2018年09月23日

俳句日記 (424)


雲の峰と雷電 (12)

 ああ稀勢の里

 9月23日(日)お彼岸の中日、大相撲秋場所は横綱白鵬が15戦全勝の断然の強さと上手さで幕を閉じた。八場所連続休場で進退を賭けて臨んだ横綱稀勢の里は10勝5敗で見事難関を潜り抜けた。
 「横綱のくせに10勝5敗じゃ情けない」とか「星はともかく、横綱らしい堂々たる取り口が全く無かった」などという批判がある。それも至極もっともなのだが、水牛としては、ともかく10勝したのだから「長期欠席の後でよくやった」と褒めてやりたい。私は元々、稀勢の里を僅か一度の優勝で横綱にしてしまうなんてとんでもない、これでは吉葉山の二の舞になってしまう、と随分前にこの欄に書いた。結果としてそれが当たり、稀勢の里は引退寸前に追い込まれた。出ては負け、休み、また出ては負けの繰り返しで一年半の空白を作り、今回、正念場の秋場所を迎えた。
 学校でも職場でもそうだが、長いこと休むと、どうしても怖じ気づいたり、出て行くのが億劫になる。元々、稀勢の里には自閉症児のようなところがあり、土俵に上がってチリを切り、四股を踏んで相手とにらみ合い仕切に臨む段階を通じて、「あー、いやだいやだ、早く終わりたい」という顔つきである。軍配が引かれて両者立ち上がり、ぶつかり合う段階になってようやく目が覚めたような顔つきになる。こんな具合だから大概は中途半端に腰高のまま立ち上がることになり、先手を取られてしまう。今場所も何番かそういう相撲があった。
 相撲社会は今でも特別な雰囲気に包まれていて、昔ながらの仕来りや習慣が残っているようだ。「部屋」という、言葉は悪いがヤクザの何とか組と相通じる親方ー弟子(親分ー子分)という関係からなる組織の集合体である。形式的には文部科学省の監督下の公益財団法人日本相撲協会という法人組織になってはいるが、実態は有力な親方で作る理事会が全てを決めて運営している。だから、協会の人事をはじめ、部屋の運営、力士を統率することなど、すべてが「昔ながらのやり方」で流れて行く。だから、だれそれを大関にする、横綱にするといったことから、不甲斐ない横綱に引導を渡すことに至るまで、全てはこの親方連中からなる理事会の意向によって決まる。
 今回も稀勢の里の今後について「どうするか」が協会幹部の間であれこれあったらしい。稀勢の里は二所ノ関一門の田子ノ浦部屋所属だが、その二所一門には派閥争いがあり、元大関琴風をボスとした一派は稀勢の里の存命を言い、元横綱大乃国を擁する一派は引退を画策したといった噂が流れ、週刊誌ネタにもなった。それは噂に過ぎないかも知れないが、とにかくそんなことを言われる原因はふわふわ横綱稀勢の里にある。とにもかくにも10勝して、存命が決まったが、次の九州場所が厳しい。千秋楽の大関豪栄道との一番を見るにつけ、こりゃ前途暗澹たるものがあるなあと危惧せざるを得ない。
 稀勢の里は190センチ、180キロの堂々たる体躯の横綱である。雷電は伝説では6尺5寸(197センチ)、45貫(169キロ)と言われているが、『雷電日記』の著者小島貞二は「残されている足袋、着衣、手形などから、6尺3寸(191センチ)、40貫(150キロ)が全盛時代の肉体ではないか」と述べている。まさに稀勢の里は雷電そのものではないか。稀勢の里よ、雷電碑のかけらを煎じて飲んで、九州場所には大向こうを見返す相撲を取ってくれ。
  横綱の負けて溜息秋入日
posted by 水牛 at 21:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする