2019年01月23日

俳句日記 (447)


いやな感じ

 古新聞を片付けていたら「健康経営 消えるたばこ」という、意味のよく分からない見出しが目に付いた(1月19日、日経夕刊一面トップ記事)。本文を読んでみたら、「勤務時間内の仕事の効率を高める働き方改革」の考え方によって、「仕事中のちょっと一服」が減ったこと、「社員の健康増進に禁煙を勧め、喫煙者の採用も控える」企業が増えてきたこと、さらに「そうした考え方の企業に投資家の注目度が高まって」来たこと等々によって、企業内の禁煙活動がますます盛んになっているのだという。
 この記事を読んでぞっとした。「効率」と「利益」ばかりが重視され、「害悪」と「無駄」の排除が最優先という考え方である。これを突き詰めて行くと、70数年前の「欲しがりません勝つまでは」「撃て鬼畜米英」「挙国一致」の考え方を呼び戻し、それに従わない者を「非国民」として村八分にする世の中を招来する。
 厚生労働省の調査では、2017年には敷地内での全面禁煙に取り組む事業所が全体の14%になっており、社屋内禁煙の企業が今や半数に上っているという。こうした動きによって、日本たばこ産業(JT)の調査では日本国内の喫煙人口(2018年)は1880万人と10年前の3割減になっている。喫煙本数も1996年の3483億本から2017年には1455億本と6割も落ち込んだ。しかし、タバコ税収は年間2兆円強で、この20年間ずっと同じ水準を保っている。タバコの値段をどんどん引き上げて、喫煙者の減少を補っているのだ。何しろタバコの税金は売価の6割強だから、喫煙者は大変な愛国者でもあるのだ。
 私は風邪を引いて咳き込んだ時、死んだオヤジが気管支炎で苦しんでいたことを思い出し、76歳でタバコを止めた。記事を書くのが仕事だったから、現役時代にはむやみに吸い、多い時には一日50本を越えた。タバコの吸い過ぎと深酒で胃が痛めつけられ、朝、歯を磨くとゲエーッと猛烈な吐き気に襲われるのだった。そこで「禁煙」した。10数回はやった。短い時は一日、最長で一年近く続いたこともある。というわけで、76歳での禁煙もまた元の木阿弥になるかと思っていたが、何となく続いてもう6年になる。
 こうしてタバコとの悪縁は切れたのだが、近ごろの「禁煙」活動の激しさを見るにつけ、むらむらと反抗心が湧いてくる。また吸い始めようかとさえ思う。
 最近の禁煙運動は「いじめ」に等しい。近くにいる人間がくゆらすタバコの煙のほんの少々を吸い込んだからと言って、それが害を及ぼすことなど、ゼンソク持ちでもない限り殆ど考えられない。それを「受動喫煙の害」などと言って大騒ぎするのが全く理解出来ない。受動喫煙などよりよっぽどひどい害悪をもたらしているのは自動車の排気ガスである。発車時のアクセル一発によって、タバコ数千本分の発癌物質を吐き出すという実証実験の記事を読んだことがある。しかし自動車産業の力は強大だから、その害毒を言う政治家も役人もいない。
 タバコが健康に良くない事は確かであろう。しかし、その一服でストレスを解消する効用も確かにある。禁煙してイライラし続け神経症になり、身体を悪くするのと、タバコによる発癌で命を失うのと、どっちもどっちという気さえする。人間がタバコと付き合い始めて500年。ついこの間までは「今日も元気だタバコがうまい」などと、御国が喫煙を奨励していたのである。ヒステリックにタバコの害毒を言い立て、喫煙者をまるで業病患者を見るような目つきで見据えたりせず、タバコよりもっと人類に害を為すものが沢山野放しにされている事に思いを致す事が必要である。
  初詣歩きたばこの懐かしさ
posted by 水牛 at 21:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする