2019年05月30日

俳句日記 (491)

難解季語 (20)

さなぶり(早苗饗)

 田植えを終えた後、田の神を送り、作業した人たちをねぎらう饗応の宴を「さなぶり」と言う。全国各地の農村の初夏の一大行事だったのだが、近ごろは殆ど廃れてしまい、農村地帯でさえ若い人たちには通じにくい言葉になっているとのことである。。
 農業国家であり米が主食の日本では、年中行事はすべて稲の成育に従って組み立てられていたと言ってもいい。凍てついた田を早春に掘り返す「耕し」から始まって、苗代作り、種蒔き(籾蒔き)と続き、やがて五月中旬から六月初旬にかけて、育った稲の苗を田に植えて行く。これが農作業で最も大事な「田植え」である。
 日本列島は北から南へ長いから、田植えの時期も沖縄の三月下旬から関東東北の六月中旬まで地域によって差があるが、とにかく初夏の代表的な景物であることに間違いない。
 田植えは村中総出で行った。何軒かで組を作り、順繰りに人海戦術で植えて行く。だから田植えが無事に済めば、手伝ってくれた人たち全員を招いて盛大に御馳走する。もちろん、宴は田の神様に無事に田植えを終えたことを感謝し、祈りを捧げる事から始まる。昔は田植えを始める前の日あたりに、田の神を勧請する「さおり」という儀式をやっていたらしいが、これは今では殆ど行われない。
 「さ」というのは「稲」を意味するという説と、「田の神」を意味するという説がある。「さおり」は「さ降り」で田の神様がその田圃に降りて無事に田植えが済むように見守って下さること。そして、無事に田植えが済んだら神送りの宴で「さのぼり(さ上り)」なさるというわけである。この「さのぼり」がいつの間にか「さなぶり」と変化して「早苗饗」という漢字が当てられるようになった。
 とにもかくにも稲の苗を植えた後は、風水害、旱魃、冷害、病害虫の発生など、農民は気を揉み続ける。潅漑設備が行き渡り、農薬が大量撒布されるようになった今でさえ、時として自然の猛威に叩かれる。便利なものが一切無かった昔は、全てが神頼みだった。
 今では田植えも田植機がやってくれる。実際に田植えの田圃に出る人は苗を機械に積む人、田植機を運転する人、何かの用事のための介添え役の三人で十分だという。姐さん被りに襷掛けの早乙女が十数人横一列に並び、指令役のおっさんが掛け声をかけ、太鼓を叩き、のど自慢が田植唄を唄い、そのリズムに合わせて後ずさりしながら苗を植えて行く田植え風景など、とんと見なくなった。
 無理も無い。わずか二、三人の田植えでは、早苗饗も威勢が上がらず、すっかり廃れてしまった。それに変わって、稲作地帯では観光イベントとして「田植え体験ツアー」が盛んになり、体験田植えを終えると地場産の食材と地酒の宴会が催される。これもまあ一種の早苗饗であろう。
  早苗饗のあいやあいやと津軽唄    成田 千空
  早苗饗の膳の下より小猫かな     橋本 鶏二
  さなぶりに灯してありぬ牛小屋も   鏑木登代子

  さなぶりをなつかしみをり五月空   酒呑洞水牛
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2019年05月26日

俳句日記 (490)

でたらめ場所

 大相撲夏場所が終わった。気っ風のいい平幕朝乃山が優勝し、千秋楽にはトランプ米大統領がやって来て白頭鷲のついたアメリカ杯を手づから優勝力士に授けるというパフォーマンスなど話題豊富な夏場所にはなったが、肝心の取組内容は開いた口が塞がらない粗末なものであった。
 そもそも平幕優勝というのが異例なのである。上位力士が互いに食い合う隙間を縫って、平幕力士がするするとその座を占めるということはこれまでも時々あった。しかし、今回は横綱、大関がだらしなくて、自ら転んでしまっての結果なのだからシラケてしまう。それが証拠に、平幕8枚目の朝乃山が、なんと十四日目に優勝を決めてしまったのだ。千秋楽まで、好調平幕力士がトップの横綱なり大関なりと同点で進み、千秋楽で優勝候補の横綱が破れた結果、平幕力士に優勝杯が転げ込むというのなら、手に汗握るといった雰囲気になる。
 ところがどうだ。今場所は千秋楽三役揃い踏みの前に行われた朝乃山と御嶽海の取組で、朝乃山はあっさり御嶽海に負けてしまった。それでももう優勝が決まっているから平然たるものだ。その後の「これより三役」の三番などは全く興味の薄い取組になってしまった。
 東京五輪の時に土俵入りを勤め、その後は引退、親方になりたいという横綱白鵬には既に昔日の勢いは無く、ただただ延命を図って、ちょっと調子を崩せば休場。今場所もそうだった。一人横綱の鶴竜はそれなりに頑張ったが、やはり弱っており、終盤崩れ始めた。場所をつまらなくした元凶は三人の大関。高安と豪栄道はよくもまあ恥ずかしげもなく毎場所ごろごろ負け続けるのだろう。今場所も揃って9勝6敗である。新大関として大いに期待された貴景勝は我武者羅相撲の咎めで怪我して早々休場である。正直言って、これら三人の大関には全く期待していない。
 これからは、今日賜杯を抱えた朝乃山が気を引き締めてしっかり上に昇って行くことと、大怪我から立ち直って力をつけてきた竜電が楽しみである。そして、今後どうなるかがまだもう一つはっきりしないが、豊山と照ノ富士である。
 朝乃山と同期デビューで一足先に入幕しながら十両に落ちてしまった豊山が今場所ようやく勝ち越した。5枚目でようやく8勝7敗だから、来場所も十両だが、来場所好成績で再入幕すれば、今度こそ期待出来そうだ。
 一方の照ノ富士。これがデビューした時、伝説の怪力士雷電為右衛門は恐らくこんなタイプの力士だったのではないかと思い、それ以来贔屓にしてきた。照ノ富士は恵まれた体躯と怪力を武器に初土俵後六年で大関になった。しかし、スイスイと出世したせいもあろう、若さに物を言わせ力任せに取る相撲で、無理な相撲が祟って両膝を痛めてしまい、糖尿病まで患って大関陥落、以後は休場休場の連続でなんと序二段まで落ちてしまった。元大関が序二段まで落ちたのは大相撲史上初のことである。ようやく相撲が取れるまでに怪我が回復し、序二段を全勝でなんなく通過、この五月場所は三段目東49枚目で6勝1敗の好成績で終えた。返す返すも惜しかったのは八日目の取組で土俵際「勝った」と思い込んで力を抜いた瞬間、まだ残っていた相手に回り込まれ寄り切られてしまう痛恨のポカをやらかした。これが無ければ七戦全勝で次の名古屋場所は幕下昇進が確実だったのだが、49枚目で6勝1敗では難しいかも知れない。
 それはともかく照ノ富士の両膝は徐々に良くなっているようで、このままで行けば来年初場所には十両に返り咲いて、再び関取として大髻を結えるようになれるかも知れない。
 なんだかんだと悪口を言いながらも相撲は面白い。野球やサッカーやテニスなど問題ではない。最も面白いスポーツだと思う。それが今の幕ノ内の取組を見るにつけ、悪態をつきたくなってしまうのである。しばらくは、こうして下で苦労している力士たちに視線を這わせて楽しんで行くとしよう。
  夏場所を締める異国の大統領
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2019年05月20日

俳句日記 (489)


難解季語 (19)

しょうまん(小満)

 二十四節気の一つで、旧暦四月の中(ちゅう)。二十四節気は一年をほぼ十五日ずつに区切って、その時期の季節的特徴を表す名前を付けた指標である。この内、各月の始めに置いて季節の指標となるものを「節」、その月の真ん中あたりに置いて当月のシンボルを示したものを「中」と名づけている。例えば、二月の節は「立春」、二月の中は「雨水」(雪溶けて雨水となる)という具合である。
 「小満」は「立夏」の十五日後で、太陽暦では五月二十一日頃である。草木が茂り始め、陽気がみなぎる時節を言う。文化五年に刊行された『改正月令博物筌』(かいせいがつりょうはくぶつせん)という、その後の歳時記の手本になった書物には「四月節(立夏のこと)より十六日目を小満と云 萬物次第に長じて満つるの義なり」と書かれている。さらに、「小満の日を麥生日(ばくしょうび)といふ 晴天なれば麥大いに熟す」と述べている。麦の収穫時期であることを告げているのだ。
 二十四節気はすべて季語とされているのだが、人気のあるのが立春、立冬など季節を立てるものを筆頭に、春分、秋分、夏至、冬至や大暑、大寒などである。それらに続いて「啓蟄」「清明」「寒露」などが続く。さしづめ、この「小満」などは人気の無い方の部類であろう。今売られている歳時記の中には載せていないものすらある。
 「小満や一升瓶に赤まむし 斉藤美規」という面白い句がある。田植前の田圃の畦には蛙や虫を狙って蛇が出没する。マムシも出て来る。蝮を焼酎漬にした蝮酒は百薬の長として珍重される。草刈りなどしていてうっかり噛まれると死の苦しみをするほどの毒を持っているが、うまく生け捕りに出来たら儲けもの。早速、一升瓶に入れ、蝮が水面に首を出せるくらいに水を注ぎ込み、逃げ出さぬよう、空気だけは通うように口に布を当てて封じる。蝮は何も食わずに二、三ヵ月生きているが、やがて死ぬ。そうしたら壜の中の水を何度も入れ換えて排泄物などをすっかり洗い流し、そこに焼酎を一杯入れて、冷暗所に貯蔵する。そうやって一年もたつと琥珀色の蝮酒が出来上がる。
 この句は田圃で実際に蝮を捕まえて一升瓶に漬けたという話ではなく、小満の頃の街の蛇屋のショウウインドウかも知れない。とにかく、「小満」という難しい季語に「赤まむし」を取り合わせたのが傑作である。

 小満やどの田も水を湛へをり     小島雷法子
 小満のみるみる涙湧く子かな     山西 雅子

 小満の日も黙々と草むしり      酒呑洞水牛
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2019年05月16日

俳句日記 (488)


薫風の五月句会

 5月15日(水)午後6時半から神田鎌倉橋のビル8階で日経俳句会第179回例会が開かれた。兼題は「五月」と「風薫る」という、この日のお天気にぴったりの季語。22人が出席、15人が欠席投句、合わせて37人から合計111句が寄せられるという、相変わらずの大賑わいだった。
 ところが出句の出来栄えがもう一つで、季節感の薄い句や、極めて常識的な素材と表現の句が多く、またどういうわけかそういう句が高点を集める。まことに実りの貧弱な句会だった。
 かく云う水牛の句も今回はさしたるものが無く、
  思ひきり胸をそらせて五月なり
  風薫る荒川中川橋づくし
  吟行の老を招くや茅花の穂
という、これまた常識的でインパクトに欠けるものだった。やはり「五月」「風薫る」という兼題が、自分で出題しておいて言うのもおかしいが、あまりにも常識的でありきたりの句を誘発する結果を招いたのかも知れない。
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2019年05月13日

俳句日記 (487)


祭囃子流れる土曜昼下がりの句会

 5月11日(土)午後一時から神田鎌倉橋のビル8階で酔吟会の例会が開かれた。ちょうど神田明神のお祭りで、句会会場の真下が「鎌倉橋町内会」のお神酒所。祭り囃子が流れ、神輿が近づくとワッショイワッショイの掛け声が賑やかに伝わって来る。お祭り好きの何人かが窓を開けて下をのぞく、初夏らしい晴れ上がった気温23℃の気持の良い日和であった。
 酔吟会も回を重ねて第140回。第一回例会が開かれたのが平成8年(1996年)5月だから、令和元年の初回である今回はちょうど満23年になる。記録を眺めてみたら、第一回例会(四谷3丁目「互会」)に出席したのは、「原文鶴、立川芳石、大留留圓(黃鶴)、大石柏人、片野涸魚、廣田耕蕨(耕書)、大澤水牛、大沢反平、金指正風、今泉而云、山口詩朗の十一名」とある。今やこのうち六人が異界の住人となり、一人は引退。「23年というのはやはり隔世の感ありだなあ」と思う。
 それでも残った長老片野涸魚さんをはじめ、而云、反平と水牛の四人はまずまず元気に轡を並べ、その後続々と入会してくれた人たち合わせて、この日の出席者は17人、投句参加が3人と旧に倍する盛況ぶりである。
 この日の兼題は「麦秋」と「雹」。投句5句選句7句で句会を行った。酔吟会は昔ながらの「短冊に記入して投句、皆でC記、選句・披講して合評会」という方式だから、流れものんびりしている。午後1時に始めて、合評会が終了したら4時半近くになっていた。
 この日の水牛は何と言う風の吹き回しか、最高点4点が2句、次席3点1句、1点2句という満艦飾であった。
  麦秋の野に大の字のずる休み     (4)
  むざんやな雹の叩きし瓜畑      (1)
  メーデーを茄子苗植うる日と決める  (4)
  春菊のみな花となり夏は来ぬ     (1)
  薫風のひと日江東橋めぐり      (3)
 「麦秋のずる休み」は高校時代の思い出に重ねて、今回令和の10連休という「バカ休み」を詠んだもの。「メーデーの茄子苗」は茄子苗を植えていて、下の国道一号を通るわずか数十人のか細いシュプレヒコールのメーデー行進を聞いていて出来た句。「薫風の江東橋めぐり」は先日の番喜会吟行の時に作った句のお余り。いつもと同じような「身の回り俳句」なのだが、こういうこともあるのだなと思う。
 他の4点句には以下のような句があった。
  麦秋や白黒がよし小津映画        涸 魚
  母の日の電話に妻の晴れやかさ      反 平
  句会果てて野の花残る夏座敷       可 升
  木々の葉を雹打ち鳴らしパーカッション  十三妹
 水牛が良いと思った句は、
  百万株咲き誇る里著莪明かり       操
  雹過ぎて行くや酒場の安普請       而 云
  麦の秋産み月の吾子腹なでて       木 葉
  草刈機高鳴りわたる田植前        てる夫
  えごの花陽の暮れのこる跨線橋      水 兎
  作り物のやうに冷たき雹の粒       ゆ り
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2019年05月10日

俳句日記 (486)


立夏の川風

 2019年のゴールデンウイークは平成から令和へと変わる橋渡しの時期になったために、例年とは全く様相を異にした。なにしろ天皇の生前退位というものを特別立法で認め、退位の式典、新天皇即位式と続いたから、当然のことながら世間の耳目はそこに集中した。こうした行事をこなすために、黄金週間中にとびとびにある平日を祝日にしてしまったから、何と破天荒の10連休ということになった。この間も世界は目まぐるしく動いている。ぶっ続けに10日も休んでしまっては、国際政治やビジネスの世界でいろいろな支障が起こったに違いないのだが、そういった咎めは直ぐには現れないし、政府は自分たちの決めたことに誤りのあろうはずは無いとふんぞり返っているから、マスコミも何も言わないし、ぬるま湯に浸かっているT億2千万国民はぼんやりしたままである。
 偉そうなことを言っている酒呑洞老人だが、もとより何もすることの無い毎日だから、10連休だろうが、とびとび休みだろうが関係無く、「やはり純米吟醸より純米酒の方が酒らしくていいな」なんてつぶやきながら、新しい一升瓶を空けているだけである。
 そんな10連休の最後の日、5月6日は月曜日。本来なら第一月曜日は番町喜楽会という面白い句会の日なのだが、振替休日になってしまったために定例会場が休館で、句会が開けないという。がっかりしていたら会員の可升さんが、「良かったら私が東京の足場にしているマンションを使って下さい」と言ってくれた。都営新宿線東大島駅のそばで、旧中川、荒川、小名木川が流れ、江戸時代の船番所跡には資料館があり、そこを見学してから川沿いの遊歩道を吟行しましょう。というわけで、素晴らしい吟行句会が実現した。
 6日午前十時、川の上にある東大島駅大島口に15名が集合、まずは江戸の水運の玄関口に置かれた関所、中川船番所跡に出来た資料館を訪問、キュレーターから当時の江戸湾、荒川、中川、そして隅田川に繋がる小名木川の様子などを聞いた。その後は川の駅で水陸両用バス「スカイダック」が水しぶきを上げて川に飛び込む情景を見物、小松川公園を経由して旧中川沿いを群れ咲く晩春初夏の野の草花を愛でつつ吟行した。凡そ1万歩強の散策後、廣田可升亭で昼食、句会を始めた。席題「立夏」と「橋」および雑詠の3句を投句、選句5句で句会を行った結果、双歩さんの「大橋を三つ並べて夏の川」、木葉さんの「水陸車上がるしぶきも夏の入り」、水兎さんの「野の花を摘んで立夏の川の道」の3句が5点でトップに輝いた。この他にも「逆上る立夏の潮や小名木川 而云」「初夏のふれあい橋でおり返す 百子」「川またぐ駅は五月の川の駅 白山」など、面白い句がずぶんあった。水牛句は、
葉ざくらのさくら大橋渡りけり
薫風や江東江戸川くまたがり
大盃といふつつじ咲く船番所
 と、我ながらおざなりな三句を並べたものである。一行のてる夫さんが滋賀の銘酒「松の司」と美味い米焼酎「鳥飼」を持って来てくれたのを一人占めするように吞み、さらには可升邸にあった「久保田」その他を平らげて、席題の「立夏」を忘れて「薫風」の句を出してしまうといった塩梅。さはさりながら、すこぶる楽しい吟行句会だった。
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2019年05月02日

俳句日記 (485)


難解季語 (18)

かわずのめかりどき(蛙の目借時)

 晩春の眠気を催す頃を言う俳句独特の言葉だが、一般には理解されにくい。滝沢(曲亭)馬琴が編んだ『俳諧歳時記栞草』には、「夫木和歌抄」(鎌倉後期の類題和歌集、一三一〇年頃成立)巻五の藤原光俊朝臣の歌「つとめすとねもせで夜をあかす身にめかる蛙の心なきこそ」を載せて解説替わりにしている。鎌倉時代に既に歌に詠まれていたことからすると、「蛙の目借時」という言葉はずいぶん古くからあったようである。
 さらに馬琴は「此のめかる蛙とは、目を借ると云心也。夜短く、眠を催すを、蛙の人の目を借よしにいへる俗の諺也」とある。しかし、その「俗の諺」つまり民間伝承なるものも、何故この時期に蛙が人間の目を必要とするのかはっきり説明していないから、意味がよく判らない。蛙がしきりに鳴き交わす晩春は昼も夜も何となく物憂い気分になり、眠気を感じる。「目がいくつあっても足りないくらい眠い」という気分を、蛙を引き合いにして云ったものなのであろう。
 「醒睡笑」(せいすいしょう)という小話を沢山載せた本がある。江戸初期の京都・誓願寺竹林院の住持で茶人でもあった安楽庵策伝が子供時代から聞き集めた面白い話を書き綴って、京都所司代板倉重宗に献呈した本で、寛永年間(千六百年代前半)に刊行され、それ以後の落語、講談などの種本になった本である。その「巻之四」に「蛙の目借時」が出て来る。
 【大名の前にて座頭のひたものねぶるを見給ひ、「何の子細にそれほどねむるぞ」とあれば、「昔より『春は蛙が目をかりる』と申し伝へて候、それはよき目のことに候はんや、われ等のやうなるあしき目をも借り候は、よくよく蛙のよりあひに目のはやる子細御座候や」と申しける】
 「私らのような不自由な目まで借りに来るのですから、今日あたり蛙の寄り合いではさぞかし沢山の目玉が入り用なんでしょうな」と笑いを取ったという頓知話である。この話からも、晩春の眠たさは蛙の目借りが原因だという俗説が行き渡っていたことが分かる。
 一説には「めかる」は「妻狩る」で、蛙が牝を求めて鳴く様なのだという。これに対して季語研究の先達山本健吉は「もとは『媾離り(めかり)=交合を避ける意』で、早春蛙が出現して交尾をすませ産卵してから、もう一度土中にもぐったり、木陰や草陰にかくれて、静止状態をつづけ、初夏になるまで出て来ないことである」という説を立てている。なるほど蟇もアカガエルも産卵後一時姿を消し、春眠をむさぼっている。「妻狩り」にせよ、あるいは「媾離り」にしても、そう言われれば確かにその方が理屈が通っているように思えるが、そんなのは理に落ちるというもので、ひとつも面白くない。やはり、蛙が人間の目を借りに来るという、突拍子もなく民話的な話の方が俳句にはふさわしい。
 とにかく春風駘蕩たる気分の季語であり、このぎすぎすした現代の事物とうまく取り合わせることで、思ってもみなかった効果をもたらす句が生れるかも知れない。今や俳句人口一千万人などと言われて、ブームになっている。ブームはある種のマンネリ化をもたらす。そうしたマンネリ化を打ち破るために、こういう半ば死語と化した奇妙な季語を再発掘することが、新機軸を打ち出すきっかけにならないとも限らない。しかし、「カワズノメカリドキ」では、これだけで九音とってしまうので、句作の上で不便であることから、実作では単に「目借時」と五音で用いることが多い。
  怠け教師汽車を目送目借時       中村草田男
  顔拭いて顔細りけり目借どき      岸田 稚魚
  煮ものして窓のくもりし目借どき    檜  紀代

  目借時と言ひて自分を甘やかす     酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 23:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする