2019年01月28日

俳句日記 (448)


いいぞ玉鷲

 もう見るのが嫌になるほど滅茶苦茶な初場所だったが、スロー出世の玉鷲が優勝したので気を良くしている。今場所は不甲斐ない横綱稀勢の里が予想通り引退、鶴竜が休場、休場明けの白鵬は天与の運動神経で危ない相撲を軽業のように凌いでいたがやはり力尽きて戦線離脱、大関陣と来たら力任せの我武者羅相撲栃ノ心が早々と休場、高安と豪栄道はもう目も当てられない状態で何とか9勝6敗という体たらく。こんなお粗末な相撲を見せ続けて、よく「満員御礼」の垂れ幕がかかると呆れるような場所だった。これでもし、ガチャガチャした品の無い相撲の御嶽海や貴景勝が優勝し、場所後、「貴景勝大関昇進」などとなったら最悪だなと思っていたのが、そうならなかっただけで良しとしよう。
 玉鷲という力士はモンゴル出身としては一風変わって、ゆったりとした雰囲気があり、10年ほど前、幕内に上がって来たときから好きだった。しかし、堂々たる体躯を持ちながら、それを生かせず、脇が甘くて、突っ張りと押しの威力は凄いのに、簡単に組み止められて不様に転がされてしまう相撲が続き、中々上へ上がれない。折角幕の内に上がってもすぐに陥落するエレベーター力士で、上がったり下がったり、確か「入幕6回」という記録を持っているはずだ。
 全く不甲斐ないヤツだと思っていたが、私はこうしたいかにも相撲取という堂々たる体格で、ヌーボーとした感じの力士が好きなのである。今の幕内では輝とか豊山がそうである。大相撲はスポーツであることは確かだけれど、元々は「天下太平五穀豊穣」を神に祈る儀式であり、その分、お祭りのような芸能的要素も抱えている。勝つことは大切なのだが、「勝てばいいだろ」という白鵬のような相撲はいただけない。祭祀の持つ美しさと、カミサマとともに観客を喜ばせる相撲の取り方が要求されるのだ。
 その点、玉鷲は悠揚迫らざる風姿で、取り口も突き押しの正攻法。「勝てばいいだろ」という這い上がり精神むき出しな所もないのがいい。しかし、それは裏返すと勝負師に不可欠な「勝負への執念」が薄いということになる。2016年11月の九州場所では初日に横綱日馬富士を一気に押し出し、その余勢を駆って三大関をなぎ倒し10勝5敗、初の技能賞を獲得。さあこれからだと応援にも力瘤が入ったのだが、翌日の新聞に「まあこれからも楽しく相撲を取ることだけ考えています」と、何とも歯がゆいコメントが載ってがっくりきた。
 今度も28日付け夕刊に、優勝から一夜明けての記者会見記事が載っていたが、そこでも「先のことは考えず、一番一番楽しくやれたら」と言っている。優勝したのだから、もうちょっと威勢のいい抱負を期待していたのだが、はぐらかされた感じだった。
 しかしまあこれが34歳になってようやく花開いた遅咲き関取玉鷲らしいとも言える。とにかく30歳を過ぎてから強くなった珍しい力士だ。組んでも勝てる技を一つ二つ会得すれば、大関になれるかも知れない。そうなると白鵬、鶴竜に衰えが見え、二束三文の値打ちも無い大関陣に変わって、大相撲に大きな目玉が出来る。
  初場所は眠れる鷲の羽ばたけり
posted by 水牛 at 23:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする