2020年02月26日

俳句日記 (584)


「不要不急」とは(2)

 「不要不急の外出や催しは中止を」との政府の呼びかけが急速に行き渡り、イベントを中止するのが「良い決断」とされるような風潮になって来た。サッカーJリーグが公式戦を「延期」してしまったり、プロ野球がオープン戦を中止する動きになっている。「国技」と称する大相撲も春場所を「無観客場所」として開催するかなどとバカなことを言い出している。地方自治体の催事や民間団体のイベントも次々に中止されている。小さなところでは、私の関係する俳句会の例会も二つが中止になった。まさに過剰反応である。
 句会の運営については、最早ロートルの出る幕ではないと、若い人にバトンタッチしているので、開催・中止を云々することは遠慮し「大勢順応」と伝えていた。しかし、内心ではこういう氏素性の分かった仲間同士の会合は「中止」などという大げさな措置は取らず、あくまでも開催し、大丈夫と思う人たちが相寄り、危惧の念を抱く人は参加を取り止める形にするのが一番だと思っていた。しかし、幹事にしてみればこうした情勢になると「開催」か「中止」かを決めなければならない心理状態に追い込まれるのは致し方の無いところであろう。
 少し前に私はこの欄で「東京五輪は中止すべきだ」と書いた。26日にはIOCの有力委員が中止の方向を匂わせる発言をしたことが報じられるなど、水牛の意見と同じような考えが段々盛り上がって来たのは結構なことだ。それはさておき、「五輪のような重要イベントを中止せよと言いながら句会を開けとは、おかしいではないか」と言う人がいるかも知れない。しかし、それとこれとは全く矛盾しない。
 オリンピックのように世界百数十カ国から選手はじめ役員や応援団など大勢がやって来る。氏素性や気心の知れた仲間同士が集まる句会など小規模の集会と違って、言葉は悪いが何処の馬の骨とも分からぬ連中がひしめき合うのだ。国によっては防疫・衛生観念の乏しいところもあるだろう。生活習慣の違いも大きい。それらがごちゃまぜになって一ヵ月ほど狭い地域を動き回る。中にコロナウイルス感染者が居れば、その伝播速度と感染程度は大変なものとなり、しかも、言葉の問題などもあって情報伝達に齟齬を生じ、大混乱は必定である。そして、その責めは全て日本側にかかって来るのだ。
 今回のダイヤモンドプリンセス号のウイルス汚染問題は、日本には全く責任が無いのに、英米はじめ諸外国は日本の措置が悪かったから感染者が増えたと難癖をつけている。しかし、日本は自国の検疫法に則って検疫作業を進めたのであり、その間に密閉状態の船内で感染が広がったに過ぎない。東京五輪で似たような事態になれば、諸外国の非難は凄まじいものになるだろう。それで安倍政権が潰れるのは自業自得だが、巻き添えにされる一般国民は迷惑千万。だから止めておけと言うのである。
 ひるがえって、今回のウイルス騒動に関して、「不要不急の外出は避けよ」などと個々人の行動を制限する必要は全く無いし、そんなことをしても意味が無い。人間、生きて行くには何日も家に閉じこもっては居られない。早い話が買物に出かけなければ三度の食事にも困るだろう。ウイルスはどこで感染するか全く分からないのだから、染る時にはうつる。「不要不急の外出はしないように」と言われ、素直にそれを守ったとて、配達される新聞や郵便物には手を触れる、宅急便が来て捺印する、気味の悪い新宗教の勧誘員を断るのに二言三言言葉を交わす・・というように、常に外界と何らかの接触が生じる。外界との接触を一切遮断することはとても出来ない。現代社会では他人との接触を断って生活することは不可能である。従って、ウイルスに染る時にはうつるのだ。
 それなのに、回りが自粛して催しを中止したからこちらも中止するという「自粛」ムードが、さしたる考慮も無しに広がって行くのは実に恐ろしい。これは周囲に同調することを可とする意識傾向である。日本人にはこの傾向が顕著だ。
 80年前の大政翼賛運動を見るようである。「鬼畜米英」を討つまでは「贅沢は敵」と心得なければならぬという空気が広がって、美味を追求することなどは真っ先に慎み、和服やスカート、ワンピースなどは止めてもんぺ姿になりましょうという空気が広がって、それに従わないと冷たい目で見られるようになり、それでも頑張ると「非国民」と罵られる暗い時代になった。こうした事も、最初から政府が命令したわけではない。徐々に徐々にそうした空気を醸成して、頃は可しとなると、強権発動、法律や条例となって民を縛る。
 今回のウイルス騒動も、ちょっとレンズを引いて眺めてみると、どんな風にしたら一つの事件をきっかけに人心を一方に靡かすことが出来るだろうかと、しっかり観察しながら、いろいろ仕掛けている“闇黒帝王”がいるのではないかという思いすら浮かんで来る。今日は「二・二六事件」の日である。
  コロナウイルス春の句会を押し流す   酒呑洞
posted by 水牛 at 20:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

俳句日記 (583)


「不要不急」とは(1)

 24日(月)は振替休日。うらうらとした陽射しの一日だった。句友の可升が「JR東海が主催している奈良文化講座というのがあって、なかなか面白い講演会がある。今回は『日本書紀と古事記』、行きませんか」と言う。それではと、芝公園のメルパルクホールに出かけた。新型コロナウイルスの流行で中国、韓国からの観光客がばったり途絶え、道一杯に広がって傍若無人に歩くような光景が無くなり、耳をつんざくような鳥語も聞こえず、都心部は晴れた休日というのに真に静かでのんびりとしていた。
 それにしても新聞やテレビは他にニュースが無いのかと思うほど、連日コロナウイルスのことを大きく取り上げている。日本国内ではウイルス感染者が25日現在で850人を越えたという。確かに大変な数だとも言えるし、全人口1億2千万人の850人なんて大したことないとも言える。しかも850人の内約700人はクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の乗客乗員と、発祥地中国武漢から政府チャーター機で緊急避難した人たちから出たものである。日本国内で発症した人は150人少々である。それなのに、まるで戒厳令でも布くような物々しさである。ウイルスは怖いことは怖いが、集団ヒステリーを起こしていろんな副作用を引き起こすことの方がもっと恐ろしい。
 ウイルスはもちろん目に見えないし、どうやって感染が広がって行くのかもよく分からない。安倍首相はお得意のパフォーマンスで「陣頭指揮」をアピールし、医者の親玉連中を呼び集めて「専門家会議」なるものを繰り返し行っている。しかし、感染のメカニズムのはっきりしたところは分からず、有効な防護策も出て来ない。24日に出て来た「結論」は「コロナウイルス感染が拡大するか終息に向かうかのヤマ場はこの1,2週間」というものであった。まさに開いた口がふさがらないとはこのことである。ヘボ易者だってもう少しましなことを言う。
 相変わらず、防護策は「マスクをして、帰宅したら手を洗う」ことだけである。そんなことはソーリダイジンに言われなくたって、まともな人間ならちゃんとやっている。
 その挙げ句が、「不要不急の外出は控えて下さい」という呼びかけである。しかし、何が「不要不急」であるかは当事者以外には決められないことである。端から見ればどうでもいいような事でも、その人にとっては極めて大事と思い込んでいる用事だってあるだろう。「日本書紀と古事記」の謎を解くなど、この分野に関心を抱かない人には全く以て「不要不急」の最たるものであろう。だからこそ、水牛は出かけた。
 「定員一千五百人」という大規模集会である。それがホールの中にぎっしりつまり、三時間以上缶詰になる。さすがに恐れをなした人も多かったのだろう、また、お上の言うことには従順に従うクセのついたお年寄りも多かろう。そういう人たちが参加を取り止めたせいか、「いつもは満員になるんですがね」と可升は言うが、この日は七分の入りだった。それでもなんと、この時代離れした不要不急の講演会に千人からの人が集まった。しかし、この千人の人たちにとっては、この講演会は是非とも必要な事だったのである。
 「私にとって、これは大事」と思うものであれば、どんどん外出し、自由に羽根を伸ばした方がいい。
  チチンプイ疫病退散春の風     酒呑洞
posted by 水牛 at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月20日

俳句日記 (582)


第186回日経俳句会
なんとコロナウイルス感染船に仲間が乗っていた

 2月19日、東京・内神田で第186回日経俳句会例会が開かれた。兼題「日永」で一等賞12点を獲得した句は、「永き日や数独をとく船の上」であった。
 この句は観光船でも大型ヨットでも良い、クルージングの船上でゆったりした気分で数独を解いているという、幸せな場面を詠んだ句と受け取れば、それはそれなりになかなかの句である。しかし、これが今世界中の注目の的になっている、新型コロナウイルスの感染者が出て、横浜港に釘付けになっている豪華客船ダイヤモンドプリンセス号に乗船していた池村実千代さんの句と判って、句会の一同本当にびっくりした。閉じ込められた船室から幹事にスマホで投句してきたのだという。
 「それにしても、二週間以上も閉じ込められていて、この余裕。すごいもんだなあ」と称賛しきりであった。池村さんは「客船で戦友となり日永かな」で三席8点、窮屈な“幽閉”中に地上の夢を見たのか「本当の豊かとはなに蕗の薹」という佳句でも2点獲得。三句投句で合計22点の荒稼ぎだった。
 それにしても池村さんの稀有な経験は貴重である。戦時下でも無いのに、悪い事もしていないのに、突然密閉空間に閉じ込められ、二週間以上も自由を奪われてしまった時、人はどんな事を思い、どうしようとするのか。それを伝えるだけでも貴重な記録になる。池村さんにメールでお願いし、日経社会部からの取材に応じていただいた。諸般の事情から、実名登場は控えられ一乗船客の談話ということになったが、20日付け日経朝刊社会面に「世田谷区在住女性(70)」として池村さんの言葉が載っている。この詳細については、改めて我らが会報、月報で紹介してもらおう。
 今例会でのその他の高点句は「ひと雨の土のやさしさ蕗の薹 双歩」「改札の先に広がる日永かな 操」「母校失せ友失せし里ねこやなぎ 青水」などだった。
 水牛が選んだのは、「数独をとく」実千代句、「ひと雨の土のやさしさ」双歩句の他、以下の4句。
  来て逃げて雀の群れの日永かな   てる夫
  迎撃の陣地の址やふきのたう    正 市
  長堤に出店出してる桜餅      雀 九
  堰越えの水の膨らみ冬をはる    正 市
 「来て逃げて雀」の句は、雀の生態を実によく表している。「迎撃の陣地」は私しか取らなかったが、太平洋沿岸各地には、第二次大戦末期、米軍上陸・本土決戦に備えて掘られた塹壕が未だに残っている。いずれもコンクリははがれ、土砂が崩れ落ち,野蕗をはじめ野草の生い茂るままになっている。ことさら「反戦」などと言わずに、こうした景色を呈示したところがいい。「長堤の桜餅屋」は、「出店」を「出す」とは何たる無神経と思ったのだが、これが却って何とも言えない長閑な感じを出していいなと笑ってしまった。「堰越えの水の膨らみ」は「冬をはる」としたことで、待春の気持を生き生きと示した。
 これらの佳吟に対して水牛句はいかにも不出来であった。
  永き日を地獄巡りのクルーズ船  (2点)
  散歩道ポッケに蕗の薹三つ    (1点)
  梅見酒メメントモリと言はれても (1点)
 「クルーズ船」は毎日テレビニュースを見ていて、「六道冥界をクルーズしているようなものだな」と詠んだのだが、実際に乗船している人の句が出てはとても敵わない。「蕗の薹」は何だか儲けものをした気分を詠んだが、やはり平凡。「梅見酒メメントモリ」は、自分ではそれなりのものと思ったのだが、梅の花に「春立ち返る、蘇生」の意味合いのあることが十分理解されなかったようだ。しかし、鋭い阿猿女史が「これが一番だと思いました」と言ってくれたのに救われた。
posted by 水牛 at 01:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月18日

俳句にならない日記 (20)


東京五輪の中止を (2)

 新型コロナウイルスの蔓延が現実のものとなって来たようである。2月10日未明にこの欄でこの問題について触れた時には、発生源の湖北省武漢を中心とした中国のコロナウイルス感染者は37500人、死者は813人だった。それが2月17日には感染者70548人、死者1770人に激増している。中国人民13億人からすれば九牛の一毛、騒ぎ立てることは無いという人はかなり肝の据わった人か、ボケたかであろう。この蔓延速度はやはり怖い。さすがの習近平さんも事態の容易ならざるを悟り、毎年3月5日に開くことになっている国の最高権力機関である全国人民代表大会を延期せざる得なくなった。4月には国賓として訪日することになっているが、これも危ういだろう。
 日本国内でも感染者が広がっている。横浜港に停泊している豪華客船ダイヤモンドプリンセス号の乗客乗員の感染者は毎日増えて、2月17日現在454人になった。ウイルス検査で陰性と判定された乗客は19日から続々下船することになっている。アメリカ、カナダ、オーストラリア、イタリーなどは自国民乗船者を特別機で続々引き取り始めたり、その準備を進めている。ただし、既に感染が認められた乗客は日本国内の病院に収容されるという。つまりは、首都圏の大きな病院はこの新型コロナウイルス患者で溢れかえることになる。
 それでなくても、日本各地にコロナウイルス感染者が増え始めている。17日現在で、ダイヤモンドプリンセスとは関係の無い所でコロナウイルスに感染した人が60人に上っている。これらの人の中には、中国に行ったことの無い人たちが多い。ハワイ旅行から戻った名古屋の夫婦とか、都内で屋形船の新年会に出た人とかが罹っている。つまり、二次感染、三次感染が現れているのだ。これは「大流行」の前兆ではないのか。
 7万人感染で死者1700余人、致死率2.5%なら大したことはないという人もいるかもしれないが、やはり恐ろしい。
 宮内庁は2月23日の令和天皇誕生日の皇居一般参賀を中止した。皇居前に6万人もの大群衆を集めて万歳万歳ツバキを飛ばし合う行事を止めるのは当然の措置である。3月1日の東京マラソンも一般参加取り止めとなった。
 こういう具合に新型コロナウイルスの悪影響について各方面が真剣に考慮しているのに、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長はじめ、オリンピックマフィア連中と安倍自民党政府は「予定通り」と言う。「コロナウイルス騒ぎも8月にはほとぼりをさますだろう」と踏んでいるのであろう。しかし、これが最悪の事態を招くことになるのではないかと恐れる。
 中止して何事も無かった場合、巨額な投資が無駄になったと騒ぐ人が出て来るに違いない。だが、大混乱に陥って計算できないような損失を蒙らずに済んだと思えば、「何事も無かったことによる損失」は保険の掛け金と見なせるだろう。
posted by 水牛 at 00:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月14日

俳句日記 (581)


難解季語 (61)

獺祭(だっさい)

 獺(かわうそ)は魚を獲るのが上手で、取っては岸辺に並べておく習性があるといい、それがあたかも供物を並べて先祖を祀る儀式のように見える。古代中国人は「獺魚を祭る」のが早春の景物であるとして、暦の七十二候に据えた。二十四節気の立春の十五日後の「雨水」の初候(最初の五日間)で、新暦では二月十九日から二十三日(年によって一日ずれる)に当たる。
 この頃になると、吹く風はまだ冷たいが、降る雨や池水はなんとなく温みはじめ、春めいてきた感じになる。そういう季節感を、カワウソが活発に漁を始め獲物を岸に並べるということで表した。しかし、現代日本人にそんなことを言っても全然通じない。何しろカワウソという動物が日本ではどうやら絶滅してしまって、全く見られなくなってしまったのだ。
 昔はイタチやタヌキと並んで、カワウソも田舎の川ではよく見られた。昭和三十年代から徐々に少なくなり、高度成長と共にばったり姿を消した。田畑への農薬散布が盛んに行われ、川や池沼の虫が激減するにつれてそれを食べて繁殖する川魚が居なくなってしまった。カワウソが祭る魚が居なくなってしまい、ついにカワウソは餓死、絶滅してしまったのだ。数年前、対馬でカワウソが発見され、大ニュースになった。DNA鑑定やら何やら行われたが、どうやら日本在来種ではなく、韓国から泳ぎ着いたか、流木や船に紛れ込むなど何らかの手段でやって来たものらしいとされた。兎に角、獺そのものが居なくなってしまっては、それが魚を祭る様子を見ることなど夢のまた夢である。
 しかし、小さな獣が取った魚を岸に並べているなど、いかにも童画のようで微笑ましい。芭蕉は「獺の祭見て来よ瀬田の奥」と詠み、正岡子規は「茶器どもを獺(おそ)の祭の並べ方」と詠んだ。どちらも獺の祭を頭の中に浮かべて、とても楽しげな句だ。春のぽかぽか陽気が伝わって来る。
 「ダッサイ」と言えば、近ごろは商売上手な造り酒屋がこれをブランド名にした酒を売り出して大当たりを取っている。獺祭という季語は知らずに、酒の銘柄と思う人の方が多くなっているかも知れない。
 正岡子規は無精なところがあったのか、立ち居振る舞いに不便を感じていたせいか、物を書くための資料を一々立ち上がって取り出さずに済むよう、身の回りに沢山並べていた。それを自ら面白がって自分の住まいを「獺祭書屋」とし、「獺祭書屋主人」と号した。そこから出て、子規の忌日(九月十九日)を「獺祭忌」と言い、季語になっている。しかしこれは秋であり、元来の「獺祭」とは関りが無い。子規の忌日を言うなら、やはり季節を合わせて「糸瓜忌」の方がいいだろう。

  獺の祭見て来よ瀬田の奥     松尾 芭蕉
  茶器どもを獺の祭の並べ方    正岡 子規
  夕月や魚祭るらん獺の声     𠮷田 冬葉

  うららかや獺を見に上野山    酒 呑 洞
posted by 水牛 at 12:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月10日

俳句にならない日記 (19)


東京五輪の中止を

 中国武漢で12月に発生した新型コロナウイルス肺炎があれよという間に全世界に蔓延した。2020年2月9日現在で感染者は37500人、死者813人。感染者は連日数千人規模で増えているという。今や、中国から来た人だけでなく、感染者からうつって発病する人が出て来る状況になっている。この治療薬は無く、各国の医療・製薬機関が懸命に開発しているが、最短でもこの夏に実用化できるかどうかだという。
 2002年冬には広東省を発生源に世界中を震え上がらせたSARS(重症急性呼吸器症候群)という新型インフルエンザが発生した。今回のはそれとよく似ている。しかもSARSと比較して患者の増え方、死者数、伝播の規模と速度など、ずっと深刻なようである。
 テレビや新聞などマスコミは、こういうものに非常に敏感で、ともすれば各社の競争がエスカレートして大げさに伝えがちとなる。それは私自身がそこで働いていただけに身を以て知り、反省もしていることである。だから、なるべくこういう事態には冷静沈着でなければいけない、テレビの言うことは6、7割割り引いて受け取るようにと心に決めている。しかし、今回ばかりはだんだん怖くなってきた。
 横浜港に発症者を乗せた乗員乗客3700人のクルーズ船がいるのだ。乗客の中から連日感染者が見つかって、市内の大きな病院に運ばれている。私のよく行く二つの病院にも運び込まれているという。9日にはこの豪華客船は船内で使う用水の取り入れのために一旦港外に出たと報じられた。しかし、これはきれいな海水を取り入れると同時に、満タンになってしまった船内のトイレ排水などの汚水タンクを空にする目的があったのではないか。それは一切報道されなかったが、クルーズ船としては、そうした処理は不可欠のことであろう。糞尿からのウイルス拡散ということがあるのかどうかは専門的知識が無いから分からないが、やはり岸壁近くの港内でそうした処理をするのを憚っての一旦港外退出、再度入港だったのではないか。そんなことを考えていたら、なんだか気分が悪くなってきた。
 それにつけても、東京五輪はどうするのだろう。開催時にはクルーズ船がたくさん入港、停泊するだろう。さらに、クルーズ船ほどの密閉空間ではないが、「選手村」という限られた空間に全世界からの選手を押し込めるのである。ここで新型ウイルス感染症が発症したらどういうことになるだろう。JOC(日本オリンピック委員会)はもとより、日本政府の責任が厳しく問われることになる。政府やJOCがあたふたするのは自業自得だが、その大混乱に巻き込まれ被害を受ける民間の企業や個人は大きな被害を受けて泣き寝入りということが予想される。
 SARSの流行は2002年から2003年7月まで続いた。今回の新型コロナウイルス感染症がいつまで続くのか分からないが、現在までの推移を見ると、SARS以上の規模だから、東京五輪まで尾を引くことは十分考えられる。
 それでなくても8月東京開催など無理を承知で引っ張った五輪大会。マラソンを急遽札幌に変えるなど、既に半身不随になっている、ここは思い切って、「東京五輪開催中止」を宣言すべきではないか。今なら遅くない。それを決断したら、安倍さんは不世出の宰相として歴史に名を残すだろう。
posted by 水牛 at 00:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月05日

俳句日記 (580)


難解季語 (60)

末黒(すぐろ)

 早春、野焼き後の真っ黒になった焼野を「すぐろ」と言う。枯草、ことに薄や茨などが立ち上がったまま焼かれて、その茎の先(末)が黒く炭化して残っているのが印象的なので「末黒(すぐろ)」なる言葉が生まれた。それが「野焼」「焼野」と並んで俳句に詠まれるようになった。
 けれども今出回っている大概の歳事記には、春の部に「焼野」「野焼」「山焼」は載っているが、「末黒」「末黒野」は省かれてしまっていることが多い。この言葉を知る人が少なくなり、ましてや俳句に詠む人などほとんど居なくなってしまったせいであろう。
 昔は、と言ってもそれほど昔ではない。昭和三〇年代には全国各地の農山村で早春の野焼山焼が盛んに行われていた。病害虫を殺し、灰が有効な肥料になり、牛馬の飼料となる草の芽吹きが良くなる一石三鳥の効果があるからである。
 しかし、高度成長以降、かなり田舎に行かないと見られなくなった。さらに高速道路の発達で田舎にも工場が生まれるようになり、それにともなって住宅が出来る。大規模な工場団地になると、周囲には住宅と商店が建ち並ぶ。いわゆるニュータウンの出現である。こうなると、野焼の煙に文句が出て来る。
 一方、耕運機をはじめ農業機械の普及によって農作業のための牛馬が不要になり、飼葉の牧草を育てる必要が無くなった。それに加えて化学肥料と殺虫剤を多用するから、野焼などしなくてもよくなってしまったのだ。
 今では奈良の若草山、箱根仙石原のススキ原など観光名所で野焼イベントとして残っているくらいになってしまった。というわけで、「末黒」の意味が分かる人はもちろん、「すぐろ」と読める人も年々少なくなっている。
 「焼野の雉(やけののきぎす)」という慣用句がある。巣を作って雛を育てている雉が、野焼で巣を焼かれ、雛を翼の下に入れて必死で守ることから、母親の情愛深いことを言った言葉なのだが、最早何の事か分からなくなっているのではなかろうか。

  暁の雨やすぐろの薄原        与謝 蕪村
  雉の声あらはに悲し焼野原      正岡 子規
  旧道や焼野の匂ひ笠の雨       夏目 漱石
  僧のくる野辺の末黒を旅はじめ    宇佐美魚目
  末黒野に雨の切尖限りなし      波多野爽波
  雨が来て末黒野にまた火の匂ひ    松村 武雄
  末黒野をしりへに拡げ野火走る    酒 呑 洞
posted by 水牛 at 12:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月01日

俳句日記 (579)


番町喜楽会2月例会
「年間優秀作品」6句を表彰

 2月1日(土)午後6時から、九段下の千代田区生涯学習館で第169回番町喜楽会が開かれた。1月は新春恒例の七福神吟行が代替句会なので、今回が会議室での初句会ということになる。そして、今年は「番町喜楽会優秀作品賞」の発表という新規イベントが加わり、賑やかな会になった。
 この新企画は、前年一年間の会員の全作品(ざっと1200句)から、私と而云さんとで合計6句選び出して表彰するというもの。11月末からうんうん唸りつつ、決定した6句は次の通り。
  つないだ手誰が離した夏の果て   斉山 満智(11月4日第167回)
  旅芸人しゃぼんの玉に入りけり   塩田 命水(7月1日第163回)
  毬栗の青きを拾ふ無言館      高井 百子(9月2日第165回)
  地の起伏あらはにみせて野火走る  玉田春陽子(2月2日第158回)
  かなかなの声戻りくる雨後の宿   中村 迷哲(9月2日第165回)
  AIとゲノムの未来原爆忌       前島 幻水(9月2日第165回)
 バラエティに富んだ佳句が選べたと思う。高井百子会長による挨拶の後、而云さんと二人で交々選考理由、句評を述べ、例会終了後に近所の小料理屋「味よし」での懇親会の席上、受賞者が「授賞のことば」を述べた。
       *     *     *
 今年最初の句会は「風光る」「菫」を兼題に行われ、而云さんの「凧揚げて少年の夢老いの夢」が最高の7点を獲得した。次席6点は春陽子さんの「立ち飲みの肘ぶつかって二月かな」、三席5点は4句がひしめき合った。
 水牛の選んだ6句は、
  風光る梨の新芽の力瘤        水 馬
  億劫を押し退け出れば風光る     斗詩子
  庭先にすみれ咲く日のうれしさよ   百 子
  土手道に瀬音聞こゆる春隣      迷 哲
  ギャー泣きの妹を背に鬼に豆     光 迷
  鉄屑の匂ひ春めく町工場       可 升
 「ギャー泣き」などという粗雑で野卑な言葉は嫌いなのだが、この句の場合はその気分とか雰囲気を実によく表して面白い。その他の5句は本日第一等の句である。
posted by 水牛 at 23:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする