2019年01月31日

俳句日記 (449)


この国はどうなって行くのか

 何が驚いたかと云って、厚生労働省の統計調査のデタラメぶりである。開かれたばかりの国会でも盛んに取り上げられ、安倍内閣の責任が追及されているが、行政府の総元締めのソーリダイジン・アベチャンは「重大な責任を痛感しております」と表面神妙に振る舞いながら、全く責任を取ろうとしない。
 統計というものは国家運営上最も大事なものである。この数字を元に国家予算に始まって、もろもろの政策を決める。たとえば景気動向を見る上で重要な消費者物価指数は小売物価統計調査と家計調査を元に算定するのだが、もしこの調査統計数字がいい加減だったら、国の打ち出す経済政策が狂ってしまう。統計に基づいて自国の国力を算定し、敵国と目す国の国力と比べ、勝算ありとなれば戦争を起こすこともあるのだ。徒や疎かに出来ないのが統計数字である。
 今回問題になっている厚生労働省の毎月勤労統計の狂いが国民及び国の今後の政策遂行にどれほどのダメージを与えるものなのかは現時点でははっきりしない。それをはっきりさせることも勿論大切だが、それよりもっと大事なのは、何故こんな事が起こったのかをはっきりさせることである。日本の官僚組織は世界で最も優れたものと云われてきた。マスコミ人の端くれとして多くの官僚と付き合ってきた水牛もそう思っていた。もっとも私の現役時代は三十年も前に終止符を打っているから、それと今を比べるのは乱暴なのかも知れないが、とにかく、中央官庁には昔も今もエリート中のエリートが集まっている。それらがまとめて発表する統計数字がデタラメだったなどということを聞かされると、心底ガッカリしてしまうのだ。
 政府の冒した罪は一片の統計数字の誤りなどというものではなく、政府のやっていることに信頼が置けないという意識を国民に植え付けてしまったことなのだ。こうなるとアベノミクスは成功したか失敗だったかなどを論じることすらバカバカしくなってしまう。「すべてがいいかげん」と思わざるを得ない事態となっては、現政府に何かを望むということすら無駄だと思わざるを得ない。これは虚無へと通じる道であり、恐ろしいことである。
 とにかく、こんなことを思い暗澹としていたら、中国の女流画家王小燕さんから「久しぶりに日本に来ました。会いましょう」と云って来た。お父さんの中国の人間国宝で文人書画家王子武さんともども親しく付き合ってきた仲だが、もう七,八年会っていない。全く久しぶりの昼食会だった。席上積もる話の中で、最近の日本の政治のだらしなさ、先行きの不透明感などをぼやいたら、「そんなことないよ、日本は大丈夫。東京オリンピックの後も東京の不動産価格は下がらないよ」と極めて即物的かつ肯定的コメントが返ってきた。こんな問題多々の日本も、傍から見ると恵まれた国と映るようなのだ。
 「そうかなあ、確かに悲観しててもしょうがないかもね」と答えて、心なしか少し気が晴れた。
 つまづいて手摺にすがる雪催
posted by 水牛 at 21:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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