2018年05月03日

俳句日記 (401)


ああ無情

 平尾龍麿という27歳の窃盗罪で服役中の模範囚が、松山刑務所の作業所から脱出し、瀬戸内海の島に潜んだり、海を泳いで島から本土に渡ったりの23日間の逃走の末に4月30日昼、広島市内で捕まった。
 水牛老人は毎日毎晩、この青年の逃走劇のニュースをワクワクしながら追い掛けていた。テレビには幻滅させられるばかりなので最近は滅多に見ないことにしているのだが、この青年の脱走ニュースだけは小まめに見た。
 平尾容疑者は子供の頃から万引きを繰り返したりする悪ガキだったらしい。ネット情報によれば在日韓国朝鮮人子弟というから、恐らく不遇な幼少年時代を送ったのではないか。福岡県の高校を出てからもろくな仕事にもつかず、万引き、窃盗、ひったくりなどを繰り返しては警察のご厄介になっていたようだ。つまりは「ロクでもない人間」である。とは言え、強盗、傷害、強姦、殺人などといった凶悪犯罪に走らず、ささやかな窃盗を繰り返していた、鼠小僧みたいなケチな奴である。
 世の中にはもっともっと悪い奴がごまんと居る。深夜に女子高校生を引きずり込んで悪さをして問題になりながら、人気絶頂の芸能人ということで、NHKはじめ大新聞が「山口容疑者」と言わずに「山口メンバー」などと、犯罪容疑者に訳の分からない敬称(?)をつける時代である。まあこれなんか真夜中に男の部屋にのこのこ出かけて行く女の子の方もおかしいので、示談になるのも頷ける話だが、それで「不起訴処分」になって「お詫び会見」をしたら、なんと「山口さん」になってしまった。普通ならこんな記者会見はボイコットするのがNHKや大新聞の見識というものなのではないか。
 まあそれは本編の話とは直接関係は無いのだが、この「脱獄事件」がまるで凶悪犯人が野放しになった、大変だと大騒ぎになった丁度同じ時に発生したので、「二つの事件に対するマスコミの取り扱い方も含めて、さて、どちらが罪深いのか」と考えあぐねてしまったのである。
 留守の家に入って盗む「空き巣」や、人の油断をついて忍び込み金銭を盗る警察用語で云う「ノビ」という窃盗行為などは、今のような殺伐たる世の中では芸術的価値があると言ってもいいくらいだ。このヒラオ青年はなんと121件もの窃盗を繰り返していたという。しかし、その被害総額は405万余円。一件平均3万3千円である。窃盗行為を許すことなど到底出来はしないが、国有地に膨大なゴミが埋まっていたことを理由にタダ同然で払い下げを受ける輩や、そういう人物を事もあろうに総理夫人が持ち上げていたなどという話が通る世の中。このケチな鼠小僧を徹底的に指弾する気持にはなれないのだ。
 テレビはヒラオ青年が潜んでいた尾道市向島の住民に「逮捕されてほっとしています」と言わせて、それを放映していたが、県外居住者の空き別荘に潜んでいたのだから、実のところ大した騒ぎでは無かったのではないか。警察が騒ぎテレビが騒ぐから、なんとなく怖くなったというのが実情ではないのか。
 瀬戸内の小島と本土との間の流れの速い海を、衣類などをビニール袋に入れて身体に括り付け、1時間かけて泳ぎ切ったという。こうなるともう、エドモン・ダンテスかジャン・バルジャンである。水牛老人としてはヒラオ青年が無事に逃げおおせて、真っ当に生きようと心に決め、離れ小島でひっそりと人生を送ってくれたらなあ、と思って居たのである。
  ともかくも海渡るべし春の闇
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2018年04月29日

俳句日記 (400)


GW始まる

 ゴールデンウイーク初日の4月28日(土)は晴れ上がって日中25℃の夏日。青山からやって来た句友を案内して三渓園、中華街に行った。
 三渓園は鴨が全部帰ってしまい、サクラは葉桜に、蓮や花菖蒲にはまだ間があるという端境期のせいか、そこそこ人出はあったが、ぞろぞろ行列ということはない。
 紀伊徳川家初代藩主頼宣が和歌山・紀ノ川を臨む地に建てた数寄屋風書院造り「臨春閣」(重要文化財)は普段は入れないのだが、特別公開されていたので上がる。ここも見物客はまばら。日本人より中国人、アメリカ人、スイス人などが目立つ。大池の端の待春軒でビールにおでんで一休み。ここも午後4時とは言え客が我々の他には二組しか無く、奥半分は縄で閉じられていた。
 帰りのバスも座れたし、中華街もむしろいつもの土日の方が混でいるくらいだった。ゴールデンウイークでみんな遠出してしまったせいなのだろうか。それとも安倍政権がしきりに言う「景気回復達成」が一部の者だけを潤して、庶民は相変わらず財布の紐を固く結んだままで、出歩く余裕が無いということなのか。

  鴨去りて三渓園の捨小舟
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2018年04月26日

俳句日記 (399)

18.04.25.防風スクリーン.jpg
風除けスクリーン

 天気予報がかなりずれて、来ないのかと思った春嵐が25日の明け方にやって来た。朝5時頃、トイレに立ったら、かなりの音で風が吹き、雨樋を伝う水音も激しい。
 9時過ぎに起きた時には風はさらに強まっているようだった。窓をすかして、ざんざ降りの庭を見ると、きのう拵えた「風除けスクリーン」が激しく震えながら健気に立っている。
 11時過ぎに雨がぱたりと止み、風も治まった。早速、庭に出て点検。風除けスクリーンは一つが両面テープと塩ビシートのくっつき方がいい加減だったのか、はがれていたが、あとはすべてしっかりしていた。それに守られて、胡瓜4本、茄子、トマト各2本、いずれもしゃんとしている。昨日植えた時には少々げんなりしていた感じだったのが、一晩雨に当たって、むしろ元気になっている。
 苦労してこんなものを作った甲斐があった。これで5月末には美味いモロキュウが食べられそうだと、嬉しくなる。

  春嵐過ぎて青々胡瓜苗
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2018年04月24日

俳句日記 (398)


苗植える
 昼近く、サカタガーデンセンターへ行く。火曜日というのにレジに行列が出来るほどの賑わい。「今日は10%引きの日ですから」とレジのおばさんが言う。火曜日は65歳以上は10%割引になる。「それでジイサンバアサンが多いんだな」と言ったら、レジおばさんはおかしそうに笑った。「それで、貴方はどうなのさ」ということなのだろう。
 野菜苗を買った。すべて接ぎ木苗にする。実生苗が160円に対して接ぎ木苗は399円もするのだが、病害虫に強いと言われると、どうしてもそちらを選んでしまう。接ぎ木苗だって真夏になれば、虫に食われ、うどん粉病にかかることは同じなのだが、「接ぎ木苗だからこの程度で済んだ」と思わせるところが、売り手の術策なのだ。シロウト園芸家はどうしてもこうした殺し文句に弱い。
 胡瓜4本(多産系のフリーダムと病害虫に強い夏バテ知らず各2本)、トマト2本(大玉の麗夏、つよ丸各1本)、茄子2本(黒福、くろぶり各1本)。この合計8本を六坪の菜園に植えた。植え場所は昨日までに拵えてある。直径50センチ、深さ40センチほど掘って、掘り上げた土をフルイにかけて小石などを除き、それに堆肥、牛糞、鶏糞、土壌改良剤などを混ぜた培養土を入れたゼイタクな植え場所だ。
 六坪に8本ではいかにも淋しい。空地だらけの感じである。もっと沢山植えたくなる。しかし、ここが我慢のしどころなのだ。5月も末になるとそれぞれが思い切って枝葉を伸ばし、一本が畳半畳分を越えるほどになる。互いの葉が重ならないように、風の通り道を作ってやらないと、蒸れてしまって必ず病害虫が発生する。毎年毎年、欲張っては失敗を重ねて来たから、近ごろはようやく「植え過ぎ」を誡める術を心得るようになった。
 つけっぱなしのラジオが天気予報をやっている。近ごろのNHKラジオは救いようが無いほど堕落し切っている。若者におもねって、「すっぴん」とか「ラジルラジル」とか「ゴゴラジ」とか訳の分からないネームをくっつけて、しきりに若ぶっているのが良くない。いくらそんなことをやっても若い奴らは食いついては来ない。多分一流大学を出て難関を突破して来たと思われるアナウンサーが半バカを装って,本当のバカと思える娘っ子タレントと組んで、放送作家が書いた面白くも無いダジャレを交えた台本を、あたかも地のママであるかのように喋りまくる。合間には明らかにサクラ聴取者の「ラジオネーム何とかさん」との電話インタビューなどをやって、全国各地の今を話してもらうのだが、これもNHKのことだから、事前に打ち合わせが済んでいるのだろう、遣り取りが芝居がかって不自然だ。それやこれやで、本来のNHKラジオ愛好家である水牛は、そうした地の放送は聞き流して、天気予報と毎時のニュースだけをボリュームを上げて聞くようにしている。
 そうしたら、天気予報のオネエサンが「本日は夕方以降、関東地方は強風豪雨の恐れ」と言っている。南南西の風速10メートル以上の風だという。こりゃ大変だ。植えたばかりのひょろひょろ苗にとって何が恐ろしいかと言えば、強風である。
 大慌てで1メートル長さに切った竹竿3本に、長さ1.5メートル、高さ60センチに切った塩ビ・フィルムを両面テープで貼り付けた「風よけスクリーン」を6組作った。これを植えたばかりの苗の南南西側に三角形の帆を張るように、強風に飛ばされないようしっかりと立てた。これで本日は日が暮れた。
 しかるに、風呂から上がって一杯やり、夕餉も終えて、さて、遅れ遅れの俳句会関係の書き物に取りかかろうとパソコンの前に座った午後9時20分。雨も降らなければ、そよとの風も吹かない。
  春嵐来るか来ないか苗植うる
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2018年04月08日

俳句日記 (397)


間引き大根

 今日は一転肌寒いほどになった。真っ昼間でも17℃だった。
 しかし、17℃もあれば植物にとっては春の盛り。野菜も雑草もぐんぐん伸び始めている。1日に2ミリでも3ミリでも、出来ることなら1センチくらい、となりの奴より大きく伸びて、葉を広げて覆い被さりたい。覆い被さってしまえばこちらの天下で、活躍余地が広がる。だからどの草もまさに必死で、しゃにむに伸びようとしているのが分かる。
 4月1日に間引いた大根がもう葉を広げてお互いに折り重なるように陣取り合戦している。このまま放って置くと全部がひょろひょろ大根になってしまう。長さ3.5メートル、幅45センチほどの畝に、先日間引いた後の若苗がまだ50数本ひしめき合っている。
 互いの葉が重ならないように二度目の間引きをした。間引いたのが38本あった。既に幼児の小指ほどの細い大根がついている。滋賀や京都の名物日の菜漬けの原料みたいな感じだ。さっと湯がいたら柔らかくて、お浸しでも十分食べられる。まだ大根葉のゴワゴワ、トゲトゲした感じがしない。
 後の畝には23本残った。1週後か10日後にこれを三分の一程度に減らす。この時に引き抜くものは、もうお浸しでは食べられないだろう。その時は、細いが大根らしくなっているはずの根の部分は糠漬けにする。この人差し指くらいの太さのうろ抜き大根の糠漬けはポリポリカリカリして実に旨いのだ。
 葉の方は湯がいて、ぎゅっと絞り、細かく刻んだものを油揚の細切りと一緒にごま油で炒め、醤油、砂糖、味醂で味付けする。仕上げに煎り胡麻と七味をぱらりと振る。ちりめんじゃこを入れても旨い。温かい御飯にこれを多めに振りかけて混ぜると、美味しい菜飯になる。豆腐とナメコの味噌汁でもあれば言う事はない。
 そして畝に残った8本くらいが、5月末頃、夏大根として収穫できるはずだ。

  草の芽の陣取り合戦激化せり
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2018年04月05日

俳句日記 (396)


 しこしこと

 この二、三日は春とは思えない暑い日が続いて、昨日はなんと26℃になった。それが今日は一転涼しく16℃。まあこれがこの頃の平均気温だろう。この陽気にサヤエンドウが急に蔓を伸ばして、花を咲かせ始めた。
 居間の前の菜園の石ころを除く土篩いを二月からやっていたのだが、ついに本日完了した。縦3メートル、横3.5メートルを深さ45センチに堀り、その土を篩に掛けたのだ。なんと472万5千立方センチメートルの土をふるったのである。わずか三坪強とは言え、大変な分量だ。こればかり毎日やるわけにはいかず、断続的な作業で一ヶ月半もかかった。
 石ころに混じっていろいろな雑物が出て来た。2月23日付けの本欄にも書いたが、この土は33年前に我が家を建て直す際に掘り上げた土を一旦他所の集積場所に運び、杭打ちや家屋の土台工事が終わった後に、集積場から再度持ち込んだ土砂と、我が家の掘り返した土砂が混じり合っている。だから、これは元の我が家にあった物ではないなというような物も出てくる。磁器製の卸し金が出て来た。戦時中から戦争直後、鉄やアルマイトなどが欠乏していた時期に、大根下ろしまで瀬戸物で拵えたのだ。それが無傷で使える状態で発掘された。卸す歯が細かすぎて大根下ろし向きではないが、ワサビや生姜を卸すにはよさそうだ。その他、古釘、ビー玉、ベーゴマ、おはじき、瀬戸物のカケラ、硝子の破片などが沢山出て来た。
 こうして丹精込めて篩にかけた甲斐はある。二月末にやり終えた場所には、小松菜と大根を蒔いたのだが、どちらもすくすくと極めて順調に育っている。それを間引きしてお浸しにして食べた。実に旨かった。土がふかふかして、空気が十分に回って、根の成育にもいいのだろう。葉の成育が極めて良い。
 しかし、篩掛けすべき地面はまだ四坪と三坪残っている。裏庭もやるとすれば、そこにも三坪ある。気が遠くなってしまうが、まあしこしことやって行くことにしよう。

  うららかや春大根を間引きをり
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2018年03月28日

俳句日記 (395)


 カア公vs.水牛

 予想通りの結果になった。朝9時過ぎにのそのそ起きて庭に出る。芍薬の新芽を囲ったプラ・フェンスは二枚が抜かれ、三枚目が半ばまで引き抜かれて斜めに刺さった状態になっていた。ハシブトガラスのカア公は、端っこの一枚をくわえて引き抜いた。ところがそれは紐で隣のフェンスにつながれている。これはおかしいと、二枚目も引き抜いた。しかし、それも三枚目につながっている。
 一枚の重さは高々100グラムなのだが、何枚も数珠つなぎになっていてはくわえて飛んで行くことは出来ない。ついに諦めたらしい。「一体どうなっているんだ」とカア公のびっくり顔が目に見えるようで、思わず大笑いした。
 あきらめてしまうと後は全くの無関心で、まるで最初からそんな物は欲しくなかったというような、まるでイソップ物語のカラスや狐の感じである。しかし、近くの木に止まって、こちらの様子をじっとうかがっている。また何かいたずらを仕掛けてやろうとねらっているのかも知れないが、とにかくこれで芍薬の芽を保護するフェンスの安全性は保たれることになった。と安心して書斎に引っ込んでパソコンであれこれ書いていた。一段落して庭に出る。
 やはり、敵はさるものであった。朝のうちに汚れた園芸用手袋を洗って、近くのオリーブの樹の添え木にはめて干しておいたのが片方無くなっていた。曲がった枝を誘導するために20センチほどの長さに切って、近くの枝に挟んでおいた4,5本の麻紐も無くなっている。巣の中の卵を産む場所のクッション用に使えると思ったに違いない。あるいはこちらが熱心に洗ったり干したりしているのを眺めて、「これで仕返しが出来る」と踏んだのか。これから二週間ばかりは物干しにも注意しないといけない。

  春風や手袋くはへ飛ぶ鴉

  

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2018年03月27日

俳句日記 (394)


鴉の巣づくり

 3月25日の日曜日、菜園を耕しているとすぐ近くの公園の桜の大木に止まったカラスがカアカアと鳴く。澄んだ声なのでハシブトガラスと分かる。昔、と言っても昭和30年代だが、この辺、つまり横浜駅から北西2キロほどの郊外住宅地は人家もあまり建て込んでおらず、野原や雑木林があったから、ガアガアと濁った声で鳴くハシボソガラスもかなり居て、お互いに棲み分けていた。しかし、近ごろは市営地下鉄が通るなどしてこの辺も"横浜都心"になり、マンションやマッチ箱住宅がびっしり建て込んで、町中住まいに慣れたハシブトガラスの天下になってしまった。
 ハシブトは人を怖がらず、実に図々しい。生ごみあさりの熟練鳥で、ネットの隙間を目ざとく見つけてゴミ袋を引っ張り出し、食い漁る。月曜日と金曜日がゴミ出し日で、早朝から群れをなしてやって来てはつついている。厳重な管理をしている捨て場所と、いい加減な住民の多いだらしのない捨て場所をちゃんと知っていて、だらしのない方に沢山集まる。その場で食べている奴もいるが、くわえて運んで行く奴もいる。人家の二階の屋根にあるエアコンの陰、マンションの貯水塔の下などに「食糧貯蔵庫」を拵えていて、そこに運び込むのだ。そうして、ゴミ出しの無い火水木と土日は溜め込んだ御馳走を食べる。バカな百舌鳥と違ってカラスは貯め込んだ餌を忘れてしまうようなことはない。
 カラスの奴め今日はまたやけに鳴くなあと思いながら、庭先を通る人に芽を出したばかりの芍薬が踏んづけられたりしないように、高さ約40センチ、幅20センチほどのプラスチックの小型フェンスを8個突き刺した。
 今朝起きてみたら、なんとそのうちの2個が無くなっていた。どうしたんだろう。誰がどこへ持っていったのか。居付き猫のキタコの仕業かと思ったが、彼女はこうした動かぬ物には興味を抱かない。きょろきょろ見回すと、庭の端っこの方に1個落ちていた。
 はたと気が付いた。ハシブトガラスの仕業だ。昨日私がこのフェンスを埋め込むのをじっと見て居た。折しも3月下旬、ついこの間までカアカア、ギャアギャアうるさいお見合い騒動をやっていたのが、それぞれ連れ合いが決まり、巣づくりが始まったのだ。こうなると彼ら彼女等は滅法忙しい。まず大木の梢近く大枝が股になった所に枯れ枝を置き、互い違いにして床を作る。その上に小枝を並べ、その上に薄や棕櫚や藁やぼろ切れなどを敷き詰める。この最初の土台になる比較的大きな枯れ枝の代わりに近ごろは針金ハンガーを用いるカラスが多くなった。我が家を縄張りにするハシブト夫婦は針金ハンガーよりもさらに効率のいいプラ製の花壇フェンスに目を付けたのだ。1個わずか100グラム、もう既に枝を組んだようになっている。三枚も敷けば巣の基板としては立派なものが出来る。私が芍薬の回りに立て並べているのを観察して、「これだ」と決めたに違いない。
 しかし、歯抜けになったところは恰好が悪いから、落ちていたのともう一枚新たに加えて、しっかりと差し込み、8枚全部を紐でつなぎ合わせた。こうしておけば、たとえ一個を嘴ではさんで引き抜いても隣のものと紐でつながっているから、咥えて飛び立てないだろう。さあカア公どうする。
  巣づくりの鴉夫婦のまめまめし
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2018年03月14日

俳句にならない日記 (12)


末期の水は

 やはり隠しおおせるものではなかった。森友学園に対する国有地の不当廉売を決めるに当たっての財務省の決済文書の改ざんが白日の下に曝され、シンゾーさんもタローさんもあたふたしている。単に語句を入れ換えたり、表現をぼやかしたりする「書き換え」ではなく、安倍首相、首相夫人はじめ大臣経験者の有力政治家が関与したと疑われる個所は全文削除、あるいは全く異なる表現に変えられていた。これは政権に累が及ぶことを恐れた何者(複数かも知れない)かの指示による「改竄」である。もちろん、公文書の改ざんは明白な犯罪行為であり、今後、検察の捜査によって"縄つき"が次々に出てくるだろう。
 何よりも許せないのは、そうした改ざん文書を国会に提出し、一年以上も野党の疑惑追及質問を突っぱねて来た役人と内閣の「国会軽視」である。これは取りも直さず国民を欺いてきたということである。
 当時の責任者である佐川宜寿財務省理財局長(その後、国財庁長官に栄転し、つい先日辞任)はじめ政府関係者は、この一年間、「関係書類は廃棄しました」「法律に基づいて適正な貸し付け、売買契約をしたものです」「そこに政治家の関与は一切ありません」と口を揃えて言っていた。しかしそれは真っ赤な偽りだった。安倍首相も一年前には国会で、自分も夫人も全く関係無い、「もし関係していたなら、総理大臣も国会議員も辞めます」と大見得を切った。ところが改ざん前の決済文書では安倍昭恵夫人の名前が再三登場し、問題の国有地を視察して、「いい土地だから話を進めてください」と言った、ということまで書かれていたのである。
 これでは安倍首相も麻生副総理も、もうどうしようもないだろう。「なんでこのような事が起こったのか、徹底的に解明することが責任の取り方」というような、こじつけみたいなことを言って頑張っているが、もう民心はこの内閣から離れてしまっている。与党公明党は既に「佐川前理財局長の国会喚問やむなし」の姿勢を見せているし、自民党内にもコイズミ二世議員の徹底解明発言など波風が立ち始めている。「安倍三選」の道筋をつけてシンゾーさんをヨイショしてきた二階幹事長ですら何となく距離を置く様子だ。
 麻生副総理・財務大臣は遠からず辞任することになろうが、問題は安倍首相である。支持率が急降下し、与党内の支持も揺らぐとなれば内閣総辞職もあり得るだろう。第一次安倍内閣では参院選の敗北と自身の神経性下痢という健康問題から総辞職に至った。今回も、この騒動によってかなりひどい精神的肉体的負担がかかり、健康問題が再発する恐れも考えられる。追い詰められる前に先手を打って、国会解散・総選挙に打って出る手もある。
 どうなるか。これから十日間くらいが山場になろうが、たとえ現内閣がこの危機を乗り切って生き延びたとしても、もう安倍三選はあり得ないだろう。それを許すようであれば、自民党も野党もあまりにも不甲斐なく、日本は世界情勢から取り残されるような状況に陥るだろう。
 それはそうとして、それでは安倍の次に誰がこの国を指揮していくのか。これが全く見えないところが心細いと言うより、恐ろしい。安倍内閣に末期の水を汲んでやり、日本をしゃんとさせることの出来る政治家は誰なのか。
 藁山に落とした針を探すような難事かも知れないが、何とかしてその一本の針を見つけなければいけない。それが短時日では無理であるなら、取り敢えずは役人をうまく使いこなせる人望のある政治家を中継ぎに据えて、未熟・実力不足と見られるかも知れないが有望な若手政治家に白羽の矢を立てる二段階方式を取ってもいい。とにかく、この1、2年の間に政界と官界をしっかり建て直さないと日本はどうにもならなくなってしまう。
 
posted by 水牛 at 01:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

俳句日記 (393)

あれから七年

 3月11日というと新聞もテレビもラジオも東日本大震災のことばかりである。口に出しては言えないが「もう丸七年たつ、そろそろいいんじゃないの」とか「うんざり」と思っている人が出て来ているという。東北地方と日ごろ馴染みの薄い関西・西日本の人にこうした気持を抱く向きが多いようだ。その後、熊本地震をはじめ火山噴火や大洪水など全国各地で大災害が次々に起こったから、なんで東日本大震災のことばかりと思うのも人情というものだろう。
 しかし、そういう気持も分かるけれど、やはり東日本大震災は特別だと思う。地震の規模と津波の物凄さはもとよりだが、何と言っても福島原発が潰滅してしまって、百年たっても消えない後遺症をもたらしたということがあるからだ。
 第二次大戦での完膚なきまでの敗北によって日本は徹底的に壊されたが、そこから這い上がり奇跡的に復興したばかりか、その勢いをさらに加速して、ついには世界第二位の経済大国になってしまった。これによって、我々日本人が大いに自信を持ったことはいいのだが、時に自信過剰も目立つようになった。「我々のやることに間違いはない」といった思い上がりである。
 そうしたことの表れの一つが原発である。地震国であり火山国である日本列島に原子力発電所をこれほど数多く無造作に作ってしまって良いはずはない。あの巨大地震と津波はそうした思い上がりに下された鉄槌と肝に銘じて、うんざりしようがしまいが「3・11」は終戦記念日の「8・15」と合わせて、国民の祈りの日として記念式典などを続けて行くべきであろう。そして、原発が無くても暮らして行けるような、戦争をしなくても立って行けるような国を作る努力をしていかなくては、いつの日かもっとひどい目に遭う。
 さて、そんなことを考える水牛だが実は七年前の大震災を知らないのだ。俳句の仲間達と呑気に松山城で遊んでいた時、家族からの緊急電話で知った。松山市内の宿に入ってテレビに写る東北各地の惨状や東京の大混乱に居ても立っても居られない焦りを感じたが、飛行機は飛ばないし、どうすることも出来ず、腹を据えて予定通りのスケジュールをこなして翌々日帰京した。
 その松山吟行の途次、三津の浜辺にある不動院という寺の芭蕉塚の傍に大きな蘇鉄が茂り、実を沢山つけて、熟した固い実が根方にぼろぼろ落ちていた。ここは江戸後期、松山の俳人が相寄り芭蕉真蹟と言われる短冊を埋め塚を築き「芭蕉翁百回忌追善供養」を催した。一茶も西国巡遊の折りにここに来て句会を行っている。その頃に植えられた蘇鉄なのだろう、太い幹が何本も生えて堂々としている。「大震災の折りにのうのうと松山吟行した記念」に、その実を六個拾って、帰宅後鉢に植えた。数ヶ月たつと二本芽生えた。細く堅い葉が羽状になった枝というか葉というかが一年目は一枚、次の年の晩春から初夏にかけて二枚へと、毎年ほぼ一枚ずつ増え、今は最初の一枚が枯れ落ちてしまったが七枚生えている。ただ二本生えた内の一本が三年目に枯死してしまい、今はたった一本。18.03.11.松山蘇鉄.jpg
 幸い生き残った一本は松ぼっくりのような幹がふくらんで、ずいぶん立派な姿になった。3・11記念蘇鉄として大事に見守っていこう。

 三・一一動く気配の蘇鉄の芽
 
 
posted by 水牛 at 20:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする