2018年02月15日

俳句にならない日記 (10)


くたばれオリンピック

 世の中から無くなってほしいものと言えば、真っ先に頭に浮かぶのが原爆とオリンピックである。しかし、今や地球を支配している大国はもとより、小国の住民も欲望むき出しの思考・行動に走り出しているから、その象徴でもあるこの二つを無くすことはとても無理だろう。それは分かっているのだが、無くなって欲しいと思う。
 原爆はヒロシマ・ナガサキの惨状を教訓に、人類を滅亡に追い込む最終兵器として二度と使用せず、作らぬ、ということが全世界のコンセンサスとなったはずなのに、その後、各国が競って作り、最近では北朝鮮が「使用」をほのめかすほどになっている。
 今や国力からすれば三流とみなされる国でさえ、原爆を作ろうと思えばすぐにでも作れるし、既にいくつかの小国が保有している、乃至は保有の疑い濃厚という恐ろしい事態になっているのだ。核拡散防止条約など、今や金科玉条としているのは日本くらいのものだと言ってもいい。あと10年もたたない内に第二第三の北朝鮮が現れ、核弾頭を備えたロケットを抱えて他所の国を脅かすようになるのではないか。互いに脅かしているうちはいいが、それが嵩じて発射ボタンを押してしまうことも大いに考えられる。ハルマゲドンはもう目前である。
 さて、原爆騒ぎとは対極にあるはずのオリンピックはどうか。今やクーベルタンが提唱した「自由と平和の祭典」という理念から全くかけ離れた、国威発揚の場と化している。今、韓国平昌で行われている冬期五輪など、北朝鮮を巡る政治的駆け引きの場と化してしまった。さらに、1984年のロサンゼルス五輪をきっかけに五輪を金儲けの場とする輩がはびこり始め、国威発揚にからめて商業主義という私利私欲がないまぜになっているから一層見苦しい。
 平昌五輪、スキージャンプ競技での高梨沙羅選手の妙技には日本国中が沸いた。しかし、あの素晴らしい競技を何故真夜中に行わなければならなかったのか。その理由は、国際オリンピック委員会に高い放映権料を支払う米国のテレビ会社の要請による競技時間設定なのだという。
 二年後には東京オリンピックが開かれる。これもなんと八月という、日本でのスポーツ大会開催には最悪の時期である。これまたサッカーやアメリカンフットボール等々、国際的なビッグイベントと関係無い時期に、という理由で設定されたのだという。東京五輪では選手や観客から死者が出るのではなかろうか。
 五輪大会が国家の宣伝の具となってしまって以降、開催国はこれでもかとばかりに派手な施設を作り、金をばらまくようになった。「参加することに意義あり」などと言いながら、実際はメダルの数で国の優劣を決めるから、選手強化にもべらぼうな金を使う。選手の方も優秀な成績を収めれば賞金をもらえる上に、末は国会議員やスポーツ庁とかいう変な役所の長官にしてもらえるとあって目の色を変える。果ては薬物の力を借りて超人的力を発揮しようとしたりする。それを国ぐるみで行ったのがばれて、ロシアは今大会では国として存在しないことになった。
 こんなことを今更言うまでもなく、オリンピックは腐敗しきっている。人間の欲というマグマが噴出している。その点では、原爆と根っこは一つである。
 平昌五輪に合わせるかのように、台湾花蓮地方で大地震があった。ホテルが大きく傾ぎ、何人もが押し潰されたり、閉じ込められたのがテレビに映し出された。あれを見て、二年後の八月のトーキョーが心配になった。われらがシンゾーさんが得意満面の笑顔で臨んだ開会式の真っ最中、東京直下型大地震発生。超高層マンションが将棋倒しになり、新幹線が脱線転覆、東京中が業火に包まれ・・、思うだに身の毛がよだつ。しかし、ソーリダイジン以下、みんなが「そんなことはあり得ないだろう」と思っている。しかし、それはただ「思っている」だけで、何の根拠も保証も無い。
 これを「杞憂」と言って笑い飛ばせるのだろうか。どうも近ごろの日本列島は各所で地震が発生したり、眠っていた火山が突然噴火したり、気持の悪い気配が漂っている。
 「虚栄の祭典」も、今となってはもう止めることは出来ないだろうが、せめて規模を縮めて、浮いた金で少しでも避難経路の建設・充実などに当てるような方策を採るべきだろう。
posted by 水牛 at 00:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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