2019年11月14日

俳句日記 (544)


難解季語 (44)

葱鮪(ねぎま)

 今日この頃、安酒場などで「ねぎま」と言うと、鶏肉と葱を交互に刺した焼鳥が出て来る。「葱」が「鶏肉」の間に挟まっているから「ネギの間」ということらしい。この言葉がこの十数年の間に急速に浸透してしまって、近ごろはちゃんとした焼鳥屋ですら「ねぎま」という変な言い方を使っている。
 まあ元々は焼鳥という食べ物も下賤なもので、昭和戦前は浅草や本所、横浜では野毛あたりで、屋台店を大きくしたような呑屋で供する肴だった。貧乏サラリーマンに持て囃され、文人連中がなかなかの物だと取り上げて一挙に有名になった食べ物である。ところが、戦争が激しくなると物資欠乏で街中の呑み屋から焼鳥が姿を消した。敗戦後は鶏肉ではなく、豚や牛の臓物を串刺しにして供するモツ焼が出現して、それとの絡みで鶏肉とぶつ切りの葱を交互に刺した、これぞ焼鳥の元祖を「ねぎま」と言うようになった。
 もちろん、「ねぎま」の本家本元は違う。「ねぎま」とは鮪と葱の鍋、「葱鮪鍋」の略称である。江戸時代から下町の小料理屋の冬場の定番料理であった。
 その昔、鮪は江戸っ子にはあまり好まれる魚ではなかった。冬場、江戸湾にも鮪が入り込むことはあったものの、多くは茨城、福島、宮城などの太平洋沿岸で穫れた鮪が日本橋に運ばれて来た。冷蔵・冷凍などが無かった時代、江戸に運ばれる頃にはかなり品質が劣化していた。血合いの部位や脂の多いトロの部位は捨てられ、赤身が切り身になって売られた。脂肪分の多いトロや血合いのところは捨てられたが、それを本所、深川あたりの料理屋や呑み屋が拾って来て、生臭みを消すためにぶつ切りの葱と一緒に醤油を効かした汁で鍋仕立てにして供した。客は湯気の上がる葱鮪鍋に粉山椒を振ってふうふう言いながら食べた。その内に葱鮪鍋には豆腐や青菜を入れるなどして、見た目もよろしい料理になった。
 今や鮪は高級魚になってしまったし、葱鮪の本筋のトロの部分は寿司ネタとして持って行かれてしまう。然り而して下司の食い物であった葱鮪は超一流の鍋物になってしまった。そして庶民はもっぱら焼鳥の「ねぎま」に寄り添うて行くことになる。
  ねぎま汁風邪のまなこのうちかすみ  下村 槐太
  居酒屋に靄たちこむる葱鮪かな    井上 唖々
  葱鮪鍋股引渡世難きかな       秋山 夏樹
  葱鮪鍋昔話も啜り込む        酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 22:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする