2019年11月06日

俳句日記 (541)


難解季語 (42)

蚯蚓鳴く(みみずなく)

 秋の夜長、闇の底からジージーと単調で連続的な鳴声が伝わって来る。これを古人は蚯蚓の鳴声だと言った。実際は螻蛄(けら)が鳴いているのだという。しかし、ケラの鳴いている姿を見た人はそう多くないだろうし、ほんとかどうかよく分からない。蟋蟀(こおろぎ)に似た虫で前肢が大きく、モグラのように穴を掘るのが上手で、土中に棲んでいるから普段あまり人目に触れない。「蚯蚓じゃないよ螻蛄という虫が鳴いているんだよ」と言われれば、「ああそうかい」と答はするものの、それで完全に納得するわけでもない。それよりも、あの手足も目玉もなく何が面白くて生きているのか分からないミミズが鳴いているという方が面白い。そうして季語にしてしまったところが、実に傑作である。
 瀧澤馬琴編、藍亭青藍補筆の「増補改正俳諧歳時記栞草」には「三秋を兼ねる物」として「蚯蚓鳴」を載せており、「其の鳴くこと長吟、故に歌女と名づく。孟夏はじめて出、仲冬蟄結す。雨ふるときは先づ出、晴るときは夜鳴く」と解説している。これは寺島良安の「和漢三才図絵」(正徳三年・一七一三年刊行の図入り百科事典)から引いたものらしい。蚯蚓は鳴くものと一人合点して、それ故に歌女と名付けるとはこれほど強引なことはない。しかもその鳴き声たるや実に地味で、ただジージーッというばかりだから歌姫にはほど遠い。あるいはこれは哀婉たる美姫の感極まった忍び音ととったのか、つれない仕打ちを恨む溜め息と解釈したのか、とにかく江戸の文人俳人の想像は止まる所を知らない。
 ミミズという動物は全世界の土壌に棲み、何種類あるのか分からないという。環形動物門貧毛綱類に分類され、その下の「科」や「種」となると生物分類学でも正確に名付けられないものがいっぱいあって、未だに新種とされるものが続々発見されている。日本にも何百種類というミミズがいるようだが、一般に畑や森林、堆肥やゴミ溜めにいて釣り餌になるフトミミズ、シマミミズ、ドブの中などにいて金魚や熱帯魚の餌になるイトミミズなどがおなじみである。
 環形動物と言うように、身体中が沢山の輪を薄い皮膜でつないだ円筒形である。成熟したミミズには端の方に一部分太くなった「環帯」があり、環帯が付いている方の先っぽに口がある。その反対側の尻尾の先に肛門がある。円筒の中に長い腸管と血管が通っている。眼も耳も無いようだが、口の付近には視覚細胞があり、これで明暗を識別する。年中土の中にいて、一日に自分の体重ほどの土を食べ、長い身体の中を通過させながら土に含まれる有機物質や微生物を消化し栄養分を吸収、尻から粒状の糞をひり出す。この糞が植物の根を生やすのにまことに都合の良い団粒構造の土壌を作る基になる。ミミズは土を良くしてくれるというので、昔からお百姓にとっては愛すべき存在だった。同時にモグラやネズミ、小鳥やイノシシの大好物でもある。
 ミミズは雌雄同体で、環帯の前部にオスの生殖器、後部にメスのがくっついている。時至ると二匹のミミズが逆向きに寝て、自らのオスの物を相手のメスの部分に押し当て事を行う。両者同時に妊娠すると、それぞれ腹の外側に分泌液を出し袋のようなものを形成し、そこに受精卵を封入、自ら蠕動前進し、まるで運動会障害物競走の網くぐりのようにその袋から抜け出す。土中に残った袋からやがて子どもミミズがたくさん誕生する。というのだが、ミミズの愛情行動から二世誕生までを克明に観察するのも並大抵のことではあるまい。ミミズ研究家とは実に偉いものだ。
 漢方では昔からミミズを「赤龍」「地龍」と言い、乾燥したものを粉末にして煎じ、解熱剤や気管支喘息に処方した。最近の研究ではミミズには血栓を溶かす酵素が含まれていることが分かり、健康食品として売られるようになった。さらに研究が進んで、確実な効果をもたらす成分が抽出されるようになると医薬品として登場するかも知れない。
 とにかくミミズは大昔から人々の目に触れてきたのに、まだよく分かっていないところが多い生物である。
 たとえば、夏の暑い盛りに路上に無数のミミズが干からびて死んでいるのを見ることがある。まさに蚯蚓の集団自殺現場である。何故こんな具合になるのか。どうもよく分からない。「干からびて蚯蚓疑問符描きをり」という句を詠んだ。これは蚯蚓が「オレはどうしてこうなっちゃんだろ」とクエスチョンマークの形で干からび死んだのと同時に、私の疑問でもあった。その後、あれこれ調べてみたところ、生物学者の中にも疑問を抱いた人が結構いるらしく、いくつかの仮説が立てられて、研究が行われているようだ。その中で「多分そうではないか」と有力視されている説が、「土中の酸素不足からの脱出」らしい。蚯蚓には肺が無く、皮膚呼吸で酸素を取り入れている。大雨が降って土中の水分が飽和状態になると、蚯蚓は皮膚呼吸が十分に出来なくなり、少しでも乾いた上の方に伸び上がり、ついには地面に出る。そこへお天道様がかっと照りつけると、ぐずぐずして逃げ遅れた奴が干物になってしまうということらしい。
 「蚯蚓鳴く」などは荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、恐らく昔の俳人たちにはそんなことは百も承知の上だったであろう。「たまには鳴くこともあるでしょう」と笑って空想の世界に遊び、句想を広げていたのではないか。秋の夜長に鈴虫、松虫、蟋蟀などを聞くのもいいが、地の底から湧き出して来るような「蚯蚓鳴く」声に耳澄ますのもまた趣深い。

 蓙ひえて蚯蚓鳴き出す別かな      寺田 寅彦
 蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ     川端 茅舎
 みみず鳴くや肺と覚ゆる痛みどこ    富田 木歩
 みみず鳴く引きこむやうな地の暗さ   井本 農一

 蚯蚓鳴く終電逃し夜道長し       酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 18:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする