2011年06月01日

俳句日記(148)

屋上の哲人(3)
 鎌倉河岸のビル屋上から南側に見える大手町は再開発工事の真っ最中である。日本橋川の上を覆う首都高速道のすぐ向う側には古巣の新聞社のビルがあったのだが、それも壊されて新しい超高層ビルを建て始めている。こうして昭和三十年代末から四十年代初めにかけて作られたビルを壊し、十数年がかりで大手町一帯を超高層ビル街に作り直すのだという。神田側にも出来はじめている。
 「このビルも出来た当初は近隣で一番高かったけど、間もなくなんにも見えなくなっちゃうな」とつぶやくと、哲人が「そうだねえ」と答える。最初はむっつりしてた哲人も、近頃は私の顔を見ると「コンチハ」と言ってくれる。別に炎天下の苦行に専念していたわけではなく、しゃべりたい相手が見つからなかっただけなのだ。煙草の煙をぷうと吐くと、やおら「このビルももう古いからねえ。こないだの大地震で十階の天井に亀裂が入ったし」と怖いことを言う。十階の天井と言えば、この屋上の床ということではないか。「いや、すぐにどうこう言うもんではねえそうだ」とずいぶん落着いている。
 私は高い所も怖いが、地震はもっと怖い。「おじさん大地震の時もここにいたの」「すごかったよぉ、立っていられなくてさ、四つん這いになってたが、あの建てかけのビルの鉄骨やクレーンがゆうらゆら揺れるし、NTTの電波塔もゆさゆさ。あんなの見たのは初めてさ」「そりゃ怖かっただろうなあ」「ま、怖かねえこともなかったけど、私ゃ昔は鉄骨鳶でいつも高いとこで仕事してたから・・」とにっと笑う。メラニン色素の塊のような顔だが、笑うと歯が白く見える。船の甲板のような屋上で大揺れに揺られながら周囲を見回す余裕があったとは。百五十センチ台のしなびた哲人が俄に神々しく見えてきた。
 不意に40年ばかり前の情景がよみがえった。昭和42年(1967年)、日本最初の超高層建築「霞ヶ関ビル」の36階の鉄骨が組み上がった時、運悪く社会部デスクの回りにうろうろしていたために「おい、カメラを連れて取材して来い」と鬼デスクの厳命が下った。
 観念して工事用のエレベーターで地上150メートルまで上り、足場の鉄板に降りた途端、足がすくんで一歩も歩けなくなった。鉄骨鳶のいなせな兄さんが手すりの鉄パイプに命綱をがちゃんと掛けてくれたのをつかんで、カメラマンが撮り終わるのをひたすら待っていたことがまざまざと思い出された。
 哲人が、あの時の鳶の兄さんのように思えてきたのであった。
  生き物のやうにクレーン五月空
posted by 水牛 at 21:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 水着 三愛 at 2013年07月15日 13:46
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