2019年12月01日

俳句日記 (554)


難解季語 (46)

師走(しわす)

 旧暦12月の異称だが、今日でも12月の別名として使われている。「年の暮れは師僧が檀家を忙しく走り回る」ので師走と名づけられたというのが、一般に流布する語源。確かに、平安末期に橘忠兼という人が表した「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」という、言葉をイロハ順に並べて解説した辞書に「しはす」を「俗に師馳といふ釈あり」としてある。つまり西暦1100年代には既に「和尚さんやセンセイまで駆け出す月だから12月を師走と言う」との説が信じられていたようである。
 これに対して、12月は一年の総決算で、あらゆる事に一応の区切りをつけるために皆々一生懸命に働く、そうして全てを「為果つ(しはつ)」ところから出たもので、音韻変化して「しはす」になったという説がある。これなど理路整然として、なるほどなあと思ってしまう。その他、「年果つ、年極つ」から出たものだとか、春夏秋冬の四季が極まる「四極、しはつ」が転訛したものだといった説もある。しかし、こうした真面目な解釈よりは、坊さんまで駆け出すという方が俳諧味があって面白い。
 大陸から「暦」が入って来た奈良時代、これを農事に役立てるために大和朝廷は、月の巡りが30日であること、それを12回繰り返すとまた元の季節になることなどを懸命に民草に教えた。同時に、月と太陽の運行のずれによる季節の食い違いを調整するための二十四節気・七十二候というものも輸入し、暦に当てはめて農事の指針とした。
 始めのうちは1月、2月と数字で呼んでいたものが、やがて「むつき」「きさらぎ」という和名が生まれ、これが定着していった。この月名が明治5年12月2日までずっと使われ、新暦に移行してから150年たった今でも使われているのだから驚きである。
 ただ、この「月の和名」は俳句では困ってしまうことがある。何しろ新暦は旧暦と一ヵ月以上ずれている。新暦の1月は旧暦では12月(年によってズレがあるが)である。新暦の5月は旧暦の4月。季語に「五月晴」というのがあるが、これは今日の6月から7月にかけてのじとじと降り続く梅雨の中休みの晴天のことである。それを知らずに現代俳人は初夏の好天気を「五月晴」と詠んでしまう。また10月を神無月と言うが、これも現代暦では11月である。10月と11月では天気も気温も大いに違う。というわけで、月の和名を無造作に用いると妙な句になってしまう。季節感が異なってしまうのだ。
 そういう問題がある中で、和名を用いて句を作っても違和感が無いのが「師走」である。とにかく、誰も彼もが忙しがる月である。それに、気温も周囲の景色も、12月と1月はそれほど変わらないから、旧暦新暦の食い違いをさほど感じない。師走は十二ヵ月の和名の中で、最も安心して使える季語だ。「極月(ごくげつ)」「臘月(ろうげつ)」とも詠まれる。
  なかなかに心をかしき臘月(しはす)かな  松尾 芭蕉
  極月の人々人々道にあり          山口 邨
  すれ違ふ妻の気附かず町師走        榊原 八郎

  あせってはとちつるてんの師走かな     酒呑洞
posted by 水牛 at 22:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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