2019年01月01日

俳句日記 (441)


芭蕉の新年句

 平成三十一年開けましてお目出度うございます。五月一日からは新元号になるとかで、何だか少々中途半端で落ち着かない感じです。景気も下り坂のようだし、日本列島のどこかで大地震が起こるのは必至とか囁かれているし、どうもあんまりぱっとしないお正月ですが、分からないことを気に病んでも仕方がありません。「笑う門には福来たる」。今年も思いつくままにバカなことを書き連ねて参ります。お暇な方はどうぞお付き合い下さい。
 大晦日に「芭蕉の年の暮れの句」について書きましたから、それと対を為すべく、新年句を挙げて、亥年の皮切りといたします。
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 年の初め(歳旦)は俳諧宗匠にとっては書き入れ時。吉日を選んで、門人や贔屓の旦那衆を集めて「歳旦開(さいたんびらき)」という俳諧の座(連句会)を開く。ただし、新年早々、真剣勝負でうんうん唸る句会ではシラケてしまうから、大概はあらかじめ年の内に作った新年句を宗匠の下に集め、宗匠や幹部俳人が選り分けて、「発句・脇・第三」の連句の出だし三句を組み合わせて編集したものを「歳旦三つ物(さいたんみつもの)」と称して、新年句会に披露する形を取った。それをいくつも取りそろえて一冊にしたものが「歳旦帖」である。宗匠は独自に、自分と有力門人、代表的パトロンによる歳旦三つ物をいくつかまとめた刷物を作って方々に配ることもしており、これも歳旦帖と言っていた。というわけで、江戸時代の俳諧宗匠は新年吟詠がとても大事。これは今日の職業俳人にも続いている。
 芭蕉はその点、あまり商売熱心ではなかったようだが、それでも年の暮の句よりは沢山詠んでいる。目についた句を年代順に並べてみよう。

年は人にとらせていつも若夷
 (寛文6年・1666年、23歳、伊賀上野城出仕中、俳号宗房)新年用の恵比寿神の御札がいつも若々しいのは人に年を取らせてばかりいるからなのだな。
春立とわらはも知るやかざり縄
 (寛文11年・1671年、28歳、兄半左衛門方に居候)藁で作った注連飾りを見れば幼児でも新年と分かる。「藁」と「童」の掛詞で面白味をねらう。
天秤や京江戸かけて千代の春
 (延宝4年・1676年、33歳、江戸へ出て4年目、俳号を桃とし、少し名前が売れて来る)京と江戸の新春を天秤に掛けるとどっちもどっち、両方とも釣り合いの取れた賑わいを見せているよ。
門松やおもへば一夜三十年
 (延宝5年・1677年、宗匠として立つべく披露目の「万句興行」をする)門松の立ち並ぶ元日の朝は、一夜にして三十年もたったかと思われる気になるなあ。(ようやく宗匠として立てる自信がついてきた自分に引き比べての感懐)
かぴたんもつくばはせけり君が春
 (延宝6年・1678年、山口素堂と盛んに交流、「歳旦帖」を出し、正式に宗匠「立几」か)将軍様の御威光に異国のカピタンも這いつくばる新春であることよ。(カピタンという外来語を詠み込んで新鮮味をもたらした)。
発句也松尾桃宿の春
(延宝7年・1679年、新進宗匠としての意気盛ん)元日こそ松尾桃一門の「発句」である。これから三百六十日、出発進行。
於春ゝ大哉春と云々(あゝはるはるおおいなるかなはるとうんぬん)
 (延宝8年・1680年、37歳。この春四月、「桃門弟独吟二十歌仙」を刊行、江戸俳壇で桃一門の権威確立)「大いなるかな春」と言われる通り、目出度い限りだなあ。
はる立や新年古き米五升
 (天和4年/貞享元年・1684年、41歳。旧冬、弟子たちの尽力で新芭蕉庵再建、八百屋お七火事で二年間疎開していた甲斐から戻っての久しぶりの新年)この芭蕉庵の何たる豊かさよ、去年から持ち越しの米が五升もあるんだ。
誰やらが形に似たりけさの春
 (貞享4年・1687年、44歳)新春用にと贈られた正月小袖を着たら、この年寄りが俄に若やいで、まるで誰かさんみたいだと・・・。正月らしい浮かれ気分をうたった、芭蕉らしからぬ艶のある句。
二日にもぬかりはせじな花の春 
(貞享5年/元禄元年・1688年、45歳)除夜に深酒して元旦は寝坊して初日の出を拝めなかったが、二日の日の出もまた面白かろう。
よもに打薺もしどろもどろ哉
 (貞享年間)四方八方から薺打ちの囃し歌が聞こえてきて、やがてはそれが入り混じって何が何だか分からなくなってしまうことよ。
元日は田毎の日こそこひしけれ
 (元禄2年・1689年)去年、信濃・姥捨山の田毎の月に感銘を深めたものだが、「田毎の日」というのもまた素敵だろうなあ。
年々や猿に着せたる猿の面
 (元禄6年・1693年・50歳)新年の猿回し、取っ替え引き替え面を付け替えられては踊る猿。顔は変わっても中身は同じ猿。かく申す私も年々歳々何の変哲も無く・・。
蓬莱に聞ばや伊勢の初便り
 (元禄7年・1694年、51歳)正月飾りの蓬莱を見るにつけても、あの神々しい雰囲気の伊勢からの初便りなど聞きたいものだなあ。
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 芭蕉の歳旦句はこれ以外にもまだかなりある。しかし、「これが芭蕉の句か」とがっくり来るようなものも目につく。型にはまった、おざなりな句である。しかし、考えてみればお正月というものはそんなものなのだと言えるのではなかろうか。いくら"世捨て人"を自認していても、やはり取り巻きがいる。自分だって食い扶持は必要だ。となれば新年句会は不可欠で、宗匠としてかなりの数の発句を拵えておかねばならない。そんな事情もあるようだ。
  孕み句を三つ四つ抱へ新年会
posted by 水牛 at 00:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする