2019年01月07日

俳句日記 (444)


七草粥

 今日は七草。六日に春の七草を摘んで俎板に載せ、家長が「七草なずな唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、ななくさなずな・・・」と囃しながらとんとんとんとん刻む。それを神棚に捧げて翌朝、白粥に入れる。白粥は一瞬にして鮮やかな緑色になる。爽やかで健康的で、いかにも万病を遠ざけてくれる霊力が備わっているように思える。我が家は神棚が無いから、刻んだ七草は一晩冷蔵庫に寝かせる。それに、生の野草を刻んで一晩置くとアクが出て黒ずんでしまうことがあるので、さっと熱湯を潜らせてから刻む。こうすると七草粥が一際鮮やかになる。
 我が庭は手入れが悪いのが怪我の功名で野草天国、春の七草を見つけるのは容易い。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラは至る所に生えている。スズナ(小蕪)とスズシロ(大根)は栽培したのが丁度良い大きさになっている。これで六つ揃ったが、ホトケノザがどうしても見つからない。これはタビラコという、田圃の畔道などによく生えているキク科の雑草だ。我が家は高台にあるので生えないのかも知れない。仕方が無いから小松菜の小ぶりなのを抜いて代用にした。
 「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」という古今集の歌がある。小倉百人一首にも載っているから大概の人が知っている。平安時代初期の第58代光孝天皇(830-887)が皇子時代に詠んだ歌である。「愛しい貴女のために早春の野に出て万病封じの若菜を摘んでいます。袖には雪がしきりに降りかかってきますが、それにもめげずせっせと摘むのです」という、優しい心情の溢れた名歌だ。とにかく、この頃には既に若菜を摘んで食べることによって大自然の精気を体内に取り込むという考えが行き渡っていたようである。
 世を経るにしたがって、若菜を炊き込んだ粥が病魔退散の食べ物として定着し、宮中では一月七日の儀式になった。この日は古代中国の占術書に述べられている「人日(じんじつ)」で、五節句(五節供とも。三月三日「上巳」、五月五日「端午」、七月七日「七夕」、九月九日「重陽」)の最初である。徳川幕府がこの五節句を式日と定めたから、一般にも七草粥の風習が伝わり、同時に雛祭、端午の節句、七夕、菊の節句が祝われるようになった。
 AI時代などと言われる今日でも、菊の節句はさておき、その他の四つの節供は生き残っている。特に、正月の餅腹と吞み過ぎで疲れた胃を七草粥でシャンとさせ、本格的な仕事始めに出発進行というのが若年世代にも受けているようだ。
  あをあをと七草粥の香しき
  七草粥餅半分に切りて入れ
posted by 水牛 at 21:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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