2019年11月21日

俳句日記 (548)


千葉・養老渓谷吟行 (4)

粟又の滝

 歳取ると子供に還るとはまさにこの一行を指して言ったものではないか。夜遅くまではしゃぎ回ってわいわいやっていたのが、夜明けが遅くなってまだ薄ぼんやりしている六時前からみんな起き上がって、がやがやしている。温泉に入ったり、散歩に出かけたりしている。平均年齢70数歳の団体とは信じられない。まるで中学生の修学旅行だ。
 家では毎朝十時近くまで寝ている水牛なのだが、周りがこうわさわさしてはとても寝てはいられない。七時に起きてしまった。朝風呂にゆっくり浸かって、予め申し渡されていた八時に朝食の会場に行くと、既に全員揃ってパクパクやっていた。
 十時の出発にはまだ大分時間があるので、旅館の前の養老渓谷の河床へ「粟又の滝」見物に出かけた。昨日、感心して眺めたチバニアンの上流にあたり、かなりの勾配の急な流れである。何万年、何十万年かかったか、河床が削られて三段になっており、水が飛沫を上げながら流れ下っている。これがアワマタノ滝。那智の滝や華厳滝のように垂直にごうごうと落下するのもいいが、こうして周囲の紅葉黄葉を映しながら下る「滝つ瀬」も風情がある。
 そう言えば「滝」というのは元々は「たぎつ瀬」であり、「垂水(たるみ)」とも言った。古代人の「滝」は、現代の我々が滝と聞いてすぐに思い浮かべる垂直落下の滝よりは、むしろ岩を噛んで流れ落ちる、この粟又の滝のようなものをイメージしたようだ。万葉集巻八に志貴皇子の春の到来を喜ぶ歌がある。「石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春尓成来鴨」(いわばしるたるみのうえのさわらびのもえいづるはるになりにけるかも)。この「いわばしるたるみ」は、やはり華厳滝ではなくて粟又の滝あたりが似つかわしいなあと思いながら、ぼんやり岩棚を歩いていたら、つるっと滑って危うく転がりそうになった。
 此処へ辿り着くまでの崖道は至る所で先日の二度の台風によって土砂崩れを起こしており、大木が倒れて道を塞いでいる。滝の周りの岩床には其処此処に小石、枯れ枝、枯葉が積もったりへばりついたりして、足元がおぼつかない。
 「だいじょぶですかー」と心配顔で寄って来た水兎さんが、「はい、おみやげですよ」と、滝つ瀬で拾ったらしいセトモノの破片をくれた。骨董、陶磁器ときたら目の色を変えるジジイであることをご承知なのだ。百人一首の歌留多を描いた染付大皿の破片で、西行のような坊主が見える。恐らく明治期の印判手という、釉薬を印刷した紙を磁器に貼り付けて焼き付ける手法の焼物のようだ。しかし、この破片から推し量ると直径四十センチくらいの大皿であろう。当時は、庄屋や大百姓の家にしか無かったかなりの貴重品だったに違いない。何かの拍子に落として壊れてしまった。壊した女中さんはさぞかし叱られただろう。「番町皿屋敷」の悲劇がここいらにもあったのかも知れない。とにかく、この破片も台風の豪雨による濁流によって土中から掘り起こされ、永の眠りから覚めて流されて来たものだろう。骨董的価値は全く無さそうだが、有難く拭ってジャンパーのポケットにしまった。

  おそるおそる岩飛び越えて冬の滝   酒呑洞
posted by 水牛 at 22:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする