2026年08月02日

俳句日記 (1040)


10年に2度も熊本大地震

 7月28日午後4時半頃、熊本で震度7の大地震があった。この地は10年前にも大地震に見舞われており、真に気の毒としか言いようが無い。5日たった今日も震度5の余震が起こっている。被災者の気持はいかばかりか。
 地震が嫌いどころか、むしろ恐怖症と言った方がいい私は、テレビ画面でぐらぐら揺れる現地の情景を見つめただけで冷や汗を流し、気分が悪くなり、ポケットに入れている地震除け鯰守を握りしめていた。以後今日までテレビニュースは見ず、ラジオだけにしている。
 この鯰守は、ちょっとした揺れでも顔色が変わる私の性癖を知っている☆ちゃんとKちゃんが5、6年前に神田明神で受けてきてくれたものだ。揺れるたびに握りしめているせいか、元来黒塗りの鯰はすっかりハゲて地金の真鍮が現れ、金色にぴかぴか光っている。「あらおかしい」と言って、昨年、二匹目を受けてきてくれたのだが、それももう半分近く剥げてしまった。
 とにかく地震は怖い。防ぎようがないのだ。火事は防火対策を万全に行い、日頃の注意を怠らなければなんとか防げる。台風による暴風雨も、近頃は進路や風雨の強さがある程度前もって分かるようになったから、被害をかなり軽減できる。しかし地震はそうはいかない。耐震構造と言っても、地盤が陥没したり隆起したりすればどうしようもない。強い揺れによって建物が壊れ、電気配線やガス管が切れて爆発や火災が発生するのを事前に予知して防備するのはとても難しい。それにいつ起こるかさっぱり分からないというのが問題だ。
 これほど科学技術が発展進歩しているのに、何故か、地震に関する学問と予知技術は遅々として進まない。ロクでも無い宇宙開発などどうでもいいから、世界各国が協力して、地球人が住んでいるこの地球の足元や深海のことをもっともっと研究してくれたら良さそうなものだ。
 「1日3時間しか眠っていない」などと同情して欲しいようなことを言って笑われたタカイチは早速熊本に行ってリップサービスを振りまくらしい。目先の“慰問的対策”をあれこれ指示するのだろうが、そんなことより地震学の進歩発展対策に巨額の予算をつけるのが宜しい。
 ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどは地震発生が極めて少ない。先進国で地震国は日本だけである。そんなことも作用して地震学が進歩しないのだろうかなどと考えてしまう。トランプに抱きついたりするのは控えて、国連に乗り込んで「世界全体で地球のことを科学しよう」と言って欲しい。
  大地震に酷暑の天を仰ぐのみ   酒呑洞水牛 (2026.8.2.)
   
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2026年07月27日

俳句日記 (1039)


やっぱり大相撲は変質しているようだ

 昨日、大相撲名古屋場所の田舎芝居のような幕切れについて書いた。だらしない両横綱や大関と名乗るのが恥ずかしい琴櫻などを念頭にあれこれ不満を述べ、返す刀で安青錦の奮闘努力は認めるものの、あの相撲はどうも美しくないと述べた。そして、そうしたことについて、私が長年、いろいろな新聞、相撲雑誌の相撲記事を読んできた経験から、名相撲記者と称えるべき一人であると信じている句友工藤静舟に近頃の相撲についての意見を聞きたいものだ、と書いた。そうしたら早速メールが届いた。
 「・・・稽古もろくにしない横綱が心技体全てに衰えを見せ、パリなど巡業の見せ物で浮かれた連中はものの見事に玉砕してますね!藤ノ川、熱海富士を別格とすれば、大事な番付もぶっ壊れています!相撲部屋がテレビ番組の中で完全に食い物エンタメの世界に取り込まれて、部屋の土俵の厳しさが宙に浮いているのでは無いでしょうか?お相撲さんは優しくて力持ちから、[イケメン!可愛い]に変わってしまった!」と激しい。
 「・・・さて優勝した安青錦ですが、上半身の堅さ、かいな力の強さ、レスリングで鍛えた下半身は怪物!その全身の総合力は、いまだれも敵う者がいない。優勝しても当たり前と言っていいほど抜けている。ましてや戦争をしているウクライナ出身。安青錦の活躍に眠れる獅子(前頭下位の獅司、これもウクライナ)まで目が覚めた!彼らの必死さに気圧されているのか?戦時中の双葉山のような精神のカケラさえ感じられぬエセ横綱の綱の軽さに呆れ果てる。師匠の存在もどこか今日的で軽く、協会の顔を見ながら安全運転しかしない・・・」と手厳しい。
 やはりそうなのだ。大相撲は人気上々で、毎場所、入場券を売り出せばその日のうちに15日間完売である。しかし、これはわずか5、6千人しか入れない国技館が満員になっているというだけのことなのだ。3万人、5万人を収容するサッカー場や野球場とは桁が違う。冷静に見詰めれば、「相撲人気の盛り上がり」は一部の熱狂的な相撲好きに支えられているに過ぎないのだとも言える。つまり観客動員力、フアンの裾の広がりといったことを考えると、大相撲というのはスポーツ界全体から見れば「マイナーイベント」なのだ。それが証拠に、毎場所、初日が開かれる日の朝刊のスポーツ面を見るといい。朝日も日経もなんとベタ記事である。頭記事はサッカーか野球かゴルフの大きな大会である。以前は「きょう初日」と見出しが立って、その場所の見所や話題の力士などについての記事が載っていたのに、なんたる扱いであろう。大相撲フアンとしてはなんとも情けない気分である。
 日本相撲協会はこうしたスポーツ界全体の中に置かれた大相撲の有り様をしっかり見定めなければならない。目先の番付の形を整えるために横綱や大関を安易に作ったり、部屋任せのいい加減な力士養成・鍛錬について肚を据えて考えないと、仕舞いには尻すぼみの、単なるジャポニズムの見せ物に化してしまう。
 そして、その行き着く先は「なんで相撲だけが公益財団法人なんだ」「相撲は国技とはおかしいのではないか」といった議論を巻き起こすことになってしまうだろう。万が一、相撲協会が公益財団法人ではなくなり、“公共放送”NHKが15日間ぶっつづけで毎日、「午後の3時間を相撲実況放送に充てるのはおかしい」といったことになったりしたら・・・。
  暑苦しごっつぁんですと尻からげ   酒呑洞
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2026年07月26日

俳句日記 (1038)


田舎芝居の名古屋場所終わる

 どたばたどたばた、まるで巡業相撲のような名古屋場所が終わった。結果的には左足首を痛めている関脇安青錦が、日本人がほとんど失いかけている「頑張る精神」を見事に見せて、優勝決定戦で熱海富士と霧島を倒し優勝した。
 私は熱海富士が十四日目に獅司を悠々退けたのを見て、これは千秋楽に安青錦を本割、優勝決定戦ともに破って優勝するなと思っていた。霧島が本割で大関琴櫻を破って決定戦に進むことは分かっていたが、霧島にはもう優勝する力は残っていないと思っていたのだ。霧島は私の大好きな力士の一人だが、無理に横綱になって負けてみじめな姿をさらすより、「名大関」でいた方がいい力士だ。相撲協会の“横綱が欲しい”商業政策のお陰で無理に横綱になったが故に、今場所もやっぱりだめで休んでしまった豊昇龍がいいお手本である。
 私の予想通り、熱海富士は安青錦との本割を堂々と押し出しで制した。そして優勝決定戦では霧島を渾身の力で寄り切った。しかし、熱海富士はこれでいっぱいいっぱいになってしまった。息つぐ間も無く戦った安青錦の寄りに精魂尽きて土俵を割った。
 安青錦は一種のバケモノだ。足の怪我がなければ今場所は全勝優勝だっただろう。この怪我が無事に治れば、秋場所、九州場所と連覇して来年初場所には横綱になるのではないか。それほど強い。何しろ馬力がすごい。その上、ハングリー精神に裏打ちされた闘争精神がものすごい。同じようにここへ来てぐんと強くなった熱海富士には、この点が欠けている。
 ただ、安青錦の相撲はどう贔屓目に見ても美しくない。飛んだり跳ねたりのケレン相撲というわけではなく、「四つ相撲」であることは確かなのだが、どうも見ても相撲らしさが感じられないのだ。むしろ宇良などはとんでもないケレン相撲なのに、「いかにも相撲」という味がある。安青錦の相撲は飛んだり跳ねたりではない。しかし、どう見ても子供のケンカか、レスリングを見ているような感じがしてしまうのである。
 私の敬愛する往年の名相撲記者工藤静舟あたりに、この辺の有り様を聞いてみたいものだ。「これぞ大相撲の国際化なのだよ」と言われれば、不承不承黙るより仕方がない。しかし、この力士が横綱になって、今と同じような相撲を取るようなら、84年間見続けてきた大相撲観戦(この十数年はもっぱらテレビ桟敷だが)を見続ける気はしなくなるだろう。
   名古屋場所酷暑警報出っぱなし   酒呑堂 (26.07.26.)
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2026年07月20日

俳句日記 (1037)


女性天皇はなぜだめなのか(その2)

 前回、あまり長くなってしまって書けなかったことをもう一つ。本質的かつ国民大多数の意見を汲み上げた上での討論も行われず国会を通過してしまった皇室典範改正案だが、どうにもわからない点がもう一つある。それは「女性皇族は結婚後も皇族として皇室に残るが、その夫と子供は皇族としない」という点である。これは全くおかしい。
 まず第一に日本国憲法で保障された男女平等の世の中にあってこの論法は通らない。美智子さまも、雅子さまも元は平民である。しかしちゃんと上皇后、皇后とれっきとした皇族になっている。秋篠宮妃も皇族であるし、今回の皇室典範改正の黒幕という噂もある麻生の妹さんも皇族である。
 男性皇族が娶った平民女性は皇族となり、女性皇族が結婚した平民男性は皇族になれないというのは理屈が通らない。「万世一系、男系で通して来たところに、何処の馬の骨とも分からない男の血筋が混じるのは良くない」ということなのだろうが、これは全くおかしい。
 「血統」というものは生物学的、遺伝学的にも確かにあるようだ。女性のXX染色体と男性のXY染色体が性交によって交配され、生まれて来る子供の性別が決まると共にもたらされる遺伝子によって様々な形質が受け継がれる。その場合、男性のY染色体が大きな役割を果たすという説もあるが、母親の形質も大いに遺伝するはずだ。体型や顔つきやしぐさ、物の考え方など「お父さん似」もあれば「お母さん似」もある。この点に関しては専門家の意見をまたねばならないが、常識的観点から言えば「男系」のみにこだわるのは果たして正しいのかどうか疑問が残る。
 学問的な問題はさておいて、今回の改正案に盛り込まれた「女性皇族」の扱いは、「今上天皇の一人娘愛子さまを絶対に天皇にしない」ためのハードル以外の何物でもないものである。さすがにこれには国民がおかしいと思ったのだろう、毎日新聞が7月17日に実施した世論調査では「女性天皇を認めるべきだ」が71%を占め、反対は11%だった。同時に同じ調査で高市内閣の支持率が41%と前月から10ポイントも急落した。むべなるかな。高市はここから急坂を転げ落ちて行くのではないか。
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2026年07月19日

俳句日記 (1036)

女性天皇はなぜだめなのか

 7月17日「皇室典範」改正案が参院本会議で賛成多数で可決、成立した。現行の皇室典範が禁じていた皇族が養子をとることを認める一方、国民の7割方が希望ないしは容認していた「愛子天皇」誕生を「男系男子による皇位継承が皇室典範で定められている」という理由で否定した。高市内閣は何故こうした何とも無茶苦茶な二枚舌を用いてまで、皇室典範改正という日本国の根幹に関わる大問題をロクな議論もせず、数の力で短兵急に押し切ったのだろうか。この性差別剥き出しの法律改正には日本国内はもとより世界各国から不審な眼差しが注がれている。
 天皇は日本国憲法第一条に「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」と定められている。とにかく、天皇は神話時代はさておき有史以来千数百年もの長いこと日本国の元首としてあり続けている。天皇は君主として政治権力を握り国を統治していたこともあるが、概ねはその時々の政治権力者に国政を任せ、自身は祭祀を司り、為政者を任命したり、外国君主やその使者との謁見といった国事行為は果たすものの国政には直接タッチしないできた。君主であり国政の最高権力者であったのは明治憲法下の約80年が目立つくらいだ。
 しかし、日本国に何か大事が起こると「天皇」の存在がとても重きを為す。ほとんど全世界を敵に回す馬鹿げた戦争をやって、日本が壊滅状態に陥った1945年、それでもまだ軍部は「本土決戦」などと息巻いて、日本国はニッチもサッチも行かなくなった。皇居内の防空壕で開かれた御前会議で昭和天皇の「もうよいではないか」の一言と、ラジオを通じて「忍び難きを忍び・・」とポツダム宣言受託(無条件降伏)を国民に訴える玉音放送で日本は救われた。このように極端に難しい局面になった時、国民は「象徴天皇」によって一つになれる。つまり、政治には携わらず国民と国土の安寧を祈る祭主としての存在であることが特徴の元首なのである。
 だから天皇はその時々の人気投票のような選挙で選んだりするものではなく、歴史と伝統を背負った「天皇家」の人物でなければならない。ところが大正天皇は側室を持たず、昭和天皇は正式に側室を廃したから、皇后に世継ぎの男子ができないと困ったことになる。それが現在のありようである。憲法で「皇位は世襲であって国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」とあり、現在も明治憲法で定められた男系男子が継承することをなんとなく引き継いだものとなっているから、今回の問題が起こった。現在の天皇には男子がいない。そこで弟の秋篠宮を“後継”と定めた。秋篠宮には悠仁親王(19歳)があり、皇位継承第2位。しかし、その他にはもういない。このままでは心配だとする声が高まっての今回の皇室典範改正案だ。
 しかし、秋篠宮と悠仁親王とがお元気なのだから何も急に心配して皇室典範を“改正”などしなくても良さそうに思う。ところが高市政権は闇雲に急ぐ。これは国民的な人気の高い天皇の長女愛子さまに天皇になってもらいたいという声が盛り上がってきたことへの“保守派”の危惧によるものなのではないか。
 それが証拠に、全党全会派議員が参加して取りまとめた「皇室典範改正案」には「男系男子による皇位継承」を明記するのをはじめ、女性皇族は結婚後も皇族として残るが夫と子供は民間人としての戸籍を持つこととされた。さらにこれが問題になっているのだが、宮家の娘が旧皇族の男子を養子に迎え、それが設けた子が男子であれば皇位継承資格を持つという文言がいつの間にか付け加えられてしまった。「国民の総意」として衆参両院議員が検討し両院議長がまとめた「皇室典範改正案」には無かったものである。高市内閣が勝手にこしらえてしまったものだ。
 その法律論議はひとまず措くとして、「男女平等」の世の中で何故「女性天皇はだめなのか」を高市は国民に説明しなくてはならない。
 馬鹿な政調会長が「日本は2600年、万世一系の・・」と言った。バカも休み休み言えと言いたい。多くの歴史学者が有史以降の天皇家の世継ぎを辿っているが、「万世一系」には数々の疑問が付されている。
 そもそも日本の皇室の大本は天照大神という女性ではないか。
 今回は問題が問題だけに、俳句無しの「俳句日記」である。(26.07.19.)
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2026年07月12日

俳句日記 (1035)


恐らくまためちゃくちゃな名古屋場所

 7月12日、猛暑の名古屋場所が始まった。予想していた通り初日から横綱大の里が負けて、まためちゃくちゃな場所になりそうだ。
 先場所は横綱大の里が全休、豊昇龍が初日に負けて二日目から休み、大関安青錦が全休、大関を名乗るのが恥ずかしい琴櫻が不甲斐ない相撲で負け越すとこれまた休場と、5人いる横綱大関の4人が不在というなんとも恥ずかしい夏場所だった。今場所はそれが全員揃って出て来ると言うので期待が高まり、名古屋は大いに盛り上がり、入場券は売り出しと同時に15日間の座席完売という盛り上がりである。
 しかし相撲の中身はお粗末極まりない。初日の取組で見所のあったのは大関霧島が新鋭藤の川を立ち上がるなり突き飛ばした気迫ある相撲くらいのものだった。情けないのは全休明けの横綱大の里だ。先場所は左肩が痛いのと言って出て来ず、じっくり治療した今場所こそと期待され、本人も「大丈夫」なんて言っていたのに、初日の相手が苦手の義ノ富士。大の里はこれまで二回戦っていずれも負けている。今日も仕切段階からそわそわして落ち着かない。テレビ桟敷で隣に座っている家内に「これは今日も負けるな」と言ったら、その通りになった。制限時間一杯になっても大の里は立てない。たまらず義ノ富士が突っかける形になってしまい二度も仕切り直し。三度目にようやく立った。立会はそう悪くなかったのだが、義ノ富士の強い押しに、悪い癖が出て利くはずもない叩きとも引くともつかない仕草に出て、これをきっかけに義ノ富士の鋭い寄りにあっさり後ろ向きにされ、自ら土俵を割る形になって溜息をついた。
 関脇、大関、そして横綱へと、当たるところ敵無しの感じだった2年前から昨年初めまでの若武者はどこかへ行ってしまった。まだ25歳、力士としては最も強さを発揮する若武者が、41歳の玉鷲とどちらが年上かと思わせるような挙措動作になってしまった。
 大の里がこんなことになってしまったのはもちろん本人の責任である。何と言っても原因は稽古不足であろう。そして余人にはわからない日頃の生活ぶりに咎が求められよう。その点では指導者である二所ノ関親方の責任が非常に重い。その親方、すなわち元横綱稀勢の里も恵まれた体格に恵まれながら、怪我ばかりで横綱になってまともに場所を勤めたのがほんの一、二場所であとは休みばかりという不甲斐ない力士だった。それが今や二所ノ関部屋という大部屋の総帥として、横綱大の里以下を率いている。
 横綱と言っても人間としてはろくな教育も受けず、相撲ばかりやってきたから身の処し方すらよく分かっていないだろう。そこを上手に導くのが親方の務めなのだが、どうもそれがうまく行っていないようだ。恐らくこんな事態になってどうしていいか分からないというのが現在の大の里ではなかろうか。稀勢の里がこれに救いの手を差し伸べて、2年前の「強い大の里」に立ち戻させることができるかどうか。
  不甲斐無き横綱吐息名古屋場所   酒呑堂 (26.07.12.)
  
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2026年07月10日

俳句日記 (1034)

俳句日記 (1034)

ブルーベリーは尾長のもの

 書斎の前にブルーベリーを3本植えてある。私の背の高さに整えて、混みすぎた枝を払い、肥料もやって丹精した甲斐があって、たくさん実をつけるようになった。去年は毎日50粒ほど穫れて、ヨーグルトに混ぜ、蜂蜜をかけて食べるのが6、7月の楽しみだった。ところが今年は全然穫れない。相変わらず実はいっぱい生るのに一体どうしたことかと思っていたら、オナガが熟すそばから啄んでしまうことがわかった。
 ブルーベリーは十分熟して黒紫色にならないと、酸味渋みがきつくて食べられない。赤紫になったくらいのところで収穫して、器に入れておくと黒紫にはなるのだが、渋みが残り、甘みが足りない。つまり、他の多くの果実と違って、早めに収穫して熟す「追熟」が利かないのだ。
 夕方見回って、「ああこれとこれは明日だな」とアタリをつける。しかし、翌日の昼ごろ見ると、きれいさっぱり無くなっている。オナガは早起きだから、それならばと二度寝を覚悟で午前五時に庭に出たのだが、やっぱり盗られてしまっていた。盗られた上に、こちらは朝寝習慣を破られて昼寝などしたために翌日まで調子が悪くなった。たかがブルーベリーの争奪戦でオナガに負けて体調を崩すなんて馬鹿げていると、白旗を掲げた。
 あの爺さんもう見回りにも来ないんだと察したのか、今日などは昼下がりにも悠々と飛来してブルーベリーの茂みに止まり、甘くなったのを見定めてはツンツン啄んでいるのが窓越しに見える。じっと見つめると、向こうも見返す。こちらが何もしないと分かるのだろう、またつんつん啄んでいる。よく見るとなかなかきれいな鳥だ。頭と口ばしと羽の先は黒く艶があり、胴体と背中と長い尾はブルー、首周りから腹は真っ白。ベレーをかぶった伊達男だ。
 ムクドリと同様に群れを作って人家周辺に巣食っているカラス科の小鳥とのことだが、去年まではここいらへんには見かけなかった。どこかの群れが大きくなり過ぎて分派したのがこの辺に住みつき、餌場を開拓し始めたところ、うまそうな実をつける果樹がありながら無防備な庭を見つけて毎日来るようになったのだろう。今のところやって来るのは一羽だけだが、群棲する小鳥だから、そのうちに家族や仲間を連れて来るかもしれない。どうしよう。
  したり顔尾長尾を振る梅雨晴間   酒呑堂 (26.07.10.)
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2026年07月02日

俳句日記 (1033)


健気な胡瓜

 6月12日に雹に叩かれて茎だけになってしまった5本の胡瓜が、わずか20日ばかりで葉を生やし、花咲かせ、なんと実を成らせ始めた。本日、長さ12センチほどになったのを3本収穫した。への字に曲がっているのは痛手を受けたことによる後遺症だろうか。
 すぐに食べるのが惜しくて、しばらくキッチンの棚に飾って、偉いえらいと褒めてやった。さあお三時だ。さっと洗ってまな板に乗せて塩をちょっと振り、板摺りした。しかし、曲がっているから転がらない。手で擦って、三つに折り、味噌を付けてぽりぽり食べた。実に美味い。加賀鳶純米をキューっと一杯。
 雹に打たれた翌日に点検した時には、「これはもうだめだろう」と思った。葉はズタズタに破れ、満足なものは一枚も無い。根元から立ち上がっている主軸はかろうじて残っているが、其処から出た第一枝から第三、第四の枝(蔓)は折れたり裂けたりしている。どうにか残っている蔓を棚の棒に縛り直した。裂けてはいるがなんとか葉っぱらしさを留めているものを一本当たり三、四枚残して、あとのボロ切れのようになった葉の残骸はすべて整理した。後には胡瓜の蔓の骸骨が棚に張り付いている。
 そうしたらそれから三日目、骸骨のような蔓の節のところから芽が出てきた。小さな葉をつけている。そしてそれがぐんぐん大きくなって来る。早回しの写真を見ているように、ものすごい成長力だ。10日ばかりすると、まだすがれた姿のままなのだが、節々に花を咲かせ始めた。花の後ろにはちっちゃな実を付けている。花胡瓜だ。育たず落ちてしまうものもあったが、本日の収穫となった。
 事故後にすぐ応急手当てをしてやったのが功を奏したのかも知れないが、とにかくこの「生きよう」という意志の力は大変なものだ。
 同じく雹に叩かれて丸坊主になったナスはようやく葉を生やし始めた。これも遠からずなんとかなりそうな気配である。
 実になんとも嬉しいことで、90歳への第一歩を踏み出した89歳1ヶ月で又と無い元気をもらった。
  雹害をくぐり抜けたる胡瓜愛づ   酒呑堂(26.07.02.)
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2026年06月28日

俳句日記 (1032)


蹴球

 「球を蹴っ飛ばして走り回って何が面白い」なんて毒づいていたのだが、サッカー・ワールドカップの盛り上がりに、ついつい普段見ないテレビを見てしまう。弱いと思っていた日本チームがかなりのものだと知って引き付けられる。確かに昔の日本のサッカーと比べると見違えるようだ。これならもしかしたらブラジルをやっつけられるかも知れない。もし勝ったら4強まで行けるかも知れないな、などと、にわか解説者である。
 サッカーに無縁というわけではない。卒業した高校はその昔、神奈川県立第二中学校と言って、蹴球が盛んで強かった。私の通っていた昭和20年代後半も体育の授業は何かというと蹴球で、終わった後には校庭兼サッカー場の砂利拾いをさせられた。後年、新聞記者になって運輸担当になった時、日本にもサッカーのプロリーグが生まれ、全日空がスポンサーの横浜フリューゲルスというチームが家の近所のサッカー場をホームグラウンドにして、試合をしていた。しかし、その頃はまだ今ほどサッカー熱が盛り上がっておらず、公式戦でもスタンドはガラ空き。「どうか見に行って下さいよ」とチケットをたくさんもらったので、散歩がてら見に行った。なるほどプロのサッカーはなかなか迫力があると、一時はかなりのフアンになった。しかし、全日空が不調になってサッカーから手を引き、一方、こちらも子会社を任されて忙しくなったりで、いつの間にかイタチの道になってしまった。しかし、野球以外大概のスポーツ競技のルールや点数の数え方も分からないスポーツ音痴にしては、そういうわけでサッカーだけは分かるのだ。
 それにしても今日のサッカー人気は地球を覆う感じである。アメリカ・イラン戦争もウクライナ・ロシア戦争もまるで消えてしまったかのような錯覚を覚える。まさに「熱狂的」という言葉そのままである。一次リーグで敗退してしまった韓国の落胆ぶりを見るとつくづくそう思う。なんと李在明大統領が自身のXで「・・能力よりも身内びいきを重視して無能な人を指揮官に選べば結果は火を見るより明らかです」と自国のサッカー協会を公然批判したのだ。こんなことってあるんだろうかと、びっくりを通り越してしまった。韓国の人たちにしてみれば、互角と思っていた日本があんなに頑張っているのにという思いもあって、悔しさが増幅しているのかも知れない。
  六月の地球こぞりて球あそび   酒呑堂 (26.06.28.)
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2026年06月27日

俳句日記 (1031)


鯰大明神

 何が怖いといって、地震ほど怖いものは無い。この身の拠って立つ地面がぐらぐらするのだ。頼りとすべきものがぐらつくのだから、もうどうしようもない。それがこのところ日本各地でしきりに発生する。
 昨夜も10時半頃、パソコンに向かっていたら、「ビービー、緊急地震速報、緊急地震速報、ビビービー・・」と喚き出し、ぐらぐらっと来た。慌ててリビングの方に駆け出して、柱につかまった。揺れは3、40秒でおさまった。テレビをつける。震源は山梨県富士五湖あたりで、河口湖で震度6だという。横浜の我が家あたりは震度4らしい。二階で寝ている山ノ神が心配になって見に行ったら、寝ながらテレビ見物、「4なんて無いわよ、3よ」などと気象庁に楯突いているのだった。
 書斎のパソコンの前に戻ると水兎さんから「慌てて転んだりしないように」と半ば冷やかしのお見舞いメールが届いていた。20年ほど前、仕事場のビルの8階で震度4に遭い、慌てふためいてエレベーターに乗ろうとして水兎さんと同僚の恵ちゃんに「エレベーターはダメ」と抱き留められた。爾来この二人には頭が上がらないのだが、「これを身につけていれば大丈夫よ」と、神田明神の地震除守を渡された。
 黒塗りの鯰である。それをキーチェーンにはめてズボンのポッケに入れ、ぐらっとくるたびにぎゅっと握りしめている。長年握りしめ、ポケットの中で擦られているうちに、鯰は黒塗りがすっかり剥げて真鍮の金色になってしまった。「あれあれ」と言って、二人は昨年また新しい鯰守を受けてきてくれたのだが、このところひっきりなしに起こる地震で、絶えず摩っているせいか、黒鯰はもう半分ハゲて地金が出てきた。
 いつも人任せでは畏れ多いから、三匹目は自分で受けに行かねばなるまいなと思っている。
   夏台風一向に来ず地震来る   酒呑洞水牛
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