2020年08月28日

俳句にならない日記 (32)


首相辞任

 8月28日午後5時、安倍首相が記者会見を行い首相辞任を表明した。ようやく踏ん切りをつけてくれて心底「良かったな」と思う。2009年夏に国民の熱狂的支持を得て政権を握った民主党があまりにも不甲斐なく、不様な政治を行った、というより政治を行わなかったが故に2年ばかりで自滅し、それに変わって生まれたのが第二次安倍政権だった。
 その後「他に人がいないから」という情け無い理由で支持される政権が8年も続いたのである。演説は上手だし、言う事はもっともらしい。しかし内容は空疎だった。この間に、アメリカに次いで世界第二位だった日本の国力はずんずんと落ちていった。その咎めは各種の指標にも現れ始めた。
 国内経済を立て直すのだと鳴り物入りで打ち出したアベノミクスは無残な失敗。要は自分の言う事を聞く人物を日銀総裁に据えて、闇雲に札を刷り、マイナス金利の泥沼に陥り、株価のみをつり上げ、国内外の金融ハゲタカを肥え太らせ、見かけの景気指標だけは何とか形をつけた。「外交のアベ」と自他共に許し、歴代首相の中では飛び抜けて多い外遊をこなし、各国首脳との握手の回数だけは増やした。結果はトランプという破天荒な大統領とよしみを通じただけで、北方四島返還問題は逆に遠くに押しやり、ロシアとの関係は今や絶望的状態である。「アベ内閣最重要課題」の北朝鮮拉致問題は解決の糸口さえ見つけられぬままである。対中関係、対韓関係も思わしくないまま推移している。
 そこへ新型コロナウイルス騒ぎが襲いかかった。アベ政権のコロナ対策といったら、隣国韓国や震源地中国の徹底的な対処策と比べて、極めてスローモーであり、お粗末であった。「総理辞任会見」で自らも「かなりの御批判もいただきました」と述べたアベノマスク配布一つとっても、子供ですら首を傾げるようなことを政府高官が次々に撒き散らした。日本は日ごろから衛生状態の良い国であり、国民の防疫意識も高い。それが大いに効果を発揮して、コロナ蔓延をかなり防ぐことができて、他国に比べて人口当たりの感染者数や死者数が低く抑えられている。安倍首相はそれに助けられたところがずいぶんある。しかし、まだまだこのウイルス騒ぎは収まりそうに無い。
 一方、国会で絶対多数の議席を占めている自民・公明連立政権の長であるということから、気分が弛み、かなり得手勝手なことをやって来た。モリトモ問題、加計学園問題、首相主催の「お花見」問題、自ら法務大臣に取り立てた男とそのカミサンが参院議員に当選する際の選挙違反問題、東京高検検事長指名に伴ういざこざ等々、胡散臭い問題を次々に起こし、それらを恬として恥じない。
 大腸炎が悪化しなければ来年秋の任期一杯自民党総裁・日本国総理大臣を務め、場合によっては「総裁四選」まで狙っていたのではないか。しかし、やはりそれは天が許さなかった。
 さてこれからだが、知らないうちに自民党で最もエライ人物にのし上がってしまった、その昔、小沢一郎の腰巾着だった二階なんとか幹事長が仕切って、次の「総裁・総理」が決まる。コロナ騒ぎ対策もあり、あまり時間を掛けられないという事情を理由に、自民党総裁選(イコール次期首班指名選挙)は自民党衆参両院議員総会で決められることになろう。そうなると安倍に対立してきた石破茂元幹事長は世論調査でトップの人気だが旗色が悪くなり、あの台所の隅の暗闇のネズミのような菅官房長官ということに落ち着くのではないか。
 日本の首相は、不思議なことにあまり男前ではない方が地道に政治的実績を上げているようでもある。まあ今回は、誰になっても安倍政権よりはましになるように思う。(2020.08.28.)
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2020年08月24日

俳句日記 (615)


さてさて

 二十二日に東京近辺は激しい雷雨に見舞われた。横浜の寓居も夜遅く二回、停電になった。
 これが秋の呼出になったのか、昨二十三日は日中の最高気温が我が家の寒暖計では28℃と久しぶりに30℃を下回った。今日二十四日はまた31℃になったけれど、吹く風には涼しさが感じられる。「
 「そう言えば昨日は処暑だったんだな」と暦を見て思う。立秋から数えて十五日、「暑さの処する(おさまる)」頃合いと古人が教えている。この二十四節気などの暦は遥か三千年前の殷(商)の時代にはもうほぼ現在の形に整えられていたというから驚きである。その頃の人たちは電気もガスも原子爆弾もインターネットも知らなかったけれど、自然の動きを知り、自然と共に生きて行く術はしっかり身に付けていたのだ。
 芭蕉が『奥の細道』の金沢の条で詠んでいる「あかあかと日は難面もあきの風」は元禄二年七月十五日、今の暦に直せば八月二十九日。ちょうど今ごろである。ほんとうに今日の午後など、まさに「あかあかと日はつれなくも、だなあ」と思った。
 北極の氷が解けてしまったとか、熱波とイナゴの大発生でアフリカは大変だとか、中国では長雨で三峡ダムが決壊しそうだとか、気象異変があれこれ言われている。確かに「異変」は尋常ならざるものがあるようではあるが、それを以てあれこれ気に病んでも意味は無い。人知人力では如何ともすべからざるところである。コロナ禍もまた然りであろう。
 ここはもう、芭蕉さんのように「お日様はカンカン照りだけど、吹く風は秋ですよ」と、熱暑の中の涼を見つける努力をしてみよう。
  苦瓜の赤き口開け処暑の空    酒呑洞水牛   (2020.08.24.)
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2020年08月23日

俳句日記 (614)

暑い暑い

 呑み友達の一人ツトムさんから「兼好さんが、もう我慢出来ないと独演会再開のお知らせ。21日金曜日夜7時、人形町のいつもの所でお待ちします」とメールが来た。こちらもコロナ篭りでくさくさしていたところだから、喜んで日本橋小学校の中にある社会教育会館に出かけた。都心の居住人口減少で小学校の建物の半分を地域住民の文化活動に資するための施設にしている。この二百人程度が入れる貸ホールもそれで、若手真打の三遊亭兼好さんが毎月のように独演会をやっている。それがコロナ騒ぎで公演がもう半年も開けないままだった。
 亡父の影響で子供の頃から相撲と芝居と落語が大好きで、高校時代には寄席や地域の旦那衆が開く噺の席を経巡っていたから、今では伝説的存在の噺家は大概身近に聞いている。社会人になってからも社会部遊軍記者という記事ネタを探して町中探訪の仕事が長かったから、寄席やホール落語は見聞きしていた。それが中年になって海外勤務や中途半端な役職生活の雑事にかまけ、落語からすっかり遠ざかった。
 そうしたら、ツトムさんが「前座から応援している三遊亭兼好というのが日本橋噺問屋という独演会を始めたんです。聞いてやってくれませんか」と言う。
 その数年前、今から二十年ほど前になるか、既に鬼籍の遊軍記者の先輩黃鶴さん夫妻に誘われ、国立演芸場で開かれていた真打になり立てや二つ目による若手落語会に毎月付き合っていた。しかし、そこに出て来る若手噺家のほとんどが気に入らなかった。たい平など幾人かこれはいいかなと思うのがいたが、おしなべて勉強不足なのである。噺の運び方がなっていない。まずは発声練習してこいと言いたくなるほど、聞きにくい。口跡が良くないのである。それらが今や大立者とされている。
 そんなこともあって、「近ごろは落語にもとんとごぶさたでね、それに若手でいいのなんているのかい」と返した。「まあ、騙されたと思って聞いてやってください」とまで言われては行かずにはいられない。その時の噺は「三井の大黒」だったか「文七元結」だったか「居残り佐平次」だったか忘れてしまったが、ともかく古典の一席をこなした。噺の持って行き方や間合いに少々ゆとりが欠けるが、くすぐりには今風の自分なりの工夫が凝らされ、現代の若者には分かり難くなった遊郭のことなどを上手に解き明かし、噺に織り込んで行く話芸も大したものだ。これですっかり兼好フアンになった。以後、欠かさず通うようになった。その後も時折、新宿の末廣に顔を出した時にのぞいたりするようになった。
 今年は落語家にとってもひどい年になった。マスクを掛けては噺は出来ない。寄席は閉鎖、独演会会場となるホールも次々に閉鎖である。入場料収入に頼る落語家にとってはまさに死活問題である。中小企業主に対して国や都の「コロナ休業補償金」が支払われているが、落語家のような「個人事業主」にはどうなっているのかなんて、余計な心配をしながら21日夜の半年ぶりの高座を聞いた。
 暦の上では秋とは言いながら連日35℃を越す猛暑。それに合わせて演し物は「船徳」。この噺は名人8代目桂文楽(1971年没、79歳)の十八番である。これに挑戦するだけでもエライが、兼好は立派に演じた。噺は黒門町文楽の流れを素直に受け継いで、しかも現代の聴衆にも分かり易く、スピーディに賑やかに明るく演じ切った。
 はねて、近くの鰻屋「心天」に行く。台湾人のリンさんが切り盛りする店だ。白焼で〆張鶴の冷やをきゅーっと呷り、良い気持になって台湾流味付けなのか、やや濃厚な蒲焼の鰻重に満足して此の夜はお開き。
 水天宮から半蔵門線で渋谷へ出て横浜へ帰るはずであったが、いつも地下にもぐる六番入口が工事中閉鎖。交差点を渡って重盛人形焼の方から地下に入ってぐるりと回っているウチに方向感覚が狂った。来た電車に乗って座ってうとうとして、止まった駅の看板を見ると「住吉」。なんと反対の電車に乗ってしまったのだ。こうなりゃ仕方がない。そのまま錦糸町まで行って、JR横須賀線で帰ろうと決めた。
 錦糸町駅前は久しぶりだ。「コロナ外出自粛」の呼びかけにもかかわらず、午後10時45分というのに結構な人出である。「コロナ自粛」にうんざりして出て来てしまう人が増えているのではないか。かく申す我が輩も同じだなと、駅前広場を突っ切っていたら、小柄な女人がするすると近寄って来て寄り添い、「コンバンハ」と言う。色は浅黒いがキュートな婦人だ。もう娘とは言えず、三十末か。可愛らしさを残しながらも後れ毛にやつれも見える。フィリピンか、中国南方か。こんなジイサンにまですがってくるのか。コロナ禍で客足が遠のいていると聞くけれど、こうしたところにまで響いているんだなあと思う。「急いでるからね、ごめんね」と言って、千円札を握らせて改札口を入った。
  駅前の夜の雑踏秋暑し    酒呑洞水牛   (20.08.23.)
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2020年08月19日

俳句日記 (613)


健康診断

 「すごいわねえ、Oさん、やればできるじゃないですか。中性脂肪516だったのが216になりましたよ、GOTは51が許容範囲の39になったし、ALT(GPT)も49、γGTPも67だったのが42になってます。どれも正常値からするとまだまだですけど、とにかく素晴らしいカイゼンだわ」と、娘のような女副院長に褒められた。先月末に受けた血液検査の結果を今日聞きに行ったのである。
 現役の頃は「定年まで生きられりゃあ御の字だ」とうそぶいて、好き勝手をやり、暴飲暴食の自覚もせぬまま吞んだり食べたりしていた。会社の定期健康診断はすっぽかし、厚生部長にあれこれ小言をくらった。それが退職して呑気な暮らしに入ると「まあ70まで生きられりゃ御の字だ」に変わり、人間ドックに入ったりするようになった。そして80歳を越えた。こうなると欲が出て来る。
 近所の赤尾クリニックという、まだ若い夫婦で院長、副院長をやっている内科クリニックで、進められるままに定期健診を受けるようになった。そのくせ食い意地は人一倍、飲酒量はウン倍という我が儘が治まらない。これでは健診もへったくれも無いではないかと、時々反省するのだが、どうにも直らない。
 この赤尾クリニックの院長・副院長夫妻はまだ50歳前だろう、若々しい。そして実に明るい。診てもらい、言葉を交わしているだけでこちらが元気になってくる。副院長の奥さん先生のオジイサンが地元の名物内科医で、この人に掛かっていたのだからもう随分長い付き合いである。副院長先生が医大で同級生の赤尾先生に惚れて一緒になり、オジイサンが亡くなって一旦閉めていた医院を4,5年前に再開したのである。ご亭主の院長先生は若いに似ず話の分かった人で、「80を越えて酒を止めろ、好きな物を喰うなと言って、それでたとえ二、三年命を延ばしたって、大した事はありませんよね」などと聴診器を当てながら言う。いやあ、この先生いいなあと惚れ込んだ。
 6月3日、この日は女先生の日だった。「どうも胃が重っ苦しいんです。ボーッとして、朝起きられなくなって、足が重いし、滅茶苦茶に肩が凝るし」と訴えると、「また酒量が増えているんじゃないんですか。足見せてご覧なさい。ほら、こんなにむくんじゃって、明らかに飲み過ぎ、辛い物の食べ過ぎです。血液検査しましょ」と血を採られた。そのまま忘れて、7月初めに結果を聞きに言ったら、「予想を超える酷さです。中性脂肪516なんてひどすぎます。肝機能も大分衰えています。それにね、ここにQとあるのが何か分かりますか。これはね、検体として採った血液に脂が混入していてうまく検査できません、ということなんですよ。つまりね、貴方の血液には脂がぎらぎら浮いてるってことなんです。7月末にもう一度検査しましょう」。
 いやあこれには参った。身体の中をどくどく回っている血の中に脂肪が浮いている状態というのは想像もつかないが、なんとなく恐ろしげである。
 指定された検査日は7月29日。よし女先生の言うように禁酒が効くかどうかやってみようと、酒棚を封印した。以後23日間、禁酒を実行した。15,6歳から本格的に酒を飲み始めて83歳に至るまで、これほど長期間禁酒したのは初めてである。
 7月29日に採血に出かけて、「何しろ23日間吞まなかったんだからな。これでもしいい結果が出なかったから、オレも田子ノ浦親方になる」と腕をまくったら、採血する看護師がぷっと噴き出した。その数日前、外出自粛のお触れの下で田子ノ浦親方が飲み屋で焼酎水割り50数杯吞んで泥酔した写真が出回って大騒ぎになっていたのである。
 まあこんな経緯があっての採血だったが、その結果を聞きに行くのが恐ろしくてずるずる伸ばしになっていた。そんなことがわだかまりになっているものだから、さっさと片付けなければならない俳句会報の原稿書きに気が載らず、どうでもいいメール連句の遣り取りに気を紛らわしたりしているのだった。
 「お盆明けでアカオ先生も始まったわね」という山の神の一声で、はっと思い出し、意を決して出かけた。結果は万々歳。吹く風も何となく涼しさが感じられる。明日からはまともになるぞーと、天狗米純米旨醇をぐいぐいあおる。
  健診の結果上々涼新た     酒呑洞水牛   (20.08.19.)
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2020年08月15日

俳句日記 (612)


75年たった敗戦忌

 令和2年8月15日。あの「耐え難きを耐え」の玉音放送から75年たった。なんだかコロナ蔓延騒ぎにかき消されてしまったような、まことにお座なりな慰霊祭であったし、マスコミの取り扱いぶりも型通りだった。お盆中日の繁華街はかなりの人出で、戦争のことはとうに忘れ去り、「コロナ自粛」ももうどうでもいいやといった感じであった。
 令和天皇はなんの感銘も与えない作文を読み上げただけだった。新鮮味を与えようとしたのか「コロナ禍に苦しむ現状」などを織り込んだ追悼文には、かえって「待って下さいよ」と言いたくなるようなシラケた思いを抱いた。
 現職閣僚の参拝がしばらく途絶えていた敗戦忌当日の靖国神社参拝が、どういうわけか4人の閣僚が参拝とあって驚かされた。小泉信次カ環境相、萩生田光一文部科学相、高市早苗総務相、そしてそんな大臣がいたのかと初めて知った衛藤晟一一億総活躍相の4人である。
 この4人の中で最も年寄りは衛藤一億ナントカ大臣の72歳、以下、高市59歳、萩生田56歳、小泉39歳である。つまり、敗戦当時には精子でも卵子でもなかった人たちだ。戦前から戦中の重苦しい圧政下の空気や戦後の一億総饑餓時代などを全く知らない世代である。「私費」であることを強調して玉串料を出した安倍晋三首相も65歳で、やはり戦無派世代である。
 この人たちの第二次戦争観が親たちや書物を通して得た知識に基づいたものであることは言うまでも無い。それが良い悪いではない。正しく伝えられた史観かどうなのかが問題なのである。
 この人たちの履歴、祖父・親世代の経歴を見るとなるほどなと思う点がある。この人たちの祖父・両親たちはおしなべて戦前戦後の一億総塗炭の苦しみに喘いでいた当時、特権階級として優雅な暮らしを送っていた人たちだということである。直接にそうしたいい目に合わなかったとしても、そういう権力者に手づるのあった人たちである。親類縁者に明治維新から唱和時代に至る間の指導者階層だった人物のいる人たちが多い。
 こういう人たちにしてみれば祖先のやったことは「多少の失敗はあったのかも知れないが、決して誤った道を歩んだわけではない。日本国を思う心は誰よりも熱かった」という思いがある。
 だからこういう人たちは「占領軍による戦争犯罪裁判はおかしい」という言い方をして、A級戦犯を「日本のために尽くした英霊」と崇める。本来は我々日本人の手で戦争犯罪人裁判を行い、これらA級戦犯に責任を取らせれば良かったのだが、あの敗戦時の混乱ではそれは到底望むべくもなかった。
 そうしたことをうやむやにして、今ではあの太平洋戦争を美化し、ゲーム感覚であれこれ論じる若者も多くなっている。
 良くないことに中国が覇権主義的動きを強め、軍備増強、海洋進出・領土拡張、発展途上国の中に親中ムードを広げる工作を活発化している。ロシアも覇権に動き出している。韓国は対日強硬策を国内世論操縦に利用している。こうした諸外国の動きが、日本人の第二次大戦史観に大きな影響を及ぼし始めた。
 本来は靖国神社という今や一宗教法人に過ぎない神社への閣僚参拝是か非かなどとという問題ではなく、兵士も戦災犠牲者も含めた国立の「戦争犠牲者慰霊墓園」を作って、不戦の誓いをすべき時なのに、その空気は年々薄らいで行くようなのが真に恐ろしい。
  コロナ禍に覆はれてしまひ敗戦忌   酒呑洞水牛
(20.08.15.)
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2020年08月06日

俳句にならない日記 (31)


コロナ禍のお盆帰省

 新型コロナウイルス感染症の蔓延が続く中で“民族大移動週間”が始まる。月遅れ盆の帰省ラッシュ。今年は8日(土)から16日(日)までがそれに当たる。しかし、これに対する、政府、地方自治体、医療専門家会議などの対処方針には食い違いが見られる。皆勝手なことを言い合い、わけがわからなくなっている。
 こういう時に断を下すのが総理大臣なのだが、あれほど記者会見でぺらぺら喋るのが好きなアベさんが、どうした訳かこのところ記者会見どころか、全く姿を現さない。「こりゃ何だかおかしいゾ」という声があちこちから湧き上がりつつ、日本列島がぷかぷか漂流し始めた不気味な感じが漂い始めた。
 自民党政権はコロナ蔓延下にも拘わらず「皆さん補助金さし上げますから旅行しましょう」というGo Toキャンペーンなるものを推進している。その一方で、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は5日夕、臨時記者会見を開いて「高齢者への感染につながらないよう(お盆帰省には)注意をお願いします」と、旅行自粛を呼びかけた。すると、それを追い掛けて西村某大臣は記者会見で「お盆休みの帰省に一律自粛を求めるものではない」と、自身が管轄する分科会会長の発言を打ち消す始末である。
 お盆の帰省とは何か。家族一同集まって、両親、おじいちゃんおばあちゃん共々、ご先祖様の霊を慰め、一同の無事を喜び合う祭事である。それを、「年寄りとの接触はできるだけ避けるように」などと言う。それでは何のためのお盆帰省かということになる。そんなことを言うくらいなら、はなから「今年のお盆帰省は止めましょう」と言えばいいのだ。運輸観光業界からいくら貰っているのか知らないが、片方では「GoToキャンペーンは続行」と言う。
 閣僚や政府機関関係者の発言が食い違うという混乱一つとっても、最早、安倍政権は政府の体を成していない。首相が陣頭指揮を執れなくなっていることが原因だとしたら、一刻も早く総辞職すべきであろう。後釜に座ってちゃんとやって行けそうな人物は自民党内にも野党にも見当たらないが、「狂瀾を既倒に廻す」ということもある。一度滅茶苦茶な大混乱状態に落ち込んで、一億二千万人が辛き目に遭って、そこから日本国を立て直す。大げさでは無く、それくらいの覚悟を持って臨むべき時がきたのではないか。 (2020.08.06.)
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2020年08月02日

俳句日記 (611)


大相撲コロナ場所大団円

 もしかしたらと思っていたことが本当になって、コロナ騒ぎの7月場所は幕尻の照ノ富士が堂々の復活劇を演じて千秋楽となった。
 コロナ禍の下で開かれた7月場所は場所前の出稽古禁止で訓練不足がありありの力士もかなりいて、中日辺りまでは身体が十分に動かず黒星を重ねる力士が目立った。一方で同部屋に関取衆が沢山いる佐渡ヶ嶽部屋の力士たちは稽古も十分に出来ていたのだろう、序盤から中盤にかけては当たる所敵無しといった感じだった。
 初日の7月19日、この欄で「何とも水っぽい勝負ばかり」と書いた。横綱鶴竜が不様な独り相撲を取って遠藤に敗れ二日目から休場、第一人者の白鵬も曲者でも何でもない隠岐の海に手間取るなど、ぎごちない相撲で先行きが危ぶまれた。白鵬は自力が優れているからその後何とか持ち直したが、やはり終盤に力尽き休場してしまった。そうした中で、唯一の楽しみが照ノ富士だった。
 7月19日の「水牛のつぶやき」にはこう書いてある。
 「そんな中で、大関から陥落して序二段にまで下がり、二年半かけてようやく幕内に戻って来た照ノ富士が、苦手の琴勇輝を落着いて押し出したのが、我が事のように嬉しかった。とんとんと大関に駆け上がった頃の照ノ富士は力任せの相撲で、しかも傲岸不遜、とても応援したくなるような力士ではなかったが、地獄から這い上がって来た彼は人が変わったようで、取り口も理詰めになっている。爆弾を抱えている両膝を痛めずに、大事に取れば今場所はかなりの好成績を上げそうだ。これだけが楽しみである。」
 初日から勝ち進んできたが、五日目に元大関の高安とがっぷり組んで負けてしまった。ああ回復具合もこの程度だったのかと正直落胆したところが、その翌日から人が変わったように勝星を重ね、いつの間にか優勝戦線のトップに躍り出た。新大関朝の山との相撲など、どちらが大関かと思うような堂々たる勝利。十四日目の正代戦はうまさにしてやられた感じだが、弟弟子の照強が朝の山を引っ繰り返す援護射撃によって、大いなる安心感を得て、千秋楽の関脇御嶽海は無念無想、自分得意の左上手をさっと引く寄りで完璧な横綱相撲を取り切った。
 優勝インタビューが実に良かった。「いろんなことがあって・・、最後にこうやって笑える日が来ることがあると信じてやってきました。一生懸命やったらいいことがあると・・、やって来たことを信じてやるだけだと思ってやりました」
 今年初場所で幕尻の徳勝龍が優勝したが、これは相撲協会もあれよと言う間の出来事で、上位と当たらず仕舞でかっさらってしまったものである。しかし、今回の照ノ富士は違う。十二日目に九枚目の好調玉鷲にぶつけられた。これを破ると、翌十三日目は何と優勝争い相手の大関朝の山である。横綱不在の今場所は朝の山が最高位力士であり、幕尻が結びの一番で取ることになった。そしてその大関を撃破したのである。十四日目には関脇正代に破れはしたが、千秋楽には関脇御嶽海を堂々寄り切って優勝を決めた。
 これはもう立派な大関相撲である。来場所の番付(8月31日発表)では当然、小結にすべき値打ちがある。しかし、前例踏襲の因循姑息な相撲協会のことだから、幕尻力士だからと前頭二、三枚目あたりに据えるのではなかろうか。それでもまあ、地獄を覗いて辛酸嘗め尽くした照ノ富士は秋場所もしっかりした相撲を取ってくれるだろう。
  ようやくに梅雨の明けたり照ノ富士   酒呑洞水牛
(20.08.02.)
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俳句日記 (610)


番町喜楽会第175例会

 8月1日(土)午後6時、千代田区九段下の千代田区立生涯学習館で番町喜楽会の例会が開かれた。コロナ禍による会場閉鎖であれこれの句会や集まりが軒並み「中止→メールに変更」となる中で、唯一ここだけが会議室を貸してくれて、句会が開ける。マスク着用、入口で消毒用アルコールによる手の消毒、検温、入室者名簿の提出、終わったら使用したテーブルをアルコールで拭くことと、あれこれ注文がつくが、この節集会を開かせてくれるだけで有難い。
 このところ新型コロナウイルスが再び暴れ出したようで、都内では新規感染者が連日4百人台後半に上っている。明らかに「第二波」が始まっているものと思われる。こうした数字を見れば誰しも気にするのは当然で、この夜の句会の出席者は11名に留まり、10名が投句参加となった。
 兼題は「夜の秋」と「新蕎麦」。投句5句選句7句で句会を進めたところ、以下のような結果になった。
「夜の秋」
ふたりいてひとりの孤独夜の秋    斉山 満智(5点)
老犬のゆたかないびき夜の秋     金田 青水(4点)
上掛けを足して丸まる夜の秋     高井 百子(3点)
風呂の窓半分閉めて夜の秋      嵐田 双歩(3点)
ポロシャツの短き袖に夜の秋     池内 的中(3点)
カルヴァドス含めば甘し夜の秋    廣田 可升(3点)
「新蕎麦」
父の忌は二八新蕎麦越の酒      前島 幻水(5点)
新蕎麦やくぐる暖簾の武田菱     谷川 水馬(4点)
新蕎麦を噛みしめてゐる卒寿かな   嵐田 双歩(3点)
新蕎麦を供へ写真に語りかけ     嵐田 双歩(3点)
「当季雑詠」
長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜    大澤 水牛(6点)
ステテコの中途半端を愛しけり    玉田春陽子(5点)
名ばかりの富士見坂なり大夕焼    廣田 可升(4点)
 水牛としては、「夜の秋のそこはかしろばなさるすべり」が一番良く出来たと思っていたのだが、これは零点で、一番安易だと思っていた「長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜」が6点も取って最高点になるという予想外の結果となった。「しろばなさるすべり」は、「よのあきの」などと気取った詠み方がいけなかった。素直に「よるのあき」で切りを入れておくできだった。やはり思い入れが激しすぎたのであろう、独りよがりの句になっていたようである。(20.08.02.)
posted by 水牛 at 15:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする