2018年08月24日

俳句日記 (420)


雲の峰と雷電 (10)
 なんで横綱になれなかったのか

 雷電はなんと44歳の引退まで最高位の大関を保っていた。しかも勝率96%という天下無双の成績を挙げた。横綱を張っていた谷風は自分の師匠だから本場所で対戦しなかったのは当然だが、同時期の横綱小野川とは4,5回戦って一度も負けていない。それなのに雷電は横綱に推挙されなかった。これが今日もなお解けない相撲史上の謎になっている。
 大相撲の「横綱」というのは発祥からしてまことにあやふやなものであった。そもそもは神前や将軍の御前で一番強い力士が白麻を綯った太い綱を締め化粧回しを付けた姿で土俵入りを行う「儀式」が先にあり、それを行う最強力士の名誉称号として「横綱」という呼称が生まれたようである。だから、力士の地位の最高位は大関で、関脇、小結と続き、それ以下は前頭筆頭、二枚目、三枚目と呼び十枚目あたりまでを「幕内」、それ以下は「幕下」。ただし幕下十枚目までは本場所で幕内力士の補欠のような形で本相撲(幕内取組)に出場した。
 ところが第十一代将軍徳川家斉の時代になって江戸相撲はがらりと変わった。家斉はなんと五十年も将軍の座にあり、前半は松平定信を老中として田沼時代の放漫財政で危うくなった財政立て直しや諸大名統率の弛みを引き締める「寛政の改革」を行った名君。しかし定信引退後は天下無敵の将軍として大らかすぎる政治に舞い戻った。このため、いわゆる化政期(文化文政)という江戸文化の華開く時代が訪れた。家斉は相撲が大好きで、寛政三年に江戸城内に相撲場を拵え、谷風、小野川、雷電以下を呼び集めて「天覧相撲」を開催した。この時に名を挙げたのが行司を勤めた吉田追風(よしだ・おいかぜ)であった。追風は将軍の目の前で谷風と小野川に横綱土俵入りを行わせ、自分が相撲の諸法度を司り横綱免許を与える権限を持った「司」であることをアピールしたのである。
 とにかくこれで横綱免許を与える宗家としての「吉田司家」は認知されたのだが、その後も長い間、「横綱」という呼び名は最高実力者に与えられる尊称であって、地位を示すものとは認知されなかった。横綱が地位として番付上にはっきりと示されたのは明治42年(1909)2月の相撲規約改正であった。その適用第一号は第十七代横綱小錦八十吉だった。その後、現代に至るまで大関として揺るぎない成績を収め、人格も上々の力士が「横綱」に推挙されると吉田司家が「横綱免許」を与える仕来りが続いてきた。しかし、昭和61年(1986)に吉田司家内部に野球賭博がらみの多額の借財や内紛が明るみに出て、間もなく宗教法人としての司家が倒産するといった事態に陥り、司家による横綱免許は第六十代横綱双羽黒のあたりで有耶無耶になってしまい、以後、相撲協会の推挙を受けた横綱審議委員会の承認による形になった。
 深川門前仲町の富岡八幡にある横綱碑には、初代明石志賀之助、二代綾川五郎次、三代丸山権太左衛門という生没年も定かでない伝説上の力士名が刻まれ、四代目として谷風、五代目小野川が刻まれている。この碑は相撲司家としての権威を吉田司家と張り合って来た五条家が、大政奉還の行われた慶応3年(1867)に横綱免許を与えた第十二代横綱陣幕久五郎が、吉田司家、五条家の融和の祈も込めて建立した碑である。五条家は相撲の神様野見宿禰を遠祖とする公家で、平安時代から宮中の相撲節会を司る相撲宗家だった。その点では相撲節会の行司などをやっていてその後、熊本藩士なった吉田司家よりは由緒正しい。しかし将軍家斉時代にがっちり足場を固めた吉田司家に江戸相撲では手も足も出ない、そこで大阪相撲、京都相撲で権威を振るった。それが幕末維新になると朝廷と公家の権威がぐんと高まる。さらに維新政府樹立、そして西南戦争では吉田司家が従った西郷軍が敗れてしまったために、五条家の相撲界における重みが一辺に高まった。しかし、五条家は横綱免許を乱発したり、規範があいまいだったりして自ら権威を失墜し、やがて明治末年。大阪相撲が衰退して東京相撲に吸収合併されるに及び、五条家の相撲界との縁は消滅した。こんないきさつもあり、横綱というものの重みも地位も、実際には明治末期まではかなりいい加減だったことが分かる。
 雷電時代は従って力士側もフアンも横綱というものに興味も重みも示さなかったようだ。それが証拠に寛政元年(1789)の谷風、小野川横綱同時昇進から次の横綱阿武松緑之助が生まれるまでなんと39年も間が開いているのだ(文政11年)。雷電が横綱にならなかった理由として、抱え主の雲州松平家と吉田司家の主家の肥後細川家との確執や、雷電があまりにも強くて相撲界の反感があったことなどが挙げられているがいずれも根拠が無い。むしろ雷電自身や松平不昧公が横綱称号に全く無関心だったというのが真因と言えそうだ。人気取りのために横綱を粗製濫造する今日の相撲協会に、このあたりを噛みしめてもらいたい。
  横綱の四股も軽しや虫の闇
posted by 水牛 at 22:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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