2019年11月11日

俳句日記 (543)


難解季語 (43)

目貼(めばり)

 昔の住宅は隙間だらけだった。第二次大戦の敗戦直後のバラック住宅などはひどいものだった。最近の地震、台風などに襲われた人たちの仮設住宅は昭和20年のバラックで過ごした身からすれば豪華住宅に見えるが、何くれと無く行き届いた住宅から避難して来た人たちにとってはやはりあれこれ不自由をかこつ住まいなのであろう。
 それはさておき、木造建築は建てた当座は扉や窓と柱はぴったり合わさり、ぴしゃりとしているが、年と共に材木が乾燥し、痩せて来るに連れて隙間が出来る。夏場は風通しが良くてむしろ都合が良いのだが、冬場になると隙間風が吹き込んできて大変だ。
 暖房と言っても昔は、田舎では囲炉裏、都会では炬燵に火鉢、裕福な家でストーブといったところだから、この隙間風というものが悩みの種だった。首筋や背中に隙間風が当たると、年寄りや幼い子供はたちまち風邪を引いてしまう。
 昔の家屋の大敵は「雨漏り」と「隙間風」だった。雨漏りを防ぐ為に村では屋根の修繕・葺き替えを順繰りに共同で行う「組」を作った。隙間風防ぎはそれほどの大工事にはならないので、それぞれの家が家族ぐるみで壁と柱の隙間に紙を貼り付ける「目貼」をした。東北、北陸、山陰など厳しい冬を過ごす地方では目貼は初冬の必須の作業だった。
 これに加えて、豪雪地帯では窓の外側に板を打ち付けて覆ってしまい、さらにその外側に吹雪を防ぎ止めるための柵を設けた。こうした防寒対策が施された東北北陸地方の人たちは12月から3月頃まで、暗い冬をじっと蹲って過ごした。だから、お日様が照って、雪が溶け、窓を開けることの出来る春は大いなる喜びである。「目貼剥ぐ」という春の季語には、北国の人たちの喜びがはちきれんばかりに籠もっている。
 しかし、今や日本全国住宅は完全暖房、コンクリート造とサッシ建具の普及で機密性の高い住宅になって、「目貼」の出番は全く無くなった。今日この頃、若い女性に「めばり」と聞けば、睫毛や目の回りにぎとぎとと塗りたくる墨のことかと言われてしまう。

 首の骨こつくり鳴らす目貼して    能村登四郎
 目張して空ゆく風を聞いてゐる    伊東 月草
 出稼村いよいよ無口目貼して     仲村美智子

 ひもじいよ目貼の糊を舐めてゐる   酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 22:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月10日

俳句日記 (542)


酔吟会第143回例会は「短日」と「切干」
24名参加の大盛況

 11月9日(土)午後1時から東京・内神田の日経広告研究所会議室で第143回酔吟会が行われた。立冬の翌日、澄み切った空の気持の良い日和で、19人が出席、投句参加5名の締めて24名、投句総数120句という、酔吟会始まって以来の大盛況だった。
 酔吟会は昔ながらの句会運営方式。すなわち、参加者が会場に入ると短冊を5枚渡され、それに本日の兼題の「短日」と「切干」と当季雑詠合わせて5句を書き込み提出する。欠席投句者の句は幹事が短冊に書いて投句する。投句全てが集まると、幹事がそれを出席者の人数に合わせて振り分ける。出席者は渡された短冊をC記用紙に清書する。それが済むと、自分の句が正しくC記されているかどうかを点検するために、C記用紙を順繰りに回す「空回し」が行われる。これで準備万端整い、それぞれ自分の所に回って来るC記用紙に書かれた句の中から良いと思った句を選句用紙に書き留める「選句」作業が始まる。出席者全員の書いたC記用紙を全て見終え、句を選び終えると、いよいよ、それぞれが選んだ句を発表する句会のヤマ場「披講」になる。全員の披講が終わると、本句会の最高点以下高得点句が紹介され、「合評会」で順々に感想を述べ合う。
 日経俳句会や番町喜楽会など姉妹句会は参加者が膨らんだために投句を3句に絞り、さらに事前投句・選句表事前配布方式を取って、句会はいきなり披講で始まり、すぐに合評会に移るメール利用の現代的句会になっている。これに対して酔吟会は旧態依然方式だからかなりの時間がかかる。もともと酔吟会は10数名の句会だったからこれで良かったのだが、伝統的なのんびりした句会の良さが伝わって入会希望者が増え、徐々に人数が増えて、ついに25,6人になった。しかも投句は5句と以前のままである。否応なしに句会の時間は延びて、午後1時に始めて4時前に終わっていたものが、9日の句会は4時半になってしまった。後がつかえている人も居る。というわけで、途中退席者が続々現れることになり、句会の雰囲気が傷ついた。投句数を減らす、欠席投句は認めないことにする等、あれこれ対策を講じなければなるまいと思う。
 今回の句会で人気を集めた句は以下のとおり。
「短日」
背表紙のかすむ古書市日短か    廣田 可升 (6点)
短日や余生まことに長長し     須藤 光迷 (5点)
日みぢかもの食ふ音はわれの音   金田 青水 (3点)
昼席のはねし木戸口日短し     徳永 木葉 (3点)
短日やありふれた日のまた過ぎて  片野 涸魚 (3点)
「切干」
切干や昔の母は子沢山       今泉 而云 (4点)
切干や脇役ばかり五十年      須藤 光迷 (3点)
友が来て母の切干平らげし     向井 ゆり (3点)
「当季雑詠」
コスモスは年長組の眼の高さ    大澤 水牛 (5点)
あるだけの福を担ぎて一の酉    玉田春陽子 (5点)
流木を中洲に残し冬千曲      堤 てる夫 (5点)
独り言湯舟に浮べ冬に入る     玉田春陽子 (4点)
ああ首里城虚ろな丘の冬の月    堤 てる夫 (3点)
行く末は成り行き任せ木の葉髪   大沢 反平 (3点)
白菜や尻を洗いし孫の事      須藤 光迷 (3点)
台風禍めげぬ最上の芋煮会     岡田 鷹洋 (3点)
瓜坊の落柿あさる上州路      須藤 光迷 (3点)
 この他に水牛が感心した句は以下の4句。
檻の大鷲短日にはばたけり     星川 水兎
穭田の株から株へ黄鶺鴒      堤 てる夫
食べて寝る人の営み花八ッ手    嵐田 双歩
短日や勝鬨渡って灯の街へ     大沢 反平
 切干の句では「切干の陽の匂ひして煮上りぬ」を「出来た」と自信満々で出したのだが、零点だった。切干大好きで、しかるが故に兼題にも据えた水牛は、しょっちゅう切干を煮ている。切干の特徴と言えば、何と言ってもあの日向臭さである。切干嫌いはこの臭いが大嫌いなのだが、切干好きにはなんとも懐かしい。分かって呉れる人が居るかなあと期待していたのだが。
posted by 水牛 at 21:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月06日

俳句日記 (541)


難解季語 (42)

蚯蚓鳴く(みみずなく)

 秋の夜長、闇の底からジージーと単調で連続的な鳴声が伝わって来る。これを古人は蚯蚓の鳴声だと言った。実際は螻蛄(けら)が鳴いているのだという。しかし、ケラの鳴いている姿を見た人はそう多くないだろうし、ほんとかどうかよく分からない。蟋蟀(こおろぎ)に似た虫で前肢が大きく、モグラのように穴を掘るのが上手で、土中に棲んでいるから普段あまり人目に触れない。「蚯蚓じゃないよ螻蛄という虫が鳴いているんだよ」と言われれば、「ああそうかい」と答はするものの、それで完全に納得するわけでもない。それよりも、あの手足も目玉もなく何が面白くて生きているのか分からないミミズが鳴いているという方が面白い。そうして季語にしてしまったところが、実に傑作である。
 瀧澤馬琴編、藍亭青藍補筆の「増補改正俳諧歳時記栞草」には「三秋を兼ねる物」として「蚯蚓鳴」を載せており、「其の鳴くこと長吟、故に歌女と名づく。孟夏はじめて出、仲冬蟄結す。雨ふるときは先づ出、晴るときは夜鳴く」と解説している。これは寺島良安の「和漢三才図絵」(正徳三年・一七一三年刊行の図入り百科事典)から引いたものらしい。蚯蚓は鳴くものと一人合点して、それ故に歌女と名付けるとはこれほど強引なことはない。しかもその鳴き声たるや実に地味で、ただジージーッというばかりだから歌姫にはほど遠い。あるいはこれは哀婉たる美姫の感極まった忍び音ととったのか、つれない仕打ちを恨む溜め息と解釈したのか、とにかく江戸の文人俳人の想像は止まる所を知らない。
 ミミズという動物は全世界の土壌に棲み、何種類あるのか分からないという。環形動物門貧毛綱類に分類され、その下の「科」や「種」となると生物分類学でも正確に名付けられないものがいっぱいあって、未だに新種とされるものが続々発見されている。日本にも何百種類というミミズがいるようだが、一般に畑や森林、堆肥やゴミ溜めにいて釣り餌になるフトミミズ、シマミミズ、ドブの中などにいて金魚や熱帯魚の餌になるイトミミズなどがおなじみである。
 環形動物と言うように、身体中が沢山の輪を薄い皮膜でつないだ円筒形である。成熟したミミズには端の方に一部分太くなった「環帯」があり、環帯が付いている方の先っぽに口がある。その反対側の尻尾の先に肛門がある。円筒の中に長い腸管と血管が通っている。眼も耳も無いようだが、口の付近には視覚細胞があり、これで明暗を識別する。年中土の中にいて、一日に自分の体重ほどの土を食べ、長い身体の中を通過させながら土に含まれる有機物質や微生物を消化し栄養分を吸収、尻から粒状の糞をひり出す。この糞が植物の根を生やすのにまことに都合の良い団粒構造の土壌を作る基になる。ミミズは土を良くしてくれるというので、昔からお百姓にとっては愛すべき存在だった。同時にモグラやネズミ、小鳥やイノシシの大好物でもある。
 ミミズは雌雄同体で、環帯の前部にオスの生殖器、後部にメスのがくっついている。時至ると二匹のミミズが逆向きに寝て、自らのオスの物を相手のメスの部分に押し当て事を行う。両者同時に妊娠すると、それぞれ腹の外側に分泌液を出し袋のようなものを形成し、そこに受精卵を封入、自ら蠕動前進し、まるで運動会障害物競走の網くぐりのようにその袋から抜け出す。土中に残った袋からやがて子どもミミズがたくさん誕生する。というのだが、ミミズの愛情行動から二世誕生までを克明に観察するのも並大抵のことではあるまい。ミミズ研究家とは実に偉いものだ。
 漢方では昔からミミズを「赤龍」「地龍」と言い、乾燥したものを粉末にして煎じ、解熱剤や気管支喘息に処方した。最近の研究ではミミズには血栓を溶かす酵素が含まれていることが分かり、健康食品として売られるようになった。さらに研究が進んで、確実な効果をもたらす成分が抽出されるようになると医薬品として登場するかも知れない。
 とにかくミミズは大昔から人々の目に触れてきたのに、まだよく分かっていないところが多い生物である。
 たとえば、夏の暑い盛りに路上に無数のミミズが干からびて死んでいるのを見ることがある。まさに蚯蚓の集団自殺現場である。何故こんな具合になるのか。どうもよく分からない。「干からびて蚯蚓疑問符描きをり」という句を詠んだ。これは蚯蚓が「オレはどうしてこうなっちゃんだろ」とクエスチョンマークの形で干からび死んだのと同時に、私の疑問でもあった。その後、あれこれ調べてみたところ、生物学者の中にも疑問を抱いた人が結構いるらしく、いくつかの仮説が立てられて、研究が行われているようだ。その中で「多分そうではないか」と有力視されている説が、「土中の酸素不足からの脱出」らしい。蚯蚓には肺が無く、皮膚呼吸で酸素を取り入れている。大雨が降って土中の水分が飽和状態になると、蚯蚓は皮膚呼吸が十分に出来なくなり、少しでも乾いた上の方に伸び上がり、ついには地面に出る。そこへお天道様がかっと照りつけると、ぐずぐずして逃げ遅れた奴が干物になってしまうということらしい。
 「蚯蚓鳴く」などは荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、恐らく昔の俳人たちにはそんなことは百も承知の上だったであろう。「たまには鳴くこともあるでしょう」と笑って空想の世界に遊び、句想を広げていたのではないか。秋の夜長に鈴虫、松虫、蟋蟀などを聞くのもいいが、地の底から湧き出して来るような「蚯蚓鳴く」声に耳澄ますのもまた趣深い。

 蓙ひえて蚯蚓鳴き出す別かな      寺田 寅彦
 蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ     川端 茅舎
 みみず鳴くや肺と覚ゆる痛みどこ    富田 木歩
 みみず鳴く引きこむやうな地の暗さ   井本 農一

 蚯蚓鳴く終電逃し夜道長し       酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 18:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月05日

俳句日記 (540)


秋晴れの午後、第167回番町喜楽会
「立冬」と「七五三」を詠み合う

 11月4日(月)午後3時、東京・九段下の千代田区生涯学習館で第167回番町喜楽会が開かれた。夏も秋も滅茶苦茶な天気が続いていたが、ようやく落ち着いてきたのだろうか、この日は青空が広がり、白雲が浮かぶ上々の天気。しかもこの日は文化の日の振替休日ということで、昼間に句会開催。大方は昼間だろうが夜だろうが「暇と言えば暇、忙しいと言えば忙しい」という人たちばかりだから、出席16人、欠席投句4人と、いつもと同じようなサイズの句会である。
 いつも通り投句5句選句6句で句会を行った結果、最高点は玉田春陽子さんの「投げ上げる声も受け止め掛大根」の6点。続く5点は2句で嵐田双歩さんが「薄目開け犬のまた寝て今朝の冬」と「変な顔わざとして見せ七五三」で一人占めした。以下、4点3句、3点9句が続いた。
『立冬』
薄目開け犬のまた寝て今朝の冬      双 歩
立冬やカレー日和の神保町        冷 峰
韓国語消えて長崎冬に入る        百 子
立冬や青菜の畝の薄明かり        光 迷
朝刊のバイクの音も冬に入る       双 歩
閉館の時刻繰り上げ冬に入る       春陽子
『七五三』
変な顔わざとして見せ七五三       双 歩
ダウン児の晴れ着の笑顔七五三      白 山
七五三シングルママの凜々しくて     白 山
権禰宜が写真撮ります七五三       てる夫
祖父は元名カメラマン七五三       而 云
母と子の二人で生きて七五三       迷 哲
『当季雑詠』
投げ上げる声も受け止め掛大根      春陽子
どん尻に弾む笑顔や運動会        光 迷
冬ざるる流れ尖りて千曲川        てる夫
 上記の高得点句の中にはどうかと思われる句もいくつかあるが、これはまあ人気投票の句会の選句結果によくあることである。水牛がいいなあと思ってとったのだが、2点しか入らなかったのは次の3句。
猫用のこたつを出して冬が来る      満 智
湯冷めして二十数へしころ思ふ      命 水
耳うとき身にも沁みるや初時雨      斗詩子
 いずれも落ち着いて読めばいい句だと思うはずである。
 かく申す水牛の句は以下の5句。
台風のがらくた山や冬に入る
孫無くて参道よぎる七五三
柿食へば地震警報けたたまし
暖房はまだか夜寒の終電車
虫歯治療完了ですと秋うらら
 いずれも富士山の頂上で屁を放ったような塩梅の受け取られ方であった。今になって見直せばさもありなんという感じの、いい加減な句ばかりである。
posted by 水牛 at 00:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月02日

俳句日記 (539)


秋の種蒔き

 令和元年という年は何が原因か定かでは無いが天の神様が大いに機嫌を損ねた年であるらしい。そのせいで天候が大荒れ。冷夏、猛暑、長雨、台風のもたらした豪雨と、気象庁やお天気姐さんは、まともな予報などとても出来ずに、後から「どうしてこうなったのか」を説明するのが精一杯。こんなわけだから作物はひどい不作で、漁もひどい有様。大昔であればたった一年で改元というところである。
 わが菜園もひどい目に遭った。今年は梅雨が異常に長く、7月一杯続いた。その後はいきなり猛暑、と思うと二、三日急に冷え込む。こんな塩梅だから、毎年もう沢山と山の神が怒るほど生る胡瓜がさっぱりで、茄子も末生りばかり。菜っ葉類は害虫にやられてさんざん。
 というわけで、8月、9月は呆れ果ててほったらかしにしておいた菜園だが、やはり雑草の茂るままにしておくわけにもいかない。勇を鼓して10月下旬から雑草除去、耕しを始めた。そして本日11月2日、ようやく耕し終り、肥料を鋤き込んだわずか6坪に、冬野菜の苗を植え、種を蒔いた。本来、秋蒔きは10月中旬までの仕事なのだから、もう半月以上遅れている。さらに、菜園はまだこの4倍はあるのだが、全部始末がつくのはいつのことやらである。
 とにかく、今日のところは、サラダ菜、パセリ、子持高菜という珍しい野菜の苗を植え、正月用の「かつお菜」や水菜、大根の種を蒔いた。
 蒔いた跡を角材でとんとんと打って均して、そこに万遍なく水を撒いた。これは「無事に芽を生やし、育ちますように」との祈りと同時に、居付き猫のキタコが引っかき回さないようにとのオマジナイである。キタコは綺麗に均した畑が大好きで、すぐさま引っ掻いては嬉しそうに用を足すのである。水をかけて湿らせておくと何もしない。やはり猫もびしょびしょ濡れた所に尻を据えるのは気分が良くないのであろう。
  種蒔いて畝叩きをる秋の暮れ  水牛
posted by 水牛 at 23:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月01日

俳句にならない日記 (21)


札幌五輪マラソン決定

 11月1日に開かれた国際オリンピック委員会(IOC)、東京都、大会組織委員会、政府(五輪担当大臣)の4者会談は要するに、IOCが決定した「マラソンと競歩は東京ではなく札幌で行う」ということを、改めて「申し渡す」儀式で、日本国民を全くバカにしたものであった。
 「アスリートの健康を守るため」という理由は全く理解出来ない。東京の8月、9月が暑いのは最初から分かっていたことではないか。それを承知の上でIOCは東京開催を決定した。そして、大会組織委員会(森喜朗会長)は18年5月に東京都内の名所を巡るマラソンコースを決定し、国際陸上競技連盟もそれを承認した。そして今年9月15日には本番テストをかねて、五輪マラソンとほぼ同じコースで日本代表選手を決める選考会を行った。
 開催都市の東京都は東京五輪が正式決定して以降、マラソンコースの暑さを和らげるための遮熱舗装工事やミストシャワー装置をはじめ、320億円もかけて酷暑対策を行っている。
 国家予算、都予算合わせて東京五輪には途方もないカネが注ぎ込まれている。IOCが「暑いのは承知の上」で決めた東京五輪のメーンイベントを突如札幌に移すのなら、「それに伴う諸経費は全てIOCに払わせる」とどうして森喜朗や五輪大臣の橋本聖子は言わないのか。
 それより何より、何故、あのアベシンゾーがこの件に関して一言も言わないのか。ブラジルにまで飛んで、スーパーマリオの仕掛けから飛び出すという、一国の総理としてあるまじきはしゃぎぶりを見せ、東京オリンピック招致に狂奔した張本人が、このとんでもない事態に臨んで口をつぐんでいるのは絶対に許せないと思うのだが。
posted by 水牛 at 22:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月25日

俳句日記 (538)


愚の骨頂

 わずか五畳のわが書斎は本や各種資料で一杯。元々狭い部屋の壁ぐるりに造付け本棚や大型スチール抽出が並べてある上に、窓に面して書き物机があり、その右側にパソコン机、プリンターを載せるテーブルが並んでいる。その右端は水牛にとって命から二番目に大切な酒庫を兼ねたサイドボードがある。というわけで、パソコン机に向かう椅子を置くと、残りのスペースは二畳くらいになってしまう。
 本棚とスチール抽出はとっくに満杯で、溢れ出たものがそこかしこに積み上げられている。本棚の本を引っ張り出す時には、その前に積んである本や書類を脇にどけないと本棚の硝子戸が開かない。脇にどけると言っても、既にその場所には別の書類や本がかなりの高さに積まれている。その上に積むから、何かの振動で崩れる。そうなるとそこに新たな山が出来て、今度はスチール書棚の抽出が引き出せなくなる。
 こういう状態だから、何か書こうとして手元に必要な資料や参考書を集めるのが大仕事になる。時には積まれた本や書類の奥の奥に目指す資料があることを思い出す。それを引き出すだけで一時間かかったりするのもざらである。引っかき回しているうちに書類の山が崩れて、居眠りしている居付き猫のチビの上になだれ落ちる。「何すんのさっ」と怒ってギャアギャアわめく。
 近ごろはインターネットという便利なものが出来て、それを開いてマウスを動かせば、目指す情報がたちどころに出て来る。書籍類は国会図書館や公立図書館のホームページを探せば大概見つかる。問題はそれ以外の、何処の誰とも判らない人の発信している情報(たとえばこの「水牛のつぶやき」に類する随想ともなんともつかない読み物)である。こういうのに時々、これはと言うような面白い情報がある。しかし、大抵はその話の出典が書いてない。この情報を孫引きしたいのだが、何とかして出典を探り当てて確かめたい。「この話は昔何かで読んだことがある。どの本だったかなあ」と首をひねり、心当たりの本や資料をいくつか思い出し、それを探しにかかる。
 こうなるともう、一時間やそこいらでは済まない。「愚公山を移す、か」なんぞと独りごちながら、右の紙くずを左へ積み替える。かくして我が書斎は台風に壊された物置のようになる。適当に片付けて、歩く場所を確保し、見つけた資料をめくりつつ、ようやく本題の執筆にかかる。その頃には夜はすっかり更けており、五体はアルコールを求めて鳴き出す。一編の雑文が仕上がるころには空が白み始めている。

 資料探しも灯火親しむもののうち  酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 17:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月21日

俳句日記 (537)


難解季語 (41)

ひつじだ(穭田)

 稲刈りがすっかり終わった晩秋、一望何も無い田圃の稲の切り株から芽が生えて、緑色の茎を伸ばし、秋風にそよぐ。まるで春に還ったかのような錯覚を覚えることがある。これを穭(ひつじ)と言い、再び早緑を取り戻した田圃を穭田と言う。
 穭田の稲はずんずん伸びるが、間もなく霜が降り、気温がぐっと下がるから、伸びるとは言ってもせいぜい一〇数センチで枯れてしまう。早生の稲だと早く刈り取るために、穭の伸びるのも早く、時には稲穂を出すものもある。しかし所詮は実が入らずじまいのシイナ(粃)ばかりである。こんなところから、穭田はきれいではあるが全く役立たずの、空しく枯れてしまう寂しさを歌う素材として、大昔から和歌に盛んに詠まれた。俳諧も俳句もその伝統を受け継いでいる。
 しかし、「ひつじだ」という言葉を知っているのは今日では俳人と歌人ばかりという状況になっている。稲作農家の人たちも全部が全部知っているわけでは無いようだ。第一に、私がいま使っている日本語入力ソフトでは「穭田」が出て来ない。「ひつじだ」と打ち込んでも「羊だ」「日辻だ」となってしまう。日本一売れてるソフトだと言われているのがこれだから、つまりはこの言葉と漢字を使う人がほとんど居なくなったということなのであろう。
 「穭」(漢音ではリョ、呉音ではロ)という字の偏の禾は稲という意味で、右側の旁(つくり)の魯は「おろか」とか「役立たず」の意味。すなわち穭は「役に立たないバカ稲」ということになる。
 と言うわけで役立たずの稲が生えそろって青々としている穭田は、緑が失われつつある晩秋に一時の賑わいを見せてくれるものなのだが、うら淋しい思いを掻き立てる。穭が出始める前の、稲を刈り取ったばかりの田圃が「刈田」という晩秋の大きな季語で、これは収穫の喜びを伝えるとともに、あっけらかんとした晴れ晴れした感じを与える。そこからなまじっか芽が生えると、再生の喜びではなく寂しさを感じるのは、これから厳しい冬へとなだれ込んで行く寂寥感がもたらすものなのであろう。
 ただ、何も無くなって広々とした刈田や穭田は、最後まで子孫繁栄の営みに頑張る虫たちが多く、落ち穂拾いもあって、野鳥の天国になる。また近隣の農家は鶏やアヒルを放つ。子供たちの大運動場になるといった塩梅で、現実には寂寥感どころか、吟行に来た都会の俳人たちが呆気にとられる賑やかさを呈することもある。「穭田に大社の雀来て遊ぶ 村山古郷」「穭田に真雁の声の揃ひたる 山田みづえ」「ひつぢ田に肩組み頭寄せ日の児たち 佐藤鬼房」などがそうした穭田のもう一つの景色をうたっている。

  ひつぢ田の案山子もあちらこちらむき   与謝 蕪村
  何をあてに山田の穭穂に出づる      小林 一茶
  穭田に鶏あそぶ夕日かな         内藤 鳴雪
  穭田に我家の鶏の遠きかな        高浜 虚子
  穭田に二本のレール小浜線        高野 素十
  
  穭田や邪推妄想切れ目なく        酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 11:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月17日

俳句にならない日記 (20)


東京五輪が札幌五輪に

 来年八月の東京オリンピックのマラソンを札幌で開催することにしようという案が持ち上がっている。国際オリンピック委員会(IOC)という総元締めが言い出したことだから、そうなるのだろう。しかし、こんなバカなことがあっていいものなのだろうか。
 オリンピック大会は「都市」が主催する国際スポーツ祭典である。「日本オリンピック」では無く「東京オリンピック」なのである。会場設営の都合から一部を横浜など近隣に移すのは可としても、札幌まで飛んでしまっては「東京オリンピック」とは言えない。中でもマラソンは古代ギリシャの逸話を背負った、オリンピックのシンボルとも言うべき種目である。これで「東京オリンピック」と言えるのだろうか。
 オリンピック大会は商業主義に汚染され、どんどん派手になり、今では大国でなければ開催できなくなっている。前回のリオデジャネイロ大会はブラジル政府はかなり無理をして、あちこちに後遺症を残していると言われている。来年の東京五輪も対抗馬はスペインやフランスの諸都市があったが、国際オリンピック委員会(IOC)は初手から東京を好ましい候補地としていたようだ。日本でやればカネになることが世界的なスポーツマフィアの常識になっているのだ。しかし、最初から決めてしまったのではカネにならない。あちこちに対抗馬を立てて競わせ、日本を焦らす必要がある。
 まんまとはまった日本は、アベシンゾーという総理大臣がまるで吉本芸人のような格好をしてリオデジャネイロの招致イベントの舞台にスーパーマリオとなって現れるという馬鹿げた振る舞いをした。あまつさえ、「オモテナシ」と気持悪い発音でパフォーマンスのタレントだかなんだか分からない、最近環境大臣と出来ちゃった婚をした女性を繰り出して、「八月の日本はスポーツには最適」というデマまで振りまいた。八月の日本はスポーツには最悪の時期であることは常識である。しかし、IOCにとっては最大の金づるであるアメリカのテレビ会社が最も放映しやすい八月は動かせない時期なのだ。
 「東京五輪」の開会式に是が非でも総理大臣として臨みたい人物と、それを取り巻く有象無象が「八月、大いに結構」と呑み込んでしまったのである。何を今さら「都市開催」の原則を曲げてメインイベントのマラソンを他都市に移すのか。途中棄権が何人出ようが、たとえ死傷者が出ようが、それは承知の上で八月開催を決めたのではないか。もし東京マラソンで死者が出たら、いさぎよく総理大臣なり五輪担当大臣、そして東京都知事がはっきりとした責任を取ればいいではないか。
 思うに、つい先頃ドーハで行われたマラソン大会で棄権者が4割に上ったという事実を突きつけられ、これはまずいと日本オリンピック委員会(JOC)あたりが「IOC決定による開催地変更」を画策したのではないかと勘繰りたくもなる。
posted by 水牛 at 23:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

俳句日記 (536)


日経俳句会第183回例会
「行く秋」「と「柿」を詠む

 10月16日(水)夜、千代田区内神田・鎌倉河岸のビル八階で日経俳句会十月例会(通算183回)が開かれた。台風15号が千葉県を襲って南房総一帯をめちゃくちゃにして、停電に悩む家がまだ残っているところへ、今度はさらに大きな19号。暴風被害はそれほどではなかったが豪雨禍が前代未聞のすさまじさ。関東から福島、宮城、長野まで12都県に甚大な被害を及ぼし、12日に吹き過ぎてから4日たった今日もさらに死者が増え80人を越えるありさまである。
 この二つの台風が来るまでの首都圏は大変な暑さで、十月に入ったというのに30℃を越えるとんでもない天気だった。ところが台風が過ぎたら晴はたったの一日、その後は長雨がしょぼしょぼ降り、朝晩は10℃前後にまで冷え込むようになった。「行く秋という兼題を出したのはまずかったな」と反省していたのだが、全く何と言う事か、「行く秋」を惜しむ間もなく冬になってしまった気分である。
 こんなキチガイ天気のせいか、偶然の為せる業か、この日の句会も前代未聞で、出席者がわずか13人。女性が一人も居ないという珍しい例会になった。欠席投句者が何と出席者の二倍の26人。合評会は高点順に取り上げていくことになっており、最高の9点句「菊人形大坂なおみの高島田」こそ出席していた中沢豆乳さんの句で面目をほどこしたが、次点の「行く秋や名もなき画家の絵を求む 阿猿」、三席の「陽の色に染まる軒先柿すだれ 操」「異国語の飛び交ふ村の吊し柿 明生」以下欠席投句者の作品ばかりで句会はすっかりシラケてしまった。
 水牛選の六句は、
秋ぞ行く茶色になりし雨蛙      百 子
成り年の柿賑やかに夕陽浴ぶ     てる夫
異国語の飛び交ふ村の吊し柿     明 生
奈良に嫁し今年もつくる柿のジャム  綾 子
稲妻に首刈られしか地蔵尊      而 云
温室のウツボカズラの秋思かな    水 兎

 今回の水牛句は、
行く秋を猫と留守居の夜のしじま
野良猫の狩にせはしき暮の秋
いい柿が来たよ八百正胴間声

 いつものことながら投句締切日ぎりぎりになっているのに気が付いて慌てて作った三句だが、今回は普段とちょっと違って、実際に身辺慌ただしかった。丈夫な山の神が一月ほど前からお腹が痛い、張る感じだと言い出した。近所のかかりつけ医の処方したあれやこれやの薬を飲んだが効かず、あれこれ検査の結果、大腸ポリープの摘出ということになって入院した。
 と言うわけで、「行く秋を猫と留守居」ということになったのである。たった一人と猫一匹の夜は静けさがいや増す。ただし、後になって考えると、この句は「行く秋や」と切りを入れた方が良かったなと思う。
 居付き猫のキタ子が庭を縦横無尽に駆けずり回るのは行く秋の年中行事であり、これはノラから家猫に昇格したチビの背中を撫でながら秋の夜長を一杯やりながら作った。
 柿の句は皮を剥いたりかぶりついたりする句は自分でもかなり作っているし、吊し柿や木守柿も常識的だ。というわけで、二、三日前、八百屋のショーちゃんに呼び止められた台詞をそのまま出した。ショーチャンは私の果物好きであることをよく知っており、呼び止めれば必ず買うことも心得ているのだ。
 三句とも合評会にかからない低得点に終わったが、自分としては悪くない句だと思っている。
posted by 水牛 at 00:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月12日

俳句日記 (535)


難解季語 (40)

がんがさ(雁瘡)

 脛や腕、時には腹や背中に小さな赤いポツポツが出来て、むやみに痒くなり、掻くと皮膚が剥がれてフケのようなものが落ちる。我慢出来ないほど痒いからつい血が滲むほど掻きむしり、さらに赤く腫れたり、ただれたりして瘡蓋が出来る。とにかくしつこい。この皮膚病は大昔からあったらしいが、奇妙なことに雁が渡って来る晩秋に発生し、雁が帰って行く春になると不思議に治ってしまう。そこで「ガンガサ(雁瘡)」という奇妙な名前がついた。
 江戸後期のベストセラー、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも雁瘡が出て来る。弥次郎兵衛・喜多八が東海道五十三次を辿り、伊勢参り、京都、大坂見物しながら、行く先々で失敗を繰り返す珍道中を描いた滑稽本は、江戸出立から箱根までの初編が享和2年(1802)に出た。当時最大の版元蔦屋重三郎が断ったものを、挿絵も一九が描くのなら安上がりだと中小出版社の村田屋治郎兵衛が引き受けたのだが、これが大当たり。大坂見物で本編八編が終わった後も、安芸の宮島、木曽街道等々、続編、続々編と二十数年にわたって書き継がれた。本編の東海道が大当たりを取ったところで、「弥次郎兵衛・喜多八」の人物像、履歴を問う声が高くなって、初編発刊後12年たった文化11年、新版を出すに当たって、一九は弥次さん・喜多さんの人となりを描いた「道中膝栗毛発端」を書き、これを初編の前に置く体裁を取った。
 それによると、栃面屋弥次郎兵衛は駿河府中(静岡市)のかなり裕福な商家の育ちだが、商売そっちのけで放蕩三昧、借金だらけになって、ついには入れあげた贔屓役者の付き人の鼻之助を連れて夜逃げ、江戸は神田の裏店の借家住まい。鼻之助を元服させて喜多八と名乗らせ、とある商家に奉公に出し、自らは僅かな蓄えを食いつぶしながら相変わらず江戸前の魚と豊島屋の剣菱など美酒に耽る暮らし。男やもめにウジが湧くを絵に描いたような無精ったらしい生活を心配した呑み仲間が心配して、さるお屋敷に女中奉公していた年増女を娶せた。なんとか一人前の家庭が持てたところへ、故郷から「弥次さんと言い交わした」という妹を連れた武士が突然やって来て、すったもんだの大騒動・・。その場面で弥次さんの女房おふつが、娘と兄さんに向かって、「・・わたしは仕方なしに添てはゐますけれど、色が黒くて目が三かくで口が大きくて髭だらけで、胸先から腹ぢうに癬(たむし)がべったりで、足は年中雁瘡でざらざらして・・」(こんな男は止した方がいいですよ)と言う。
 この膝栗毛が江戸っ子の愛読書になっていた江戸時代後期から幕末、同じように人気を呼んでいたのが「番付」という出版物。あらゆる物事を相撲の番付に見立てて、最高位を大関として前頭数十枚目まで、人気順、評判順に列挙した一枚刷りである。
 その一つに「病薬道戯鏡」というのがある。インターネットで調べると、製薬会社エーザイの「くすりの博物館」が発信しているホームページや都立中央図書館所蔵のものが見られる。番付の東方は「薬之方」で大関奇應丸源吉常を筆頭に当時評判の薬が有名人になぞらえ駄洒落、語呂合わせなどでふざけている。西方が「病之方」で大関は当時最も恐れられていた天然痘の「疱瘡之宮守人神王」(最高位は何と言っても皇族の「○○宮△親王」)、関脇「五疳之太夫灸敦雁」(疳の病は小児の神経症、腹痛などで、灸に頼るしかなかったから「キュウの熱かり」)、小結「悪疾兵衛壁湿」(原因不明の慢性疾患をひっくるめて悪疾と称した)と来て、前頭十七枚目に「雁瘡脛右衛門足病」が登場する。
 膝栗毛に出て来たり病気番付に載ったり、当時タムシなどは当たり前で、雁瘡を始めとした皮膚病が人々の悩みの種だったようだ。弥次さんの住まいは「神田八丁堀」と書かれている。この地名は今は無いが、今川橋の近くにあった堀割が八丁堀(現在の茅場町近くの八丁堀とは別)と呼ばれていたから、その裏通りの長屋であろう。とにかくこの辺りは水はけの良くない場所で、不潔な暮らしをしていればすぐにも皮膚病にかかる。
 江戸っ子は銭湯が大好きで、落語などには「ひとっ風呂浴びてくらあ」というセリフがよく出て来る。しかし、毎日、銭湯に通えたのは高級取りの大工、左官などの職人で、普通の江戸市民はそうそう風呂には入れなかったと思われる。「膝栗毛」の文化文政時代の湯銭(入浴料)は十文。今日の物価と比べるのは物によって異なるから一概には言えないが、まあ一文は三十円から五十円といったところである。つまり銭湯の入浴料は三百円から五百円で、現在とほぼ同じようなものだが、独身の貧乏人にとっては毎日通うのはためらう金額になる。ましてや無精でずぼらな暮らしをしている弥次さんみたいな独身男は推して知るべし。年中脛を掻きむしっているのも珍しい光景では無かったはずだ。
 現代医学では痒疹性湿疹と命名されているが、未だに決定的な治療法や薬が見つかっていない。命に別状無い皮膚病で、この特効薬を発明してもノーベル賞は貰えそうもないから、長年放置されてきたのだろう。近ごろ、冬場になると脛や腕の皮膚がかさかさになって、とても痒くなる乾燥肌というのが問題視されているが、これも雁瘡の一種だという。
  名所図会めくる雁瘡掻きながら     酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 21:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

俳句日記 (534)


秋と言えば萩──日本人に愛され続けて来た秋草

 公明新聞の学芸欄に「萩」に関する随想を書けと言われて書いたものだが、記録のために再掲する。
            *     *     *               
 秋の草花が咲き競う季節になった。日本人は秋草の咲く野を「花野」という季語にして親しみ、歌や俳句に詠んできた。奈良時代八世紀前半の宮廷歌人山上憶良(やまのうえのおくら)は「万葉集」巻八に「秋の七草」を材料に分かりやすく解き明かしている。
 「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」
 「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」
 後の方の歌は五七七・五七七と重ねる旋頭歌(せどうか)の形式で、一つずつ秋草の名前を教える面白い詠み方だ。まず最初に「秋の野原に咲いてる花を指折って数えてごらん、七種類あるよ」と語りかけ、「萩の花だろ、尾花(ススキ)だろ、クズの花にナデシコにオミナエシ、これで五つだね」と五本の指を折って見せ、「また」と言ってフジバカマ、アサガオの花と残る二つを指し示している。
 山上憶良がこの歌を詠んだのは筑前守(今の福岡県知事のような役職)時代ではないかと言われる。憶良は「子等を思ふ歌」「貧窮問答歌」など当時の実社会を題材に歌を詠んだ珍しい歌人で、子供好きだったことがうかがわれる。もしかしたらこの秋の七草の歌も、福岡の子供たちと野原に遊んだ時にできたのかも知れない。
 萩は日本に自生する秋の花の代表。マメ科植物で荒れ地にもよく育つ。春に芽を生やすと楕円形の葉をつけたしなやかな茎をぐんぐん伸ばし、数十本の茎が群がり立ち大きな株になる。初秋、茎の先に蝶型の赤紫の可愛らしい花をいっぱいつけて、ちょっとした風にもそよぐ風情がなんとも言えない。こうしたところが人々に愛され、今日でも各地の公園に「萩のトンネル」が作られたりして秋の呼び物の一つになり、短歌、俳句に連綿と詠まれ続けている。
 芭蕉は「奥の細道」の市振(新潟県糸魚川市)の宿でたまたま新潟の遊女二人と同じ宿に泊まり合わせ、「一つ家に遊女もねたり萩と月」と詠んでいる。市振を出て一ヶ月少したった頃、芭蕉に随行していた河合曾良が山中温泉まで来た所で腹の病にかかり、知る辺を頼って一足先に行く事になった。その去り際に「行々て倒れふすとも萩の原」という句を詠んだ。「病身の私は行き倒れになるやも知れません。しかし、師匠のお導きで風雅の道に入った者としては、萩の原に伏すのは本望です」という意味合いであろう。師弟が「萩」を句材に詠み合っているところが、「秋と言えば萩」を物語っているようで興味深い。

  秋の字に草冠つけ咲きにけり   水牛
posted by 水牛 at 20:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月06日

俳句日記 (533)


第166回番町喜楽会が開かれた
「新米」と「渡り鳥」は難しい

 10月5日(土)午後6時から、東京・九段下の千代田区生涯学習館で第166回番町喜楽会が開かれた。今年は夏も秋も滅茶苦茶で、10月になったというのに東京は31℃。野菜は穫れず、秋刀魚は不漁、そこへ消費税10%への切り上げも重なったが、諦め顔の庶民はもう怒り声も出さない。しかし、番喜会に集う人たちは万事超越した面々が多いから、にこやかに、「新米と渡り鳥はどちらもやさしいようで難しいですな」などと言っている。
 この日は用事のある人や残暑バテの人も出て、出席14人といつもと比べて少なかったが、欠席投句が7人分あり投句総数101句と出そろった。いつも通り投句5句選句6句で句会を行った結果、高点句は以下のようになったが、最高点が5点止まりで、しかも玉田春陽子さんの「新米句」たった1句だった。やはり「新米」も「渡り鳥」も固定観念が出来上がっているために、どうしても「見たような句」になってしまうようである。
『新米』
新米やふるさとの香のふきこぼれ     春陽子
今年米眉濃き伊那の男より        而 云
藻塩ふる佐渡の新米試食会        百 子
富富富てふ名前にひかれ今年米      水 馬
四万十の佃煮のせて今年米        満 智
新米の研ぎ汁まずは庭の木に       木 葉
『渡り鳥』
通夜へ行く乗換ホーム鳥渡る       可 升
風のこゑ浪のこゑきき鳥渡る       春陽子
渡り鳥地上は難民移民かな        幻 水
夕空をのび縮みして渡り鳥        幻 水
『当季雑詠』
刈田焼く今日は休日三世代        百 子
白萩の猛然と咲く庭の隅         てる夫
紙ヒコーキ地につくまでの秋思かな    可 升
風通す鏝絵の蔵や薄紅葉         光 迷
彼岸花中野拓きし名主塚         水 牛
 水牛は「通夜へ行く乗換ホーム鳥渡る」「白萩の猛然と咲く庭の隅」の二句にいたく惚れ込んで取ったほか、以下の4句を選んだ。
新米や在所は同じ姓ばかり        双 歩
仏壇に新米ですよと供へけり       可 升
灯台の真夜の呼吸や鳥渡る        而 云
木瓜の実や親子揃ひの坊主刈り      水 馬
 最後の、親子揃って坊主刈りの句など、ただ野放図に成っているだけで何の役に立つのか、デコボコの木瓜の実との取り合わせが実に面白い。
posted by 水牛 at 20:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月01日

俳句日記 (532)


難解季語 (39)

たつたひめ(龍田姫)

 秋を司る女神である。陰陽五行説で四季を方角に当てはめると秋は「西」となる。そこで奈良時代、平城京の西方、奈良県生駒郡の龍田山の神様龍田比売命(たつたひめのみこと)を秋の神様に仕立て上げた。春を司る女神「佐保姫」が平城京の東の佐保山に鎮座、これと対を為している。
 昔は奈良県と大阪府との境の信貴山に連なる生駒山地を大づかみに「龍田山」と呼んでいた。しかし今日、龍田山というのは正式な地名としては存在しない。ただ、この山地の麓を龍田川が流れ、秋には紅葉が殊の外美しく、昔も今も紅葉の名所として名高いものだから、今でもこの辺を漠然と龍田山と言う人が多い。
 万葉集に龍田山は沢山詠まれている。
妹が紐解くと結びて龍田山今こそもみちそめてありけれ
 (次にまた解くまでは決して人には解かせないと誓って愛する人の衣の紐をきつく結んで龍田山を立って行くのですが、山は今まさに紅葉が始まったところです。紅葉の真っ盛りにこの紐を解きに戻って来られるでしょうか、紅葉が散るころでしょうか・・・)
夕されば雁の越え行く龍田山しぐれに競ひ色づきにけり
 (夕方になると雁の飛び越えて行く龍田山は時雨と競うように色づいてきました。紅葉は雁と時雨に急かされて色づいて行きます。私の愛しく思う人も、回りには雁や時雨のように刺激を与えるものが多いようなので・・・)
 しかし、最も有名な龍田川の歌と言えば、やはり在原業平の歌であろう。
ちはやふる神代も聞かず龍田川から紅に水くくるとは
 (神代の時代にさえこんなことは聞いたことがありません。龍田川の川面一面に紅葉が散り敷いて流れを鮮やかな唐紅でくくり染めにしてしまうなんて)
 業平の歌としては面白くも可笑しくも無い平凡なものだが、恋人であった藤原高子が清和天皇(850-880)の女御として入内し、業平との灼熱の恋の思い出を歌にして龍田川の紅葉の屏風に書くようにと望まれて詠んだものという話が伝わっている。そういうエピソードを踏まえて読むと、これはなかなか一筋縄ではくくれない歌である。そんなことが当時から言われていたのだろう、「古今集」に載り、百人一首にも採用された。江戸時代になるとなんと「千早振る」という落語にまでなった。
 とにかく龍田山と龍田川は古くから歌の題材となり、それを神格化した「龍田姫」は俳句に盛んに詠まれるようになったのだが、さすがに現代俳句となると「龍田姫」の出番はぐっと減り、詠む人が少なくなってこれを季語として載せない歳時記が増えてきた。しかし、ギリシャ神話もそうだし、記紀や万葉集もそうなのだが、造化の神々とそれにまつわるエピソードはロマンチシズムに溢れ、夢を掻き立てる。もう少し大事にしてほしいなあと思う季語である。

  龍田姫月の鏡にうち向ひ     青木 月斗
  麓まで一気に駆けて龍田姫    山仲 英子

  龍田姫の裳裾あらはに集塵機   酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 22:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月24日

俳句日記 (531)


難解季語 (38)

あなまどい(穴惑)

 「蛇穴に入る」という仲秋の季語の傍題で、冬籠もりの穴が見つからずに秋彼岸を過ぎてもうろうろしている間抜けな蛇を「穴惑」という季語に仕立て、俳諧味を掻き立てた。しかし、都会地ではいまや蛇を見る事すら珍しくなっており、蛇の冬眠など知らない人が多いから、「穴惑」などと言ってもちんぷんかんぷんであろう。
 ある句会でこれを兼題に出したら、「水牛さんは好きだからなあ」とニヤニヤ笑いながら言う奴が居た。この男はとんでもない妄想に取り付かれたらしく、好色的な句(ばれ句)ばかりを集めた江戸時代の句集「誹風末摘花」などを思い浮かべたようだ。こんな下種の勘繰りすら生んでしまう難解季語である。
 蛇は変温動物だから、冬場、気温が氷点下にまで下がったりすると死んでしまう。しかし、地面の下四、五センチも潜れば厳冬期でも摂氏一〇度くらいある。そこで冬が近づいて来ると、大きな岩や木の根っこの作った穴に数匹から時には数十匹がかたまって潜り込み眠る。眠ると言うより、飲まず食わずの半分死んだ状態で外気温が一〇度くらいになる春まで籠もっている。
 昔の人は蛇が穴に入るのは秋の彼岸(秋分)の頃としたが、現代の生物学者の観察の結果では、最低気温が一五度くらいの十月末頃まで地上を這いずり廻っているようだ。
 とにもかくにも穴惑いの蛇が無事に潜り込む先を見つけた後は、自然界は足早に冬へと突っ込んで行く。

  金色の尾を見られつゝ穴まどひ    竹下しづの女
  今日も見る昨日の道の穴まどひ    富安 風生
  穴惑水のほとりに居りにけり     日野 草城
  穴惑よけて通りし足使ひ       高浜 年尾
  風ならぬ笹の乾き音穴惑       石川 桂郎

  穴惑まどひし頃の懐かしき      酒呑洞水牛
posted by 水牛 at 12:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月22日

俳句日記 (530)


低レベルの大相撲秋場所が終わった

 日本に帰化して親方への道が開けた横綱白鵬は、ほとんどの大相撲記録を塗り替えて大横綱の金看板を掲げているから、もう無理はしたくないという姿勢がありありで、今場所も二日目で早々と休場。片や一日でも長い間横綱で取っていたい鶴竜も黒星が続くとさっさとお休み。やる気があるのか無いのかさっぱりしない大関高安もしょっちゅう具合を悪くして今場所も休場。あと二人の大関豪栄道と栃ノ心は今場所勝ち越さねば大関から陥落だから休むわけにはいかないと、なんとか場所を勤めた。
 というわけで、今場所は低レベルの相撲にならざるを得ないと思ってはいたが、案の定、実につまらない秋場所になった。結果的には、残った中での一番手御嶽海と二番手貴景勝が十二勝三敗で残り、優勝決定戦の末に御嶽海の優勝という、大向こうを喜ばせる筋書きにはなった。しかし、これは言ってみれば木馬館か篠原演芸場といったところである。水牛は何も篠原演芸場を貶めているわけではない。そこはそこならではの面白味があるし、意気も感じる。しかし、秋場所大相撲と言えば花相撲ではなく、歌舞伎座の大舞台と同じである。大看板以下役者が揃って、白熱の取組を見せてくれなければいけない。大政翼賛のNHKは「次代の大相撲を担う両力士が存分に力を発揮しました」とこれでもかと盛り上げていたが、本当の相撲好きにとっては何とも哀しい場所だった。
 群雄割拠は手に汗を握るが、群小割拠では見ていて疲れるばかりである。立派な身体と力を持っていながら、もう一つ覇気に欠ける相撲ばかり取ってきた隠岐の海が千秋楽まで優勝戦線に残ったのは不思議だったが、やはり、締め括りは力無く貴景勝に押されておしまい。同じくいつ大関になってもおかしくないような正代、玉鷲は全くだらしのない結果に甘んじた。明生や阿比など若手が星を稼いだが、これらはまだやって見なければ分からないお天気相撲の域を脱していない。来場所は浮かれ気分に浸ると言われる九州場所、このデタラメぶりに輪が掛かるのではないかと案じている。
 水牛が今一番期待しているのが元大関で幕下27枚目の照ノ富士である。十三日目に六戦全勝同士で幕下優勝を賭けた一番は、惜しくも元前頭筆頭の千代の国に負けてしまった。千代の国は相撲国ではない伊賀国出身で、力士としての体格に恵まれた方ではないが、突き押し鋭く動きの速い、三役は十分に張れる力の持主だと応援していたのだが、昨年九州場所だったか膝を怪我して、以後休場が続き幕下にまで陥落していた。しかし何くそという気持が強いのだろう、幕下優勝を飾った。
 今回の照ノ富士の敗因は千代の国の素早い動きに付いて行けなかったことだった。しかし、今場所6勝1敗で終えたのは却って良かったのではないかと思う。というのは、照ノ富士の重傷の膝はまだ完全に治りきっていないからである。今場所幕下優勝したら、11月場所は幕下四、五枚目に昇る。自力のある男だからその地位でも五勝二敗くらいの好成績を残せそうだ。そうなると来年初場所は十両に復帰する。本人も回りも嬉しかろうが、十両になると毎日取組があり、身体を労る暇が無い。しかし、今場所六勝一敗ということは来場所は幕下十一、二枚目だろう。そうなると来年初場所の十両昇進は幕下優勝を飾ってもどうかというところである。とにかく、照ノ富士にとっては、膝を少しでも万全の状態に戻す時間的余裕を得たのだ。
 来年三月場所で十両復帰、十両を二場所で切り上げて来年のこの時期に晴れて幕内に復帰ということになれば万々歳。沈滞ムードの大相撲に活気が取り戻せる。
 大関に上がった時の照ノ富士は回りから「すぐに横綱」と持て囃され、本人もその気になったのか力ませの我武者羅相撲を取って、水牛は「なんだこのモンゴル野郎」と毒づいていたのだが、序二段まで落ちて相撲の取り方も言う事もすっかり変わった。精神的にはもう大丈夫。これで再度怪我さえしなければ、再来年には「横綱照ノ富士」の土俵入りが見られるのではないかと思っている。
  秋風やとんとこはしゃぐ紙相撲
posted by 水牛 at 20:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月19日

俳句日記 (529)


日経俳句会で「秋の声」と「枝豆」を詠む

9月18日(水)夜、日経俳句会の第182回例会が開かれた。台風15号が9日未明に千葉市に上陸、台風進路の右側になる房総各地は大変な被害。人的被害こそ軽微だったが、停電、断水で住環境が滅茶苦茶になった。この会には千葉住民が多く、酷い目に遭った人もいる。台風の過ぎ去った後の猛暑がまた凄く、これは関東一円に熱中症患者を輩出せしめた。その後はいよいよ秋の長雨「秋霖」の時期。この日がその先触れか朝から降ったり止んだり。こうした天候異変も少なからず影響したのだろう、出席が16人に止まった。しかし、休んでも投句だけはちゃんとするのがこの会員の良きところで、なんと欠席投句者が17人もあり、投句総数は98句にのぼった。兼題は「秋の声」と「枝豆」。6句選で進めたの結果、3点以上の高得点句が26句を数えた。この中の6点以上の句は以下の通り。
  枝豆やあぐらの父の笑ひ声      実千代
  葡萄酒の赤の深さや秋の声      而 云
  和紙の町流るる水に秋の声      悌志郎
  一本のコスモスならば寂しかろ    双 歩
  地の果てのその果ての島秋の雲    阿 猿
  種採りのオクラからから秋の声    水 馬
  枝豆のから山盛りに国家論      博 明

 水牛選の6句は上記の「オクラ」の句の他、以下の5句。

  地続きに弥生の古墳秋の声      正 市
 自宅の庭の地続きの草ボウボウの小山がどうやら古墳らしいとは、実に面白い。文京区の弥生式発掘跡は今や跡形も無いが、板橋区、北区、川崎市、横浜市には住宅地の脇に古墳が肩身狭そうに残っているのを見る。

  枝豆やころり忘るる検診日      青 水
 私もこういうことがしばしばある。「忘れし」と現在完了形にした方が良いとは思うが、枝豆の剽げた感じとよく合っている。

  献立は決めず枝豆まず籠へ      水 兎
 我が家の山の神は「どうして毎日三度さんど食事しなけりゃいけないのかしら」とぶつくさ言っている。献立を考えるだけで疲れてしまうらしい。この作者はもう少し呑気に、スーパーの中ぶらついてる内に何か考えつくでしょうと、取り敢えずは枝豆の袋を買物籠に放り込んだ。この呼吸が実にいい。

  薄日さす茶室の端や白桔梗      百 子
 この句について句会合評会では「茶室に白桔梗はありきたり」という評があり、頷く人がちらほらあった。確かに茶室の床の間に白桔梗が活けてある景色ならありきたりである。しかし、ここには「茶室の端や」とある。だから私はこれを「はな(端の先)」あるいは「はた(ほとり、わき)」と読むべきものと受け取り、茶室から眺めた露地(庭)と理解した。そこに雨上がりの薄日が射し白桔梗を浮き立たせている景色である。これはもう紫ではなく白桔梗でなくてはなるまい。

  穴惑ひ妻も尻込み田圃道       てる夫
「穴惑ひ」という実に珍しい季語を生き返らせてくれたものよと感激して採った。今年春から、このブログ「水牛のつぶやき」で「難解季語」というシリーズを立ち上げており、この「穴惑ひ」も取り上げようと思っていた矢先だったのである。この句を見ると、難解とか死語と化したなどと言うことは出来ないな、まだ生き生きとしている季語なのだなということが分かる。穴惑いの蛇に出くわす田圃道を夫婦揃って散歩できるなんて、実にうらやましい。

 さて今回の水牛句は、
 秋の声しかと将門塚の前     (2)
 枝豆や身の上話ながながと    (3)
 野分過ぎ三十五度の大吐息    (3)
という、まずまずの結果であった。
 将門塚の秋の声の句は、言うまでも無く大手町のビルの谷間にひっそりと鎮座する平将門の首塚。今は三井物産の巨大なビルの建替工事の塀に取り囲まれて気の毒にも逼塞しているが、これをないがしろにした会社は必ず祟られるとの伝説があって、さしものエコノミックアニマルの巨魁も丁重にお祀りしているようだ。ほんの小さな空間だが、ここだけは銭ゲバの街の中の異空間の雰囲気である。この句は自分では「出来たな」と思ったのだが、意外に点が入らなかった。知っている人が少ないのかも知れない。
posted by 水牛 at 20:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月16日

俳句日記 (528)


大相撲秋場所の別の楽しみ

 大相撲は何と言っても5月の夏場所と9月の秋場所。どちらも隅田の川風に吹かれての気分とともにある。その他の場所は無くもがなという感じで、本当に面白い相撲を維持しようとすれば、夏場所、秋場所を中心に、あとは一場所、1月か3月に、東京ばかりでは何だから大阪でやれば良い。そうすれば力士の怪我が減って、勝負も今よりはずっと熱の籠もったものになるのではないか。
 名古屋(7月)と福岡(11月)は元々準本場所としてやって来たのを昇格したもので、主催者側にも力士にも未だに花相撲気分が漂っている。しかし、本場所である以上、ここでの星が番付に反映されるから、田舎のお大尽の宴席をこなした翌日もいい加減には取れずに、無理をする。無理をすれば怪我をする。それが尾を引いて、年間通じて負傷力士が後を絶たない状況になる。
 まあ相撲というものは、スポーツ競技であり勝負を重んじるものではあるが、伝統的な儀式的要素と祀りの要素があるから、様式美を尊ぶところがある。すなわち、勝負と共に「美しさ」が求められるのだ。私は朝青龍という横綱が大嫌いだった。恐らく朝青龍は歴代の横綱の中で第一等の強さだろう。全盛時代の大鵬や北の湖と取っても勝っただろう。しかし、私が朝青龍を大横綱と認めないのは美しくなかったからである。勝てばいいだろうという思いが露わだったし、現実に、相手を投げた後の「どうだ」という見得が横綱にはあるまじき姿勢だった。この辺が白鵬にも時折見られる。折角、日本国籍を取って相撲界に骨を埋める決心をしたというからには、よく噛みしめてもらいたいところである。
 それはともかく、今行われている秋場所大相撲も怪我人ばかり。白鵬、鶴竜の両横綱が怪我で途中休場、大関高安は初日から怪我で休場、大関栃ノ心と豪栄道も半病人だが負け越せば大関陥落ということで無理して場所を勤めている。まともに相撲を取れる横綱大関が一人も居ないというのは、どう見ても異常である。これは今場所に限ったことではなく、これほどひどくはないまでも、もうここ数年ずっと続いて来た現象である。
 というわけで、この秋場所は9日目を終えて誰が優勝するのか、相撲評論家ですら候補者を挙げられない状況だ。これは一見面白そうだが、低レベルの雑魚の競り合いで、本来の大相撲の醍醐味とは程遠い。
 そうした中で、今最も興味深いのは幕下27枚目の照ノ富士である。モンゴル出身のこの男は、恵まれた体格と相撲勘でぐんぐん昇進し、あっという間に大関になり、稀勢の里と横綱争いまでしたが膝の大怪我と糖尿病で全休が続き、なんと序二段にまで落ちた。大関を張っていた力士が最下層の取的にまで落ちるのは前代未聞。しかし、まだ27歳ということもあるのだろう、何糞という思いもあったのだろう、今年三月の大坂場所から復帰して全勝、6勝1敗を二場所続け、今場所は幕下27枚目にまで持ち上がり、今日も勝って5戦全勝である。
 幕下以下は人数が多いので一場所7番勝負となっているから、照ノ富士は後2番勝てば全勝。幕下は全勝が数人出るのが通例なので、その優勝決定戦に勝って幕下優勝となれば、九州場所で十両昇進ということになるかも知れない。もしそうならなくても、来年一月の両国の初場所には目出度く「関取復帰」を果たすのではないか。
 この照ノ富士が幕内に上がって来たころは実に颯爽として、惚れ惚れした。しかし、若さに任せての強引な取り口や、ふてぶてしい態度が目立ち、危ういかなと思っていたら、案の定ずってんどうと引っ繰り返った。しかし、近ごろの照ノ富士は違う。インターネットの動画など見ると、実にきめ細かな理詰めの相撲を取っている。元大関からすれば相手はちっこい目刺しのような存在だが、決して馬鹿にせず、正対して突き押しを繰り出し、組んではじっくり寄って行く相撲を取っている。膝の大怪我の回復がもう一息らしく、その意味ではあまり早く駆け戻らない方がいいだろうが、ともかく、来年の大相撲には必ずこの「地獄を見た大器」が話題の主になりそうである。
  奈落見て研ぎ澄まされし虫の声
posted by 水牛 at 23:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月15日

俳句日記 (527)


酔吟会第142回例会は大盛況
23人が参加し「月」と「夜食」を詠む

9月14日(土)午後1時から東京内神田の日経広告研究所会議室で酔吟会句会が開かれた。新規入会の久保道子さん、日経俳句会で腕を振るって来た金田水さん、杉山三薬さんの新顔3人を加えて、出席者17人、投句参加者6人の合計23人参加(久保さんは投句せず選句のみ参加)という大盛況だった。酔吟会は平成8年(1996年)春に発足した由緒ある句会だが、発足時から会員は12,3人のこじんまりしたものだった。しかし、土曜日の午後一杯かけて、短冊に句を書いて投句することから始め、参会者が交々C記用紙に書き写し、選句、披講し、合評会を繰り広げるという、昔ながらの雰囲気を残していることが人気を呼び、徐々に参加者が増えて、いつの間にか20人を越える大きな句会になった。
この日の兼題は、前夜が仲秋の名月ということもあって「月」と「夜食」。投句5句、投句総数110句から選句7句で句会を進めた結果、上位入選句は以下のようになった。
「天」(5点)
夜食蕎麦きのふは狐けふ狸       春陽子
「地」(4点)
車椅子二つ並んで月の土手       可 升
子を連れて詫びたあの日の月夜かな   冷 峰
紐を二度引いて消す灯や望の月     春陽子
月面を歩いた記憶あるような      ゆ り
歯はあるぞひとり夜食の塩煎餅     三 薬
身にしむや上総下総灯の絶えて     可 升
「人」(3点)
この月は深夜帰宅のわれのもの     青 水
少年の未来果てなし天の川       双 歩
夜食にも一行詩ありこども食堂     冷 峰
乗り越して戻るひと駅十三夜      春陽子

水牛が良いと思って採ったのは上記の「この月は深夜帰宅」「紐を二度引いて」「歯はあるぞ」の三句と、以下の4句である。
石膏の兎いる庭月明かし       百 子
 庭の置物の石膏の兎が月光を浴びて白々と光っている。十五夜の輝きが「石膏の兎」との取り合わせの妙で鮮やかに浮かび上がる。これはアタマでは作れず、実際の情景であろう。「見たままを写した」強さである。
一階に灯のつき夜食支度かな     双 歩
 夜遅く、一旦消えていた一階台所の灯がともる。母さんが受験勉強の子供のためか、会社から持ち帰った夜なべ仕事に打ち込む父さんのためか、お握りを作ったり、おじやを拵えたりしているのだ。ほのぼのとした気分が漂ってくる、実に感じの良い句ではないか。
コップ酒と夜食楽しき泊まり番    反 平
 これも青水句と同じく昔の野蛮な社会部記者時代の思い出。週に一度は「泊まり番」。朝刊最終版の締切は午前二時頃だったから、草臥れてもいるし、腹も減っている。路地にやって来る屋台で、鯨ベーコン、竹輪、焼イカなどを肴にコップ酒を呷り、締めはラーメン。丼や皿は汲み置きのバケツにじゃぶんと浸けて雑巾のような布切れでぐるっと拭っただけ。上司の悪口をはじめ、あれやこれや口角泡を飛ばして、時には朝日が射して来るまでやっていた。
長き夜の更けゆく庭や坊泊り     水 馬
 これはまあ何とも格調高い句である。酔吟会にはめずらしい。「坊泊り」とは古くからこういう言葉があるのか、作者の造語か分からないが、大きな格式のある寺の宿坊に泊まることを言うのだろう。とにかくこの言葉がしっくり納まっていることにまず感心した。早寝早起きが習慣の寺では長夜の夜更けともなれば物音一つしない。小用に立った折か、寝そびれて目が冴えてしまったのか、宿坊の中庭に眼を遣っている。植え込みと散在する石ばかり。別に目を引く物があるわけではないが、何とも身に沁みる感じがしてくる。

水牛句は今回も討ち死で、
雲切れて令和三五夜月さやか
はかどらぬ仕事はままよ夜食とす   (2)
眼をこすり夜食ほしさに勉強す
野分中また野良猫が迷ひ込む
秋の字に草冠つけ咲き競ふ
posted by 水牛 at 21:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月09日

俳句日記 (526)


十条銀座が面白い (2)

 東京、横浜をはじめ全国各地の昔ながらの商店街が活気を失い、閉店してシャッターを下ろしっぱなしの店が続出、いわゆる「シャッター街」が出現して久しい。ターミナル駅のデパートを核とした商店街か、さもなくば郊外に出来た広大な駐車場を備えた大規模ショッピングセンターに客を奪われて、地域の名物繁華街がさびれてしまうのだ。
 ところが十条銀座は元気がいい。埼京線十条駅北口の小さな広場に面してアーケードの入口があり、そこを入ると、中央通り、東通り、西通りと、すべてすっぽり透明プラスチックの屋根に覆われた商店街が延々と続く。この商店街のホームページを見ると、加盟商店は200軒以上あるらしい。そこを北に出外れた処には富士見商店街が連なり、東側は京浜東北線東十条駅方向に別の商店街が繋がっている。それらを引っくるめると大変な商業集積地である。
 八百屋、魚屋、肉屋、惣菜屋、菓子屋、米屋、酒屋、衣料品店、洋服屋、雑貨屋、小間物屋、文房具屋、本屋、玩具屋、家具屋、理髪・美容室、それに勿論、蕎麦屋、ラーメン屋、洋食屋、小料理屋、飯屋、呑み屋、喫茶店と、商店街を構成するあらゆる店が揃っているのだ。こういう商店街は今どき珍しい。頑張って生き残っている商店街が各地にあるが、まずは客足の途絶える雑貨荒物屋、文房具屋、本屋が閉店し、洋服屋、衣料品店が店仕舞い、その内に魚屋、肉屋、八百屋が姿を消して商店街はもぬけの殻となる。
 十条銀座は地の利を得ているのだろう。上野・日暮里からちょっと離れている。新宿、池袋からも適当な距離を隔てている。周囲は赤羽、王子、十条、中里といった住宅街である。個々の商店は零細だが、それぞれ独自色を持つ売り物を持っている。そういう商店が数百軒固まっていれば、大きな力となり、近隣の住民を引き付けることが出来る。一緒に散歩した冷峰は昭和36年に新聞記者になった時の最初の担当が「商店街」で、この十条銀座も有力な取材先の一つだった。「あの頃と比べると、アーケードなどのたたずまいは随分変わったけど、相変わらずの活気ですなあ」としきりに感心していた。
 しかし、この繁華商店街にも何とは無しの影が差し込み始めているように感じられる。そこここに閉店や、店を取り壊して更地になったところが出ていることと、空いた店を買い取って新規開店するのがチェーン展開の安売り中華料理店や焼鳥屋、ファストフード店であることだ。もう一つは、商店街の裏側に広がる住宅街の住民の高齢化によるものか、「住民交代」が進んで、中国人やその他アジア人が増え、商店街にもそういう人たちが目立つようになっていることである。これは人種的偏見といった話ではなく、旧来の住民との生活習慣の違い、嗜好の違いから、売れ筋商品の変化をもたらし、ついには商店街の持ち味が変わって行く可能性を秘めている。10年後、20年後の十条銀座はどうなっているのか、水牛にはそれを見極める時間的余裕はもう残されていないが、気になるところである。
 十条銀座散歩を一時間半ばかりやるともう午後4時。人気の呑み屋「田や」の開店時間ですよと命水がうながす。ここは埼京線の踏切を東に渡り、東十条駅方向へ篠原演芸場の少し手前である。だから正確には十条銀座ではないのだろうが、まあ続きのようなものだ。引き戸を開けて入ると、もう二組の客が入っていた。コの字型のカウンターの昔ながらの呑み屋である。常連の命水はずずっと一番奥に進んで座を占める。酒を飲まない冷峰は引き取って、代わりに玉田春陽子がやって来て、三人で腰を据えて飲み始めた。
 十条銀座の話、俳句の話、連句の話、食べ物の話、命水と春陽子の孫の話、店内に張られた竿灯のポスターから、この店の先代のお上さんの故郷の秋田の話と、酔っ払いの話は脈絡も無く延々と続くのであった。
  商店街栄枯盛衰秋暑し
  三日月の常陸の磯の蛸なりと
  噛み心地良き蛸刺と秋の酒
posted by 水牛 at 22:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする