2018年02月19日

俳句にならない日記 (11)


眞子さま結婚延期
 2月6日、宮内庁宮務主管が記者会見し、昨年9月に婚約会見した秋篠宮眞子さんと小室圭さんとの結婚(今年11月)を2年延期することになったと発表した。事実上の破談ということなのだろう。原因については週刊誌が大喜びで書きまくっている。圭さんの母親が付き合っていた男性からの借金を巡るもつれなど小室家の不透明な内部事情によるもののようだ。
 現皇太子徳仁親王には男子がいないから、その跡は眞子さんの父親の秋篠宮か、場合によっては眞子さんの弟の悠仁(ひさひと)親王が継ぐことになる。眞子さんが皇籍離脱して小室家に嫁入りして、何の問題も無く幸せな家庭を築いていければ万々歳である。しかし、男性関係や借金問題を抱えた義母とうまくやっていけるのか、また、法律事務所の手伝いというアルバイトのような仕事の圭さんの収入で内親王殿下がやっていけるのか、危ぶむのが普通であろう。
 庶民同士が惚れ合って1DKのアパートで手に手を取って貧乏世帯を遣り繰りし、苦労の末に立派な家庭を築き上げるという話はよくある。しかし、来年には皇位継承権第二位になる弟を持つ眞子さんは、そんな訳にはいかない。結婚後も一挙手一投足が注目の的になる。もし、小室家の内部事情が原因で妙なことがあれば、すかさず週刊誌の餌食になってしまう。それによって「皇室」の尊厳が削がれる。これが困るのだ。
 日本国憲法の第一章は天皇の地位と国民主権を定めたものだ。第一条に「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、第二条で「世襲によって受け継がれる」とされている。そして、第四条には「国政に関する権能を全く有さない」とあり、政府の助言に基づいて総理大臣の任命や国会開会などの国事行為を行うことと定められている。つまり、天皇とは政府が定めたシナリオに沿って、儀式を行う役割だけを担う「象徴」というお飾りである。こう言ってしまうと何となくシラケてしまうが、実はここが重要なのだ。
 戦前の大日本帝国憲法では「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と天皇がこの国を直接統治することとされていた。しかし、明治から昭和時代まで、いや、太古からずうっと、天皇は絶対君主とされては来たものの、実際はその時代々々の政権を掌握していた官吏の親玉や武家、近代では軍部が政治を行い、天皇は「象徴」だったのだ。それをはっきり明文化したのが現行憲法なのだ。
 しかし、「象徴」は非常な重みを持っている。平時は権力を掌握した官吏や軍人政府が政治を行っているが、何か大変事が起こって大混乱を来し、権力者が交替せざるを得ない事態になった時、この「象徴」天皇が大いなる力を発揮する。
 平安時代が終わりを告げて世の中が混乱し武士の源家が幕府を作る時も、室町幕府が衰えて戦国時代に突入し、それが治まって豊臣政権が生まれ、さらに徳川幕府が出来た時にも、天皇の詔勅というお墨付きが力を発揮した。その徳川幕府が衰え、維新政府が出来た時もやはり天皇の権威が働いた。維新以来続いた軍国日本は80年にして命脈尽き、敗戦必至となった昭和20年、自暴自棄になって本土決戦を叫ぶ軍部を抑えて「無条件降伏」に持っていったのも天皇の持つカリスマであった。
 日本人は物事がにっちもさっちも行かなくなった時に天皇を担ぎ出す。そして天皇が何か意志表示すれば、全体がそれに従う。それで新しい政権が生まれて新しい政治が布かれると天皇はまた奥に引っ込み「象徴」として奉られる。
 だから、天皇と皇室というのは、諸外国の王室とは根底から性格を異にした存在なのである。第二次大戦後、昭和天皇が「人間天皇」を標榜、具現されて、国民に二歩も三歩も近づいたが、やはり天皇には「人間であって人間ではない」部分があるのだ。いざという時の日本国民の「心の拠り所」となる存在なのだ。
 「国政に関する権能を全く有さない」と憲法に明記され、権限を全く持たないのにここぞという時には「頼りにされる」存在。それが諸外国の王には無い、日本国の天皇なのだ。中国や北朝鮮のように動員などかけることなく、新年参賀の皇居前には数万人が集まる。これほど不思議なことはないのだが、これが日本人と皇室との関係なのだ。
 というようなことを考えると、将来、天皇陛下のお姉さまと言われる眞子さんには、「人間であって人間ではない」天皇家の人である思考と行動が求められるのも仕方が無いのではないだろうか。
posted by 水牛 at 22:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする