って「10円切手下さい」と言った。ここは日ごろ、句会の月報を郵送するなどしていているから、窓口のオバサマとは顔馴染みだ。「すいませんねえ」などと我が事のようにすまながる。
 とにかくこれで事はひとまず片付いた。でもまあ考えてみれば、暮れから新年にかけてずぼらに過ごしてきたからこういうことになったわけである。去年今年を貫く棒ではないが、今年も又、昨年と同じようなずぼらの日々を過ごすことになりそうだ。
  松飾りとれてのそのそ賀状書き
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2018年01月04日

俳句日記 (381)


駅伝は残酷だから面白い
 毎年正月2日、3日は箱根駅伝をテレビで見る。大晦日の「紅白歌合戦」のようなわざとらしいくすぐりなどとは無縁の、若者ががむしゃらになって走るところが気持良い。これとて事情通によれば、三流大学が名前を売って受験生を増やすための方策で、駅伝の名門高校の生徒に奨学金やお小遣いを約束して入学させ、数年がかりで強いチームを作って行くのだから、すべて清潔というわけではないのだという。しかし、駆けっこが早くても実社会ではあまり役に立つわけではないから、野球やサッカーなどと比べれば不潔さの度合いはかなり低いのではないか。
 まあそんなことはさしたる事ではない。この世の中は、総理大臣とそれを取り巻く連中以下、不潔で胡散臭いものがごろごろしている。それに比較すれば私学が金を使って駆けっこが早い田舎の子やアフリカの子を買って来るくらい可愛いものである。
 いつも散歩している我が家の下の「せせらぎ緑道」には、地元の神奈川大学の駅伝選手らしいのが練習で走っている。「おー頑張れよ、地元なんだからな」と声かける。なんか恥ずかしそうな顔をしているから、本当の駅伝に出る選手ではなく、二軍か三軍なのかも知れないが、それでも結構真剣に走っている。この神奈川大学は十年ばかり前に優秀選手を集めて上位に進出したことがあったが、資金が続かなくなったのか、また十一位以下の予選会組に低迷していた。それが昨年からまた強くなり、今年は優勝も狙えるかも知れないとの下馬評であった。
 なんと言っても我が家からちょっと歩いた所にある学校だから親近感がある。それが優勝の可能性とあって、今年はぐんと楽しみが増した。スタートからまずまず順調で四区では三位になった。ところが難所の五区箱根の山登りにかかって、無惨な結果になった。有望と言われていた選手が突然おかしくなってしまったのだ。急激な運動によって起こる「低血糖症」に見舞われたらしい。ふらふらになってしまい、次々に抜かれてなんと十五位になってしまった。一年間、せっせせっせと走り込んできたのにこの結果である。
 「駅伝」の無惨なところは、一人がこうしたヘマをやらかすと、残り9人の奮励努力が全て無に帰すということである。この箱根山登りで失速した某君は今頃、恐らく死んでしまいたいと思っているのではないか。
 一人の失敗が全体の足を引っ張ってしまうのは、団体競技によくあることだが、駅伝ほどそれが白日の下にさらけ出されるのも珍しい。陸上や水泳のリレー競争も一人が致命的なミスを犯せば他の選手がどんなに頑張ってもどうしようもない。そこは駅伝と同じなのだが、この方は数分数秒で一人の出番は終わってしまうから、失敗もそれほど強烈な印象は残さない。ところが駅伝は違う。一人が20キロも走るのだ。たとえ腹が痛もうが、足が痙ろうが、何しろ肩に掛けた襷を次の走者に渡さなければ、そこで失格になる。だから、よれよれへたへたになりながらも、走り続ける。普通の人の歩みより遅くなっても、夢遊病者のようにふらふらと前を目指す。それをテレビが冷酷に延々と映す。
 駅伝は最も残酷なスポーツではないかと思う。しかし残酷だからこそこれほど多くの観客を集めているのではないか。たとえば、駅伝の名門高校やアフリカから連れて来た韋駄天を揃えた大学がそのまま10人ともスムーズに走って優勝、10人の走者の持ちタイム合計が二位のチームが二位、下馬評三位がやはり三位、というのでは面白くも何とも無い。やはり、こうして時にはふらふらになって、12人に次々に抜かれていく残酷シーンがあってこそ駅伝の醍醐味も増すというものであろう。
 こちらは暖かな室内で、テレビを前に金箔入り純米大吟醸をちびちびやりながら、「そーれ、もう一息、ガンバレー」なんて言っている。いやらしさも極まれり。ゴミ溜めにふんぞり返っているネロとでも言えば当たっているだろうか。最も残酷な「大衆」が生み出したスポーツが駅伝なのかも知れない。
  蒲鉾を齧り駅伝テレビかな
 
posted by 水牛 at 21:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

俳句日記 (380)


去年今年

 明けましておめでとうございます。この「水牛のつぶやき」という、まさに牛の涎の如き独りよがりの繰り言をつぶやき始めて満10年、今日からは11年目に入ります。今年も酒呑童子ならぬ酒呑洞水牛老人は、俳句を真ん中に据えながら、時には俳句の世界を飛び出して、当たるを幸い支離滅裂な妄言を吐き続けて参ります。どうぞよろしくお付き合い下さるようお願い申し上げます。
 平成30年戌年、関東一帯は実に麗らかな日和で明けました。畏友田村祥蔵君がつい先日、画家熊谷守一のことを書いた『仙人と呼ばれた男』という素晴らしい本を出しました(中央公論新社)。その中で、この仙人のような画家は何も無いただただ真っ青に晴れ上がっている空が好きではなかったということを、熊谷の友人の言葉を借りて述べています。これを見て私は、ああやはり熊谷守一という人は本物の絵描きだったのだなと思いました。今日の横浜の空には熊谷が好みそうなぽっこりした雲が二つ三つ浮かんでいました。先々何か良いことが廻って来るような気持になる元日です。
 「お正月」とか「元旦」などというと、何か事改まり、新しいことが始まるような感じになります。日ごろ不信心、自堕落な生活を送っている水牛も、何となく襟を正して来し方行く末に思いを致すべしという気持に襲われるのです。その現れの一つが、ここまで書いて来た文章の「ですます調」。日ごろは実にぞんざいな言葉遣いの水牛が、この一文を「明けましておめでとうございます」と書き始めて、何のためらいもなく丁寧な言葉遣いの文章を綴ってきました。
 「お正月」「元日」というのは、人をしてそうした「けじめ」を感じさせるきっかけとなるものなのでしょう。昔の暦では元日が春の始め、すなわち二十四節気の最初「立春」でした。今はそれがずれて立春は二月四日になっていますが、兎に角、元日で一年が始まり、立春、啓蟄、春分、立夏、夏至、大暑、立秋、秋分、立冬、冬至というように、一年ぐるりと二千年前から使われている暦に従って、私たち日本人は暮らしています。バレンタインだハロウインだときゃぴきゃきはしゃいでいる若者たちでさえ、「お正月」と言えば神社に参拝し、節分豆撒きと言えば成田山に出かけたりしています。「お中元」「お歳暮」とか「更衣」などにも、若い人たちが結構反応しているのを見ると、ああやはり「日本人であること」は、そう簡単には消えないものなんだなと思います。
 しかし、現実に立ち返ってみれば、と言うか、自然の摂理に従えばと言った方が良いのか、人の暮らしも含めて万物の動きは大晦日も元旦もありはしません。単に日付が変わるだけで、時間はアナログにずっと繋がっています。
 私のパソコン机の下の暖房マットにうずくまっているチビを見れば、それが歴然とします。私の両足の間にちんまりと眠っていたチビは、除夜の鐘が鳴り、横浜港の汽笛がブー、ポーっと賑やかに響き交わし始める頃、のそりと這い出し、うーんと伸びをして「ミャア」と一声、「餌オクレ」と言います。皿にキャットフードを盛ってやり、食べ始めたところで背中を静にさすってやる。まことに妙な猫で、餌を食べる時には背中をさすってくれと言うのです。それが終わると満足したような顔つきで部屋の隅の自分用のトイレに行く。そういう時、私が居てはいけないのではないかと席をはずすと、自分も途中で止めて出て来てしまいます。どうやら、それにも注目して居れというようなのです。チビが兄弟同然と見做しているネタロウによると、「排泄行為の最中は最も無防備な状態に置かれるわけだから、安心出来る保護者がそばに居てくれた方がいいということなんだろう。お父さん頼りにされてるわけだよ」とのことです。
 さはさりながら、汚い書斎もとにかく新年を迎えるというので掃除をした。それなのに除夜の鐘が鳴ったら、すぐさま猫ウンチの掃除。「これでは暮れも正月もありゃしない」と独り言を言った途端、「去年今年」という季語が浮かんできました。かくて平成30年の第一句。
  猫の砂掻きならしをり去年今年
posted by 水牛 at 17:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする