2018年09月09日

俳句日記 (421)


雲の峰と雷電 (11)
 重労働

 「一年を廿日で暮らすいゝ男」という川柳がある。『誹風柳多留』巻四十四(文化五年、一八〇八)に載っている句だが、当時の力士がいかに格好がよくて人気上々だったかが分かる。文化五年と言えば雷電41歳、全盛期は過ぎていたが、まだまだ無敵大関として春場所は7勝1無勝負2休、冬場所は9勝1敗で連続優勝を決め、人気絶頂を極めていた(この3年後に引退)。雷電の通るところ、今で言う「追っかけ」がつきまとい大変な騒ぎだったようだ。それはさておき、当時の本場所は今のように期日がぴたっと定まってはいなかったものの、概ね3月と10月ないし11月にそれぞれ晴天十日間興行として開催されていた。つまり、一年をわずか二十日の勤務で暮らす良い男というわけだ。
 今の力士はそれに比べると大変だと言われる。何しろ本場所が一ヵ月おきに年6場所、合計九十日間もある。その合間には地方巡業がある。力士は過重労働で、一旦怪我をしたら治す暇が無い。これではあまりに苛酷ではないかという意見があちこちから出ている。私もその一人で、名古屋場所と九州場所は番付の変更をもたらさない準本場所にすべきだと思っている。あくまでも年六場所を続けるのなら、公傷制度を復活し、場所での怪我による休場では番付を下げないようにした方が良い。
 そうは言っても、今の力士に比べて雷電時代の力士が楽をしていたのかと言えば、実は全くそうではなかったことが「雷電日記」を読めば分かる。一年を僅か20日勤務で済ましていたわけではなかったのだ。まず、今の力士のように月給が保証されているわけではない。江戸と大坂の本場所、京都の準本場所はもとより地方場所(巡業)まで、出場してはじめて割り前(給金)を貰うのである。呼ばれなかったり、調子が悪くて出場出来なければ無収入。「江戸の華」と言われた力士も内実はなかなか大変だったのだ。実働日数もかなりになる。
 雷電が「大関」になって快進撃を始めた寛政三年(一七九一)の記録では、江戸、大坂の本場所各十日間を含め、各地を巡業して合計84日間相撲を取っている。巡業地から次の巡業地まで行くには全て徒歩、時には舟を利用しているが、早くて1日、遠隔地だと3日くらいかかる。この移動日を勘定すると、江戸時代のお相撲さんはとてもとても一年を20日で暮らすような優雅な状況ではなかったのだ。
 さて本日9月9日。大相撲秋場所が開幕。注目は八場所連続休場の横綱稀勢の里の初日。はらはらしていたのだが、相手がけれんの無い勢ということもあって、安心してぶつかれ、寄り倒すことができた。明日は最も厄介な曲者貴景勝。これを無事料理できれば、もしかしたら九場所ぶり出場で優勝という奇跡が生まれるかも知れない。
 しかし、雷電の話と比べると、何とまあスケールが縮こまってしまうことよ。
  秋場所や泥鰌の鍋も沸き返る
posted by 水牛 at 23:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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