2018年02月27日

俳句日記 (391)


庭猫
 どこに住み処を作っているのか分からないのだが、我が家の庭にもう14年棲み着いているキタコという牝猫がいる。黒と茶と黄色が入り混じった、なんとも複雑な毛色の猫で、猫好きの☆ちゃんに聞いたらアメリカの何とかいう種類なのだという。2004年2月、裏庭の物置の後ろ側の枯葉や枯草の積もった中で、どこかから迷い込んだ野良猫が産んだ4匹の中の1匹である。
 その後1ヵ月もたたない3月初め、子猫のみゃあみゃあいう声と親猫の物凄い唸り声を聞いて裏庭にすっ飛んで行くと、大きな鴉が二羽タッグを組んで、子猫に襲いかかっていた。母猫が必死になって唸り声を上げて鴉に飛びかかる、するともう一羽が眼が開いたばかりの子猫の目をつつき、咥えて飛び去る。何とも凄惨な現場に突っ込んで、棒きれを振り回して二羽の鴉を追い払った。するとノラの母猫も驚いて逃げてしまった。後にはたった一匹、鴉の攻撃を逃れた子猫がみゅうみゅう啼きながら残っていた。
 いつまでたっても母猫は帰って来ない。しょうがない、割り箸に脱脂綿を結び付けて牛乳を沁ませ、それを口元に持っていってやったらちゅうちゅう吸う。数日たつと、皿に入れた牛乳をなめるようになり、ゼリー状の猫餌も食べるようになった。汚れた毛布のようなキタナイ野良猫の子供なので、山の神は「汚な子」と呼んだ。しかしキタナコでは呼びにくいのでいつのまにか「キタコ」になり、それが名前になった。
 キタコは庭のどこかをねぐらにする半ノラではあるが、命の恩人であり育ての父である私にはなついて、そばに寄って来ては仰向けになって腹をさすれと言い、背中を撫でさせる。そんな仲になっていた。
 翌2005年早春、また裏の物置の裏でみゅうみゅう子猫の鳴き声がした。見に行ったら、何とキタコがさっと逃げて、後に3匹の子猫がいた。全くうかつだった。猫は1年で母親になれるのだ。これを見た山の神が「大変よ、これでキタコがこの後も生み続けて、この子猫たちが来年母親になって子供を産むと、その翌年には・・、それからその次の年には・・、一体どうするつもり。なんとかしてちょうだい」と言う。まるで私がキタコに子を産ませたみたいな言い様である。しかし、山の神の算術通りには行かないまでも、確かに放っておいたらえらいことになる。考えに考えた末に、心を鬼にしてまだ眼の開かない三匹の子猫を袋に入れて獣医のミコシバさんに持って行った。ミコシバ先生は極めて事務的に受け付けた。
 子猫が攫われてしまったキタコは荒れ狂った。我が家の庭を一晩中ぐるぐる、ぎゃあぎゃあ鳴きながら駆けずり回り、その後三日間姿を消した。4日目に、何事も無かったように帰って来て、ミャアと鳴いて餌を求めたのには心底ほっとした。しかし、前とは全く違って、私の傍には決して寄りつかない。餌を皿に入れてやっても、私が離れなければ決して食べない。そういう状況がほぼ一年続いて、かなり関係が修復されたのだが、次には檻を仕掛けて掴まえ、獣医に連れて行って不妊手術をしたのが原因で、関係は徹底的に壊れた。「とんでもないジジイだ」という思いが焼きついてしまったらしい。
 以後10年、キタコは私のことを餌をくれる主人だが、決して心を許してはいけない危険人物と見做してきた。「ごはんだよー」と餌皿を叩くと、どこかから姿を現すが、3メートルくらいまでしか寄らない。餌を入れて私が部屋に引っ込んでガラス戸を閉めると、やおら近づいて食べて、去って行く。
 それが今年に入ったら、どういう風の吹き回しか、傍に寄って来るようになった。手の届く所まで来て、仰向けに引っ繰り返り、腹を見せて四肢をばたばたする。首を伸ばして「撫でてもいいよ」という仕草をする。キタコももう14歳。人間で言えば70バアサンというところなのだろう。何事をも許す心境になってくれたようである。
  庭猫と我とのどかな間合かな
posted by 水牛 at 01:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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