2019年06月13日

俳句日記 (497)


難解季語 (22)

はいちょう(蠅帳)

 昭和四〇年代まではどこの家にも必ずあった夏場の必需家具である。大きさはいろいろだが、小型の物は縦横高さ四〇センチほどの箱で、オモテ側は引き違いの戸、側面には格子がはまり、それぞれに細かな金網または蚊帳の布が張ってある。風通しよく、しかも蠅が入らない食物貯蔵箱である。これを茶の間や台所に置いて、常備菜や漬物、残り御飯などを入れた。冷蔵庫の無い時代には夏場に無くてはならない用具であった。
 家庭だけではなく、下町の飯屋などにも大型の蠅帳が帳場の脇に据えてあった。そこに焼魚、煮魚、煮物など、その日の「おかず」が並んでいる。客は蠅帳の網戸を開けて欲しいおかずを取り、盆に載せ、温かい飯と汁を盛ってもらって、帳場で勘定を払い、飯台に持って行き食べるという具合だった。
 何しろ昔は蠅が多かった。六月の梅雨の晴れ間など、家の内外にわんわん飛び回っていた。「五月蝿」と書いて「うるさい」と読む熟語があったほどで、どうやらこれも今では「平仮名で書きなさい」と言われそうだ。
 とにかく蠅は食品はもとより、魚肉、獣肉、人畜の排泄物、死骸が大好きで、そういうものに群がり集まる。うるさいだけでなく、病原菌をまき散らすから放っておくわけにはいかない。家庭では「蠅叩き」を常備し、食品店、魚屋などは粘着剤を塗った「蠅取リボン」を店中に吊した。魚や佃煮、芋やコンニャクの煮しめなどが盛られた大皿のすぐ上には、蠅がへばりついて真っ黒になった蠅取リボンがぶらぶら揺れていた。今どきの衛生観念が異常なほど発達した若いお母さんだったら、卒倒するに違いない風景である。
 昔は「夏負け」という体力消耗から病気になり、命を失う人が多かった。夏負けで病原菌に冒されればそれこそイチコロである。「食あたり」が最も恐れられていた一方、とかく栄養不良の食生活を送っていたから、少しでも食が細ると「夏痩せ」し、病気にかかりやすくなるから、せっせと食べなさいと言われる。そういった夏場の暮らしに蠅帳は命綱とも言うべきものだった。
 下水道整備によって汲取式便所が無くなり、「おわいやさん」と呼ばれていた便所汲取業者が姿を消した。これによってウジムシと蠅の発生が激減した。それに加え、家庭用電気冷蔵庫の普及によって、今では蠅叩きも蠅取紙も蠅帳も死語になった。

  蠅帳といふわびしくて親しきもの   富安 風生
  蠅帳や隅にころげて茹玉子      草間 時彦
  蠅帳のこころもとなく古りにけり   細川 加賀

  蠅帳に焦げしうるめを見つけたる   酒呑洞水牛
  蠅帳の埃かぶりて古物市
posted by 水牛 at 11:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする