2019年07月27日

俳句日記 (510)


難解季語 (29)

さんぷく(三伏)

 古代中国に生まれた「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」という哲理がある。まず、万物は陰と陽との二気によって生じるという考えである。太陽は陽・月は陰、天は陽・地は陰、男は陽・女は陰というように、あらゆるものが陰と陽との対で存在し、各々が組み合わさる事によって新たな物が生まれるとする。
 これに「五行」という五つの元素がからまる。その五元素とは木・火・土・金・水で、それらが循環し、複雑に組み合わさって全ての物が出来上がる。木から火が発し、火が燃えて土を生じ、土の中から金が生まれ、金(鉱物)から水が滲み出て来る。そして水によって木が生い育つ。この循環を「相生(そうしょう)」と言う。そして木は土に勝ち(剋)、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に剋つ。これを「相剋(そうこく)」と言う。世の中全て、相生と相剋のしがらみで千変万化の事象を生ずる。
 男(陽)と女(陰)の組み合わせも相生合すれば良き配合となり、相剋ならば波乱が絶えない。と言うように、全て物事はこの陰と陽、木火土金水の五行の配合によって千変万化する。「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」を極めて大雑把に言えば、こんなところである。
 盛夏の候を言う「三伏(さんぷく)」という言葉(季語)も、この陰陽五行説から出た言葉である。
 近ごろはほとんど見られなくなったが、昔は手紙の書き出しの決まり文句として「三伏の候益々御清栄の段お喜び申し上げます」といった文言があった。そう書いている人のほとんどが「三伏」とは何なのか正確には分からなかったようだが、夏場の真っ盛りの手紙はそう書くものだと思い込まされていたのである。
 それはさておき三伏とは、上に述べた五行の「火は金に剋つ」から来ている。秋の象徴である「金」の気が兆しているのだが、夏の「火」に圧伏されている状況を言い、夏至を過ぎて三番目の庚(かのえ=金の兄)の日を「初伏」、四番目の庚の日を「中伏」、立秋を過ぎて最初の庚の日を「末伏」とし、この三十日間を合わせて「三伏」と言う。三伏の期間中には夏の土用(立秋前の十八日間)も大書も立秋も入ってしまう。つまり、一年で最も暑い時期に当たる。
 だから、江戸時代から昭和時代まではこの三伏を乗り切れずに死んでしまう人が多かった。というわけで上記のような夏の手紙の決まり文句が生まれた。そして、元気に三伏を乗り切れたらいよいよ本格的な秋の到来で、「金秋」「錦秋」「白秋」などという言葉で秋を寿ぐ。秋は五行で言えば「金」に当たり、色彩で言えば「白」、紅葉の時節になるので「錦」といった言葉でこの気分爽快な季節を飾った。

  三伏の夕べの星のともりけり     吉岡禅寺洞
  三伏や提げて重たき油鍋       鈴木真砂女
  捨畑の桑真青に初伏かな       木村 蕪城
  ぶつくさと声中伏の後架より     茨木 和生
  末伏の琴きんきんと鳴りにけり    長谷川かな女

  三伏の青鷺一本足の行        酒呑洞水牛
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2019年07月23日

俳句日記 (509)


難解季語 (28)

はらあて(腹当)

 これも近ごろ全く見なくなった物であろう。昔、二歳から五歳くらいの男児は、夏になるとすっぽんぽんの裸かパンツ一枚で、お腹に「金」という字や鯉や虎など威勢の良い絵柄を描いた菱形や長四角の布地に紐をつけ首から吊し、胴の部分の紐を背中に回して締めていた。時には女の子もこの腹当姿で元気に走り回っていた。昭和四〇年代までは東京の下町でよく見た情景で、夏の幼児の定番スタイルであった。
 「腹掛(はらがけ)」とも呼ばれていたが、元々の腹掛は職人のユニフォームのようなもので、厚手の紺の木綿地で胸から腹までを覆い、背中は共布で作った細帯を斜め十文字に交叉して締めた下着の一種である。職人や担ぎ商いの商人はこれを素肌に着て、その上から法被を羽織る。腹掛の腹の部分には大きなポケット(隠し)がついていて、そこに財布や煙草入れをしまっていた。これは「丼(どんぶり)」とも言い、担ぎ商いの魚屋、豆腐屋などは客から受け取った小銭をここへ無造作に突っ込んでいた。「丼勘定」というのはここから出た言葉である。とにかく腹掛けの下は褌一丁。これ以上風通しの良いモノは無いというファッションだった。
 幼児の「腹当」も原理は同じで、熱さを凌ぎつつ、大事な腹は冷やさないようにという、長年の経験から編み出された子供服であった。ことに大昔は乳幼児死亡率が高く、それも下痢、食中毒が原因となることが多かった。そして、それは腹を冷やすことによって起こると思われていたから、腹当が必需品とされたのである。
 腹当の図柄は赤い布に黒あるいは金字で「金」と大書したものが定番だった。赤(朱色)は邪気を払う霊力を持っていると信じられていたので、こういうものに盛んに使われた。「金」の字はもちろん豪勇無双坂田金時の幼名「金太郎」にあやかろうというものである。そこで、腹当のことを「キンタロサン」とも呼んだ。
 今や各家庭にエアコンが常備され、真夏でも素っ裸の男の子を見ることがなくなった。昼間は半ズボンにシャツ、夜は洒落たパジャマを着せられたりしている。今どきのお母さんは、もう子供の「寝冷え」などは怖くないようだ。
 そう言えば、同じく寝冷え予防の「腹巻」も、最近は見る事がほとんど無くなった。と思ったら、つい先日、スーパーの衣料雑貨売場に大人用の腹巻が山と積まれ売られていた。エアコンが効きすぎて、大人特に高齢者が寝冷えして体調を崩すことが多いらしく、「腹巻は無いかとおっしゃるお客さんが結構増えてるんですよ」と、腹巻を二重に巻いたような中年女性店員が説明してくれた。

  腹当や男のやうな女の子      景山 筍吉
  腹当の児やよく泣いてよく太り   沢野 藤子

  腹当の子どもに還る卒寿かな    酒呑洞水牛
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2019年07月18日

俳句日記 (508)


日経俳句会第180回例会
36人参加「七月」「夏木立」を詠む

 7月17日夜、日経俳句会の7月例会が開かれた。出席18人、投句参加18人とちょうど半々。今回の兼題は「七月」と「夏木立」。参加36人からの投句総数は105句。6句選で句会を行った結果、いつもは世の中を斜交いに見た句や悪フザケの句ばかり出す杉山三薬が「右木曽路左伊那谷夏木立」という至極まともで味のある句を出して、12点という圧倒的人気を集め、血圧一気に上がるような喜びようだった。水牛も好調を持続、「七月やぐいと割ったる日記帳」で9点も貰った。この夜の兼題別高得点句(3点以上)は以下の通りだった。
「七月」
 七月やぐいと割ったる日記帳     大澤 水牛
 七月の川濁流を海に吐く       中村 迷哲
 七月や帽子揃へて母娘        石 昌魚
 七月の湿り旧家の養蚕場       廣上 正市
 七月の火口の池の碧さかな      大下 綾子
 七月やめだかの家族どっと増え    澤井 二堂
 七月や出国ロビーの華やぐ夜     向井 ゆり
「夏木立」
 右木曽路左伊那谷夏木立       杉山 三薬
 ページ繰る小さき風あり夏木立    水口 弥生
 オルガンにはじまる礼拝夏木立    大下 綾子
 夏木立斜光のなかにマリア像     野田 冷峰
 県道に大手広げて夏木立       今泉 而云
 夏木立抜けて寿福寺虚子の墓     堤 てる夫
「当季雑詠」
 採血に夏痩せの腕そっと出し     岡田 鷹洋
 青梅を煮詰めて母の整腸剤      井 百子
界隈という文字が好き梅雨晴間    杉山 三薬
 口ひらく食虫植物夏ふかし      星川 水兎
雨烟る墓石の脇の百日紅       加藤 明生
 甚平や鏡の中に父の顔        石 昌魚
 ブルースをただ聴き続け夏の夜    橋ヲブラダ
 百日紅散りて真昼のアスファルト   中嶋 阿猿
 はまなすや指呼の国後島(くなしり)茫とあり廣上 正市
 来客の使ふ絵扇京の風        水口 弥生
 手花火の燃え殻あつめ朝の庭     向井 ゆり
夏の宴分家の嫁の気働き       植村 博明
  末生りは泥にまみれて瓜畑      大倉悌志郎
  万緑やヨガの少女の四肢伸びる    徳永 木葉
  父さんにハモニカ習った夏の庭    中沢 豆乳
 水牛の選句6句は、上記の「七月の川濁流を」「青梅を煮詰めて」「界隈という文字が好き」「口ひらく食虫植物」の4句と、
  七月やめだかの家族どっと増え    澤井 二堂
  海渡り来し孫三人夏休み       堤 てる夫
の2句だった。雲霞のごとく湧き出るメダカの子はいかにも七月らしい。もう一つの句は、海外赴任の息子か娘の子供たち、普段なかなか会えない孫が夏休みで帰って来た。「海渡り来し」と上7の字余りにして、「三人の孫夏休み」とした方がいいかなとも思ったが、とにかく気も漫ろのジイチャンの感じがよく現れている。
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2019年07月14日

俳句日記 (507)


第141回酔吟会は「梅雨明」と「梅干」
なんと天地人取って有頂天

 7月13日(土)午後1時から神田鎌倉橋交差点そばのビルの8階で酔吟会例会が開かれた。他の句会は参加者多数のために「事前投句・選句」で句会当日は選句披講・合評会だけという簡略版になっている。しかし、酔吟会だけは「土曜昼間に開催、ゆっくり時間をかける」「会場に来て短冊5枚に句を書いて投句・参会者で手分けしてC記・選句・披講・合評会」という昔ながらの手順を踏んでいる。忙しい時代に敢えて逆らって、のんびりやろうではないかと粋がっているのである。
 句会開催回数は日経俳句会の通算180回、番町喜楽会の163回に追い越され、今回が141回目だが、他の二句会が毎月開催であるのに対して、こちらは二ヵ月に一度の開催だから、三つの中では一番の老舗だ。そんなことも「旧式墨守」の理由の一つである。
 しかし、句会の顔ぶれはかなり変わった。平成8年(1996年)春の発足時メンバーは11人だったのだが、その内6人が三途の川を渡ってしまい、1人はもう仙界に遊ぶ境地で俳句を作らない。今では涸魚さんというかなり以前から仙人的ではあるが若い連中と下界に遊ぶことを好む米寿翁を含め、発足メンバーは4人になってしまった。その代わり、この旧態依然たる句会が返って面白いじゃないかというのだろうか、続々と若い参加者が増えた。今やすっかり若返った21人の、むしろ発足時よりぐんと強固な骨格の句会になった。
 この日は水牛が自慢の梅干と梅酒と梅酢、かりん酒、それに手製の湯呑とぐい呑をカートに満載してガラガラ引いて行き、参会者の好みも聞かばこそ、押し付けた。比較的最近入った妙齢の会員数人が「水牛さんの梅酒美味しい」「娘が二歳のころから梅干好きなので、ぜひ下さい」などと嬉しいことを言ってくれるので、駅の階段を死に物狂いで担ぎ上げ、担ぎ下ろして運んだのである。
 このワイロが効いたに違いない、何と近ごろ鳴かず飛ばずの水牛が最高点(5点)、次席4点と三席3点を取ってしまったのである。「こうなったら、毎回運んで来るぞー」と、句会後の懇親会でぐいぐいやりながら気炎を上げた。このところすっかり上品になっていた句会に、久しぶりに発足時の「酔って吟ずる」乱暴な空気が流れた。この日の高点句は以下の通り。
 『梅雨明』梅雨明や五ミリの蜘蛛が背伸びする   水 牛
      梅雨明けや襁褓の一歳スクワット    光 迷
      滔々と坂東太郎梅雨明くる       水 牛
 『梅 干』梅干の漬かりゆくなり雨の音      水 牛
      梅干に浮かぶ戦後の日々のあり     涸 魚
      梅干の種もてあそぶ舌の上       而 云
 『雑 詠』夏燕奔放に切る蒼い空         静 舟
      玄関に居間に客間に花菖蒲       春陽子

 この他に水牛が良いと思って選んだのは以下の7句。
      殻を捨て蝶旅立つや梅雨あがる     静 舟
      煮魚は梅干し入れて父の味       十三妹
      干し終へし笊に名残の梅の赤      双 歩
      梅干しや夢の出どこを考へる      水 兎
      坂ながき町に住みたり時計草      水 兎
      にぎやかに足湯の家族夏木立      百 子
      雨乞の別所温泉幟立つ         てる夫
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2019年07月11日

俳句日記 (506)


番町喜楽会7月例会のこと

 何やかや仕事が立て込んで、7月1日に行われた番町喜楽会(通算163回)のことを書くのを忘れていた。奇数月の番喜会は月曜日の夕方と決まっている。いつものように九段下の千代田区立生涯学習館に14人が集まり、欠席投句7人の句も合わせて投句総数は102句。今回の兼題は「夏の山」と「心太」。投句5句・選句6句で句会を進めた結果、堤てる夫さんの「梅雨の雲すっぽりかぶる信濃かな」と、廣田可升さんの「すぐ詫びる男の狡さ桜桃忌」がともに6点でトップを分け合った。次席は4点句で、徳永木葉さんの「ところてん酢の香にむせる初デート」と、中村迷哲さんの「稜線に原色の列夏の山」の二つだった。
 この他、良いと思って採った句は、
   夏山に飼葉刈りをり明日は競り   谷川 水馬
   夕闇をゆるり取り込む夏の山    山口斗詩子
   忽然と岬あらはる夏の尾根     廣田 可升
   女五人男ひとりの心太       星川 水兎
   お富士さん六メートルの山開き   塩田 命水
 水牛句は今回も鳴かず飛ばずで、
   蒸しますねなどと言ひ合ひ心太
 が、3点もらってやれやれという所だった。このところどうも気持がふわふわしていて、じっくり句を作るような落ち着きに欠けている。
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2019年07月06日

俳句日記 (505)

蓮始華

 庭の東南隅に置いてある大甕の蓮が今年初めて花開いた。純白の清楚な蓮。とても嬉しい。
 この蓮は6年前、堤てる夫・百子夫妻の上田邸に初めてお邪魔した時に案内してもらった信濃国分寺の蓮池で拾ったハチス(蜂巣)から取った実を蒔いたものだ。二年目に小さく芽生え、年々大きい茎葉になっていた。今春は去年よりさらに大きな葉を出したので、もしかしたらと思っていたら、6月下旬にするすると花茎を伸ばし、先端に擬宝珠形の蕾をつけた。それが7月に入ると徐々に膨らみ始め、ついに6日朝開いた。DSCN1975.jpg
 普通、蓮の花と聞けば誰しも薄紅色、桃色の花を思い浮かべる。信濃国分寺の蓮池も桃色の華が圧倒的だったが、中にいくつか、白蓮が凛と咲いていた。「ああ、白もいいなあ」と思っていたのだが、いくつか拾った蜂巣の実は紅か白か、もとより分からない。大甕には20粒ほど蒔いたのだが、無事に生えたのはその内の何粒だったのか分からない。最初は細い茎が3本立ち、今年は6本になっているが、それが同じ蓮根から出た茎なのか、別の蓮根なのかも分からない。別の蓮根からの茎が同居しているとすれば、来年は桃色の蓮も咲くかもしれないなどと欲張ったことを考えている。
 実はこの傍にもう一つの大甕があって、それには澤井二堂さんが散歩の途中拾ったという上野不忍池の蓮の実が蒔いてある。しかしこれは去年の秋に蒔いたばかりで、今春はまだ芽生えず、空しくボーフラの住み処になっている。これが来年無事に芽生えて大きくなってくれると、数年後には信濃国分寺と上野不忍池の蓮が咲き競べすることになるのだが。
 明日7月7日は二十四節気の「小暑」。いよいよ梅雨が明け、本格的な夏の到来である。さらに二十四節気を五日ずつに区切って季節の推移をよりきめ細かく示す「七十二候」で言うと、小暑の次候(6日目)は「蓮始華(はすはじめてはなさく)」とある。カレンダーでは12日に当たるので、我が家の蓮は一週早く咲き始めたことになる。本家の信濃国分寺ではちょうど暦の「蓮始華」に開花ということになるのだろうか。
  六年経て華咲かせたり信濃蓮   酒呑洞水牛

DSCN1971.jpg
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2019年07月04日

俳句日記 (504)


双牛舎総会・俳句大会

 NPO法人双牛舎の年次総会と俳句大会が6月29日(土)、東京・二番町の東京グリーンパンレスのレストラン「ジャルダン」で行われた。「俳句の普及と振興・発展進化をはかる」というものものしい「事業目的」を掲げ、13年前に東京都に設立の届け出をした時、NPO担当課の担当者が「俳句振興を事業目的とするNPOは恐らく全国で初めてでしょう。大いに頑張って下さい」と励まされた。しかし、大言壮語したものの、メンバーになってもらった日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の会員を全部足しても延べ百人。二つ三つの会に入っている人もいるから、実数は70人程度と真にこじんまりした団体である。
 ただこれまでの活動実績はなかなかのものだと自負している。まず三つの句会の活動支援、それぞれの会報の編集発行、双牛舎ホームページを開設してそれらの活動内容を逐一報告している。さらにブログ「みんなの俳句」を開設、会員諸氏の名句にコメントを付けて、丸11年発信し続けており、累計来訪者は11万人を超えている。また、双牛舎ホームページには昨年から「わたしの俳句館」というコーナーを設け、会員を中心に七〇歳以上の俳句愛好者の名句を紹介し、ネット上に永遠に保存する『俳句の殿堂』とする事業も始めた。これに加え、会員及び外部の人たちからの要望に応え、句集、随筆集、各種記念文集などの出版事業も行っており、これまでに30点以上の単行本を発行した。
 もともとこの会は、大学時代から机を並べ、同じ新聞社に入社し記者生活を一緒に送った而云さんと私が、たまたま俳句好きだったこともあって、「同好の士を集めて句会や俳句談義をやる会を作ろう」と20年近く前に始めた。二人とも丑年生まれなので、二頭の牛が車を引くように、仲良くのんびりやって行きましょうと「双牛舎」という名前にした。数年たって追々仲間も増えてきたので、NPO法人にしようということになったわけである。
 同輩後輩、さらに最近はぐんと若い人たちも加わってくれるようになり、今年からは理事の顔ぶれもしっかりとして、これまでのいいかげんなグループに筋が通った。そのことを幹事長の堤てる夫さんが今総会で明言してくれた。これで安心。軛をはずれた老牛は自由に草が食める。というわけで、この日は昼食を取りながら進められた総会とそれに続く俳句大会を楽しみつつ、大いに吞みかつ食していい気持になった。
 俳句大会は双牛舎年一回の「お祭り」である。予め投句された句を谷川水馬さんというこういうことが上手な人が大きな選句表に作って会場に張り出してくれた。参加者はこの表の自分の好きな句の下にシールを貼り付けていく。つまりは公開人気投票だから、いつものちゃんとした句会に比べて多少脱線して、わざとふざけたような句に一票投じたり、選句表に貼られたシールの多さに幻惑されて自分もつられて貼ってしまう、というようなこともあるだろう、結局は「分かり易くて面白い句」に票が集まる傾向がある。
 しかし、この日、高点を獲得した句はなかなかの粒ぞろいだった。
 最高の「天」賞に輝いたのは、岩田三代さん(日経俳句会)の「亡き父母の声残りをり夏の家」。「地」賞は嵐田双歩さん(日・酔吟会・番町喜楽会)の「椰子蟹が路上をのそり島の夏」、印南進さん(三四郎句会)の「家じゅうの網戸を洗う夏来る」、大沢反平さん(日・酔)の「夏座敷寝っころがって志賀直哉」、深瀬久敬さん(三)の「緑蔭のひかり濃淡万華鏡」の4句。「人」賞は池村実千代さん(日)の「六月やお洒落談義は傘の色」と須藤光迷さん(酔・番)の「越えて来し槍よ穂高よ夏の暮れ」の2句だった。さらに「入選」が11句もひしめき合う賑やかさ。
 こうした中で双牛二頭の句は、
夏いまやフラワーガーデンレストラン     而云
あめんぼう三歩進んで二歩戻る
小児患者増えて整形外科の夏         水牛
真夏日や口半ばあけ大鴉
 という、褒むべきところの見当たらないもので、その他大勢の中に埋もれてしまった。この二人は年の功と作句経験の長さ故で月例などではそこそこの点数を獲得するのだが、不思議なことに、双牛舎俳句大会ばかりは好成績を収めたことがあまり無い。まあ、代表者がいつも高得点を取ったのではシラケてしまう。二点か三点もらってニコニコしているのが一番いいんだと負け惜しみを言って、もう一杯。
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2019年07月01日

俳句日記 (503)


難解季語 (27)

はんげしょう(半夏生)

 「半夏生」は七十二候の一つで、夏至から十一日目、今のカレンダーで言うと七月二日頃になる。半夏(カラスビシャク)というサトイモ科の薬草(毒草でもある)が生える頃なので、こうした名前がつけられた。
 二十四節気、七十二候に加え、日本人の生活体験に照らし合わせ自然発生的に生まれた暦の補註のような「雑節」というものがある。「半夏生」はこの雑節にもなっている。雑節は節分、彼岸(春秋の二回)、社日(春秋二回)、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日の九つとするのが一般的だが、これに初午、中元、盂蘭盆(うらぼん)、大祓(おおはらえ・六月、十二月末日)を入れることもある。
 大昔、人間は月の満ち欠けによって日時の推移を知った。月の出ない真っ暗闇の夜から細い弓のような月が生まれ、だんだん太って真ん丸になる。寝て起きてを十五回繰り返すと真っ暗闇が煌々たる満月になり、また十五回繰り返すと真っ暗闇になる。この三十回を一括りとして、それを三回繰り返すと寒かったのがぽかぽか温かくなり、さらに三回繰り返すと暑くてやりきれない気候になる。そして涼しくなり、寒くなる。こうして三十日あるいは二十九日を一ヵ月とし、十二回繰り返すと元の季節になる。それを「一年」として「暦」を作り出した。
 しかし、月と太陽の運行にはずれがある。太陽の一年は約三百六十五日だが、月の一年は約三百五十五日で、十日から十一日短い。月の満ち欠けに頼る暦(太陰暦)は単純で、誰にも分かり易いのだが、ほぼ三年で太陽暦と一ヵ月の狂いが出る。月日と季節の移り変わりが年々ずれてしまうのだ。そこで三年に一度くらいの割で閏月という一ヵ月を足して、十三ヵ月ある年を拵えて調節した。
 さらに、季節の推移をはっきり示すために、一太陽年約三百六十五日を十五日ずつに区切って、それぞれの季節の特徴を示す言葉を充てた。これが「二十四節気」である。これを暦に当てはめると、月の満ち欠けを基準とした旧暦で太陽の運行とずれが生じても、季節の推移が分かる。これをさらに細かくして、農作業や日常の暮らしに役立つようにと拵えたのが「七十二候」である。これが太陰太陽暦(旧暦)というものである。
 太陰太陽暦は黄河中流域の古代中国殷の時代(紀元前千五百年頃から同千年頃)にほぼ出来上がっていた。それが飛鳥時代(六世紀末から七世紀前半)に日本に漏刻(水時計)の技術などと共に伝えられた。
 「半夏生」は仲夏の第三候で、一年で最も重要な田植えという大仕事を終え、ほっと一息という時期に当たる。そこで、半夏生から五日間は休みを取るという習慣が日本各地に生まれた。「半夏生の雨には毒があるから表に出るな」とか、「井戸に蓋して、野菜は取るな」などという誡めが言われた。いずれも仕事をせず骨休みすることに負い目を感じないで済むようにとの考えから生まれた言い伝えであろう。近畿地方ではこの日に蛸を食べる習慣があり、讃岐ではうどん、若狭では焼き鯖を振る舞う。これなども稲が無事に育ちますように、天候異変がありませんようにと祈りつつ、農民がたまの休日を祝う際の景物である。
 逆に悪天候続きや人手不足などによって、この日までに田植えが済んでいないと、「半夏半作」と言われて大変なことになった。また、この日に降る雨を特に「半夏雨」と言い、大雨になるとの言い伝えがある。そこで人々は折角植えた稲が流されてしまわないよう、派手な振る舞いを慎む物忌みをした。
 話は飛ぶが、ハンゲショウという名の別の植物がある。これはドクダミの仲間の草で、この時期に青葉の付け根から半分が真っ白になる。葉の半分を化粧したようだというので「半化粧」という名前が付いた。とても印象的なので人気があり、茶花の材料になったりしている。しかし「ハンゲショウ」と音が同じだから、非常に紛らわしい。「半夏生白あざやかに出そめたる 福井圭児」と、本当の半夏生とごっちゃになった句もある。
 半夏生という季語が持っている「農家のひと休み」「物忌み」といった側面が今日ではすっかり忘れられ、現代俳句では、本来の意味合いから離れた使われ方をしている。特にこの季語の風変わりで特殊な響きが効果を発揮することがある。半夏生を一見関係無い言葉と取り合わせて意想外な世界が開かれることもある。というわけで、このような古臭い季語が令和の今日まで命脈を保っているのだが、難解季語であることに変わりはない。
 日々待たれゐて癒えざりき半夏生   村越 化石
 いつまでも明るき野山半夏生     草間 時彦
 いろいろの猫が顔出す半夏生     小倉千賀子
 失禁のははに泣かるる半夏生     後藤 先子

 菩提寺の半夏生ずと知らせあり    酒呑洞水牛
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