2018年11月30日

俳句日記 (435)



十一月という月は

 11月は取り止めなく過ぎ去ってしまう月である。気候・温度変化からしても、秋のようでもあり冬のようでもある中途半端な感じだ。
 11月7日が立冬、俳句ではこの日から天然自然の景物も人事もすべて「冬」として詠むことになる。とは言っても、まだまだ秋の気分である。それでぼんやりしていると、急に明け方7℃などと冷え込んで、タオルケットに夏掛蒲団一枚で寝ていたために風邪を引くはめになったりする。
 11月がなんとなく印象薄く過ぎてしまうのは、行楽シーズンの10月を終えて一息つき、翌月の師走12月を控えてあれこれ心づもりしながらの時期ということもあろう。
 同じように何とはなしに過ぎてしまうのが2月だ。これもお正月の新年行事がいろいろ重なる1月を過ごし、翌3月が年度末・学期末で非常に忙しい。その中間安定期が2月である。「二月逃げ一年も逃げ始めたり 今泉而云」という名句があるが、この伝で行けば「あれあれと十一月の走り去る」ということになろうか。
 気候の変わり目ということでも2月と11月は似ている。2月は寒が明けて徐々に春らしくなって行く時期であり、11月は秋が本格的な冬になる頃合いである。こういう季節の変わり目は人間の身体にも影響を及ぼす。ここで無理をすると碌な事は無い。そんなこともあって、11月は殊更頑張らずに平々凡々の日を暮らすように、天の神様が仕向けてくれているのかも知れない。

  爪割るる十一月となりにけり
  空欄の目立つ日記や十一月
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2018年11月26日

俳句日記 (434)


冷めた鰭酒

 11月25日(日)大相撲九州場所が閉幕した。22歳の突貫小僧、小結貴景勝が13勝2敗で優勝、殊勲賞、敢闘賞まで受賞して一人気を吐いた。しかし、三横綱休場、大関豪栄道も休場という、お粗末としか言いようのない場所だった。これで15日間満員御礼が続いたのだから、福岡というところはよほど見るべきものが無いのだなと思ってしまう。
 力士が本場所に臨む意気込みを欠いているとしか思えない場所であった。白鵬、鶴竜両横綱はモンゴル国籍だから、このままでは親方にはなれない。二人とも日本に帰化して親方になり、相撲協会でさらに活躍したいとの意欲を見せているという話も伝わって来る。それはともかく、そうするためにも一場所でも長く横綱の地位に留まっていた方がいいと考えるのは人情の然らしむるところだ。それには何よりも無理をしないことだというわけでもあるまいが、九州場所をさっさと休場してしまった。一人横綱になった稀勢の里は意気込みが空回りして4連敗であえなく休場。豪栄道は徹底的に逃げの相撲でなんとか8勝した途端に休場だ。もう一人の大関栃ノ心は我武者羅相撲が祟って8勝するのが精一杯。残る期待の大関高安は絶好の優勝のチャンスを自ら潰して、またまた「優勝しない大関」の称号を上塗りした。大関に一番近いと言われ続けている関脇御嶽海はなんと負け越しである。千秋楽で高安をぶん投げて意地を見せたが、今更という感じであった。
 こんな中で貴景勝が暴れまくったのが唯一の見せ処だった。しかし、この力士も今のままではとても安心して見てはいられない。貴乃花という自分勝手な変人親方の部屋だったせいか、どうも力士としての修養がちゃんと出来ていないのではないかと思われる。幼児のころから相撲、相撲で育てられ、常識なぞわきまえる暇も無かったのであろう。兵庫・報徳学園から相撲学校の埼玉・栄高校を出て相撲界に入り、未だ20数場所しか経験していないから、仕方が無いといえばそれまでだが、親方同様自分勝手な感じである。本場所の土俵に上がってから回しが緩んでいるのを注意されて、土俵の上に呼出が三人も上がってエンヤコラヤと褌を締め直す前代未聞の恥ずかしい一幕を見せた。と思ったら、その翌日は出場する時間を間違え、土俵下の控えに入るのが遅れて関係者をはらはらさせた。そんなことがあっても相撲に勝つのだから図太いと言えばこれほど度胸のある22歳も居ない。しかし、これが私生活や今後の相撲稼業に顔を出して、とんでもない失敗をやらかしたりはしないか。
 今や貧相になってしまった相撲界にあって、数少ない"日本出身のスター"になったのだから、なんとか大成して欲しい。さもないと、相撲界は理事長以下、親方現役のほとんどがモンゴル出身はじめ外国勢で占められることにもなりかねない。しかしまあ、そうなるのもまた時代の趨勢で、これぞ「国際化」の象徴舞台というものかも知れない。
  生ぬるくなりし鰭酒博多場所
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2018年11月24日

俳句日記 (433)



根津界隈と太田道灌

 室町時代末期の太田道灌という武将に惹かれて、この10年ばかりその事跡を辿ることを続けている。今日、11月24日は文京区の根津神社をスタートに、団子坂の森鴎外・観潮楼跡、吉祥寺、駒込富士神社、六義園などを回った。根津神社は徳川五代将軍綱吉が養嗣子に迎えた六代家宣と共に立派な社殿を造営したのだが、元々は道灌が江戸一帯を領していた豊島氏を亡ぼした文明年代(1480年代)に建てたものである。道灌は豊島氏や江戸氏、千葉氏、吉良氏など関東平野一帯に勢力を張っていた氏族を平らげて行くに際して、地元に古びて忘れ去れたような社殿を建て直し、その地の住民の心を掌握することをした。これが意外な効果を発揮して、攻略する地域にシンパを扶植するという実りも得ることになった。
 室町幕府(京都)にとっては、道灌などという人物は、辺陬の地である東国に下しおかれた鎌倉公方を補佐する関東管領の、その又分家の執事に過ぎない。しかし、文武両道に秀でた道灌は、惰弱に流れた室町末期の、都では応仁の乱が長引き、関東では土豪群雄割拠して戦乱相次ぐ中、天才的な軍略をもって関東一円を席巻した。江戸城を作り、東山道の要である多摩川河畔一帯を抑え、東京湾の品川湊を握り、さらには埼玉の河越城を作って、今日の栃木、群馬、長野への勢力扶植拠点を築いた。もう少しで関東の覇者になれる寸前、あまりにも有能な部下に地位を脅かされるのではと危惧した暗愚な主君に暗殺されてしまった。
 道灌の戦略戦術は当時の常識を飛び越えていた。その当時の「戦」というものは、攻守双方プロの武士がぶつかり合い伐り結ぶ戦闘だったのだが、道灌は戦をする武士の糧食や矢などを運ぶために駆り集められた人足(概ねはその地の百姓)を編成し、竹槍や寄せ集めの武具を割り当てて訓練を施し、「足軽」という戦闘集団に仕立て上げた。この足軽勢を騎馬武者を守るように配置し一軍団を形作って敵勢に突っ込んで行く。これは圧倒的な迫力で敵勢を蹴散らした。この足軽戦法は織田信長はじめ小田原の後北条や豊臣秀吉、武田信玄、徳川家康などが見習って、戦国時代の戦の定法になった。
 これと相俟って効果を発揮したのが、人心収攬である。戦乱で荒廃した寺社を丁寧に再建する。其の地の有力者を氏子総代として、田畑の安穏を保証し、そこに帰依する村民に対する保護を約束する。こういうやり方で地元民の心を集め、さらに、そこに腹心の者を住まわせることによって自己の勢力範囲を広げていった。
 消費税を8%から10%にすることを「何がなんでもやります」と明言したシンゾーさんは、もう一つ自信が持てないのか、金券を配ったり、クレジットカード決済のポイント(割引率)を5%にしようなどと、姑息なことをあれこれ言い出している。しかしこれは人心収攬おろか人心離散の第一歩であることに気が付いていないのではないかと思わざるを得ない。そこが哀れである。そもそも、クレジットカード決済の割引率などは、「民」の主管であり「政・官」が嘴をはさむべき領域ではない。こんなことにまで政府が「補填」という手を差し伸べると、次から次へと際限がなくなってしまう。そういう、全くどうしようもない施政者に、道灌の事跡を少しでも学んで欲しいと思っている。
  道灌の汐見の岡の紅葉映ゆ
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2018年11月15日

俳句日記 (432)


でたらめ

 やっぱり九州場所はデタラメになってしまった。11月11日の初日を前に本欄で「踏ん張れるか稀勢の里」と書いた。白鵬、鶴竜が出来る限り横綱を張り続けたい、そのためには無理は禁物とあっさり休場を決めてしまったから、稀勢の里は自然に「一人横綱」の晴れ姿を見せることになった。幸い場所前の巡業から調子が上がり、自分から「目標は優勝」と言うほどの勢いで場所に臨んだ。
 これが危ないと思った。この横綱は非常に神経が細く、妙に意気込んだりすると、身体全体を滑らかに動かすことができなくなり、ピノキオ人形のように四肢の動きがばらばらになってしまう。案の定、初日、物凄い気力で貴景勝を相手に押し合い突き合ったが、いつのまにか、上体と下半身の動きのアンバランスをつかれてあえなく敗戦。それから四日間、これが横綱かと目を背けたくなるような不様な負け方をして、本日五日目から休場となった。
 この心の弱い横綱に歯がゆい思いをしながらも応援してきた。不遜、傍若無人の白鵬と比べればずっと好感が持てる。初場所まで二ヵ月、座禅でもして心を平穏に保つ修練をして、なんとか立ち直ってもらいたいと願うばかりである。
 さて横綱不在の九州場所五日目、「それじゃあオレが」と表に立つべき大関三人が揃って不様な負け方をした。馬力だけが頼りの栃ノ心は怪我が心配で、とても横綱になれる器では無い。豪栄道は稽古場では横綱だが、本場所になるとポカ負けを繰り返すからこれも大関を守るのが精一杯。残る高安が中では最も有望なのだが、根っからのブキッチョで、頭も悪そうだ。
 こんなわけで平成最後の九州場所は水牛の悪い予感が当たり、デタラメな場所になってしまった。これで煮えこじけの焼芋みたいな栃煌山なんかが優勝したら、それこそしらけてしまう。
 やはり九州場所と酷暑の名古屋場所は本場所からはずした方がいいのだ。それぞれを特別なスポンサー、例えば九州電力とかソフトバンク、トヨタ自動車などの冠をかぶせた「特別場所」にして、高額賞金と名誉称号を与えるようにすればいい。この両場所の成績は番付には無関係とすれば、本場所の間隔が開いて、怪我をしたり悩みを抱えた力士も立ち直りの時間的余裕が持てるようになる。
  あら当たったかや九州場所の河豚汁(ふくとじる)
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2018年11月13日

俳句日記 (431)

猫の脳ミソ(2)

 11月7日の立冬を過ぎて朝晩冷え込み始め、日によっては日中も20℃に届かないようになった。11日の日曜日夜、昼間はかなり暖かったのが夜が更けるにつれて冷え込んできた。
 チビがパソコン机に向かっている水牛の足元に擦り寄ってきて、ミャアミャア鳴く。お気に入りのチャオチュールというゼリー状の魚の擂り身をやったばかりである。主食のカリカリの上には好みのトッピング、クリスピー・キッスも乗せてやった。それなのに鳴く。
 「うるさいっ、バイバイ」と大きな声を出すと、恨めしそうな顔をして居間の方へ行った。ところがものの10分たたないうちにまた戻って来て、みゃあみゃあ言う。どうしてなのか。キーボードを叩いているうちに気が付いた。
 パソコン机の下の座布団の上に、さっき足温器を置いたのを見ていたのだ。足先が冷えると持病の膝痛が起こるので、毎年11月になるとこれを足元に置くことにしており、さっき山の神に納戸から持ってきてもらったのだ。この足温器は薄べったい四角なマット状で座布団の上に敷けるようになっている。
 もともとパソコン机の下の座布団を自分の居場所と決めているチビにとっては、寒くなるとそこに足温器が置かれて、ぽかぽかした塒が生まれることも知っている。春になってそれが片付けられると忘れてしまうのだが、こうしてまた敷かれると思い出すのだろう。いそいそとその上にうずくまった。
 しかし、一向に暖かくならない。これはおかしいと思ったのだろう。それで「なんとかしなさいよ」と言ったのだ。
 「お前はよく分かるなあ」と笑いがこみ上げてきた。ソケットを差し込むと、すぐに暖かくなり始める。チビはよしよしといった風情で丸くなった。18.11.12.足温器のチビ1.jpg
 この足温器は冬中つけっぱなしにしておいてもサーモスタットで電気が通じたり切れたりするので、「安全かつ経済的です」と販売店に言われたのだが、中国製なのでもう一つ安心できず、夜寝所に行く時にはソケットを抜く。余熱が失われるとチビは居間のソファに行っているようだ。朝になって水牛が書斎に来てスイッチを入れると、またその上に来て丸くなる。
 チビにはもとより足温器の暖かくなるメカニズムなど分かるはずもないが、保護者の水牛がなにかごそごそやると暖かくなることは分かっているのだ。猫の脳味噌はバカに出来ないものだなあと思う。
  足温器つけよとせがむ甘え猫
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2018年11月12日

俳句日記 (430)


猫の脳ミソ(1)

 チビは我が書斎を自分の住み処と決めている満十三歳の牝猫である。頭から背中全体を通して長い尻尾の先まで真っ黒。頤の下から腹は純白の中々綺麗な姿をしている。親にはぐれたに違いない生まれて間もないチビを、我が家の庭に住み着いていたキタコという半ノラが連れて来て、我が子のように可愛がった。「猫可愛がり」という言葉そのままに、自分の子を亡くしたキタコは自分のおっぱいを飲ませ、四六時中舐め回してチビを育て上げた。
 それなのに、一年ばかりたった2006年春、突然キタコはチビを邪険に扱い始めた。動物の「親離れ子離れ」とはこういうものかということを目の当たりにした。左右パンチを浴びせ、果ては唸り声を上げて噛みつく。チビは金切り声を上げて逃げ回り、玄太という老犬の小屋に逃げ込んだ。玄太は実に優しい気性で、懐に潜り込んできたチビを抱きかかえるように匿った。
 その玄太が2010年1月31日に17歳で死んだ。チビはその後しばらく玄太と共にいた庭の陶芸小屋に住んでいたが、庭全体を自分の領土と心得ている怖いキタコが徘徊している中での一人暮らしに不安を抱いたのだろう、或る日、開けておいた書斎の窓から中に飛び込んで来て、そのまま居座った。以来、此処が自分の生まれ故郷というような顔をしている。
 定位置はパソコン机の下である。ここは床に貼り付けたカーペットの上に、水牛が足乗せにしている座布団が敷いてある。そこを自分の居場所に決めた。退屈するとそこから這い出して、書斎の西側の出窓に坐って外側の石段を上り下りするする人たちを眺める。いわゆる「窓猫」というやつで、表を通る人たちはガラス窓越しに見える狛犬のようなチビを見つけて「あら可愛い」なんて言っている。犬と違って猫はまことに無愛想で、尻尾を振るどころか、ヒゲすら動かさない。そのくせ通りすがる大人子供には興味があるようで、じっと観察している。
 人間観察に飽きると、今度は居間で家計簿なぞ広げている山の神に近寄っては前脚で引っ掻き、ミャアと鳴く。こうすると山の神がマイバスケットで買って来た「猫のおやつ」をくれるのだ。そしてその後ひとしきり、毛布を掛けてくれて、「とんとんとん、とんとんとん」と囃しながら身体を優しく叩いてもらえることが分かっている。
 それが終わると、今度は二階のパトロール。階段の踊り場に置かれた自分用のトイレで悠然と用足しをしてから、二階角部屋の南側の窓かまちにぽんと飛び乗って庭を見下ろす。短いときは5分ほど、長ければ30分も眺めて、次は廊下を奥に進んでベランダに出て日光浴。
 自分の王国巡遊を終えると、また書斎に帰って来て、えさ箱を見る。「カリカリ」と称している主食のキャットフードの小鉢と、水鉢、それに好みの猫缶詰やゼリータイプのおやつを入れる小鉢が並んでいる。まずは「おやつを入れてくれ」とミャアと鳴く。それを瞬く間に食べ終わると、主食のキャットフードの小鉢を覗く。それが空だったり、残り少なくなっていたりすると、またミャアミャアと鳴く。定量の八分目ほど入れてやると、食べはせずに満足したような顔をしてパソコン机の下のねぐらに丸くなる。こうして自分なりに考えた塩梅通りに事が運べば「まんぞくまんぞく」という表情である。少しでも違えると、実に不満そうにミャアミャア鳴き続け、時には前脚でズボンを引っ掻く。
 チビの頭蓋骨は小学生の拳骨くらいの大きさしかない。その中に詰まっている脳味噌は大さじ一杯くらいのものではないだろうか。そんな中に、行動基準から飼い主の様子、表情、気分までを忖度する回路が組み込まれているようなのだ。大したものだなあと感心する。
  小春日のベランダ猫と丸く居り
posted by 水牛 at 21:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

俳句日記 (429)


踏ん張れるか稀勢の里

 11日、今年の締めの大相撲九州場所が始まる。八場所連続休場で進退が問われていた横綱稀勢の里は、9月秋場所で10勝して何とか面目を保った。今期は巡業中から好調で、自身も「優勝」を目標に据えるなど、大分高揚してきた様子がうかがえた。
 これは九州場所は面白くなると思っていたところが、第一人者の横綱白鵬が右膝手術の回復遅れを理由に休場を発表した。それを追い掛けて、横綱鶴竜も右足首の不具合とかで休場するという。なんと稀勢が「一人横綱」の晴れ舞台に立つことになってしまった。
 これが稀勢の里にどう影響するか。常識的にはビッグチャンスということになろう。二枚看板が外れたとなれば、後は大関豪栄道、栃ノ心、関脇逸ノ城、御嶽海が相手で、それ以下に取りこぼしが無ければ悠悠優勝という図式が描ける。
 しかし、これが却ってプレッシャーになりはしないか。「最大のチャンスが巡って来た」と思った途端に、緊張してしまうのではないか。稀勢の里という力士は前から感じていたのだが、いわゆる「ノミの心臓」である。何かのきっかけで、心臓がきゅっと縮んでしまうと、あとは全てが上の空で、相撲力が失われて負けてしまう。
 まずいことに初日の相手が小結貴景勝である。親方の貴乃花が自分勝手な振る舞いから部屋を潰すことになり、貴景勝は千賀ノ浦部屋に貰われて行った。兎に角、新しい部屋の部屋頭になって、存在感を増そうと意気に燃えている。相手は横綱だから負けて元々、思い切ってぶつかって行くだろう。稀勢の里にとっては最も苦手とするタイプである。
 これで横綱が不様に押し出されたり四つん這いにさせられたりすると、九州場所はまたまたデタラメな場所になってしまう。そんなことにならずに、稀勢の里が勝ち進み、ゆったりとした大相撲の流れができて欲しいと思うのだが、どうも悪い方の流れになりそうな予感がする。
  荒れさうな九州場所よ河豚汁
posted by 水牛 at 00:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月07日

俳句日記 (428)



貝割菜

 大根、蕪、小松菜などアブラナ科の野菜の種を蒔くと三、四日で貝が口を開いたような形で双葉が芽生える。これを貝割菜と言い、一週間から十日ほどで真ん中から本葉がちょっとのぞいた頃に間引く。貝割菜が密集したまま放っておくと、ひしめき合って、みんなひょろひょろになってしまうから、通風と採光を良くしてやって、しっかりとした菜が育つように、適当な間隔を設けて余分なものを抜き取る。抜き取った小さな貝割菜が「間引菜」であり、抜き菜、うろ抜き菜、つまみ菜とも言う。
 大根や蕪などの冬野菜は普通は9月中旬に種を蒔く。そのため貝割菜も間引菜も秋の季語になっている。しかし、水牛菜園はほぼ一ヵ月遅れで種蒔き、間引き作業をやる。と言うのは、9月だとまだ害虫の活動が盛んで、早めに本葉が出るとすぐに喰われてしまうからである。もう一つの理由は、近ごろは妙に暖かく、九月に蒔いたのでは小松菜などは正月の雑煮用には大きくなりすぎてしまう。雑煮の小松菜は長さがせいぜい十センチ、茎が四、五本の若菜を切らずに使いたい。そういうのを採るためには横浜辺では一ヵ月ずらして10月下旬に種を蒔いた方がいいのだ。それに今年は9月中下旬から10月初旬は雨降りが多く、農作業が出来ずに、結果として10月下旬播種ということになった。
 大根にはやはり少し時季遅れだ。だから水牛大根はどうしても小ぶりに留まってしまう。
 とにかく、その貝割菜が一斉に芽生えた。これから12月にかけて三度にわたって間引いて行く。こうして小松菜や小蕪は十センチ間隔ほどにして大きく育てる。大根はもう一回間引いて四十センチ間隔に一本立ちさせる。18.11.07. 貝割菜2. jpg.jpg
 この「間引き作業」は非常にくたびれる。腰と膝に負担がかかる。途中で不用意に立ち上がったりすればギックリ腰である。
 けれども間引菜にはそういう苦労をするだけの値打ちがある。大きな洗い桶一杯の間引菜も茹でてお浸しにすると一握りになってしまう。しかし、これに花かつおをぱらりとかけて醤油を垂らせば、こんな美味い物はないなとつくづく思う。良い出汁に信州味噌の上等を溶かし、沸騰寸前に火を止めて間引菜を入れる。瞬間に鮮やかな緑になる。この味噌汁は天下一品である。
 この間引菜の食味を思いつつ、明日から抜き菜作業を始めよう。

  まずもって半分抜くか貝割菜
posted by 水牛 at 22:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする