2020年09月14日

俳句にならない日記 (33)


お先真っ暗

 予想はしていたが14日に自民党総裁に選ばれた菅義偉(すが・よしひで)という人物は矮小な人物のようである。その風貌体躯を言うのではなく、人間の大きさ、考え方が矮小だというのである。
 なんと、総裁選出後の第一声が「国民の皆さんのために働く内閣を作る」というのである。それじゃこれまでの内閣は何だったのかということになる。人の片言隻句を捉えて揚げ足を取るのは卑しい行為だが、この演説にはヤジを飛ばしたくなる。自民党総裁イコール内閣総理大臣なのだから、その第一声ともなれば、自分でもよく練り直したであろうし、お付きの連中が再三練った案文であるに違いない。それがこれである。
 その上、一から十まで「安倍総理の」おやりになったことをなぞっていくと言う。国民はアベノミクスの破綻をはじめとして、安倍政権の失政にノーを突きつけていたのである。にもかかわらずそういうことを平気で言うのは余程の魂胆があるのだろう。二階という己を利する事のみに汲々たる人物を幹事長に据え置き、安倍政権の癌ともいうべき麻生某を「かけがえのない人物」として副総理に据え置く。「国民のために働かなかった」政権の中枢をそのまま押し戴くというのである。これはどう見ても何らかの魂胆がひそんでいる。
 とにもかくにも棚ぼた式に総理総裁の座に座ることができた。対抗馬が石破、岸田というどうにもしょうがない人物だったが故に、党内大多数が雪崩を打つように票を入れてくれてトップの座を射止めたが、元々、何の地盤血縁も無く、時の勢いでのし上がった地位であることは自分自身が一番よく知っている。
 取り敢えずは「安倍路線継承」を唱え、麻生、二階を据え置き、内閣には各派閥均衡の顔ぶれを揃えて、そっと出で立つ。そして、機を見て解散総選挙、であろう。年内総選挙であれば、菅自民党は圧勝する。そして本格的な菅政権が出来ると、安倍政権以上の“金の亡者政治”がまかり通る世の中になりそうだ。これは確たる証拠があっての予測ではないのだが、GoToキャンペーンを強引に進める手法、カジノ・リゾート推進策など、官房長官時代から見え隠れしていた、この人の“黄金色に惹かれる”姿勢からの危惧である。  (2020.09.14.)
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2020年09月13日

俳句日記 (618)


残念、照ノ富士

 秋場所が始まった。先場所、奇跡の幕尻優勝を遂げて前頭筆頭に上がり、“返り大関”への第一歩を踏み出した照ノ富士。初日の相手は最も苦手とする押し相撲の大関貴景勝。昨日予想した悪い方の予想が当たって、呆気なく負けてしまった。
 照ノ富士は両膝がガタガタになっている。それをサポーターとぐるぐる巻の包帯で支えて相撲を取っている。前傾姿勢で前へ前へと出て行く相撲では怪力を発揮し、技も使える。しかし、立合に一気に押し込まれ、一歩二歩後退すると、途端に弱点が現れる。相手の圧力をぐっと堪える力が両膝に無いのだ。恐らく、反り身になって堪えると両膝に力がかかり、痛みが走るのではないか。
 今日の唯一の勝機は、素早く立って一歩踏み込み、右でも左でもいいから貴景勝の廻しを掴んで、廻しが取れなければ腕を抱えるなり押っつけるなりして、体を寄せることだった。貴景勝も先場所の照ノ富士の勝負ビデオを見て研究していたのだろう。機先を制して押し込むことだけを心がていたような立合で、闇雲に押し込んだ。
 今日の敗戦の後遺症で両膝が痛み出したりしなければまだ巻き返しは出来る。明日の相手も押しの御嶽海である。今日と同じように猛スピードで押し込まれてしまうと仕方がないが、なんとか掴まえることが出来れば勝機はある。
 優勝候補筆頭の朝の山が相撲巧者の遠藤を相手に焦って自滅してしまったから、今場所は大混戦になりそうだ。初日の相撲だけでは優勝候補を予想することなどとても出来ないが、関脇正代がしっかりしてきたようである。もう一人は大関陥落後いいところの無かった高安が、己の愚かさを悟ったのか、巴富士を相手に慌てずじっくり相撲を取ったのに少し驚いた。自分十分になるまではじっくり落ち着くという相撲を取っていれば、番付は下位だから白星を積み重ね、ひょっとして「初優勝」ということになるかも知れない。

  贔屓力士あっさり負けて秋黴雨   酒呑洞水牛   (20.09.13.)
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2020年09月12日

俳句日記 (617)


 照ノ富士よ正念場だ

 相変わらずコロナウイルス感染者が出ている。次期首相の菅官房長官は地味な風貌とは裏腹な積極派のようで、コロナ禍の下でも経済振興に熱心で、あの天下の愚策とも言えるGoToキャンペーンの仕掛け人とも言われており、“コロナ規制”を解除して行く方向に舵を切りそうだ。コロナ籠もりにうんざりし始めた一般大衆もマスコミも、政府筋の流す「コロナは下火」という説を盛んに流すようになった。
 しかし、足下の東京都では相変わらず新規感染者が一日200人以上出ている。秋場所大相撲の開幕直前に玉ノ井部屋では一挙に19人もの感染者が出て、部屋丸ごと出場停止になった。
 そんな中で13日から秋場所が始まる。白鵬、鶴竜という、休んでは出て来るを繰り返しながら延命を図ってきたズルい横綱が二人とも初日から休場。大関二場所目で最高位の東大関に座った朝の山が「優勝」を口にし、西大関の貴景勝が昔の大関北天佑の娘と婚約してこれまた意気大いに上がっているようだ。
 しかし、何と言っても目玉は先場所幕尻で見事優勝して、前頭筆頭に上がって来た照ノ富士である。以前にも書いたことがあるが、照ノ富士は4年ほど前、日の出の勢いで大関に駆け登った時には傲岸不遜で、とても好きになれないタイプだったが、両膝の怪我や内蔵疾患で長期休場、序二段まで下がり、辛酸嘗め尽くして這い上がって来る過程で人間的にも成長した。「一つ一つ出来るだけのことをやっていれば、いいこともあるはずだ」と思ってやって来たら、この奇跡の返り咲きとなったのだと言う。
 照ノ富士の初日の相手は大関貴景勝。いきなり猛烈な勢いで突っ込んで来る貴景勝のようなタイプは、両膝が危なっかしいだけに、あまり得意ではない。しかし、これを何とか捌いて白星を得れば、今場所も優勝できるのではないかと思う。全ては初日。明日は俳句はそっちのけでテレビにかじりつこう。

  秋場所だどすこいコロナ飛んで行け  酒呑洞
(20.09.12.)
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2020年09月08日

俳句日記 (616)


番町喜楽会9月例会

 あらゆる句会がコロナ自粛で逼塞している中で、番町喜楽会だけが毎月一回の例会を開いている。千代田区が会議室利用を認めてくれているおかげである。お顔もそうだが、やること為すこと全てが厚化粧の百合子さんは、個人的にはあまり好きになれなかったのだが、「文化活動の場を提供します」との英断を下してくれたので、いっぺんに好きになった。「小池都知事ガンバレー」
 9月7日(月)午後6時、ようやく出かける場所が見つかって嬉しそうな14人が集まった。本日の兼題は「厄日」と「秋草」で投句は5句。欠席投句参加の7人分を加え、投句総数105句。選句は6句で句会を行った。
 今日は春陽子という化け物のような点取り虫が票を掻っ攫ったが、これも自民党総裁選と同じで、必ずしも「良いから選ばれた」と言い切ることは出来ない。句会の票もその時々の流れのようなものがあって、一方に流されることがある。実際、今夜は2点以下にも結構いい句があった。まあそれはともかく高点を得た句を掲げておこう。
「厄日」
爪切って身を軽くせし厄日かな    玉田春陽子(5点)
忘れ物今日は三つ目厄日かな     斉山 満智(4点)
水吸ふて厄日の砥石深き色      嵐田 双歩(3点)
打つ度に釘ひん曲がる厄日かな    玉田春陽子(3点)
古雨戸父と釘打つ厄日かな      中村 迷哲(3点)
二百十日復旧未だ千曲川       堤 てる夫(3点)
二百十日総理辞任の大嵐       前島 幻水(3点)
「秋草」
地方紙に秋草くるみ帰京せり     廣田 可升(6点)
秋草や買手のつかぬ一等地      玉田春陽子(4点)
秋草の彩り豊かままごと膳      須藤 光迷(3点)
歩荷行く尾瀬の秋草揺れにけり    嵐田 双歩(3点)
「当季雑詠」
それほどの期待もされず案山子立つ  玉田春陽子(7点)
海風の抜ける道なり青蜜柑      須藤 光迷(4点)
藤袴咲いた咲いたよ妻の声      堤 てる夫(3点)
小流れの底の罅割れ残暑光      須藤 光迷(3点)
這うようにたどり着きたる九月かな  斉山 満智(3点)
雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆    大澤 水牛(3点)
 句会が終わればこういう御時節だから真面目な人は帰る。しかし素直に帰れない春陽子、可升、光迷、水牛に金田水、塩田命水の6人は、九段下の蕎麦屋「丸屋」に行く。丸屋のまんまるのおばさん、実に嬉しそうに迎えてくれる。何しろ店開けていたって客が来ないのだ。板わさ、もろきゅう、おろし蕎麦で〆張鶴の冷やを二杯三杯傾けて、大いに英気を養った。(20.09.07.)
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2020年08月28日

俳句にならない日記 (32)


首相辞任

 8月28日午後5時、安倍首相が記者会見を行い首相辞任を表明した。ようやく踏ん切りをつけてくれて心底「良かったな」と思う。2009年夏に国民の熱狂的支持を得て政権を握った民主党があまりにも不甲斐なく、不様な政治を行った、というより政治を行わなかったが故に2年ばかりで自滅し、それに変わって生まれたのが第二次安倍政権だった。
 その後「他に人がいないから」という情け無い理由で支持される政権が8年も続いたのである。演説は上手だし、言う事はもっともらしい。しかし内容は空疎だった。この間に、アメリカに次いで世界第二位だった日本の国力はずんずんと落ちていった。その咎めは各種の指標にも現れ始めた。
 国内経済を立て直すのだと鳴り物入りで打ち出したアベノミクスは無残な失敗。要は自分の言う事を聞く人物を日銀総裁に据えて、闇雲に札を刷り、マイナス金利の泥沼に陥り、株価のみをつり上げ、国内外の金融ハゲタカを肥え太らせ、見かけの景気指標だけは何とか形をつけた。「外交のアベ」と自他共に許し、歴代首相の中では飛び抜けて多い外遊をこなし、各国首脳との握手の回数だけは増やした。結果はトランプという破天荒な大統領とよしみを通じただけで、北方四島返還問題は逆に遠くに押しやり、ロシアとの関係は今や絶望的状態である。「アベ内閣最重要課題」の北朝鮮拉致問題は解決の糸口さえ見つけられぬままである。対中関係、対韓関係も思わしくないまま推移している。
 そこへ新型コロナウイルス騒ぎが襲いかかった。アベ政権のコロナ対策といったら、隣国韓国や震源地中国の徹底的な対処策と比べて、極めてスローモーであり、お粗末であった。「総理辞任会見」で自らも「かなりの御批判もいただきました」と述べたアベノマスク配布一つとっても、子供ですら首を傾げるようなことを政府高官が次々に撒き散らした。日本は日ごろから衛生状態の良い国であり、国民の防疫意識も高い。それが大いに効果を発揮して、コロナ蔓延をかなり防ぐことができて、他国に比べて人口当たりの感染者数や死者数が低く抑えられている。安倍首相はそれに助けられたところがずいぶんある。しかし、まだまだこのウイルス騒ぎは収まりそうに無い。
 一方、国会で絶対多数の議席を占めている自民・公明連立政権の長であるということから、気分が弛み、かなり得手勝手なことをやって来た。モリトモ問題、加計学園問題、首相主催の「お花見」問題、自ら法務大臣に取り立てた男とそのカミサンが参院議員に当選する際の選挙違反問題、東京高検検事長指名に伴ういざこざ等々、胡散臭い問題を次々に起こし、それらを恬として恥じない。
 大腸炎が悪化しなければ来年秋の任期一杯自民党総裁・日本国総理大臣を務め、場合によっては「総裁四選」まで狙っていたのではないか。しかし、やはりそれは天が許さなかった。
 さてこれからだが、知らないうちに自民党で最もエライ人物にのし上がってしまった、その昔、小沢一郎の腰巾着だった二階なんとか幹事長が仕切って、次の「総裁・総理」が決まる。コロナ騒ぎ対策もあり、あまり時間を掛けられないという事情を理由に、自民党総裁選(イコール次期首班指名選挙)は自民党衆参両院議員総会で決められることになろう。そうなると安倍に対立してきた石破茂元幹事長は世論調査でトップの人気だが旗色が悪くなり、あの台所の隅の暗闇のネズミのような菅官房長官ということに落ち着くのではないか。
 日本の首相は、不思議なことにあまり男前ではない方が地道に政治的実績を上げているようでもある。まあ今回は、誰になっても安倍政権よりはましになるように思う。(2020.08.28.)
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2020年08月24日

俳句日記 (615)


さてさて

 二十二日に東京近辺は激しい雷雨に見舞われた。横浜の寓居も夜遅く二回、停電になった。
 これが秋の呼出になったのか、昨二十三日は日中の最高気温が我が家の寒暖計では28℃と久しぶりに30℃を下回った。今日二十四日はまた31℃になったけれど、吹く風には涼しさが感じられる。「
 「そう言えば昨日は処暑だったんだな」と暦を見て思う。立秋から数えて十五日、「暑さの処する(おさまる)」頃合いと古人が教えている。この二十四節気などの暦は遥か三千年前の殷(商)の時代にはもうほぼ現在の形に整えられていたというから驚きである。その頃の人たちは電気もガスも原子爆弾もインターネットも知らなかったけれど、自然の動きを知り、自然と共に生きて行く術はしっかり身に付けていたのだ。
 芭蕉が『奥の細道』の金沢の条で詠んでいる「あかあかと日は難面もあきの風」は元禄二年七月十五日、今の暦に直せば八月二十九日。ちょうど今ごろである。ほんとうに今日の午後など、まさに「あかあかと日はつれなくも、だなあ」と思った。
 北極の氷が解けてしまったとか、熱波とイナゴの大発生でアフリカは大変だとか、中国では長雨で三峡ダムが決壊しそうだとか、気象異変があれこれ言われている。確かに「異変」は尋常ならざるものがあるようではあるが、それを以てあれこれ気に病んでも意味は無い。人知人力では如何ともすべからざるところである。コロナ禍もまた然りであろう。
 ここはもう、芭蕉さんのように「お日様はカンカン照りだけど、吹く風は秋ですよ」と、熱暑の中の涼を見つける努力をしてみよう。
  苦瓜の赤き口開け処暑の空    酒呑洞水牛   (2020.08.24.)
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2020年08月23日

俳句日記 (614)

暑い暑い

 呑み友達の一人ツトムさんから「兼好さんが、もう我慢出来ないと独演会再開のお知らせ。21日金曜日夜7時、人形町のいつもの所でお待ちします」とメールが来た。こちらもコロナ篭りでくさくさしていたところだから、喜んで日本橋小学校の中にある社会教育会館に出かけた。都心の居住人口減少で小学校の建物の半分を地域住民の文化活動に資するための施設にしている。この二百人程度が入れる貸ホールもそれで、若手真打の三遊亭兼好さんが毎月のように独演会をやっている。それがコロナ騒ぎで公演がもう半年も開けないままだった。
 亡父の影響で子供の頃から相撲と芝居と落語が大好きで、高校時代には寄席や地域の旦那衆が開く噺の席を経巡っていたから、今では伝説的存在の噺家は大概身近に聞いている。社会人になってからも社会部遊軍記者という記事ネタを探して町中探訪の仕事が長かったから、寄席やホール落語は見聞きしていた。それが中年になって海外勤務や中途半端な役職生活の雑事にかまけ、落語からすっかり遠ざかった。
 そうしたら、ツトムさんが「前座から応援している三遊亭兼好というのが日本橋噺問屋という独演会を始めたんです。聞いてやってくれませんか」と言う。
 その数年前、今から二十年ほど前になるか、既に鬼籍の遊軍記者の先輩黃鶴さん夫妻に誘われ、国立演芸場で開かれていた真打になり立てや二つ目による若手落語会に毎月付き合っていた。しかし、そこに出て来る若手噺家のほとんどが気に入らなかった。たい平など幾人かこれはいいかなと思うのがいたが、おしなべて勉強不足なのである。噺の運び方がなっていない。まずは発声練習してこいと言いたくなるほど、聞きにくい。口跡が良くないのである。それらが今や大立者とされている。
 そんなこともあって、「近ごろは落語にもとんとごぶさたでね、それに若手でいいのなんているのかい」と返した。「まあ、騙されたと思って聞いてやってください」とまで言われては行かずにはいられない。その時の噺は「三井の大黒」だったか「文七元結」だったか「居残り佐平次」だったか忘れてしまったが、ともかく古典の一席をこなした。噺の持って行き方や間合いに少々ゆとりが欠けるが、くすぐりには今風の自分なりの工夫が凝らされ、現代の若者には分かり難くなった遊郭のことなどを上手に解き明かし、噺に織り込んで行く話芸も大したものだ。これですっかり兼好フアンになった。以後、欠かさず通うようになった。その後も時折、新宿の末廣に顔を出した時にのぞいたりするようになった。
 今年は落語家にとってもひどい年になった。マスクを掛けては噺は出来ない。寄席は閉鎖、独演会会場となるホールも次々に閉鎖である。入場料収入に頼る落語家にとってはまさに死活問題である。中小企業主に対して国や都の「コロナ休業補償金」が支払われているが、落語家のような「個人事業主」にはどうなっているのかなんて、余計な心配をしながら21日夜の半年ぶりの高座を聞いた。
 暦の上では秋とは言いながら連日35℃を越す猛暑。それに合わせて演し物は「船徳」。この噺は名人8代目桂文楽(1971年没、79歳)の十八番である。これに挑戦するだけでもエライが、兼好は立派に演じた。噺は黒門町文楽の流れを素直に受け継いで、しかも現代の聴衆にも分かり易く、スピーディに賑やかに明るく演じ切った。
 はねて、近くの鰻屋「心天」に行く。台湾人のリンさんが切り盛りする店だ。白焼で〆張鶴の冷やをきゅーっと呷り、良い気持になって台湾流味付けなのか、やや濃厚な蒲焼の鰻重に満足して此の夜はお開き。
 水天宮から半蔵門線で渋谷へ出て横浜へ帰るはずであったが、いつも地下にもぐる六番入口が工事中閉鎖。交差点を渡って重盛人形焼の方から地下に入ってぐるりと回っているウチに方向感覚が狂った。来た電車に乗って座ってうとうとして、止まった駅の看板を見ると「住吉」。なんと反対の電車に乗ってしまったのだ。こうなりゃ仕方がない。そのまま錦糸町まで行って、JR横須賀線で帰ろうと決めた。
 錦糸町駅前は久しぶりだ。「コロナ外出自粛」の呼びかけにもかかわらず、午後10時45分というのに結構な人出である。「コロナ自粛」にうんざりして出て来てしまう人が増えているのではないか。かく申す我が輩も同じだなと、駅前広場を突っ切っていたら、小柄な女人がするすると近寄って来て寄り添い、「コンバンハ」と言う。色は浅黒いがキュートな婦人だ。もう娘とは言えず、三十末か。可愛らしさを残しながらも後れ毛にやつれも見える。フィリピンか、中国南方か。こんなジイサンにまですがってくるのか。コロナ禍で客足が遠のいていると聞くけれど、こうしたところにまで響いているんだなあと思う。「急いでるからね、ごめんね」と言って、千円札を握らせて改札口を入った。
  駅前の夜の雑踏秋暑し    酒呑洞水牛   (20.08.23.)
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2020年08月19日

俳句日記 (613)


健康診断

 「すごいわねえ、Oさん、やればできるじゃないですか。中性脂肪516だったのが216になりましたよ、GOTは51が許容範囲の39になったし、ALT(GPT)も49、γGTPも67だったのが42になってます。どれも正常値からするとまだまだですけど、とにかく素晴らしいカイゼンだわ」と、娘のような女副院長に褒められた。先月末に受けた血液検査の結果を今日聞きに行ったのである。
 現役の頃は「定年まで生きられりゃあ御の字だ」とうそぶいて、好き勝手をやり、暴飲暴食の自覚もせぬまま吞んだり食べたりしていた。会社の定期健康診断はすっぽかし、厚生部長にあれこれ小言をくらった。それが退職して呑気な暮らしに入ると「まあ70まで生きられりゃ御の字だ」に変わり、人間ドックに入ったりするようになった。そして80歳を越えた。こうなると欲が出て来る。
 近所の赤尾クリニックという、まだ若い夫婦で院長、副院長をやっている内科クリニックで、進められるままに定期健診を受けるようになった。そのくせ食い意地は人一倍、飲酒量はウン倍という我が儘が治まらない。これでは健診もへったくれも無いではないかと、時々反省するのだが、どうにも直らない。
 この赤尾クリニックの院長・副院長夫妻はまだ50歳前だろう、若々しい。そして実に明るい。診てもらい、言葉を交わしているだけでこちらが元気になってくる。副院長の奥さん先生のオジイサンが地元の名物内科医で、この人に掛かっていたのだからもう随分長い付き合いである。副院長先生が医大で同級生の赤尾先生に惚れて一緒になり、オジイサンが亡くなって一旦閉めていた医院を4,5年前に再開したのである。ご亭主の院長先生は若いに似ず話の分かった人で、「80を越えて酒を止めろ、好きな物を喰うなと言って、それでたとえ二、三年命を延ばしたって、大した事はありませんよね」などと聴診器を当てながら言う。いやあ、この先生いいなあと惚れ込んだ。
 6月3日、この日は女先生の日だった。「どうも胃が重っ苦しいんです。ボーッとして、朝起きられなくなって、足が重いし、滅茶苦茶に肩が凝るし」と訴えると、「また酒量が増えているんじゃないんですか。足見せてご覧なさい。ほら、こんなにむくんじゃって、明らかに飲み過ぎ、辛い物の食べ過ぎです。血液検査しましょ」と血を採られた。そのまま忘れて、7月初めに結果を聞きに言ったら、「予想を超える酷さです。中性脂肪516なんてひどすぎます。肝機能も大分衰えています。それにね、ここにQとあるのが何か分かりますか。これはね、検体として採った血液に脂が混入していてうまく検査できません、ということなんですよ。つまりね、貴方の血液には脂がぎらぎら浮いてるってことなんです。7月末にもう一度検査しましょう」。
 いやあこれには参った。身体の中をどくどく回っている血の中に脂肪が浮いている状態というのは想像もつかないが、なんとなく恐ろしげである。
 指定された検査日は7月29日。よし女先生の言うように禁酒が効くかどうかやってみようと、酒棚を封印した。以後23日間、禁酒を実行した。15,6歳から本格的に酒を飲み始めて83歳に至るまで、これほど長期間禁酒したのは初めてである。
 7月29日に採血に出かけて、「何しろ23日間吞まなかったんだからな。これでもしいい結果が出なかったから、オレも田子ノ浦親方になる」と腕をまくったら、採血する看護師がぷっと噴き出した。その数日前、外出自粛のお触れの下で田子ノ浦親方が飲み屋で焼酎水割り50数杯吞んで泥酔した写真が出回って大騒ぎになっていたのである。
 まあこんな経緯があっての採血だったが、その結果を聞きに行くのが恐ろしくてずるずる伸ばしになっていた。そんなことがわだかまりになっているものだから、さっさと片付けなければならない俳句会報の原稿書きに気が載らず、どうでもいいメール連句の遣り取りに気を紛らわしたりしているのだった。
 「お盆明けでアカオ先生も始まったわね」という山の神の一声で、はっと思い出し、意を決して出かけた。結果は万々歳。吹く風も何となく涼しさが感じられる。明日からはまともになるぞーと、天狗米純米旨醇をぐいぐいあおる。
  健診の結果上々涼新た     酒呑洞水牛   (20.08.19.)
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2020年08月15日

俳句日記 (612)


75年たった敗戦忌

 令和2年8月15日。あの「耐え難きを耐え」の玉音放送から75年たった。なんだかコロナ蔓延騒ぎにかき消されてしまったような、まことにお座なりな慰霊祭であったし、マスコミの取り扱いぶりも型通りだった。お盆中日の繁華街はかなりの人出で、戦争のことはとうに忘れ去り、「コロナ自粛」ももうどうでもいいやといった感じであった。
 令和天皇はなんの感銘も与えない作文を読み上げただけだった。新鮮味を与えようとしたのか「コロナ禍に苦しむ現状」などを織り込んだ追悼文には、かえって「待って下さいよ」と言いたくなるようなシラケた思いを抱いた。
 現職閣僚の参拝がしばらく途絶えていた敗戦忌当日の靖国神社参拝が、どういうわけか4人の閣僚が参拝とあって驚かされた。小泉信次カ環境相、萩生田光一文部科学相、高市早苗総務相、そしてそんな大臣がいたのかと初めて知った衛藤晟一一億総活躍相の4人である。
 この4人の中で最も年寄りは衛藤一億ナントカ大臣の72歳、以下、高市59歳、萩生田56歳、小泉39歳である。つまり、敗戦当時には精子でも卵子でもなかった人たちだ。戦前から戦中の重苦しい圧政下の空気や戦後の一億総饑餓時代などを全く知らない世代である。「私費」であることを強調して玉串料を出した安倍晋三首相も65歳で、やはり戦無派世代である。
 この人たちの第二次戦争観が親たちや書物を通して得た知識に基づいたものであることは言うまでも無い。それが良い悪いではない。正しく伝えられた史観かどうなのかが問題なのである。
 この人たちの履歴、祖父・親世代の経歴を見るとなるほどなと思う点がある。この人たちの祖父・両親たちはおしなべて戦前戦後の一億総塗炭の苦しみに喘いでいた当時、特権階級として優雅な暮らしを送っていた人たちだということである。直接にそうしたいい目に合わなかったとしても、そういう権力者に手づるのあった人たちである。親類縁者に明治維新から唱和時代に至る間の指導者階層だった人物のいる人たちが多い。
 こういう人たちにしてみれば祖先のやったことは「多少の失敗はあったのかも知れないが、決して誤った道を歩んだわけではない。日本国を思う心は誰よりも熱かった」という思いがある。
 だからこういう人たちは「占領軍による戦争犯罪裁判はおかしい」という言い方をして、A級戦犯を「日本のために尽くした英霊」と崇める。本来は我々日本人の手で戦争犯罪人裁判を行い、これらA級戦犯に責任を取らせれば良かったのだが、あの敗戦時の混乱ではそれは到底望むべくもなかった。
 そうしたことをうやむやにして、今ではあの太平洋戦争を美化し、ゲーム感覚であれこれ論じる若者も多くなっている。
 良くないことに中国が覇権主義的動きを強め、軍備増強、海洋進出・領土拡張、発展途上国の中に親中ムードを広げる工作を活発化している。ロシアも覇権に動き出している。韓国は対日強硬策を国内世論操縦に利用している。こうした諸外国の動きが、日本人の第二次大戦史観に大きな影響を及ぼし始めた。
 本来は靖国神社という今や一宗教法人に過ぎない神社への閣僚参拝是か非かなどとという問題ではなく、兵士も戦災犠牲者も含めた国立の「戦争犠牲者慰霊墓園」を作って、不戦の誓いをすべき時なのに、その空気は年々薄らいで行くようなのが真に恐ろしい。
  コロナ禍に覆はれてしまひ敗戦忌   酒呑洞水牛
(20.08.15.)
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2020年08月06日

俳句にならない日記 (31)


コロナ禍のお盆帰省

 新型コロナウイルス感染症の蔓延が続く中で“民族大移動週間”が始まる。月遅れ盆の帰省ラッシュ。今年は8日(土)から16日(日)までがそれに当たる。しかし、これに対する、政府、地方自治体、医療専門家会議などの対処方針には食い違いが見られる。皆勝手なことを言い合い、わけがわからなくなっている。
 こういう時に断を下すのが総理大臣なのだが、あれほど記者会見でぺらぺら喋るのが好きなアベさんが、どうした訳かこのところ記者会見どころか、全く姿を現さない。「こりゃ何だかおかしいゾ」という声があちこちから湧き上がりつつ、日本列島がぷかぷか漂流し始めた不気味な感じが漂い始めた。
 自民党政権はコロナ蔓延下にも拘わらず「皆さん補助金さし上げますから旅行しましょう」というGo Toキャンペーンなるものを推進している。その一方で、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は5日夕、臨時記者会見を開いて「高齢者への感染につながらないよう(お盆帰省には)注意をお願いします」と、旅行自粛を呼びかけた。すると、それを追い掛けて西村某大臣は記者会見で「お盆休みの帰省に一律自粛を求めるものではない」と、自身が管轄する分科会会長の発言を打ち消す始末である。
 お盆の帰省とは何か。家族一同集まって、両親、おじいちゃんおばあちゃん共々、ご先祖様の霊を慰め、一同の無事を喜び合う祭事である。それを、「年寄りとの接触はできるだけ避けるように」などと言う。それでは何のためのお盆帰省かということになる。そんなことを言うくらいなら、はなから「今年のお盆帰省は止めましょう」と言えばいいのだ。運輸観光業界からいくら貰っているのか知らないが、片方では「GoToキャンペーンは続行」と言う。
 閣僚や政府機関関係者の発言が食い違うという混乱一つとっても、最早、安倍政権は政府の体を成していない。首相が陣頭指揮を執れなくなっていることが原因だとしたら、一刻も早く総辞職すべきであろう。後釜に座ってちゃんとやって行けそうな人物は自民党内にも野党にも見当たらないが、「狂瀾を既倒に廻す」ということもある。一度滅茶苦茶な大混乱状態に落ち込んで、一億二千万人が辛き目に遭って、そこから日本国を立て直す。大げさでは無く、それくらいの覚悟を持って臨むべき時がきたのではないか。 (2020.08.06.)
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2020年08月02日

俳句日記 (611)


大相撲コロナ場所大団円

 もしかしたらと思っていたことが本当になって、コロナ騒ぎの7月場所は幕尻の照ノ富士が堂々の復活劇を演じて千秋楽となった。
 コロナ禍の下で開かれた7月場所は場所前の出稽古禁止で訓練不足がありありの力士もかなりいて、中日辺りまでは身体が十分に動かず黒星を重ねる力士が目立った。一方で同部屋に関取衆が沢山いる佐渡ヶ嶽部屋の力士たちは稽古も十分に出来ていたのだろう、序盤から中盤にかけては当たる所敵無しといった感じだった。
 初日の7月19日、この欄で「何とも水っぽい勝負ばかり」と書いた。横綱鶴竜が不様な独り相撲を取って遠藤に敗れ二日目から休場、第一人者の白鵬も曲者でも何でもない隠岐の海に手間取るなど、ぎごちない相撲で先行きが危ぶまれた。白鵬は自力が優れているからその後何とか持ち直したが、やはり終盤に力尽き休場してしまった。そうした中で、唯一の楽しみが照ノ富士だった。
 7月19日の「水牛のつぶやき」にはこう書いてある。
 「そんな中で、大関から陥落して序二段にまで下がり、二年半かけてようやく幕内に戻って来た照ノ富士が、苦手の琴勇輝を落着いて押し出したのが、我が事のように嬉しかった。とんとんと大関に駆け上がった頃の照ノ富士は力任せの相撲で、しかも傲岸不遜、とても応援したくなるような力士ではなかったが、地獄から這い上がって来た彼は人が変わったようで、取り口も理詰めになっている。爆弾を抱えている両膝を痛めずに、大事に取れば今場所はかなりの好成績を上げそうだ。これだけが楽しみである。」
 初日から勝ち進んできたが、五日目に元大関の高安とがっぷり組んで負けてしまった。ああ回復具合もこの程度だったのかと正直落胆したところが、その翌日から人が変わったように勝星を重ね、いつの間にか優勝戦線のトップに躍り出た。新大関朝の山との相撲など、どちらが大関かと思うような堂々たる勝利。十四日目の正代戦はうまさにしてやられた感じだが、弟弟子の照強が朝の山を引っ繰り返す援護射撃によって、大いなる安心感を得て、千秋楽の関脇御嶽海は無念無想、自分得意の左上手をさっと引く寄りで完璧な横綱相撲を取り切った。
 優勝インタビューが実に良かった。「いろんなことがあって・・、最後にこうやって笑える日が来ることがあると信じてやってきました。一生懸命やったらいいことがあると・・、やって来たことを信じてやるだけだと思ってやりました」
 今年初場所で幕尻の徳勝龍が優勝したが、これは相撲協会もあれよと言う間の出来事で、上位と当たらず仕舞でかっさらってしまったものである。しかし、今回の照ノ富士は違う。十二日目に九枚目の好調玉鷲にぶつけられた。これを破ると、翌十三日目は何と優勝争い相手の大関朝の山である。横綱不在の今場所は朝の山が最高位力士であり、幕尻が結びの一番で取ることになった。そしてその大関を撃破したのである。十四日目には関脇正代に破れはしたが、千秋楽には関脇御嶽海を堂々寄り切って優勝を決めた。
 これはもう立派な大関相撲である。来場所の番付(8月31日発表)では当然、小結にすべき値打ちがある。しかし、前例踏襲の因循姑息な相撲協会のことだから、幕尻力士だからと前頭二、三枚目あたりに据えるのではなかろうか。それでもまあ、地獄を覗いて辛酸嘗め尽くした照ノ富士は秋場所もしっかりした相撲を取ってくれるだろう。
  ようやくに梅雨の明けたり照ノ富士   酒呑洞水牛
(20.08.02.)
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俳句日記 (610)


番町喜楽会第175例会

 8月1日(土)午後6時、千代田区九段下の千代田区立生涯学習館で番町喜楽会の例会が開かれた。コロナ禍による会場閉鎖であれこれの句会や集まりが軒並み「中止→メールに変更」となる中で、唯一ここだけが会議室を貸してくれて、句会が開ける。マスク着用、入口で消毒用アルコールによる手の消毒、検温、入室者名簿の提出、終わったら使用したテーブルをアルコールで拭くことと、あれこれ注文がつくが、この節集会を開かせてくれるだけで有難い。
 このところ新型コロナウイルスが再び暴れ出したようで、都内では新規感染者が連日4百人台後半に上っている。明らかに「第二波」が始まっているものと思われる。こうした数字を見れば誰しも気にするのは当然で、この夜の句会の出席者は11名に留まり、10名が投句参加となった。
 兼題は「夜の秋」と「新蕎麦」。投句5句選句7句で句会を進めたところ、以下のような結果になった。
「夜の秋」
ふたりいてひとりの孤独夜の秋    斉山 満智(5点)
老犬のゆたかないびき夜の秋     金田 青水(4点)
上掛けを足して丸まる夜の秋     高井 百子(3点)
風呂の窓半分閉めて夜の秋      嵐田 双歩(3点)
ポロシャツの短き袖に夜の秋     池内 的中(3点)
カルヴァドス含めば甘し夜の秋    廣田 可升(3点)
「新蕎麦」
父の忌は二八新蕎麦越の酒      前島 幻水(5点)
新蕎麦やくぐる暖簾の武田菱     谷川 水馬(4点)
新蕎麦を噛みしめてゐる卒寿かな   嵐田 双歩(3点)
新蕎麦を供へ写真に語りかけ     嵐田 双歩(3点)
「当季雑詠」
長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜    大澤 水牛(6点)
ステテコの中途半端を愛しけり    玉田春陽子(5点)
名ばかりの富士見坂なり大夕焼    廣田 可升(4点)
 水牛としては、「夜の秋のそこはかしろばなさるすべり」が一番良く出来たと思っていたのだが、これは零点で、一番安易だと思っていた「長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜」が6点も取って最高点になるという予想外の結果となった。「しろばなさるすべり」は、「よのあきの」などと気取った詠み方がいけなかった。素直に「よるのあき」で切りを入れておくできだった。やはり思い入れが激しすぎたのであろう、独りよがりの句になっていたようである。(20.08.02.)
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2020年07月19日

俳句日記 (609)


大相撲コロナ場所

 三月の春場所が無観客開催、5月の夏場所は中止。それがようやく今日7月19日、名古屋開催を両国国技館に変更して開催された。土俵下の砂被りには客を入れず、桟敷席(マス席)も4人分を1人にするという形で合計2500人と絞りはしたが、兎に角、観客を入れての開催となった。半年ぶりである。
 しかし、贔屓力士の四股名を大声で叫ぶ声援は御法度で、拍手だけというお行儀の良さで、もう一つ盛り上がらない。桟敷席での酒食も禁止というから、まだまだ本来の相撲見物の盛り上がりや熱気に欠ける。
 それでも久しぶりの本場所。初日の今日はテレビ中継が始まった午後3時から6時前の結びの一番までじっくり見た。その感想は、「何とも水っぽい勝負ばかり」であった。
 何しろ、立ち上がって先手を取った方が一方的に勝つ。相手の鋭鋒を躱し、防御の末に隙をついて反撃し逆転勝利をおさめるといった熱の籠もった取組がほとんど見られなかった。この原因は、場所前の稽古不足にあるようだ。
 ウイルス感染防止のために、相撲協会は場所前の出稽古を禁じてしまった。力士は自分の所属する部屋で稽古するだけ。それも実際に相撲を取っての実戦稽古は直前のほんの二週間ほどだった。皆々、四股を踏んだり、バーベル運動をやったりの独り稽古ばかり。ようやく相撲を取ることが許されても、各部屋合同の稽古は禁止、互いの部屋を訪問し合って、実力者同士が手合わせする出稽古もダメ。こうなると、関取の多い大部屋の力士は稽古相手が多いからまだいいが、十両以上の関取は自分一人だけという小部屋の力士は稽古相手が幕下以下の取的ばかりとなる。
 といった塩梅で本場所を迎えたから、各力士とも稽古不足の不安を抱えたまま、対戦相手の調子も分からない状態で土俵に上がる。出たとこ勝負、おっかなびっくりでハッケヨイとなる。軍配が引かれ立ち上がった瞬間、タイミングがぴたりと合った方がそのまま押し込んだり、まわしを掴んで有利な体勢を作ると、そのまま勝負を決する。そんな取組ばかりが続いた。
 横綱鶴竜が前頭筆頭遠藤に破れたが、何の事は無い、鶴竜が不用意に遠藤の足を蹴る「裾払い」を仕掛けたのが空を切り、自分から腰砕けになってしまったのだ。これなども事前の出稽古禁止などによる稽古不足が原因を為していることは間違い無い。常勝横綱白鵬だって、これまで22回対戦して1回しか負けていない隠岐の海を相手に勝ちはしたが、ぎごちない相撲を取っていた。
 そんな中で、大関から陥落して序二段にまで下がり、二年半かけてようやく幕内に戻って来た照ノ富士が、苦手の琴勇輝を落着いて押し出したのが、我が事のように嬉しかった。とんとんと大関に駆け上がった頃の照ノ富士は力任せの相撲で、しかも傲岸不遜、とても応援したくなるような力士ではなかったが、地獄から這い上がって来た彼は人が変わったようで、取り口も理詰めになっている。爆弾を抱えている両膝を痛めずに、大事に取れば今場所はかなりの好成績を上げそうだ。これだけが楽しみである。
  大マスク行き交ふ七月国技館   酒呑洞水牛
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2020年07月18日

俳句にならない日記 (30)


Go to hell ! (続き)

 案の定であった。「Go To トラベル」キャンペーンを「コロナ禍による打撃をはね返す起爆剤」としたアベ政権は、ウイルス感染者の急増という事態を受けて巻き起こった地方都市側の反対や懸念の声と世論の総スカンの前に、あえなく屈した。屈したのならいさぎよく「実施は感染収束が見えるまで延期」とすれば良いものを、16日夜になって「東京都だけを除外」し「予定通り7月22日から実施」という、実に中途半端で分かり難い決定を下した。
 これは大きな禍根を残した。もしかしたら、これによって政権の命運が尽きるかも知れない。
 「東京都民の旅行には補助金を出さない」のは同じ日本国民の間に差別を生むことになる。旅行補助金の原資は国民の税金である。都民も他県民も同じように税金を納めているのに、その再配分とも言うべき補助金に都民だけがあずかれない。そういうことを政府がやって良いものなのかどうか。これが問題の第一。
 コロナ感染者は東京都が連日200人台と圧倒的に多いが、大阪府も80人台、神奈川県も50人台と随分増えている。埼玉、千葉も増えている。人口比で言えば東京と大差無い感染率である。これら多発地域からの旅行者には補助金が出る。つまり、「さあ旅行費の半額上げますよ、どんどん旅行して下さい」と奨励しているのだ。東京都民だけを足止めして、これら地域から無症状のウイルス感染者がどんどん出かけて地方にウイルスを拡散する恐れは無いと言えるのか。これが問題の第二。
 第三は既に旅行の予約を済ませた都民が沢山いることだ。この人たちがキャンセルした場合のキャンセル料について国は面倒を見ないという。それはまあ仕方がないことかも知れない。キャンセル料は旅行会社や旅館などによって扱い方がばらばらだと言うし、またそうした個人的な取引に生じた損害を一々国が補填するには法律上や事務処理上の問題が多々生じるだろうからである。となると、早手回しに予約した人はかなり損害を蒙り、これは政権に対する「深い恨み」となって残る。一方、都民観光客を当て込んだ旅行会社、ホテル、旅館、各種観光施設は、都民が来ないとなって準備が水泡に帰す。これまた政権に対して恨みを抱く。
 これらをどのように捌いて行くのか。「やはり、Go To トラベル・キャンペーンは全国一斉で中止とすべきだった」と後から嘆いてももう遅い。(20.07.18.)
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2020年07月14日

俳句にならない日記 (29)


Go to hell !

 安倍政権のダメさ加減についてはこれまでさんざんつぶやいて来たが、新型コロナウイルスへの対応ぶりについては、それほど厳しいことは言わなかった。誰が指揮を執ろうと、相手は未知のウイルスであり、感染拡大を即座に止めることなど出来ようはずは無いからである。後追いの弥縫策が目立ち、ことに側近の入知恵によるアベノマスク配布など、これが一国のソーリのやることかと呆れもした。しかし、日本国内のコロナ禍による犠牲者がこの程度で済んでいるのだから、結果オーライで、トランプ政権に比べたら「まずまず」ではないかとさえ思っていた。
 しかし、緊急事態宣言解除後のやり方が最悪である。経済の立て直しなどと恰好のいいことを言って、コロナ警戒のタガを一挙にゆるめてしまった。これまでの用心に用心を重ねて、国民に不自由を強いてきたことが、全くムダになりかねないほどの、「ウイルス再度の蔓延」状態を招いてしまったのだ。
 最悪の施策が「Go Toキャンペーン事業」である。意味不明の横文字を使って、いかにも良さそうな感じを与えようとしているのだが、政府の説明によると、「国内の人の流れと街のにぎわいを創出し地域を再活性化するための需要喚起」のために、「旅行事業者経由で旅行費用の半額補助」等を行う“Go To Travel”キャンペーンを中心に、令和二年度補正予算で1兆6794億円を計上し、観光・旅行業界をうるおすためにばらまこうという施策だ。
 確かにコロナ禍により日本全国の観光地は閑古鳥で、観光産業は手痛い打撃を受けている。これを救うための旅行需要喚起策は必要だろう。しかし、あまりにも時期が悪い。東京中心に神奈川、千葉、埼玉の首都圏では緊急事態宣言下と同じようなコロナ感染者が出始めたのだ。しかも政府はこのキャンペーンを8月4日から実施としていたのを、7月22日からに繰り上げるという。
 新規感染者が続々発生している首都圏の住民に、「旅行費半額補助ですよー、どんどんお出掛け下さーい」と鳴り物入りで送り出そうというのである。コロナ禍が折角沈静化し始めた地方都市としては気が気ではないだろう。「(コロナ感染症は)人がウイルスを運んで来ることで拡大する。リスクの高い地域から人が来ることを推進すれば、確実に感染者が発生する。今までの我慢が水泡に帰す」(青森県むつ市宮下宗一郎市長)という発言はまさにその通り。地方自治体の首長からは同様の発言が相次いでいる。現実には観光収入ゼロにあえぐ地方都市はどこも観光客の来訪を心から願っているはずだ。それなのに「Go Toキャンペーンは待ってくれ」と言わざるを得ない彼らの心中を中央の政治家と役人は汲み取らねばならない。
 それなのに安倍首相もナントカ国土交通相も「予定通り」と突っぱねる。今、これを引っ込めるとなると、それこそアベ政権崩壊に繋がりかねない心配があるからだろう。しかし、これを強行すれば、旅行費補助に釣られて首都圏から地方への旅行客が増え、その結果、地方の観光地などで新規感染者が続出という事態になる危険性は十分にある。そうなったとき、アベさんはどうするのだろう。
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2020年07月06日

俳句日記 (608)


番町喜楽会第174回例会

 東京都は小池都知事が新型コロナウイルス蔓延防止の“緊急アラート”を解いて以来、各区の市民活動の公共施設の使用禁止を解き、6月から貸会議室の使用も再開した。これによって、水牛の関係する句会の中で番町喜楽会だけは開けるようになった。嬉しい限りで、7月6日(月)夜も、九段下の生涯学習館に勇んで出かけた。
 九州地方は荒梅雨による豪雨、川の氾濫で大被害、関東地方も6日夜から7日にかけては十分に警戒が必要との予報。この嫌な天気に加え、一旦沈静化したコロナ感染者がまたぞろ多くなって、東京都は直近5日連続で新規感染者が100人を越している。こんな気分の悪いニュースが朝から流されていた。それも影響してかこの夜の句会出席者は13人といつもよりは少なかったが、一同そこぶる元気。
 本日の兼題は「夜濯ぎ」と「ビール」の二題で、これと雑詠含め5句を幹事に事前投句、幹事が選句表を作成して参加者にメール送信する。出席者はあらかじめ選句して会場に赴き、句会は披講から始める。欠席者は選句と選評を幹事にメール送信し、句会で出席者の披講が終わった段階で、幹事が欠席選句をまとめて発表する。今回もいつもと同じような方式で句会が進んだ。選句の結果、高点句は以下の如し。
 《天・8点》青田風マスク外して深呼吸     金田 青水
 《地・6点》市松に座る映画や梅雨寒し     廣田 可升
 《人・5点》夜濯や教師の母の背のまるし    高井 百子
       夜濯ぎや背番号なきユニフォーム  玉田春陽子
       鰺寿司とビールの車窓伊豆の海   中村 迷哲
       桑の実の熟れて蚕の里廃る     高井 百子
       この頃は客人もなし螢草      高井 百子
       口下手は父親譲り山椒魚      谷川 水馬
 さて、水牛句は、
  夜濯ぎや背伸びで星がつかめそう   (1点)
  ビール祭五リットルジョッキ挙ぐ娘
  処方箋にビール書き足すチェコの医師 (3点)
  梅雨海峡義経一行蝦夷目指す     (1点)
  酒冷やす山椒鰊の漬かり頃      (1点)
と低空飛行だった。 (20.07.06.)

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2020年07月01日

俳句日記 (607)


本日は七十二候の半夏生

 世田谷に住んでいる句友のコウメイが、「散歩の途中に水牛の菩提寺の九品仏に寄ったら庭石の上に猫が昼寝していた」という随想を句会の月報に送ってきた。それで、ああそうだ九品仏の半夏は生えたかな、コロナ予防を口実にもう随分久しく墓詣りをさぼっているなということを思い出した。
 今日は暦の七十二候の「半夏生」である。半夏生などと言っても若い人には全然通じない。年寄りだって知らない人の方が多いに違いない。この言葉は半夏(はんげ=カラスビシャク)というサトイモ科の薬草が生える時期を示している。半夏は藪陰や道端、畑に生える地味な雑草で、高さ二〇センチ内外の茎の先にマムシグサや水芭蕉やカラーのような仏炎苞(手の平をすぼめたような、仏像の光背のような形の花)を咲かせる。この根茎を乾燥したものが半夏で、胸のつかえ、胸焼け、消化不良、二日酔などに効能があり、漢方薬の「半夏瀉心湯」や「小青竜湯」に配合されている。「半夏生」とは「半夏の生ずる頃」という暦の言葉なのである。今日のカレンダーで言えば7月1日か2日になる。
 昔の暦は新月の日を1日(朔日・ついたち)と定め、満月の15日を経てまた月の見えなくなる月末を29日あるいは30日(みそか)として、一ヵ月とした。それを十二回繰り返すとまた元の季節に還る。これが太陰暦というもので、中国古代王朝夏(紀元前二一〇〇年〜前一六〇〇年)の末にはもう流布されていたようだ。
 しかし月の運行と太陽の運行にはずれがある。太陽は約365日で一年だが、月の一年は約355日しか無い。春夏秋冬の移り変わり、季節の気象変化、温度変化は太陽の及ぼすものだから、月の動きに基づく太陰暦に従うと、暦の上の日付と季節変化が一年で十日程度ずれてしまう。このズレは3年でほぼ一ヵ月になり、18年放っておけば真夏に正月が来てしまう。
 暦というものは帝王が民に生活の基準、指針を示す予定表である。何月何日にはこれこれをすべし、と教える計画表だ。しかし月の運行に基づく太陰暦の6月5日に「稲を蒔きなさい(あるいは早苗を植えなさい)」と教えたとする。その年はそれで良かったが、翌年の6月5日の所に「稲を植えよ」と書くとどうなるか。前年に比べ周囲の気温がやや低くて、植えた苗がいじけているようだ。その翌年の6月5日に植えたらどうなるか。その翌年はどうか。もう植えた苗は低温で枯れてしまうだろう。太陽暦に比べて一年に10日ずつ季節を先取りしてしまうのだから無理も無い。
 この不都合を解消するために、古代帝王は暦学博士を糾合して研究させた。太陽の動きを計測して、真東から上がり真西に沈む日を春分、秋分と定め、日が最も短くなる日を冬至、最も長くなる日を夏至と名付けてこの四つを基準に、15日ずつに区切って季節の特徴を示す名前を付けた。これを「二十四節気」と定め、それをさらに五日ずつに細分化したものを「七十二候」と名付け、太陰暦の中にはめ込んだ。こうすると、稲など禾(ノギ)のある穀物を蒔いたり植えたりにふさわしい「芒種(ぼうしゅ)」という日は、ある年は6月5日になり、ある年は6月15日になっても、暦に「芒種」と明記しておけば農民は間違えずに済む。こうして出来たのが太陰太陽暦で、夏王朝の次の殷(商)王朝(前16世紀〜前1023年)には実用化されていた。この暦が7世紀中頃、天智天皇の時代に漏刻(水時計)と共に中国からもたらされ、以後、明治5年までこの太陰太陽暦が連綿として用いられてきた。
 その頃の日本で最も重大視されていたのが米作りである。中でも大切なのが「田植」。田植の時期を失すれば大変なことになる。旧暦5月初めの「芒種」に始まる田植は、「夏至」を過ぎて11日目の「半夏生」までに何としてでも終えねばならなかった。何らかの事情でこの日まで田植が出来ない家は、「半夏半作」と言われて馬鹿にされた。半分しか実らないというわけである。また、半夏生の頃は梅雨の真っ最中だが、この日の天気で以後の半年を占う風習もあり、この日がひどい雨だと「半夏雨」と称して、秋の台風水害への用心を心掛けた。
 半夏生の日から五日間は農事を一切休み、近畿地方の農家では蛸を食べて祝い、讃岐ではうどんを打ち、若狹では焼鯖で一杯やるといった、地方地方での祝い事が行われた。早春の田起こしに始まって、何度かの春耕、苗代づくり、田植と続く、米作りの第一段階を終えるのが、この「半夏生」なのである。
 縄文後期から三千年あまりも続いて来た米作り日本だが、今や米の有難味をあまり感じない世の中になってしまった。「半夏生」という季語もすっかりカビが生えてしまったようだ。
 コロナ禍に輪をかけるなよ半夏雨   酒呑洞
(2020.07.01.)
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2020年06月21日

俳句にならない日記 (28)


セキニンツウカン総理

 「任命した者として責任を痛感しております」。いつでもこれだ。下手糞な落語家の面白くもないクスグリと同じで、うんざりしてしまう。憲政史上最長期間、総理大臣の椅子に座り続ける人が、これまでにこのセリフを何度繰り返したことか。記憶に新しい所では、河井前法相が妻案里参院議員の当選を図るために選挙カーのウグイス嬢に法定以上の報酬を支払った公選法違反容疑を暴露され、法相就任わずか50日で辞任した時、新型コロナ感染防止のために特別警戒宣言が出されている中で、密室で賭け麻雀をやっていたことが報じられて黒川東京高検検事長が辞職した時、そして、今回、河井前法相と妻案里参院議員がそろって公職選挙法違反(買収)容疑で逮捕された時である。
 「任命した者として責任を痛感しております」
 責任を痛感したのなら、どう責任を取るのか。
 「未曾有のコロナ禍に対処し、危機に瀕している日本経済を立て直すことです」とかなんとか言って居るようだが、国民の大多数は「あんたにそんなことが出来るはずがない」と思っている。これまでの例から見て、人心掌握に破綻を来した為政者が素晴らしい政策を打ち出して、それを実行出来たという実例は無い。
 6月21日に発表された共同通信の世論調査の結果を見ても、安倍内閣の支持率は続落し36%に下がっている。最近の各新聞、テレビの世論調査でも軒並み支持率は下落し、中には20%台に落ち込んでいるものもある。
 しかし、困ったことに安倍政権はコロナ騒ぎのどさくさに紛れてとしか言いようがないのだが、大金を握ってしまった。国家予算の「予備費」として前代未聞の10兆円という膨大なカネを計上し、数の力で国会をねじ伏せてそれを認めさせてしまったのだ。予備費とは国会に一々諮らずに首相の思うがまま使える金である。
 生半可な金額ではない。10兆円と言えば、全自衛隊の経費、つまり日本の防衛費のざっと二倍である。自然環境保護、公害防止、地球温暖化防止策等に使う環境保護保全予算の5倍以上である。死に体となったソーリがこれを、頽勢挽回、人気取りのためにばらまいたらどうなるか。あぶく銭を得てほくそ笑む輩が沢山出るだろうが、日本の経済、社会は滅茶苦茶になり、未来永劫災いを残す恐れが多分にある。
 こうなったらもう贅沢は言っていられない。誰でもいい。ぶよーんと育った広島牡蠣みたいな岸田政調会長だろうが、因幡の黒うさぎだかガマガエルだか、いかにも地味っぽい石破ダンナでも誰でもいい。ニンメイセキニンツウカン総理に比べれば、誰であろうが、日本の世の中もうすこしすっきりした感じになりそうだ。(20.06.21.)
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2020年06月18日

俳句にならない日記 (27)


防空意識の希薄

 新型コロナウイルスはあまり恐ろしく無いのだが、17日早朝から仙台上空を浮遊した「白い球体」にはぞっとした。NHKを始めテレビや新聞がいわゆる「社会面ダネ」の扱いで、「ふわふわ漂って夕方には太平洋上に出て見えなくなりました」と面白いものが現れたという報道の仕方だったのがどうにも気になった。ましてや「あれは何ですか」と問い合わせを受けた国土交通省(気象・空港・航路管理の責任官庁)や警察、防衛省(自衛隊)が「なんだか分かりません」と答え、何も行動を起こさなかったことに心底寒気を感じた。
 日本政府と、国土を守る責務のある自衛隊と警察に、防空意識のかけらもない事が分かって恐ろしくなったのである。
 実体は大したことないものだったのかも知れない。多分、バカなヤツの大掛かりないたずらの類なのだろう。しかし、こういうものを偏西風に乗せて日本上空に飛ばした時、日本政府と自衛隊、警察、そして日本国民がどんな反応を見せるだろうかと考えたX国の仕業ではないのかと考える人が日本政府部内に何人かいても良さそうなものだ、と思った。全世帯にくまなくマスクを配るほど気の付く人がいるのなら、こういう不審浮遊物体が発見されたらすぐに追尾指令を発し、洋上に出た所で爆破墜落せしめ回収して、分析するなどすべきではないか。
 18日以降、そうした行動に出るのかも知れないが、18日未明現在、そんな動きは見当たらず、ただ「不思議なものが空中浮遊していました」という話題提供だけで済ませている。
 75,6年前、敗色濃厚になった大日本帝国陸海軍は「最終兵器」なるものをあれこれ考えては促成し、不完全なまま実戦に配備した。敵艦に到達できる程度の燃料だけを積みあとは爆弾を目一杯積んだ特攻機、操縦する人間を乗せて命中精度を高めようと図った人間魚雷などなど。その一つが「風船爆弾」。日本特産の和紙とコンニャク糊で拵えた大きな風船に爆弾を吊り下げ、千葉から茨城にかけての海岸の小高い丘から飛ばし偏西風に乗せて米国大陸を攻撃したのである。実際に何発かは米西海岸に到達し、課外活動でピクニックに出た小学生と女先生を殺傷するなどの「戦果」をもたらした。一時は全米を震え上がらせ、風船爆弾を西海岸洋上で撃ち落とすために戦闘機が大量配備され、そのため対日攻撃作戦の予定が一週間程度遅れたという報告もある。
 対流圏(地上から⒈万数千メートルくらいまでの空気層)を常に西から東へ流れる偏西風。8千から⒈万メートルくらいの所では時速30キロから時には100キロ近い猛スピードで西から東へ吹く。風船爆弾はこれに乗せたのだ。17日の怪気球は高度2千メートルだったというから、これほどの風速ではなく、ゆるやかな偏西風だったために太平洋に流されるまで長時間、日本上空に浮遊していたのだろう。
 75年前と比べれば技術は高度化しており、風船の素材も進化している。日本上空で高度をぐんと下げて、コロナウイルスだろうが何だろうが撒き散らすことなどさしたる難事ではない。
 政府は今回の怪気球について、国民の間にパニックを起こさないように「笑い話」として済まそうとしたのだろうか。それならばまだ良いのだが、ノーテンキで本当に「分かりません」というのだとしたら、これは実に恐ろしい。
 日米安保条約など米国との取り決めで、「日本の空」はアメリカにすっかりお委せにしてある。航空路を定める権限すら日本政府にはない。しかし、「お委せ」していたアメリカがこのところ何となく頼りなくなってきた。日本の安全はどうなるのだろう。「だから憲法改正、軍事力強化」という動きにも賛成する気持にはなれないのだが。(20.06.18.)
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2020年06月13日

俳句にならない日記 (26)


さようなら東京五輪

 コロナ騒ぎでむしゃくしゃが募る中で、唯一「コロナのお蔭」と有難く思うのが、権勢欲・物欲に塗れた東京オリンピックが中止に追い込まれそうな雲行きになったことである。森喜朗さんも、安倍晋三さんも、ここら辺で潔く「止めましょう」と言ってはいかがか。
 東京五輪はコロナ騒ぎで一年延期し、2021年7月23日から8月8日に開催することになっている。中国を震源地に今年2月から世界中を震え上がらせてきた新型コロナウイルス感染症は、5月以降、中国、韓国はじめ欧州各国での蔓延が収まり、アメリカでは第二次流行が始まったとも言われているが、何とか押さえ込めそうな様子も見えて来た。日本もパニックに陥らずに済む程度には押さえ込むことが出来るようになった。「これならば、来年夏の東京オリンピックは大丈夫だろう」という楽観論もぽつぽつ芽生えている。
 国際オリンピック委員会(IOC)は6月11日、「目標に向けて100%集中しており、それ以外のことは単なる憶測である」という声明を発表した。「中止論」を真っ向から打ち消す力強い声明である。
 しかし、IOCというのはかなりいい加減な組織であることが、東京五輪の一年延期決定に至る経過ではっきりした。世界中が「無理だ」と唱えていたのに、最後の最後まで今年7月に予定通り東京五輪を開催すると言い張っていたのである。今度も、今年末か来年春辺りに「やっぱり中止」と言い出すのではないか。
 中止せざるを得ないと思う最大の要因は、やはり新型コロナウイルスである。先進国ではなんとか押さえ込めそうな感じになってきたが、医学専門家の多くは第二波、三波と二,三年続きそうだと見ている。もう一つ怖いのは、中南米や南アジア、アフリカなど医療・防疫体制が脆弱な地域に感染が広がって来たことである。こういう地域からのコロナウイルスの“再持ち込み”が大きな懸念となる。何しろオリンピックとはそのマークの示すように五大陸の人間が集う祭典である。
 「東京五輪に参加出来るのは国民10万人当たりのコロナ感染者0.5人以下の国に限る」といった規定を設ければ、“コロナを押さえ込んだエリート国の祭典”が開けるだろう。しかし、感染者確認手法が各国まちまちの現状では、この線引きが正しく行われるとは到底考えられず、「除外」処分を受けた国からの猛反発も予想され、この「線引き」はとても実行出来ない。それでは検査などは一切行わないということになれば、先進国の中から「参加辞退」が現れるだろう。
 もう一つのというか、これが最大の問題なのだが、参加選手の「選考」が出来ない現状である。各国の各競技の代表選手の選考を行う競技会、試合がコロナ騒ぎによって出来なくなっている。既に東京五輪の代表選考を早々と終えた競技団体の中には、一年のブランクの中で代表選手とそうでない選手との間で順位が逆転しているケースが出ているのではなかろうか。また、代表に選ばれた競技者自身としても、コロナ禍による環境激変で自身の技倆を維持することに不安を感じている者も多いようだ。
 「走ったり、投げたり、跳んだり、泳いだりするのは単なる役者であり、誰が選ばれようとさしたる問題ではない」と、幕の陰に隠れているエコノミックアニマルの五輪主催者や、その下請けの企業人は考えているのかも知れない。「五輪」という壮大な儲け仕事が繰り広げられる過程では、金メダルを取るのがAであろうがBであろうが関係は無い。決められた手順で各国の競技団体が代表選手を決めて送り込んでくれればいい。しかし、その「役者」を選べず、派遣できないとなれば、金の亡者どもがいくら悪あがきしてもどうにもならない。コロナ禍という思ってもみなかった異変によって、それが現実の問題になってきた。
 安倍政権は、「簡素化」などと姑息な手段をあれこれ弄して、東京オリンピックをなんとか開催しようと苦心しているようだ。しかしそれは止めた方がいい。無理して強行すれば必ず大混乱を招く。それよりは、「本当のオリンピック」を再構築するための「四年の空白」を作ることがより大きな意味を持つ。(20.06.13.)
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