2019年11月29日

俳句日記 (553)

難解季語 (45)

行火(あんか)

 現代日本人で「行火」を「あんか」と読める人は何割くらいだろうか。家電製品がまだ完全に行き渡らなかった昭和40年代初め(1960年代半ば)までに幼少期を過ごした世代が辛うじて読める、あるいはその物を知っているといったところであろう。
 陶器あるいは素焼の天辺と角を丸くした四角な箱で、側面には小さな丸い穴が開いている。この箱の中に灰を入れ、そこに火のついた木炭や炭団を入れて、手足を温める素朴な暖房器が「行火」である。炬燵と似たようなものだが、炬燵が木製の櫓の中に陶器の小型火鉢を据えてそこに熾った炭を入れて上から蒲団をかぶせた、ほぼ固定的なものであるのに対して、行火は陶器の四角な箱に炭を入れて何処にでも持ち運びできるようになっていた。「行」は唐音で「あん」と発音し、持ち運び可能なことを意味する。即ち携帯暖房機である。
 「唐音」というのは、呉音、漢音、宋音という漢字の読み方の一つで、江戸時代になって、主として中国南部一帯の発音を総称した呼び方で、概ねは宋音と重なっている。鎌倉室町時代に禅宗の坊さんが杭州(南宋の都)から中国本土に入り、勉強して帰国して広めた漢字の読み方である。だから、「行」を「こう、ぎょう」ではなく、「あん」と読み、「行灯」「行脚」「行者(あんじゃ=寺院の下働き、給仕)」など、寺に縁のある言葉が多い。行灯も行火ももともとは坊さんが寒い書院で勉強するにあたって用いた什器なのだろう。
 この行火が室町時代(一四、五世紀)に流行し始め、だんだん庶民にも行き渡って、なんと昭和40年代初めまで、延々五百年近く、庶民の冬の暮らしを温めてきた。しかし、行火は何と言っても炭火や炭団など直火を灰に埋めたものだから、何かの拍子に倒したらえらい事になる。火事になる前に気が付けば良いが、それにしてもあたりは灰だらけになってしまう。「湯婆(たんぽ)」あるいは「湯湯婆(ゆたんぽ)」という陶製あるいは金属製の缶に湯を入れて足や腰を温めるものもあったが、保温持続時間が限られており、栓が緩めば湯水が漏れて大事になる。ちなみに「湯」を「ゆ、とう」ではなく、「たん」と発音するのも唐音で、やはり留学僧の持ち帰った言葉である。「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言った坊さんもいたが、結構寒がりもいたようだ。
 それやこれやで、電熱を応用した「電気行火」「電気炬燵」「電気毛布」が出て来ると、行火と湯婆はたちまち姿を消してしまった。スイッチ一つで温かくなり、安全で、灰や水が漏れたりする心配が無い。出始めは結構高かったのだが、背に腹は替えられないというわけで、急速に普及した。
 実は電気行火と言えば、そのずっと前、敗戦後間もなくの昭和21年、真冬の寒さに炭も満足に手に入らない時分に売り出されたことがある。しかし、物資不足の当時のことだから、あり合わせの針金に和紙を巻き付けたものをとぐろを巻いたようにして、糸くずなどでくるんで布をかぶせたもので、「電気座布団」と言われていた。もう一つ当時流行ったのは、木箱の内側の両側にブリキ板を置き、それに銅線を繋ぎ電気を通じる。箱の中にイースト菌あるいはふくらし粉を入れて水で溶いた小麦粉を入れて通電すると発熱し、やがてふっくらとパンが焼き上がる「電気パン焼き器」だった。両方とも爆発的に売れたが、間もなく大問題になった。電気座布団は、使用しているうちに内部に湿気が溜まり、和紙でくるんだだけの針金はたちまちショートしてしまい、ぶすぶすいぶり出して発火、火事になって大騒ぎになり、たちまち発売中止。電気パン焼き器も宣伝通りにはパンが膨らまなかったり、ショートしたりで、これまた姿を消した。我が家にはこの両方があって、火事も起こさずかなり重宝した。小学3年生の私もせっせと食パンを焼いていたので、とても懐かしい。
 それもこれも遠い昔。昭和50年代からバブル時代を過ぎ、平成になると、行火は見向きもされなくなった。神社の境内などの骨董市には、行火や湯湯婆が埃だらけで無造作に転がされ、皿小鉢の二つ三つ買えば、只で呉れたものだった。それが、最近の骨董市ではあまり見かけなくなった。こういうものが流通する時代が過ぎ去ってしまったということなのだろう。当然のことながら、行火を詠んだ句はみんな数十年前のものである。
  ペンの走り固しとおもひ行火抱く   臼田 亜浪
  ありがたや行火の寝床賜ひしは    石塚 友二

  電気行火入れろとせがむ老婆猫    酒呑洞
posted by 水牛 at 21:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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